Sakura-zensen


秘すれば春 02



例えるなら、フスンフスン。
犬の鼻息みたいなのが聞こえる。
え……なに……と思って飛び起きた瞬間、寝泊まりしていた小屋の中に獣が入って来た。
「は……?」
思わず壁に後ずさり距離をとると、もう一つ気配がして、布ずれの音がしたと思ったら何かを振り下ろすヒュッという音がして、咄嗟に手を出して庇う。
バキッと木の棒のようなもので腕を打たれ、衝撃と痛みが走る。
「~~ってぇな!」
強盗かと思いその棒をすぐに掴んで引っ張れば、持ち主の重みのようなものも引き寄せた。
そして驚く息遣いを頼りに、顔を掴む。
ちっさくて、ぷにゃんっとしてて、もっちりした、その肉と肌の感じからして、これは。
「───子供?」
咄嗟にぱっと手を離した。
「ガルゥウッ」
「レタラ!!」
獣が喉を鳴らす音と、それを諫める声がしたと思えば、松明のようなものに火がつけられて翳された。
互いに驚いた顔で目が合う。
そこには数日前に会った、アイヌの子供がいた。名前はたしか───アシリパだ。
「お前は刺青の、脱糞常習犯」
「脱獄常習犯!!!俺は白石由竹……なんなの、どうやってここに来たの?あ、犬か」
脱獄常習犯というのはきっと杉元から俺の話を聞いたんだろう。俺はアシリパがいるときは声が出ないふりをしていたから。
それにしたって不名誉すぎる覚え間違いである。
「犬じゃない、こらレタラ、食べちゃだめ!」
「いだだだだ」
ツレを犬って言ったら怒ったのか頭をかじられた。
レタラと呼ばれたのは白い毛並みのデカイ……え、狼じゃん……。
「レタラがにおいを間違うはずがない。杉元はどこにいる?」
「いるわけないでしょー、俺一人だ」
「おかしい……杉元の靴下のニオイをレタラに憶えさせて追って来たのに。なんで白石のところなんかに……」
「なんかって失礼だな。……靴下って───あ」
アシリパの話に思い当たることがあったので口を開く。
多分、服を乾かしてた時にあいつが先に俺の靴下を片っぽ履いて行ったんだろうと。
すると男二人の靴下が入れ替わったと聞き、アシリパは「気持ち悪い」と顔を歪めた。
俺だってよく知らない男と靴下交換してたのは気持ち悪いです……。あいつ水虫とか持ってないかな、心配。
「それにしても、杉元を探しているという事は置いてかれたのかな?刺青の情報を持って」
「だまれ」
「いだだだだだっ」
嫌そうな顔をしたアシリパに反応したのか、レタラが俺の頭を齧った。
杉元はアシリパに案内させていると言っていたが、この感じからして二人は協力関係にある。
それに、今日私娼窟で聞いた噂からして、杉元が別行動をとっている可能性は高い。
「杉元が刺青の情報を持ち歩いていたら、とっくに殺されてるな」
「どういうことだ?何か知ってるなら教えろ」
「本人かどうかはわからないけど、今日それらしき男が第七師団の根城に連れ去られたと噂を聞いた」
「そこへ案内しろ」
素直に教えてやると、アシリパには毒矢を向けて脅された。
ヒグマ向けの毒だろうから人間にしたら致死量は超えている。
物騒な子供だな……否、それほど杉元の身を案じているのかな。
「───いいよ、ついといで」
「!やけに素直だな」
「狼相手に逃げるのは難しい」
「ああ、レタラはお前の全速力と同じ速さで一晩中走り続けられる。たとえ便所の下に隠れようと見つけ出す───ホロケウカムイの追跡からは決して逃れられない」
「わかったわかった、アシリパちゃんとレタラちゃんはすごいね」
ふんす!と胸を張る一人と一頭にふりふりと手を振って立ち上がった。そして尻を噛まれた。
狂犬病大丈夫かしら……。



第七師団の兵舎は普段三十人ほどが出入りしている。
昔は商店だった建物で、警備のために入り口には一晩中人が立っていた。
そもそも第七師団というのは陸軍最強ともいわれる精鋭たちで、いくら戦争で活躍した『不死身の杉元』であろうと、デカイ狼連れていようと、突入だの脱出だのは難しい。
「それで、どうするつもり?杉元が生きてるかどうかもわからないのに」
物陰から兵舎を窺いながら、低いところにある小さい頭を見下ろす。
「杉元は絶対に生きてる。簡単に死ぬような奴じゃない」
「第七師団相手に?」
「あいつの強さは死の恐怖に支配されない心だ」
アシリパが強く杉元を信じるに至った経緯は、どうやらヒグマとの戦いで見せた奴の根性のようだ。
人は死の気配に直面すると、冷静さを失って身体が硬直するが、杉元は並外れた度胸で立ち向かい、その生をつかみ取った、と。
なるほど、あのびしょぬれ極寒の中、銃弾を探そうともう一度川に飛び込んだのは、そういう本能が強いせいか。
「ふうん……ちょっと待ってな」
納得ついでに確認のため、兵舎の壁をよじ登って中を窺うと、噂の杉元が大立ち回りをしていた。
「お前ら入ってくんのがおせえんだよアホ」
などと、軍人に文句までいってらあ。
俺は静かに壁を降りて、こらえきれない笑いを吐き出した。
「あっはっはっは、いいねえ杉元。生きてたよ」
アシリパは俺の報告に安堵したようで、わずかに強張っていた身体から力を抜いた。
口ではああいいながらも、心配だったんだろう。
「生きてるってことは、刺青人皮は隠してるんだろうな。でもこれからどんどん拷問が激化して吐かないとも限らないし、そうしたら始末される───助け出すなら早い方が良い」
「!レタラ……」
「待て待て」
勇み足で突入しようとする、アシリパの肩についてるフワフワを引っ張った。
俺への奇襲といい、この子、かなり力技である。
心意気としては好きだけど、第七師団相手にやっても返り討ちにされるところまで見えるので、その行動は好きじゃない。
「俺が杉元を連れ出して来る。アシリパちゃんは逃げる手はずを整えなさい」
「お前が杉元を助けるのに協力する理由はなんだ?お前の刺青の情報が第七師団の手に渡ろうと問題ないだろう?奴らから追われる可能性が低くなるじゃないか」
「こっちも何も考えず情報をばらまいてるわけじゃないんだ。相手の勢力や渡す機会だって重要だし。───俺はあの日、お前たち二人に"賭けた"んだよ、自分の武器を」
「……」
「それにさっき、お父さんの話をしてくれたからね」
「アチャの話?それがなんの理由になるんだ?」
お父さんの話っていうのは、ここへ来る途中でアシリパから聞いたことだ。金塊を奪われ殺されたアイヌの中に、アシリパの父がいたらしい。
「囚人でもない、第七師団でもないところからも、それらしき話が出た───金塊が本当にある可能性は高まった」
「なんだ、お前も金塊が欲しかったのか」
「まあね。だから杉元の存在は必要だ」
「ああ。金塊が欲しいなら杉元と分けろ」
ガシッと握手をしてひとまず彼女との協力関係は築けた。
第七師団だの、囚人だのに身を投じるより、ここにいた方が情報の出入りは少なくても安全だ。それでいて金塊への道を歩むことにはなるだろう。

何よりアシリパの目は───のっぺらぼうと似た青を持っていた。
そこに意味を見出すのはやはり賭けでもあるが、乗ってみようと思った。


さて、どうやって杉元を助け出すかというと、簡単お料理教室の時間だ。鉄格子をぐにゃんっとゆがめる。───ね、簡単でしょ。
「は……」
「や」
静かに床に降り立った俺を見て呆然とする杉元に、言葉短く挨拶をする。
「妖怪?」
「脱獄常習犯の白石くんです」
「いやお前、鉄格子……」
「あれねえ、コツがあんのよ」
俺を妖怪と言ったのは鉄格子を二~三本歪めたせいだろう。失礼な……いや、妥当な意見かしら。
とにかく適当に誤魔化しつつ、杉元の拘束を外す。
「そもそもなんでお前がここに?」
「アシリパちゃんの熱意に負けて?」
説明が面倒だったし、彼女が来ていることを手っ取り早く伝えるためにそう言った。
靴下入れ替わりによる勘違い、毒矢と狼による脅迫、金塊捜索についての取引などは助かった後話せばいいのだ。
杉元はアシリパが来ていることに、感動していて詮索する余裕はなさそうだし。
「いいか、これから───ん?」
階下が若干騒がしくなり、口を噤む。
馬のいななきと、人の話し声、足音だ。そしてどうやら俺たちのいる二階にも足音がする。
部屋の前で立ち止まり、静かにドアが開けられようとするのに気づき、俺は暗がりの中に隠れた。


結果として俺とアシリパの作戦は失敗。本当はこの後、馬に轢かせた縄で鉄格子を外させて、杉元と脱出するつもりだったがそうはいかなくなる。
杉元は部屋に入って来た軍人を軍刀で殺害。そして服を剥き、はらわたを引っ張り出したかと思うと、また着せてその手に軍刀を持たせた。
そこからはもう華麗な手口で瀕死を装い、連れ出されることに成功。
う~~ん、感動した!
俺は事後処理として軍服を着て、第七師団が所持してるであろう刺青人皮を捜索。が、見つからなかったので追手の人員を割くためと、炙り出しのためにとりあえず兵舎に火を付けといた。



next.


水虫も、ヒグマ用の毒も、狂犬病も怖いもんね。
多分関節も外せるんだけど、サクラ成り代わりは力でゴリ押しをするのが醍醐味だから……。
映画がだいたいこの辺までだったよ(この後もちょっとあるけど)。いったい何作になるんだ……ワクワク。
アイヌ語片仮名の小さいやつは、表示難しそうなので横着して全角で行くけどゆるしてほち。
Feb.2024

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