秘すれば春 15
わんぱく相撲大会を一夜の過ちのようなテンションで心に秘めてから一変、インカラマッが鶴見中尉から情報をもらっていたことが判明した。ただ本人は利用しただけというが、キロランケがアシリパの父親を殺し、のっぺら坊はアシリパの父親ではないそうだ。
「白石、この中で"監獄にいた"のっぺら坊と会ってるのはお前だけだよな?」
「本当にアシリパさんと同じ青い目だったのか?」
それを確かめる術として、ふいに俺への追及が始まる。
夜明けの海辺は深刻な話を彩るにはもってこいで、俺は海風に揺れた髪に顔をくすぐられてゆっくり目を閉じ、また開いた。
みんなが俺の一挙手一投足を、見逃すまいとみている視線を感じた。
「似ていると思った」
「───ッ」
アシリパの見開いた目に誘われるように近づき、腰を曲げて覗き込む。
一瞬硬直したが、大人しくされるがままになるアシリパ。
「気づいたのは二回目に会った時。アシリパちゃんが杉元と俺を間違えて、匂いを辿ってきただろ?間近で顔を突き合せた」
「!あの時……そうか、私はその後、お前にアチャの話もしたな……」
そこまで言うと、アシリパの目がそっと伏せられた。
「おまえ、……その時から、気づいていたんだな?」
「薄々と。土方さんが探すアイヌと、キロランケの話を聞いて段々確信に変わったけど」
アシリパのそばにしゃがんで、問いかけてくる杉元を見上げて笑った。
「───どうする?誰を信じる?」
結局杉元とアシリパの出した結論は、網走監獄ののっぺら坊に会いに行くということだった。
まあ、最初からそのつもりだったし、今更揺らぐはずはないと思っていた。
"誰"を信じる信じないなんて、些末なことを聞いたな、と小さく笑う。
とはいえ、インカラマッとキロランケが旅の道中でどちらかが殺されたら、杉元が自動的に残った方を殺す!と冗談を言ったのには笑えなかった。
こわいんだよ時々さあ。
俺たちは北へ三十キロ進み、まずは塘路湖付近のアイヌのコタンへ身を寄せ、刺青囚人───都丹庵士の情報を手に入れた。
そしてさらに北に六十キロ移動し、屈斜路湖付近のコタンに辿り着く。
もうすぐ新月の晩となり、盗賊がこの村を襲ってくる可能性は高かった。だけどわざわざ襲ってくるのを待つことはない。昼間のうちに、奴らの棲家を見つけた方が合理的かつ有利だ。
付近に温泉宿があるというので、そこにいけば他にも情報が聞けるかもってことでみんなでそこへ向かおうと村を出る。
その時、遠くでかすかに音がした。
カンカン、と何かを叩くような、独特な音。
「!?」
「!」
アシリパと俺は、同時に気が付き周囲を見たが、音が遠すぎるし、慣れない広い山の中では位置を特定できず、諦めた。
それを再び聞いたのは、温泉宿で露天風呂に浸かっているその時だ。
「?」
「何の音だ?」
杉元たちも気づいたらしく、騒めく。
二日後の新月の夜までは襲ってこないから、今夜は英気を養い明日にでも本格的に動こうとしていたというのに。
男六人、肩まで湯に浸かってがんばろーねって顔を見合わせていたところに、突如武装した目隠し集団が現れた。
チカパシと俺以外がザバッと立ち上がり水飛沫が上がった隙に、俺はチカパシの身体を抱えて湯の中で後ずさるところで、露天風呂を照らしていた灯りを消された。
あの独特なカンッという音は舌鼓で、その反響によって耳で"視て"いたらしい。
「チカパシ、おいで」
「───その声は白石だな?鉱山会社と取引をして俺たちを捕まえに来たのか?」
都丹はささやき一つで、俺を探り当てた。
「いいや。刺青を写させてほしいだけだ。礼はする」
「白石……」
腕に抱き上げた不安げなチカパシの声が揺れる。
「そこのガキを風呂から出せ。できれば当てたくねえが、イチかバチかで撃ちまくってもいいぜ───」
だめだ話が通じないと感じたその時、遠くから何かが駆け寄ってくる物音がした。
すぐに獣の唸るような声と、都丹の息をのむような音が聞こえたと思えば、チカパシが「リュウの声だ」という。
どうやらリュウが俺たちの危機を察知して、都丹に襲い掛かったらしい。
俺たちはその急襲の隙に一斉に湯から出た。
「ふ~む……ごちゃごちゃでわからんな」
都丹が俺たちの動向をいまいち把握できていない声がする。
「みんな森へ逃げよう。リュウ!チカパシを守れッ」
チカパシを下ろした俺はリュウに言いつける。
リュウがチカパシのそばにいれば、敵が近づいてきたら吠えるだろう。そして犬がいれば相手も、そこにいるのは子供だと判断するはずだ。
「チカパシはなるべく動かないで、リュウを抱いてな。湯たんぽにもなる」
「う、うん」
チカパシによく言い聞かせてから、岩陰に置いておいた桶を暗闇の中手探りに見つけ、酒や手ぬぐいに紛れて隠し持っていた苦無を手に取って森に逃げ込む。
暗闇に目が慣れるまでは少しの時間が必要だ。それに向こうは暗闇での戦い方に慣れている。
───だが忍者は、その名の通り忍ぶ者だ。
闇の中で気配を殺し、音もなく対象に近づくことなど造作もない。
相手は武器を持ち、服を着ている。それだけで、全裸の俺たちとは違う動作音がする。
息を潜めようが、静かに歩こうが、気配を完全に消せはしない。
なにより、相手がいかに"視えて"いたとして、俺の動きに対応できるかは別の話だ。
「───ッ!?」
早速見つけた人間の背後に這いより、腕を回した。
俺に近づかれたことに気が付かなかった男はビクリと身体を跳ねさせたが、その時にはもう喉を切った為に声を上げられる状態じゃなかった。藻掻いて息絶えるのにそう時間はかからない。
ひとりずつにはなってしまうが、静かに着実に森の中で追手を始末する間、どこかで騒ぎがあった。
発砲音がしたり、灯りがついたりしているが、俺はあくまで暗闇の中の方が動きやすいので、そちらに近づくのはやめておく。銃を持っていたのは都丹と尾形だけで、下手に渦中に入って行って撃たれたらいやだし。
そして、どのくらいの時間が過ぎただろう───。
周囲に人の気配がなくなり、夜明けはまだかしら、と息を吐いていると遠くからぼんやり灯りが近づいてくる。
「ん?お前───白石か」
「あ、永倉さん。来てたのか」
「道中見た死体は全て、喉を掻き切られるか心臓を一突きされていたが、お前か白石」
永倉さんの後ろには土方さんもいて、したり顔で頷いている。
……ていうか照らされてる俺、全裸なのよね。やん……。
「武器はそれか……底が知れねえ男だな、おめえは」
更に牛山が暗闇からのしのしと歩いてきて、俺を見下ろした。
ほんと、明り消してほしい、恥ずかしいから。
話を聞くにキロランケとはぐれた後の土方さん一行も、都丹が硫黄山や屈斜路湖付近に潜伏している情報を掴んでいて、先ほどこの旅館に辿り着いたところだったらしい。
じゃあもう俺の出る幕ではないなと思い、三人とすれ違うように足を進める。
「じき夜が明けるが、杉元は生きていると思うか?」
「不死身だし、生きてるでしょ」
土方さんの問いかけに、立ち止まって答えると微かな笑い声が聞こえた。
あの男の生命力の強さときたら、尾獣でもついてんのかと疑うレベルなので、土方さんも思うことはあるんだろう。
「───リュウ!まって!」
「ワウワウッ!」
ふいに、遠くからチカパシとリュウの声が聞こえてきた。
敵の気配がないとわかったリュウが、チカパシを俺のところに連れてきたんだろう。
声が近づいてくると永倉さんが灯りをそっと身体に隠して、照らす範囲を狭めた。
「チカパシ、怪我は?」
「あ、白石!?ないよ……谷垣ニシパは?」
声を発するとチカパシは俺に気が付いて、微かな灯りを頼りに駆け寄って来た。
「はぐれたから、今から探しに行こうと思ってたんだけど───丁度良いところに来たなリュウ」
永倉さんとは少し距離があるし、チカパシには俺の姿があまり見えてないようだ。配慮に感謝しつつ、俺はリュウとチカパシにその灯りがある方を示す。
「あすこにいるおじいちゃんたちを、杉元のところに案内してあげてくれる?」
「白石は?」
「俺は───早く汗流したいから、朝風呂行ってくる」
「……ダメ人間……」
「わはは」
チカパシが真っ直ぐ非難する声を聞きながら、俺は更に灯りから遠ざかった。
さっき永倉さんに照らされて分かったが、俺は結構返り血に塗れていたので、このまま一緒に行くわけにはいかなかったのだ。
next.
道中転がる死体を辿った先にいたのが、全然戦えなさそうな顔した返り血まみれの男、というギャップが好き。(説明)
Mar.2024