Sakura-zensen


秘すれば春 16

露天風呂にかぽ~んっと浸かっているところに、みんなが戻って来た。
チカパシが「いた」と俺を指さすので、きっと俺と会ったことを話したに違いない。
「朝風呂最高~」
親指を立てた俺に対してみんなは、コイツ……って顔をしたけど小言はなかった。
最早俺が役に立たないことは織り込み済みなので。

谷垣は銃で撃たれていたのでキロランケの肩を借りて手当てに行き、チカパシもそれについていった。
多少怪我をしていた杉元はというと、身体の汚れを落とした後、俺と同じようにまた湯に浸かる。夜通し全裸で動き回ってたから、格別の朝風呂だろう。
「きもちぃ……」
杉元はほけっとした顔で力を抜いている。
ちなみに尾形も同じように湯に浸かったが、その表情は相変わらずの無表情だ。
でもなんか、近いんだよな、距離が。
杉元が反対隣にいるが、わざわざ俺を挟んで座ることないのにな。

「……?」
ふいに湯が揺れ、肩に肌がくっついた。
尾形が動いた拍子にぶつかったのかと思いきや、ぐっと距離を詰めて俺に顔を寄せてきたのだ。
すん、と鼻で空気を吸い込む音がする。それが、すんすん、と繰り返されれば匂いをかがれていることがすぐに分かった。
「なに、なになになに?」
鼻先で何かを探すように顔を動かす尾形はどこか動物じみているが、人間のナリをしているので普通に奇妙だった。
「───洗い流したな、血の臭いを」
「!」
「どうした?」
俺の動揺と尾形の奇行に気が付いて、杉元は岩に預けていた頭を上げて不思議そうにした。
尾形が俺の耳元で囁いた声までは、聞こえてないようだった。
「なんでもない。俺はもう温まったから出るよ」
「おお、俺はもう少ししたら行く」
逃げるように湯から上がって二人を見下ろすと、杉元は再び身体の力を抜いた。だが尾形は俺を無言で見上げたままである。
……なんか身体をじろじろ見られている気がしてヤだあ。
それでも気づかないふりをして背を向けると、背後からざぱりと湯から上がる音がした。
尾形が無言で着いてきてるのだ。

「傷ひとつない、きれいな身体をしている」

脱衣所に入って戸を閉めた途端に、背後の尾形が言う。ヤだあ……。
"何もしなかった"俺への遠回しな嫌味ともとれるが、もしかしたら尾形は俺が始末した都丹の手下を見たのかもしれない。
「…………ありがと」
だけど言う必要性は感じないので知らないふりして、いそいそと身体を拭く。
そして恥ずかしいのでせっせと服を着こんだ。


日中、土方さんから紹介された石川啄木と遊郭で遊びながら情報をもらっている間に、アシリパと杉元は写真館へ行ったらしい。
というのも、キロランケとインカラマッのことを調べるために、顔写真があった方が良いという企みがあったからだ。
インカラマッに関して言えば、過去や素性はわからない。だけど鶴見中尉に関わって情報をもらったことは事実だろう。ただ、その情報が正しいという確証はひとつもない。
鶴見中尉は情報将校といわれるほど情報の扱いに長けていて、高い分析力を持っている。それは情報操作をして、かく乱する力もあるということだ。
殺されたアイヌの遺品を鶴見中尉が持ってることは尾形の口ぶりからして事実だが、そこからキロランケの指紋が出たというのはでっち上げようと思えばでっち上げられること。
アシリパの父と関わりのあったというインカラマッが利用されていないわけがない。
対して、キロランケの素性は判明しつつある。
アシリパの父もそうだが、彼らはロシア帝政へ反目する革命派の男だ。
金塊を運び出してその活動資金にするとか、それこそ国を一つ作る企みなどがあったことだろう。本人は金塊はアイヌのもので、自分の子供たちもアイヌ、アシリパに金塊が託されるならその行く末を見守ると言っているがどうなることやら……。

「白石も撮りたかったか?」
「拗ねんなよ」
「べっ、べつに~~~!?!?」

杉元とアシリパが二人で写ってる写真をじ~っと見ていた所為か、いじけていると勘違いされてヨシヨシと背中を撫でられた。
別に拗ねてなんかない。ないったらない。
そもそも俺は、立場的に写真を残せる人間ではないので。




ついに網走監獄に侵入する時がきた。
二人の疑いが晴れたわけではないけど、結局のっぺら坊に会えばわかることもあるということだ。慎重になりすぎてぐずぐずしてはいられない。
対して、侵入については慎重に行くことにした。俺が一人で脱獄したり、侵入するくらいならやれないこともないけれど、今回はアシリパ、そして杉元が一緒に行く。それに、のっぺら坊を脱獄させるというわけではない。───それをしようとするとかなりの準備と覚悟が必要なので。

網走監獄の看守には一人、土方さんの息のかかった門倉という男がいる。門倉の父親は旧幕府軍として土方さんと共に戦った。看守の中にも結構、かつての同志がいるものなのだ。
その門倉は、のっぺら坊が毎回どこの房に移動させられるのを予想できるようになっており、俺たちはそれを信じて房を目指す。
本来脱獄などは音が紛れる嵐の夜が良いのだが、今回は人が大勢いることと、のっぺら坊は逃がすのではなく会って話すことが目的であるため、闇の深い新月の夜の決行を選んだ。
しかしそうなると周囲の建物は消灯されている為、真っ暗闇の中を誰にも会わずに歩かなければならない。そこでまた、土方さん側の仲間───都丹が先導して監獄敷地内を歩くことになった。

都丹の背中に触れながら俺、杉元、アシリパと続いて物陰から出た瞬間に、ぱっと顔が照らされ看守とばったり行き会った。
「!なんだお前ら、」
都丹が物音に気付かなかったのも、俺が光や気配に気が付かなかったのも、完全に油断していたとしか言いようがない。
杉元と都丹が咄嗟に二人の看守を倒し、近くの宿舎からキロランケと牛山が呆れながら出てきて回収したが、かなり幸先の悪い滑り出しとなった。
しかしその後は誰にも行き会うことなく、風の音に紛れて進み、とうとう舎房へたどり着く。
舎房は放射状に五つ並んでおり、その中心には全体を一か所から見渡せる六角形の中央見張り所があった。
夜勤は三人、うち一人が門倉だが、残る二名を攻撃して黙らせるという荒業には出ないでおく。万が一騒ぎになったら俺たちが逃げ難くなるからだ。
これは、あくまで気づかれないことが最善の計画だった。

ところが、やっとの思いで房に侵入し、対面したのっぺらぼうが騒ぎを起こした。
そのうえ、門倉が侵入者の存在を周囲に報せ、監獄中に警報が鳴り響く。
アシリパは天窓から出入りするときの紐を身体に括りつけたまま、都丹が上で待機をしているので一番に引き上げさせ、逃げるように言った。
様子を見つつ、杉元は騒ぐのっぺら坊を容赦なく殴る。アシリパがのっぺら坊と対面してすぐに、これが父親ではないと判断したからだろう。
でも、今ここにいるのっぺら坊は俺に刺青を彫った男ではない。
「───こいつ、違う。偽物だ」
「なに!?」
杉元はのっぺら坊の口に銃口を突っ込んだまま、俺に視線をよこした。
「替え玉だ、本物は違う場所にいるんだろう」
「……とにかく俺たちはハメられたってことだな───逃げるぞ」
杉元は切り替えて房から出ようとしたが、それを門倉が発砲して阻む。
外ではかなりの騒ぎになっており、爆発音もしてきた。

これは門倉が裏切ったというよりは、都丹、ひいては土方さんが仕組んでいたということだろう。
俺と杉元を偽物ののっぺら坊のいる房に足止めして、アシリパを本物ののっぺら坊へと引き合わせている可能性が高い。
そして監獄の外で起きている騒ぎは、鶴見中尉の急襲。彼もまたアシリパとのっぺら坊を狙ってここへ来たというわけだ。
インカラマッが鶴見中尉に内通していたのか、それともどこかで監視されていたのかは定かではないけど。



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Mar.2024

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