Sakura-zensen


秘すれば春 17

俺と杉元は房の下にある換気用の空間を這って、外を目指した。
出口はかなり小さく、俺は関節を外せば出られたが、杉元は関節も外せないし、そもそも身体もでかくて出られない。
「しょうがない、俺が壁を壊すから───」
「俺は自分で何とかするから、アシリパさんを探しに行け!!」
通気口に向かって顔を寄せると、出てきた腕に服を掴まれて引き寄せられる。
「アシリパさんを確保出来たら正門で待て、アシリパさんを頼むぞッ、白石!!」
「わかった、でも」
俺は杉元の望みに頷きながら、こぶしを握った。
そして力を振り絞って地面と壁をえぐり取り、杉元の出られる大きさの穴をあけた。
「は……ッ!?え!?」
「怪我してない?杉元も行こう」
杉元はしばらくぽかんとしていたが、周囲の喧騒を思い出して穴から這い出てくる。
そして俺が先を走ると追いかけてきて、何かを言おうとしていたがそんな杉元に襲い掛かる男が一人いた。
たしかあれは杉元のことを恨んで執拗に狙ってくる、二階堂だったかな。
「白石、先に行けッ」
応戦している杉元の言いつけに、今度は素直に応じた。
さっきとは状況が違うから、杉元を手助けする必要はないだろう。

暫く走り回った後、アシリパが物陰でキロランケに抑え込まれていたところを見つけた。
周囲に看守や兵士がいたので、隠されていたんだろう。
てっきりアシリパは都丹や土方さんと一緒にいると思っていたが、のっぺら坊の居そうな場所だけ聞きだして、逃げて来たらしい。
「杉元はどうした?一緒じゃないのか」
「あっちで二階堂とやり合ってた。先に正門に行こう、そこで落ち合う約束だ」
「でも、杉元と教誨堂へ行かなきゃ!!土方歳三がのっぺら坊はそこにいるって……!」
「……アシリパちゃんが行ったらまた土方さんに攫われるから駄目ー」
押し問答の末、ひょいっとアシリパを抱き上げた。
結局のっぺら坊には会わないと話が進まないので、キロランケと杉元に任せようと思う。
「キロランケ、杉元と合流して教誨堂へ行って、のっぺら坊に会ってきてくれる?アシリパの父であれば顔を見ればわかるはずだし」
「……じゃあ、これを持って行け」
アシリパも杉元やキロランケならと納得し、父親が作ってくれたマキリをキロランケ伝てに杉元に託す。
それはアシリパの信頼を得た証として、父親の目に映るだろう。


アシリパを連れて正門へ辿り着き、谷垣やインカラマッ、牛山や夏太郎と合流した。その後しばらくして、キロランケだけが戻って来た。
どうやら杉元はキロランケと会って小刀を受け取りはしたが、一人で教誨堂へ行ったようだ。キロランケが大人しく引きさがったのは、周囲に敵が多すぎた所為かもしれない。
何はともあれ、それなら信じて待つしかないと待機していたところ、インカラマッが建物の屋上にアシリパを呼んだ。
教誨堂の方向に、杉元とのっぺら坊らしき姿があるらしい。
「見てきな」
俺はその背中を叩き、見送った。
続いてキロランケも追いかけていく。

ところが、俄かに上が騒がしくなる。

「アチャ!!杉元ッ!!」
「助からんッ諦めろッ!逃げるぞアシリパ!!」

泣き叫ぶアシリパがキロランケに抱えられて降りてきた。
聞けば、杉元と父親が撃たれたらしい。
「俺が、」
「俺が行ってくる」
どんな風に撃たれたか、即死なのかはわからないがもし息があれば何とか助けることもできるかもしれない。そう思って口を開きかけたが谷垣に遮られた。
「白石はアシリパから離れずに予備の舟で待ってろ」
「谷垣ニシパ!行っちゃだめです!あなたも撃たれます!」
「杉元には釧路で借りがある!」
谷垣とそれを引き留めるインカラマッの背中を一度だけ見て、俺はキロランケに抑え込まれているアシリパに触れた。
「谷垣なら杉元と親父さんくらい担げる。俺たちは先に舟に向かおう」
「ぅああぁあっ」
俺は、杉元からはアシリパのことを頼まれている。
こんな状態のアシリパを、一人にするわけにはいかなかった。
「───待ちなさいっ!あなたさっき屋根の上から……」
「アシリパを連れていけッこの女は危険だ!!」
アシリパを宥めてこの場を離れようとしたとき、インカラマッがキロランケを引き留めようとする。キロランケはアシリパをほぼ投げるように俺に渡して、インカラマッを抑えた。
気になることを言いかけていたが、泣いてるアシリパやキロランケの低く張られた声、撤退に急いでいた所為で、何の話をしていたのかはほとんど聞き取れなかった。


暫く泣いていたアシリパだったが、背中をとんとんしながら森の中へ入ると徐々に静かになっていき、自分の足で歩きながら舟にたどりついた。
そして待つこと十分あまり。遅れてやってきたキロランケは一人だった。
「あ、キロランケが戻って来た。インカラマッは……」
「どうして俺たちの動きが第七師団に筒抜けだったかわかるだろ?あの女しかいねえんだぞ!!連れてくわけにはいかん」
「……そう」
谷垣も杉元も、インカラマッがどうなったのかもわからないが、あまり良い展開ではなさそうだった。
確かにインカラマッは鶴見中尉と内通していた可能性は高い。今日の襲撃を考えれば怪しいのは明らかだろう。
俺は庇うことも否定もできず、頷くしかなかった。
「舟を出せ、逃げるぞ」
「尾形!!」
そこへ草をかき分けて闇の中から現れたのは尾形だ。
尾形曰く、谷垣は鶴見中尉達に捕まり、杉元とアシリパの父親の死を確認したという。
声も出ないほどの慟哭を上げるアシリパを支え、そのまま誰も口をきくことなく舟を漕ぎだした。

夜が明ける前に、疲れきって眠っているアシリパを抱いて舟をおりた。
そして歩いて港へ行き、次は大きな船にのるというキロランケに、俺は行き先を尋ねた。
すると、返って来た答えは樺太である。
「どうしてまた」
「刺青の囚人の情報がある」
「へえ」
ロシアではスチェンカという素手でやり合う喧嘩形式の勝負がある。元は村対抗で行われる祭りの余興のようなものだけど、それを賭けの対象にした男がいた。───その男には奇妙な刺青があるらしく、おそろしく強いという噂をキロランケは掴んだという。
「…………岩息かな」
「知ってるのか」
情報からして心当たりのある囚人が一人いた。思わず名前を漏らすと、尾形が聞き返す。
「うん、牛山と負けず劣らずの屈強な男でさ。戦うこと……特に殴り合いが好きなんだ。人柄は悪くないんだけど、その悪癖のせいで暴れないと気が済まないんだよな……」
よいしょ、とアシリパを抱え直しつつ、かつての思い出を話した。
網走監獄では、岩息が暴れて手が付けられない時に牛山が呼ばれる、という展開は何度も見たことがあるので今となっては懐かしささえ感じられる。
「殴り合いだけなら牛山に勝ったことだってあるんだよ」
「お前が相手をしたらどうなる?」
「相手になるわけないでしょ~~」
キロランケも尾形も、俺の話す情報に興味深々という感じだ。……だけど尾形に関して言えば、俺を疑いすぎである。
俺が実際に戦ってるところを見たわけでもないのにな……。



アシリパは樺太についてからも終始暗い面持ちで、食事は嚥下できても笑顔を見せることは少なく、言葉もほとんど交わさなかった。
だけど時々、表情に変化が現れ始める。樺太アイヌの小さな女の子にもらったコケモモを食べた時に「ヒンナ」と微かに笑って言ったり、回復の兆しは見えた。
杉元と父親のことはかなりショックだろうけど、その感情や時間にずっと留まってはいられないのだ。

北へ向かいながらとある街に辿りついたとき、キロランケはロシア人の経営する酒場へと聞き込みに行くと言った。
子供のアシリパを酒場に連れ込むと絡まれそうだから、キロランケと尾形の二人に聞き込みを任せて、俺とアシリパは近くの喫茶店で待つことにした。
二人になってからは尾行されている気配を感じていたが、多分俺の顔を知っている岩息が動向を探っているのだろう。
遅れて喫茶店に入って来て傍に座るのは、服の上からでもわかる大きな図体……気づかれないように顔を確認すればやっぱり岩息だった。
「アシリパちゃんおいし?」
「ん……」
探られても困らないので、喫茶店では気にせずアシリパに話しかける。
「あんまりくよくよしてたら身体によくないよ」
「アチャが死んだのは一度乗り越えたことだ……でもアチャがアイヌを裏切ったことはどうやって乗り越えればいいのかわからない」
「裏切ったかどうかもわからないんじゃない?」
「……」
「わからないなら探すしかない。他でもない娘のお前が見つけてやらなきゃ」
「そうか……そうだな」
「杉元だって、また会える」
「ああ、杉元が死んでるわけないだろッ!あいつは『不死身の杉元』だぞ。きっと生きている」
杉元のことを自分の口で生きていると言ったアシリパは、今度こそ目の輝きを取り戻した。
「うん、絶対にアシリパちゃんを追いかけてくるはずだ。だから、そうだな」
「?」
俺は飲み物を全て飲み干して、言葉を切る。
「───杉元に託そう、あとはよろしく……ってね」
「え……?」
アシリパは終始よくわからなそうにしていたが、俺はこの時決めた。
杉元はアシリパを探して、きっとこの町に来る。そして刺青囚人のことを知り、情報を得ようとするはずだ。
岩息はきっと杉元とやり合う───だから俺は、岩息が今ここにいることを一切口にせず、その町を後にしよう。



next.

スチェンカとサウナはほどほどにした。
この後杉元が岩息から「あとはよろしく」を聞いて笑う。
本作品では岩息の名前だけは杉元に先に教えていたけど、特に意味はなく、杉元が実際に岩息に会った時に「あ、白石が言ってたやつ」って思い出す程度です。
他者視点はね……入れてる余裕がね……ないよね。
Mar.2024

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