Sakura-zensen


秘すれば春 19

俺たちが狙撃された理由はやはりキロランケだった。
キロランケはロシアでの名前をユルバルスと言い、アシリパの父ウイルクと共に皇帝暗殺実行犯としてロシアでは指名手配されていた。
そのキロランケが来ることを狙って待ち構えていたのか、たまたま警備していた人間がキロランケの顔を見て指名手配犯と分かって撃ったのかは定かではない。
結局警備隊はほぼ全滅してそれ以上情報は聞けなかった。
ちなみに尾形は手練れの狙撃手を一人で相手にすると言って単独行動に出た後、フラフラになって戻って来た。
身を隠すときに白い吐息が上がらないよう、口にずっと雪を含み続け、体温が奪われたらしい。
そんなわけで、俺たちは病人と怪我人を抱え、おじさんとおばさんのいとこのところに身を寄せることになった。
辿り着いた先の天幕で休みながら、民族独自の治療を受ける尾形をよそに、俺は狙撃されたおじさんの頭の傷をちょっとずつ治した。
おじさんが撃たれたのはキロランケや尾形のせいでもあるし、そもそも俺たちがここに来たせいでもあるからだ。善良な一般市民を巻き込んだのは申し訳なかった。


尾形の治療に霊媒師が出てきて音楽の演奏が始まった。
当人がコートにくるまった状態で「うるせぇ」と唸っているのは誰もきかず、暫くは賑やかな喧噪と熱気に包まれた。
それから少しして、俺は静かに天幕を後にした。
外では、休んでいた馴鹿が傍を通り過ぎる俺に気づき、頭を動かしこちらを見てくる。
ゆっくりと森に向かって歩きながら、冷たい空気のせいか鮮やかにも見える夜空を見上げて、白い息を吐き出した。
後ろから足音が俺を追いかけてくるのには気づいていたので、暗がりに入る前に立ち止まって振り向く。
「どこまでついてくるつもり?」
「───なんで何も言わずに行くんだ、白石ッ」
歩幅が違うせいか、ほとんど走るように追いかけてきたアシリパは息を切らしていた。
……いや、何も言わずに行くもなにも。

「アシリパちゃん、ウンコかどうか気にするじゃん」
「は?」

俺は外に用を足しに行こうと思ったのだが、アシリパって人がトイレした後ウンコかどうか見に来るし、ウンコだったら喜ぶんだもん……。
こういう生活をしていると山の中で排泄することもあるのだが、連れがこうだとどうも落ち着かない。なので気配を消してトイレに立って何が悪いというのだ。
「いい加減ウンコへの執着はほどほどに───ぶへっ」
言い聞かせるように目線を合わせて屈んだから、顔をビンタされた。


その後の帰り道、今度はキロランケが現れ、俺を見るなり小さく笑った。
アシリパはもしかしてまだご機嫌斜めなんだろうか。
ちらりと天幕の方を見ると、俺の心配を言い当てるかのように口を開いた。
「アシリパなら尾形の看病をしてる」
「そう。まだ怒ってた?」
「いや?……怒ってるというより、安心したんだろう」
キロランケはくくっと喉を鳴らして笑った。
出て行く俺と追いかけるアシリパを気にかけていたことは知っているが、会話まで聞こえてたらしい。
「…………お前はそのまま消えると思っていた。俺は追う気はなかったが、アシリパはそうじゃなかったみたいだな」
キロランケにそう思われていたのも、アシリパが追いかけてきたことにも驚いた。
でも、なんかおかしくて笑ってしまう。
「杉元が一度、あの子に何も言わずに置いてってるし、嫌だったんでしょ……多分、俺がお前たちから離れると言えば、普通に送り出すと思うよ」
「そうはしないのか?ロシアでの俺はお尋ね者で、かなりの危険がつきまとうだろう。お前にとって金塊や、アシリパの父親のことは重要な事ではないように思うが」
「……なんで?重要だよ」
「俺の昔のことを知ってもお前は動揺しないし、アシリパから離そうとしないんだな」
「本人は危険は十分承知してると思う。それでも知りたいんだろ。俺は止める気はない」
言い返す俺に、キロランケは面食らったように口を閉ざす。
意外だろうか。
冷たく聞こえただろうか。
「本当は、子供に……親の罪も夢も背負わせたくなんかないって思うよ。だけど、"時代"はそうさせてくれない」
「時代……か」
「諦めと覚悟はまるで違う事なのに、俺はその境目がよくわからなくなる時がある」
「……」
言いながら、すれ違うようにキロランケの横を歩き、天幕に向かって足を進めた。
その時「白石由竹……」と呼びかけられて振り返る。
「お前はどうして、ここにいる……?」
「なにそれ」
漠然とした問いかけに失笑してしまったが、キロランケはそれ以上の言葉を持たず、視線を動かさない。

「そんなの───金塊が欲しいからに決まってる」

その時冷たい風が吹いて、俺たちの身体をほんの少し揺らした。



尾形が回復して、おじさんも起き上がれるようになったころ、俺たちは馴鹿を一頭、北にいる兄弟に届けるお使いを頼まれた。
キロランケは挨拶の時に怪我をさせてしまったおじさんに謝っている。狙撃を恐れずに彼を助け起こしに行ったし、罪悪感はあったんだろう。

そして次なる行先は、亜港監獄。そこにはキロランケとウイルクの古い知り合いがいる。
ソフィア・ゴールデンハンドと呼ばれる女性で、皇帝暗殺の首謀者だ。だが一切の証拠がなく処刑は出来ず、ひそかに幽閉され続けている。
キロランケ曰く、ソフィアは教養があり、とても美しくて勇気がある指導者で、キロランケもウイルクも若いころは憧れの女性だった。

ソフィアを脱獄させるにあたって、キロランケは彼女一人ではなく監獄の囚人を全員脱獄させる計画を立てた。
岬にある灯台には、日本が攻めてきたときのために爆薬が保管されており、それを盗み出して監獄の外壁を複数個所、同時に爆発をさせる。
爆薬が劣化していたり、監獄の敷地内に虎が出たりして紆余曲折はあったが、ソフィアらしき人は自力で壁に開いた穴から脱走してきた。
彼女は逃げ惑う人々の中でアシリパの姿を見つけて立ち止まる。アシリパの服装や顔つきに震え、優しい顔をしたからわかった。それほどアシリパは父親に似ていて、彼女がウイルクに親しみを抱いていたんだろう。
その後キロランケをぶん殴ったのはよくわからなかったけど。



凍った海の上を歩く道中、アシリパはソフィアにウイルクの話を強請った。
ソフィアは懐かしさや嬉しさからか、キロランケに頼まれていたのか、快く応じた。

純粋で美しいと表現されたウイルクは、お嬢様育ちだったらしいソフィアに吹く新しい風で、差し込む光でもあっただろう。
氷上の、離れた所にいた狼を見たとき、ソフィアはウイルクは狼が好きだったと言った。
そしてウイルクの名前の意味がポーランド語で『狼』であると聞いたその時、アシリパが小さく声を上げた。
「───あっ!!」
本当に微かな声と動揺だったが、アシリパのその様子に気づいたのは俺だけではない。尾形は俯き涙を隠すアシリパをキロランケとソフィアから隠す。
「どうかしたのか?尾形」
「いや……なんでもない……それより急がないと風も出てきたぞ」
二人のそんな会話をよそに、俺はアシリパに涙を拭かせようと身を屈めた。
拭かないと、すぐに凍って肌が引き攣ってしまう。

だがその時、俺の足元の氷に亀裂が入った。

「うわ、っと」
「危ないッ」
尾形はアシリパだけを引き寄せた。
百歩譲ってそれはいいんだけど、俺はみるみるうちに孤立してしまう。
「白石ッ、早く飛べ!」
「いや無理だ、この距離じゃ。流氷は海流で簡単に動くんだ、間違っても海に落ちるなよ!」
向こう岸からアシリパに飛べと言われたが、キロランケが制止する。
「───参ったなあ」
俺はあたりを見回して、どこか繋がってる地面がないかを探した。
向こう岸では、西に向かえば先で合流できるだろうというが、アシリパから離れるのは看過できない。
仕方がないので、後ずさって距離をとり、キロランケたちの方を見定めて、軽く手足の関節を回した。
「ッおい、何をする気だ!?」
「白石ッ!?だめだッ、やめろ!」
まるで助走距離を確保するような俺を見て、キロランケとアシリパが声を上げるが、無視をして走りだす。
いざとなったら海水の上を走ってでも、アシリパのところへ行く必要があった。

グッと氷を蹴り、飛び上がる。
宙を掻くように足を回転させて、バランスを取りながら下を見ると、四人が茫然と俺を見上げている顔が目に映った。
片足が先にタンッと氷の上につき、もう片方の足も衝撃を緩めて着地する。
「しら、いし……」
「ただいまあ」
アシリパの前にひざまずいて顔を見上げる。
すると、両手がべちぃ!っと俺の頬を挟んだ。
また、危ないことをするなと怒られるのだろうか。
「……ッ!」
だがアシリパは何も言わない。
心なし震えた両手を外側から包んで、その表情を眺める。
涙はもう、見えないけれど。
「さっき泣いてた。もう大丈夫?」
「……ああッ、だいじょうぶだッ!!」
すんっと一度赤くなった鼻をすすり上げたが、アシリパは持ち直したようだった。



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アシリパが泣いてりゅっ!?ワォーン!!!ってとんできた。
Mar.2024

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