Sakura-zensen


秘すれば春 30

時はおよそ二十年前にさかのぼる。

「士道不覚悟!」

突如放たれたその声と、振り下ろされた竹刀を見て、突発的に身体が動いた。
後ろに転びながら背中を地面について、竹刀を蹴り上げた。
「へ……」
「───……」
手加減はされていたであろう竹刀がパンッと音を立てて跳ね返る。その反動で起き上がって体勢を整え、……ぽかん、としてしまった。
俺はその時、何をしたのか、何をされそうになったのかが分からなくなったが、やがて俺に不意打ちをしてきた"先生"の顔を見て、みるみるうちに理解した。

先生というのは、俺が幼いころ、それこそ物心つく前には通っていた剣術の先生である。
けして近所というわけでもない場所に、なぜか定期的に通わされていた俺は、ある時先生の不意打ちに対応したことでサクラだったころの自我を覚醒させた。
それまでは剣術に興味がなかったし、寡黙で剣術には厳しい先生が苦手だったけれど、一変して強さという美に魅入られ、先生に懐いた。
とはいえ俺になっても、剣術だの武士としての心構えなどは今一つぴんと来ず、ただ先生に扱かれるのが好きというおかしな子供だったのだけど。

それから十年近く先生の元へ通った。ついぞ『剣術には向いてない』という可哀想なお墨付きをもらったけれど、それは俺が弱いということではなく───忍者である証拠だろう。
先生は剣術以上に向いているものがあるとしたうえで、そう判断したのだ。

その先生の名前は藤田五郎───改名前は、斎藤一という。説明するまでもなくかつて土方さんと共に旧幕府軍として戦いに身を投じた武士で、俺の実父でもあった。
生まれてすぐ親戚の家に養子になっていたけど、剣術の指南だけは受けていた。
当初は父とは知らずに思いのほか懐いちゃって、その上『才能』があったことから、北海道で土方歳三が生きて幽閉されているという情報を掴んだ先生に、密偵を命じられていた。

左利きなのも剣術の心得があるのも、ここにいるのも、先生───ひいては父が父たる所以であった。

「───今宵は俺が死番だ、ついて来い」
そんな声が聞こえた気がして、顔を上げる。

土方さんが頭に深い傷を負いながら、据わった目をして歩いてきた。
牛山が俺とアシリパを守って手投げ弾を防いで死んだことも、矢筒を月島軍曹に奪われたことも、汽車にヒグマが入り込んだというよく分からない情報も頭を駆け巡るが、俺は土方さんの姿につられて立ち上がる。
「白石……?」
「おい、どうしたんだ」
アシリパと杉元の声が俺を呼ぶが、振り返らない。
権利書も二人のことも忘れるわけではないけれど、今が土方さんの最期の時なのだと思うと、ついて行かなければと思った。

兵士を斬り伏せるその後ろに立つ。
「総司ッ斎藤ッそっちに二人逃げたぞ、追えッ」
俺はその声に従って、土方さんの横を抜けてきた兵士を斬った。
それを横目に見て笑いながらも、すぐに前を見据える彼の後をついていく。

だがその先にいたのは兵士じゃなく、ヒグマだった。杉元が言ってたことは本当らしい。
土方さんはその姿が見えているのか見えていないのか、動揺せずに突き進む。
カフッカフッと、荒々しく呼吸するヒグマが、のろりと立ち上がりこちらに近づいて来た。土方さんはそのヒグマに向かって真正面から刀を振り下ろす。
刃は顔の半分ほどに沈んだところで一度止まりかけたが、勢いよく振り抜かれた。その反動でヒグマは後ろに倒れ込むが、殺せたわけではない。
しかしヒグマは土方さんの気迫に押されて逃げ、先ほどまでいた車両に戻っていく。

そのヒグマを追うことはせず、土方さんはやはり前に向かって進んだ。
言動からして今の彼はまだ新撰組だったころに居て、俺たちのことはよく見えてないらしい。
だが次第に身体が動かなくなっていき、その太刀筋も精彩を欠き始める。
俺と杉元はそれを補うべく後ろに控えていたが、やがて土方さんが膝をついた。
「杉元佐一……───持って行け、きっと役に立つ」
いつしか意識を取り戻した土方さんは、俺に支えられながら杉元に刀を渡そうとする。
「義に命をかける似たもの同士、私の受けた恩くらいは託させてくれ。金塊と権利書は和人とアイヌも救われるように」
続く言葉に杉元もアシリパも息をのみ、だがそれでも躊躇うように俺と土方さんを交互に見る。
「受け取りなよ」
「でも白石は……」
「まさか俺に遠慮してんの?俺はそういうの柄じゃない」
「……わかった」
「土方ニシパ……」
ようやく杉元が刀を受け取り、先へ一歩踏み出す。
アシリパも震えながら、離れた。
俺はそんな二人に、少しだけ遅れると声をかけ、その場に残った。

「……やっと、戻って来たな」
力なく項垂れた土方さんの頭が、俺の胸に当たる。
とめどなく溢れる血を服が吸うのも構わなかった。
「なにそれ」
「お前はやはり、"斎藤"だった」
「───ッ、…………それは一番うれしい、褒め言葉だな」
ぴくり、と身体が動いたのはきっと伝わっただろう。
誤魔化すでも、知らないふりをするでもなく、ただ素直な気持ちを返した。
「さあ行け、あとは頼んだぞ」
「はい」
細くなる呼吸や声が途切れるまで、ここにいることは出来なかった。
だがその言葉は十分、俺を突き動かす。
名残惜しく思いながらも、俺は土方さんの身体を離して座席に預け、立ち上がる。
そして後ろの車両から来た永倉さんが見えたので、一礼してから背を向けた。


二人の元へ追いつくと、杉元が無言でズカズカと歩み寄ってきて、しまいにはぐっと胸倉を掴んだ。
そして頭突きされそうな勢いで顔を近づけられる。
「お前が持ってたのかよッッッ!!」
ものすっごい小さな声で言われて、わはっと笑い返した。
恐らくアシリパが杉元に、権利書を奪われてないことを告げたんだろう。
「でも矢筒を奪われたから権利書がないことはもうバレて、次は杉元が狙われると思う」
「わかってる、好都合だ。アシリパさんと白石は今のうちに汽車を降りて逃げてくれ」
「杉元はどうする気だ」
「鶴見中尉を引き付けて殺す……そうしないと権利書はずっと追われ続けるだろう」
そう言いながら杉元は車両を移動する。
俺とアシリパは立ち止まりその背を見送ってから、顔を見合わせた。
もちろん俺たちは杉元をそのままに汽車を降りるなんてことはせず、車両の間から上に登って行った杉元の様子を窺った。
そこで相対していたのは懐かしい顔───尾形である。あとヒグマ。
……ヒグマ???なんでお前がまたいる???

車両の床に落ちていた毒矢からして、鶴見中尉と尾形は矢筒の中に権利書がないことが分かっただろう。そこで杉元かアシリパを狙って戻ってこようとしていたところ、ヒグマによってかき乱されていたとみる。今鶴見中尉の姿はないが、どこかで機を窺っているに違いない。
「───尾形!!」
アシリパはヒグマによって汽車から落ちそうになる杉元を助けるべく、気を逸らすために尾形を呼んだ。
「アシリパ───あれから誰か殺せたか?それに白石、よくここまで騙し通せたものだな?権利書はお前が持っているんだろう」
「……」
今更、尾形の揺さぶりに構うアシリパではなかった。
構えた弓から毒矢を放ち、それは尾形の腹に刺さる。
正直その躊躇いのなさに杉元も俺も驚いてしまった。

尾形は呻き声をあげながら、矢を抜く。アシリパに人を殺させたくとも、自分が今死んでは元も子もないからだろう。尾形の本来の目的は中央へ権利書を持ち帰ることのはずだ。
杉元が放りだしてしまった土方さんの刀を取り、矢じりを抜く為に腹を裂く。その様子を見てアシリパは再び弓矢を構えたが、尾形はすぐに銃を手に取った。
俺は咄嗟にアシリパを伏せさせたが、尾形は呆然として、刀と銃を手に虚空を見つめた。毒が回って眩暈に襲われているのかも。
───その隙に、尾形と杉元にしがみつくヒグマを倒す算段を整え、俺は一歩踏み出した。
だが、尾形が突如動いた。
人形のような顔つきで、銃口を自分の目に向け、刀で引き金を引く。
尾形の頭上には紅い花がぱっと咲いて、その身体は汽車の上から転げ落ちていった。

「は───……?」

思わずその動きを目で追ってしまいながらも、杉元に駆け寄り、しがみつくヒグマにアシリパの矢を突き刺してから蹴り落とした。
尾形のことはよくわからないままだが、考えている時間はなく、杉元を引き上げる。
杉元に肩を貸しながら、風に揺られて落ちまいと体勢を整えるその正面に、人が立つ。
機関室から一両目に上がってきた、ぎょろりとした目で俺を見る鶴見中尉だった。

「シ~ラ~イ~シ~……ヨ~シ~タ~ケ~……?」

そのよく通る声は二両目にいる俺たちにも届いた。



next.

土方さんが白石のことを原作で「斎藤になるか佐伯で終わるか」と発言したのと、汽車でも斎藤を呼んでいたので、斎藤の血筋出したかったマンです。
左利きが遺伝するかは諸説あるかと思いますが、私はロマンをとりました。父譲りの左手片手突き披露してたもれ。
斎藤さんはあまり新撰組について語らなかったけど、身内(懐いてきた息子)には聞かせてたらいいなと思いました。そして陰ながら助太刀みたいなこともしてくれたらいいなと。
土方さんは別に血筋だとかは関係なく生き方で『斎藤』といってくれたので嬉しい主人公でした。嘘偽りなく一番の褒め言葉。
余談ですが尾形の死に際ってホント傍から見てるとエ!?!?って終わってしまう気がするのよね……。尾形の事情や心情も理解するには余程の関係性を気づいてないとだし、状況からしても時間や思考を裂く時間がない。
Mar.2024

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