秘すれば春 31
「これまで目に入りながらもけして目立つことのない素行───まるで優秀な諜報員のようじゃあないか?」鶴見中尉は手に持っていた矢筒を、これ見よがしに捨てた。
そして傾げていた首をぐっと正して、顎を引き俺を見据える。
どうやら鶴見中尉も俺の素性を導きだしてしまったようだ。尾形の様子からして、そうだろうとは思っていたけど。
「生まれや育ち、犯罪歴まで詐称した上で、監獄を出入りするために裏の仕事を請け負い───各地の監獄を点々とした本来の目的は土方歳三への接触……犬童四郎助に気づかれないよう、秘密を塗り固めた」
走る汽車の上を優雅に歩いてくる鶴見中尉に、杉元とアシリパは俺を引っ張りながら後ずさろうとする。
「ならばそれに足る"理由"とは何だ?」
うっそりと笑う顔を見返しながら、俺は動かない。
鶴見中尉は問いかけているようでいて、そうではなかった。
犬童四郎助にはもちろんのこと、鶴見中尉とも接触を避けてきたが、やはりそれでよかったと実感する。
「戊辰戦争において土方歳三が函館へ向かう一方、会津で戦う仲間を任せられた男がいたなあ」
とん、とん、と指先で額を叩く様子は気障だった。
「男は会津で最後まで戦い続けた。土方歳三とは別の場所にいながら、その志は常に共にあったとも言えよう───その男の名前は斎藤一。貴様の実の父親だ」
杉元とアシリパの視線が鶴見中尉から俺へと動く。
「斎藤一の三人の子供のうち長男は陸軍に入隊した。次男はたしか、貿易関連の仕事をしていただろう……そして三男は生まれてすぐに子のいない親戚の家へと養子に出されたが、その子もまた、陸軍に入隊した。周囲は随分反対したんじゃないかね?」
はは、と乾いた笑い声で答えを濁した。
「貴様にあるのは土方歳三への義か、中央政府への忠誠か、どちらだ?」
鶴見中尉、そして尾形はおそらく俺の素性から、中央政府との繋がりまで読んだらしい。
「───どちらも、かな」
答えるなり一歩踏み出し、車両の隙間に着地して一両目の中を駆け抜ける。
鶴見中尉が咄嗟に発砲してきたが、杉元がとびかかって妨害。アシリパは俺を追いかけて汽車に下り、一両目を走って来た。
だが俺は誰のことも待つことなく、一両目の先頭に出る。
車両の上ではまだ、鶴見中尉と杉元が戦っていた。
「白石ッ、待て」
アシリパの制止の声には、車両同士の繋ぎ目を踏みしめながら振り返った。
「どうするつもりなんだ!?」
「この繋ぎ目を外せば、じき後続の車両は停まる」
「私たちをおいていくのか?その権利書をどうする……?教えてくれッ……いったいお前は、"誰"なんだ!!」
叫ぶような声が、列車の走行音よりも強く耳に突き刺さる。
「はるの」
「春の……?」
アシリパが辿々しく繰り返す俺の苗字に、苦笑して名乗り直す。
「春野、俺の本当の名前。帝国陸軍所属、階級は上等兵。中央政府からの命により諜報活動の一環で北海道に来た」
「───じゃあお前は、最初から金塊を政府に持ち帰るために……」
そう思われても仕方のない身分だ、と自嘲気味に笑う。
「アイヌの金塊のことは何も知らされてなかったよ。俺自身は土方さんに接触するのが目的だったし、刺青を彫られることになって初めてその存在を知った」
信じてくれるかはわからないが、弁明しながら連結部分を壊した。
前方に移ると、アシリパは焦ったようにたたらを踏んでいる。鶴見中尉とやりあう杉元が気がかりなのかもしれないが、アシリパは権利書を持つ俺という存在から離れるわけにもいかないだろう。
俺が手を差し出すのと、アシリパが飛び込んでくるのはほぼ同時だった。
「杉元、こっちだ!連結を切ったから早く来い!!」
石炭庫の上に乗せると、アシリパが叫ぶ。
杉元は反射的に顔を上げたが、鶴見中尉にももちろんその声は届いていて、二人は互いに行かせまいと藻掻いていた。
先に走り出したのは杉元だった。
飛び乗れば間に合う───だが、背後から鶴見中尉に撃たれて車両の間に落ちる。
幸い線路に落ちて汽車に轢かれることはなかった。
だが、その後ろから鶴見中尉が飛び込んでくる。少しずつ離れていた汽車だったが、僅差で足場が間に合ってしまった。
「義理も忠誠もどちらも貫くとは、中々に強欲じゃないか」
鶴見中尉はゆらりと身体を起こして、石炭庫に顔を出して上がって来た。
「しかし、不思議だ。なぜ貴様はそうまでする?父親は息子を手放し、中央は貴様にろくな情報も与えずに送り出しただろう」
俺は、実の両親に育てられず養子に出されたこと、北海道で情報収集の任務につく際金塊の話をされなかったことを恨んだことはない。時代を思えば致し方ない事だし、珍しくもない。そもそも、辛いと感じたことはなかった。
きっと、父か政府に少しでも愛を強請れば、鶴見中尉が俺を愛してくれたのだろう。
しかし俺がそんな人間であれば、とっくに欲をかいた行動して、鶴見中尉に見つかっていた。
「親からの愛は距離や会う頻度ではないし、忠誠は盲目になることじゃない」
「ならばそのよく見える目で未来をどう想う?土方歳三の志を継ぎ、蝦夷共和国を実現させて日本を捨てるか?それとも中央政府に権利書と金塊を持ち帰って国を豊かにするか?───しかしどちらかを選べばどちらかを捨てることになる。どちらも、というわけにはいかないんじゃないか」
鶴見中尉は俺の答えを聞いて肩をすくめた後、自分の目的を語った。……いや土方さんは日本を捨てるなんて言ってないし。
ともあれ、土地の権利書さえあれば満州進出や外国との戦争に、いかに有利になるか。日本の未来を憂うというのであればこの手をとれ、ということだろう。
鶴見中尉は金塊が本当にあったことをわかっていながら、目的は俺の懐柔に絞ったようだ。それもそのはずで、中央政府に真っ向から楯突いた鶴見中尉には、この後金塊を持ち出す余裕はない。
アシリパが不安そうに俺の服を握って引っ張った。
だから、その手を掴んだ。
「何かを選んだ時、選ばなかった方を捨てたことにはならないと思う」
「───綺麗ごとを」
瞬間、鶴見中尉は地を蹴り飛び掛かって来たのでアシリパを下がらせた。
俺が靡かないとわかって、やはり権利書を奪うことにしたようだ。俺はアシリパを守りながら戦うしかないし、杉元のいないうちに、ということだろう。
だけど鶴見中尉の目論見通りにはいかない。───杉元は鶴見中尉の後に続いて、この車両に渡ってきていたらしい。
石炭庫の上に、微かに指が見えていた。
「兵士を鼓舞するときもそうだろう?なら夢も願望も理想も、綺麗な言葉で語って良いんだ。それが平和を望む活力になるから───ね、杉元?」
注意を引きながら躱していた俺が、杉元の存在をほのめかした時、鶴見中尉の身体は僅かに軋んだ。
既に杉元は這い上がって来たところで、勢いよく鶴見中尉に飛び掛かる。
俺はその隙にアシリパを抱え上げて機関室に詰め込み、汽車を停めようとした。ウキーッ!と叩いてみたけど駄目だった。
じゃあ、やっぱり汽車から飛び降りた方がいいかも、と思って再び鶴見中尉とやり合う杉元の様子を窺う。
鶴見中尉と相対した杉元は後ろ手に何かを隠し持っていた。拳から零れる砂が光っていて、それが砂金だと分かる。
杉元と鶴見中尉は同時に攻撃を仕掛けた。
砂金で目くらましをして身を屈めながら鶴見中尉を斬りつける杉元に対し、鶴見中尉は銃を撃つ。目くらましが功を奏して杉元に弾は当たらず、鶴見中尉の胸が大きく斬られた。
───今だ。と、アシリパを抱えて列車から飛び降りようとした。後方から馬に乗って追いかけてくる谷垣の姿が見えていたからだ。
だけど、ほぼ反射的に伸ばしたらしい鶴見中尉の手が俺の背中をわし掴み阻止する。
「っ」
体勢を崩してアシリパを落とさないよう引っ張る俺とは別に、鶴見中尉がもう片方の手をのばしかけたが、やめて汽車を掴んだ。そうでなければ自分が落ちていただろう。
「───、谷垣ぃ!!!」
考える間もなく俺は叫んでいた。
俺と杉元で掴んだアシリパを、同時に谷垣の方に投げ飛ばした。
「白石も行けッ!」
そして杉元は俺を掴む鶴見中尉の腕を斬りつけて放させる。
途端に俺は汽車から飛び降りた。
鶴見中尉と杉元は殺し合いの最中にいたまま、汽車もろ共駅舎の中に突っ込んでいき、更には壁を壊して函館湾に落下していく。
大きな水飛沫を上げ、飲み込まれていく車体を見送りながら、地面に着地した。
「白石ッ無事か!?」
「っ、あ、うん……」
「杉元は!?」
息を整えながら、駆け寄って来た谷垣とアシリパを見上げた後、渦巻く海を見る。
静かに指をさすと、アシリパは一目散に走って行った。俺と谷垣も遅れて覗き込む。
アシリパは上手く泳げないし、そもそもいかに泳ぎが上手くても、ここに飛び込むのは命知らずだけど。
「───これ、返しとく。ちゃんと持ってなよ」
ぺちゃりと膝をつき泡立つ水面を見て呆然とするアシリパに、俺は服の下に入れてた権利書を返した。
え、と驚くアシリパだったが、咄嗟に権利書をちゃんと掴んで抱きしめるのを見て頷く。
そして俺は深く息を吸い込んで、海に飛び込んだ。
next.
鶴見中尉と杉元、杉元とアシリパの(原作の)会話はどっかでしてると思ってください。丸投げ。
あと主人公を陸軍所属にしたのは設定マシマシだったけど、長男が陸軍所属だったので、よ~~し(?)って思って。書きたいことがあったのです……
Mar.2024