春の匂いがする方へ 01
杉元とアシリパと別れ、東京に帰る前に尾形の身体を探した。線路沿いを馬でしばらく走っていくと、茫々と生えた草の中に座り込む人の背中を見つけた。
俺が近づく音に反応して振り返ったのは、なんだかんだ行動を共にしていたくせに、いまだに名前も知らず『頭巾ちゃん』と呼んでいた男だ。
頭巾の目的は尾形との狙撃手同士の勝負だったから、尾形が自分で命を絶った今、どうしてこの場に居続けるのかは知らない。
「……尾形は?」
日本語はわからないだろうけど、問いかけた。
俺たちが何度も口にしてきた「オガタ」は覚えたようで、頭巾はこくりと頷き指をさす。
示す通りの場所へ行くと、そこには確かに人の死体が転がっていた。
目から頭を撃ち抜いた衝撃と、汽車から落下したこと、そして何日も経っているせいもあって顔の判別は難しいけど、軍服や持ち物で個人はわかる。だからこれは、紛れもなく尾形百之助の死体だった。
俺が尾形を運び、森の中に穴を掘って埋めている間、頭巾はずっとついて来ていた。
せっかく手があるので穴掘りも土をかけるのも手伝わせたけれど、素直に同じ行動をするばかり。なんか調子狂うな。
「……いる?」
埋め終えて軽く丸く盛り上がった場所を、仕上げにぽんぽんと叩いた後、尾形から切り落とした髪───遺髪を差し出した。
他にも名札と階級章を取ってはあるのだが、これは上層部に提出するつもりだ。
だから遺髪は頭巾にやろうと思っていたのに、普通に首を振られた。……いらないんかい。
「お前らなんだったの……?」
ボソボソと呟いても、頭巾は全く俺の言葉をわからないので答えはなかった。
そもそも、今はロシア語すら喋れないしな。
「───ロシアは向こう」
俺は追及を諦め、おもむろに北の方角を指さして告げる。
頭巾は昏い目で俺の動きを追ったあと、手を下げた俺に合わせて視線を落とした。
そういう顔をした人間は、山ほど見てきた。
おそらくだけど、殺すか殺されるかの二択しか考えてなかっただろうこの男は、突如宿敵に自死されたことで感情の行き場を失った。
その空洞はすぐに何かで埋められることはない。
故郷に帰って、家族や友人と過ごして、日々少しずつ心をなだらかにしていくしか。
「帰りな。……俺は東京に帰るから」
伝わらないと分かっていても、他に言いようがなかった。
頭巾の身体をロシアの方へ向けて、ちょっとだけ追いやる。そして俺は反対方向へ足を進めた。
すると頭巾は俺の言う通りには進まずに、俺の背中を追いかけて一歩踏み出した。
「───こっちにくるの……?」
戸惑いつつ足を止めると、頭巾は俺に追いついてきて止まった。
故郷へ帰った方が何倍も心が安らぐと思うけど、そもそも故郷があるのかどうかもわからないなと思い至る。
所属も国も放り出して尾形を追って来たようだから、もしかしたら孤独なのかも、なんて。
それとも空っぽな心のままに、故郷を忘れてしまったのかも。
なら今は、心が赴くままにさせよう───と、好きにさせといたら、本当に俺の家までついてきてしまった。
先生にも家族にも帰ってくるなり感動、もしくは大目玉を食らうところだったのだけど、連れてきた男のせいで「誰だその男は」に反応が偏ってしまった。
「元居た場所に戻してきなさい」
「軽率に餌をやるなとあれほど」
「うちでは面倒をみられません」
捨て猫や犬を拾ってきたときのような口ぶりで叱られてしまい、俺は何故だか必死に家族に謝ることになったのだった。
せめてもう少し、意思の疎通を図るべきだったか……。そうは思っても今更遅く、連れてきちゃったもんはしょうがない。
そんなわけで俺は当面の間、家に頭巾を住まわせてもらえるよう、家族を説得した。
異邦人ということもあってかなり驚き反対していたが、俺が任務中にかなり助けてもらったと話せば渋々とだが了承してもらえ、離れの部屋を使って良いことになった。
条件として、俺は陸軍を辞めるように言われてしまったが───元々今回のことで家族にかなり心配をかけていたし、出世を見込めないことをやらかしたので、いずれは辞めるつもりだったから了承した。
とはいえ軍への報告とお叱りが待っているので、すぐに辞められるわけではないけれど。
「───えー、頭巾ちゃん。しばらくはここがお前ンちね」
わかってるのかわかってないのか、頭巾は俺が連れてきた部屋でこくりと頷いた。
「今更だけど名前は?」
「?」
「俺はシライシ」
白石じゃないけど、彼の前では白石と呼ばれまくっていたのでそう覚えているだろう。自分を指さしてそう告げれば、さすがに名前を聞かれていることがわかったはず。
すると頭巾は紙になにやら文字を書いて見せてくれたが───読めん。
BACまではローマ字っぽいから「ば、ばしゅ?」と口にしてみたけど、頭巾はフンフンと頷くだけだった。
合ってるのか?いや絶対合ってないでしょ。
「あ!!!月島軍曹ォン!!」
「春野……!?」
俺はある日、北海道から東京に来ていた月島軍曹を見つけて飛びついた。
鯉登少尉も一緒で、俺を見るなり嫌そうな顔をしている。失礼だなッ、昨日の敵は今日の友というだろう。
以前軍上層部からの尋問があって再会していたが、その後も度々呼び出されていることは知っているので今日は月島軍曹を待ち伏せていたのだ。
「ロシア語教えてください!」
「は?」
逃がすものかと抱き着いていると、俺の顔をぐちゃっと押し退ける月島軍曹と、軍服をぎゅっと引っ張っている鯉登少尉の力が微かに緩んだ。
その隙に俺は一息で、頭巾を北海道からつれてきてしまったのでロシア語を教えてほしいとお願いした。
「───なるほど。だが知らん!邪魔ならどこかに縛り付けておけばいいのだッ!」
「鯉登少尉には頼んでませんけど。月島軍曹、すぐ済みますから」
「…………お前には一つ借りがあるから、一度会うくらいはしてやる」
優しくない鯉登少尉を無視して、月島軍曹の言葉に俺は歓喜する。
月島軍曹に何かしてあげた覚えはないが、まあその言葉に甘えておこう……。
そもそもロシア語なんて一朝一夕で学べるものではないので、単純に名前の呼び方を聞いて意思疎通の足掛かりとしたかったのだが、基地を出たところで既に頭巾が待ち構えていたので、本当に通訳を頼めそうになってきた。
余談だがこの男……基地にいるとき中に入ってこないようにはなんとか躾けたんだが、家で待ってることができないのである。
「いいかロシア人!!尾形は死んだ、春野につきまとうのは辞めてロシアに帰れ!月島そう言え!」
なんで鯉登少尉がいうの。カレシなの。
そもそも尾形が死んだのはわかっているんだよ、一緒に埋めたんだから……。
月島軍曹が恐らくその通りに通訳しているが、なんのその。頭巾はいつも持っている絵を描く紙の束を取り出して見せた。
「なんだこれは?」
「……春野の絵……?」
二人が覗き込んでいる背中から聞こえてきた言葉によると俺が描かれているらしい。
なので俺も二人の間に顔をいれると、俺が汽車で兵士と戦っていた様子が描かれているのが見えた。
我ながら良いところの切り取りっぽくて照れる。そしてその時敵対していた二人が両脇にいるので気まずさもある。
「つまりなんだ?春野と戦いたいということか?」
鯉登少尉はハアァーッと深いため息を吐き、月島軍曹が何かを伝える。
けれど頭巾は首を振った。そりゃ狙撃手であるコイツと、俺が戦うなんて土俵が違いすぎるだろう。
もし万が一俺を殺したいならとっくに寝首をかかれているし、もっと殺気を飛ばしてきているだろうと思ってた。なにより今のこの男には全く『戦意』というものが無くなっている。
空っぽで、風に吹かれたらどこかへ飛んで行ってしまいそうで。それでも俺をなんとか追いかけてくる様子がどこか健気で。
だから俺についてこようと足をのばした、その意思ともとれない幽かな心の機微を、無下にはできなかったのだ。
「……名前を聞いてください。書いてくれたことがあるんだけど、俺には読めなくて」
月島軍曹がすぐに通訳してくれて、頭巾は紙に文字を書く。
それを月島軍曹が読み上げてくれて、ついでに発音のコツをしれっと教えてくれた。どうやらBと書くが発音はVに近い音になるらしい。
「ヴァシリ……?」
慎重に音にすれば、目の前の男は色素の薄い目を見開き、何度も瞬きをした。
喜んでくれている気がするので、呼んだ甲斐があったというものだ。
「名前なんて聞いてどうするのだ」
「呼べないと不便じゃないですか」
鯉登少尉は正気を疑うような顔をして俺を見た。
「面倒を見てやるつもりなのか?」
「拾ってしまったので」
「……後はもう知らんぞ」
そして月島軍曹も表情こそ変わらないものの、もうこれ以上関わり合いたくないとばかりに去っていく。
俺はその二人の背中に手を振ってお礼を言い、ヴァシリを見た。
「ヴァシリ、帰るよ」
next.
もしも頭巾ちゃんが付いてきちゃったら展開です。
意外と一番可能性があるのは頭巾ちゃん、とあとがきか何かで言った通り、頭巾ちゃんを書いてしまいました。
尾形のことは、同じ所属のよしみ()で弔いました。生涯や自死の理由については定かではない。
上記の理由で菊田さんのことも弔っています。(第七師団に遺体を処理されているかもですが)
Apr.2024