春をのむ 04
母屋で起こった火事を消火中、リンさんが血相変えてどこかへ行った。ナル、と呟いたので行き先はすぐにわかった。
あたしは考える間もなく走り出し、リンさんを追いかける。
「ナル!……っと」
ベースに駆け込んでいくと、立ち止まっていたリンさんにぶつかりそうになった。
中は、暴れたような跡が残っていて、酷いありさまだった。
「なにこれ!?」
「奇襲に遭ったようですね───あれは」
部屋の中を見渡したリンさんが、何かに気づいて駆け寄っていく。
遅れてあたしも、奥の壁の方に横たわる人の姿に気が付く。リンさんの後ろからだから、足しか見えないけれど次第にその姿が見えてきた。
「か、和泰さん!?……無事なの?」
「意識を失っているだけですね……。谷山さん、ブラウンさんを呼んできてください。憑依されている可能性があります」
「わかった!」
リンさんの指示に従ってすぐに部屋から飛び出した。
そして火事を消し止めてヒイヒイいってたぼーさんと、ジョンのところへ駆け込む。
「うお、麻衣。どこいってたんだよ」
「ジョン、来て!ベースが狙われたみたいなんだけど、和泰さんが意識を失って倒れてたの」
「はあ!?」
「すぐ行きますっ」
ぼーさんとジョン、そして彰文さんはあたしの言葉に弾かれたように走り出した。
あたしの足じゃ追いつけないけど、真砂子と綾子にも事情を説明しながらベースに戻るとジョンが丁度、和泰さんの前に立つところだった。
今なお彼は意識を失ったままで、ジョンの最後の言葉を聞いても何の反応も示さない。
「兄は、無事なんでしょうか」
「意識を失っているだけのようです」
「手ごたえがありません……もしかしたら、憑依されとったのが自然と離れていったのかもしれませんです」
彰文さんにリンさんが答えてる横で、ジョンがいまいちな顔をして首をひねる。
ぼーさんと綾子は、そんなことある?と言いたげ。
真砂子は何も見えないというので、今は憑依されてないのかもしれないけど。
「リンの式が憑依霊を落としたって可能性はあるか?」
「ありません。それに、和泰さんがほとんど無傷なことも、普通ではありえないことです」
「どういう事?」
「おそらくナルを起こそうとしたのでしょう……襖を開けようとした痕跡があります。ですがそうすれば式が攻撃して、大怪我をしていてもおかしくはない」
みんなが意識のない和泰さんをもう一度見る。
確かに彼は、気絶して倒れていたようだが、その身体に大きな怪我は見当たらない。
いくらか着衣は乱れている以外、おかしなことはなかった。
「───っつ……ぅ、」
あたしたちの声に反応したのか、和泰さんが顔を歪め、わずかに呻く。
彰文さんが必死で呼びかけるとその意識を取り戻し、皆は緊張のまま彼の反応を待つ。
「彰文?……それに、どちら様で……?」
困惑した表情は、陽子さんの時も見たような反応だ。
和泰さんはどうやら、陽子さん同様にあたしたちがこの家に来た事すら記憶になくて、彰文さんに説明されてとても驚いていた。
夜になると安原さんが調べものから帰ってきて、ベースの惨状に驚いた。
そして、誰も怪我がなかったのは幸い、と言ってくれた。
襖には刃物で傷つけられた痕があったし、部屋の壁や床はえぐれていた。あれは多分、あの時ベースにあった包丁ではできないくらいの傷で、リンさんの式の力ではないとは言っていて───じゃあ、いったい何なのかという話だけど、十中八九和泰さんに憑依していたものの仕業だろう。
それほどの霊が和泰さんに憑いてたにも関わらず、ナルも和泰さんも無傷で、今は霊も落とされているのだから本当によかった。
「それでですね、先代の時……三十二年前に『飯嶋先生』が言っていたのはまさにその通りだったということになります───この家が原因ではなく、場所なんですよ」
そして安原さんが明るく、宿題を片付けようと話したのは調べてきた内容だ。
吉見家の一族は元々金沢に住んでお店をやっていた。でもその時は変事に見舞われることはなく、当時この場所住んでいた本家筋にその変事が起きていたという。
なんならその本家がここに来るもっと前の、まったく吉見家とは関係ない家が住んでいた時にまで遡っても、この土地で起きていた。
そのことから安原さんはこの土地で起きている出来事を調べ、いくつかの逸話を見つけた。それは『偉人殺し』それから『一揆』の二つに大きく分けられる。特に一揆の話はあたしが見た夢とも重なって、背筋がひやりとした。
───ドオン!!
ぼーさんとジョンが手分けしてその二つを除霊しようと話していた時、部屋全体が揺れるほどの衝撃が襲った。
立て続けにバタバタと誰かが走るような音が廊下から聞こえる。
リンさんが部屋の温度の低下と、カメラからの映像が途絶えたと報告した途端、今度はモニターが真っ暗になり砂嵐状態になった。
続いて部屋の電気が消えて、異音が響き始める。
それは恐竜の寝息のような音に聞こえたけど、よく耳をすませると、男の人の低い声の『お経』だった。
ぼーさんとジョンが様子を見に行くといって出て行き、暗い部屋に残されたあたしたちは今度、部屋の窓を覗き込む奇妙な人間が襲われる。
窓ガラスを割ってべたべたと這いずってくるのは、まるで水死体のようだった。
人に撃っちゃいけない九字を、今度は撃てと綾子に言われてやりながら、ぼーさんが戻ってくるまでを何とか持ちこたえる。
そして吉見家の人たちと孝弘さんも避難してきて、満身創痍の中夜を明かすことになった。
夜が明けて、空が白くなってきたころ、ぼーさんとジョン、そして綾子は除霊に行くと言いだした。
綾子がいつもより自信満々なのは、都合があるとかなんとか。
まあ、いつもだって自信はありそうだったけど……。
反対を押し切った綾子が準備をして巫女服に着替えた後、あたしも一緒について行くことにした。
早朝の霧深い森の中は不思議と神聖だった。素朴だけど神社があるからかもしれない。
「はじめます」
木々に御酒をかけて回り、そっと手を合わせた綾子は、なんだか凛としていてカッコイイ。
今までも何度か聞いたことのある祝詞が、風や葉擦れの音と合わさって周囲に優しく浸透していく。その空気がどんどん澄んでいくような気がして、ぽうっとしてしまった。
「───臨兵闘者皆陣烈在前」
ゆっくりと九字を切る綾子をよそに、ジョンが何かに気が付いた。
ジョンの視線の先には、綾子がさっき神酒をかけた木があって、そこから白い何かがゆらりと出てきて老人のような姿をとった。
それは一本の木からだけじゃなく、何本もの木々から現れて綾子の元へと歩いていく。
「……あ、れ?」
ほとんど透明で、光の屈折でかろうじて見える程度のその『人』たちの中に交じって、小さな着物の後姿があった。皆老人みたいな姿なのに、その子だけは幼い女の子に見えた。
長い髪がさらさらと風になびく姿がとてもうつくしくて、神秘的なその後姿に思わず見とれた。
綾子も一瞬だけ目を見開いたけど、やがて穏やかな微笑みに戻り、近づいて来たその子に目礼をした。
集まって来た人たちは静かに榊の中へと入り、その都度、榊にぶら下げられた鈴が鳴る。
最後の一人───あの、女の子までもが消えたとき、特別長い澄んだ音が響いた。
そこからはもう、圧巻の光景だった。
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私はたびたび、麻衣ちゃんに主人公の姿を目視させるのがすき。
Nov. 2023