Sakura-zensen


春惑う 04

一夜明けて、服部くんは梅小路病院に入院していると和葉ちゃんから聞いた為、見舞にやって来た。
廊下を歩き、目的の病室のドアが見えてくると、丁度そのドアは開けられ、綾小路さんの姿が微かに見える。彼は立ち止まって、背後の室内に何かを言いながら廊下に出てきた後、俺に気づいた。
「サクラさん……?」
「和葉ちゃんからきいて、服部くんのお見舞いに来たんです」
「平ちゃんたちの友達やったかい、綾小路はんともお知り合いで?」
「ええまあ」
「君にこんな可憐なお知り合いがいるとはね」
「何がいいたいんです?」
綾小路さんに続いて廊下に出てきたのは二人の男性。
一人はおそらく大阪府警の人で、服部くんと親しいのだろう。そしてもう一人は言葉のイントネーションからして関東の人───きっと警視庁の刑事さんだろう。
だがそんなことより、俺はその『声』に驚いて、思わず彼の服を掴んでいた。
「───あの、どこかで会ったことありませんか?春野サクラという名に聞き覚えは?」
「え?さ、さあ……あなたのようなお嬢さんに会っていれば忘れないと思うけどな……まるで名は体を表す、素敵なお名前だし」
カカシ先生……と唇だけで囁いたが、それは誰にも拾われることはない。
どうやら、ただ声が似ているだけみたいだ。
「ありがとうございます……人違いのようでした」
「そうかい、じゃあ……私はこれで」
「ほな私も」
二人は俺に軽く会釈すると去って行き、綾小路さんだけが残された。
俺は人違いしたのを気恥ずかしく思い、誤魔化すようにエヘエヘと笑う。
「い、今の方たちは刑事さんですよね、会見で綾小路さんと一緒にいた」
「警視庁の白鳥と、大阪府警の大滝さんです」
「白鳥さんと大滝さん」
「……白鳥に何か?」
「なんでもないです。……じゃあ、服部くんのお見舞いにいくのでこれで。綾小路さんもお気をつけて」
綾小路さんの目つきが不穏な気がして、逃げるように病室に向かって行こうとしたが阻まれた。
「ちょっと」
「え、あの」
手を引かれるがままに病室から離され、廊下の角を曲がった所で綾小路さんは振り向く。
壁に背中が押し付けられて、顔の横に手をつかれ、緩やかに拘束された。
逃げられないわけじゃないが、押し退けられる雰囲気ではない。
「私は……許嫁が他の男に気をやるんを、見とうあらしません」
一瞬、言葉の意味が理解できず、ぽかんとした顔を晒した。
「でも許嫁は」
「それでも───それでも、あまり良い気はせんのです。わかりましたな?」
「は……い……」
言われるがままに返事をしたら、綾小路さんも小さく頷いて仕事があるからと俺に背を向けた。
俺はその去っていく背中を見ながら、いまだに拘束されたかのように固まっていた。

強く触れられたわけでも、きつい言葉を言われたわけでもないのに、なぜだかショックだった。
本当は綾小路さんが俺を『許嫁』と口にし出した時から、焦燥感を抱いていた。
祖父同士の約束でしかないその言葉に、価値はないはずだった。なのに、綾小路さんがそれを言ってしまえば途端に現実味や希望が生まれてしまう。
だけどその関係を、叶えることはできないのだ。

現状も、感情からも目を背けて、振り切るようにして足を踏み出した。
そして改めて病室へ行ったら、服部くんとコナンくんの二人しかおらず、しかも彼らは抜け出そうとするところだったらしい。
「わ、なに……自主退院?」
「まー、そんなトコやな」
輝かしい笑顔を見て、俺は肩をすくめる。
「そ、そういや和葉から聞いたで、昨日救急車来るまで付き添うてくれたんやてな!」
「それに、襲ってきた人ともすれ違ったかもしれないんだよね?丁度サクラ姉ちゃんにも話を聞かせてもらおうと思ってたんだ」
二人はそう言いながら、俺を挟んで病院から連れ出す。
そして外を歩きながら俺の昨日の行動、見た物についてを聞いてくるので、仕方なく答えながら付き合った。
「───ところで、どこに向かってる?」
「水尾さんちや。昨日見た奴は翁の面してたやろ」
「翁の面っていったら能で使われるからね」
駅に向かいながら行き先を聞いたら、丁度同じ行き先だったので一緒に電車に乗る。
実は俺は水尾さんに家に誘われていたのだ。西条さんや竜円さん、それに千賀鈴さんも呼んで昨日の桜さんの事件について話をしようということで。

水尾さんの家に辿り着くと、事前に俺が服部くんとコナンくんを連れて行くことも伝えておいたので、竜円さん達が集まっている部屋に通してお茶を出してくれた。
「───ええ!?昨日、襲われた!?」
水尾さんは、服部くんが昨日襲われたことを聞くととても驚いていた。
竜円さんと西条さんも、目を見開き話に聞き入る。
「ああ。その襲ってきた奴っちゅうのが翁の面をかぶってて。丁度居合わせてたサクラも見たんやったよな?」
「うん、一瞬だけど」
「サクラさんまでそこに!?……平気やったんか?」
「隠れてたので平気でした」
「そうかァ、無事でようおましたけど」
西条さんと竜円さんも、俺がその場にいたと聞いてさらに驚き心配してくれた。
そこで服部くんが、全員の昨日の行動を教えてくれないかと話を切り出すと、皆は苦笑いを浮かべた。
「かなわんなあ……今日は千賀鈴さんも呼んで、昨日の桜さんの事件のことを話しようゆうてたのに───」
と、渋りながらも後ろ暗いことはないとばかりに、皆は昨晩の行動を話した。
誰も彼も独身で、一人暮らしだったり、一緒に住む人がいるけれど部屋が離れているとかで、夜に家にいた事を証明できる人は誰もいない。
また、弓をやる人はいるかという話にもなったが、誰も出来るという人はいなくて、話の勢いがしぼんでいったところで千賀鈴さんも合流する。だが彼女が来ても結局、知られざる情報が明らかになるというわけでもなかった。


ほどなくして、俺たちは水尾邸を出てそれぞれ家路についた。
竜円さんと西条さんは水尾邸から正面の方向へ行き、千賀鈴さんはそんな二人の背中に丁寧にあいさつをしている。
舞妓さんって大変だな、と思いつつ俺はすぐ横にいた服部くんとコナンくんに声をかけた。
「二人は山能寺さんに寄せてもらってるんだっけ」
「そやな、一旦戻ろうかと思うて」
「サクラ姉ちゃんはどうする?」
「んー、……」
微妙に話し込んでる俺たちを見て、見送りを終えた千賀鈴さんは遠慮がちに口を開く。
「あの、ほんならうちはこれで、さいなら」
「あ、はい、さいなら」
「さよなら~」
「気ぃつけて帰りや」
口々に千賀鈴さんを見送った後、俺はとりあえず山能寺さんまで二人を送ることにした。
服部くんは怪我人だし、いざという時コナンくん一人じゃ彼を支えられないだろうから。

「───丸・竹・夷・二・押・御池・姉・三・六角……」

山能寺は六角通りにあるので、と思った俺は無意識に唄を口ずさみ始め、指を数えた。
すると脳裏に女性の声が重なり始め、母から教わったものなんだな、とわかる。
「だから、六つ目の筋だね、六角通りは」
「え」
「今のなんてうた?」
「手毬唄……って呼ばれてたような。京都の通りを覚えられるんだよ」
「へえ、全部歌える?」
「オホンオホン……い、いきます」
ほぼ口伝みたいにして覚えたものなので、いざ唄ってみてと言われると緊張した俺はコナンくんに仰々しく宣言した。


「───九条大路でとどめさす……っと、京都の子は多分みんな歌えると思うから、他で聞いて違ってても許してな」
なんとか唄いきったところで、照れ隠しにすぐ口を開く。
「そうなんだ。京都の子ってことは、サクラ姉ちゃんもそうなの?関西弁じゃないよね」
「亡くなった母が京都の人だけど、生まれも育ちも東京だね。京都に引っ越してきてまだ一年経ってないくらい」
「ほんなら、京都に来たことはないんか?里帰りとかで」
「うーん……実は京都に来る前の記憶、あんまりなくてさ」
「どういうことや?」
「両親が事故で死んでしまったショックからか、曖昧なんだ。こうして唄が出てくるから忘れたんじゃなくて、思い出せないだけなんだろうけど」
服部くんの驚きにはおあつらえ向きの悲しい過去があったので、理由を曖昧にした。
すると二人は表情を曇らせてしまった。
何か申し訳なくなったので一発芸で笑いをとれたらいいんだが、と思案しているところに着信音が響いた。
どうやら服部くんの音みたいで、慌てて身の回りを探ってスマホを出す。
すると電話の向こうから服部くんを叱るような声が聞こえてきた。

「山能寺に送ろうかと思ったけど、病院に送り帰すのが正解だったか」
「やめてあげて」

服部くんの探偵ぶりとヤンチャぶりは好ましいところだけど、医療従事者側の気持ちはかなり分かるので罪悪感が沸いた。



その後、少年探偵団との合流で何かひらめきを感じたらしい服部くんとコナンくんは、山能寺に戻らず桜屋を見に行くことにした。
俺は当然のようについていき、二人と並んで川越しに店のベランダを眺める。
「間違いねえな」
「ああ、あの姉ちゃんが聞いた音はやっぱり凶器を落とす音やったんや」
「……となると、犯人はやっぱりあの四人───否、サクラ姉ちゃんを含む五人うちの誰か、だね」
コナンくんはすっかり忘れかけてた子供のフリをし直しながら俺を見た。
容疑者の一人なのかあ、俺……と不謹慎に喜んでいると、服部くんが「いいや四人や、サクラはちゃう」と言い切った。
「───俺の初こ───ンンッ、ともかくンなわけないやろ」
「おいおい」
「なんて???」
俺が除外された理由がよくわからず首を傾げていたが、コナンくんも服部くんも教えてくれなかった。


山能寺に戻ると、ちょうど白鳥さんが訪ねてきたところだった。
どうやら毛利さんに捜査内容を話しにきたらしく、皆で集まった部屋で彼が調べた容疑者の情報を素知らぬ顔して聞いている。
「それと、サクラさん……君のことだけど」
「本人がこの場に居たら話しづらいですか?お構いなく」
「いや、でも」
白鳥さんは途端に顔色を悪くした。
千賀鈴さんについて調べてきた時は、綾小路さんの手を借りず自分の力でやったと、祇園では"顔"だと胸を張った彼だが、
「もしかして、"こっち"は綾小路さんに聞いたんですか?」
「……やっぱりその様子だと、本当なのかい?君が綾小路の、許嫁というのは」

あー……。

「ええぇえぇ!?!?」
「なんやて!?」
「い、いいなずけ!?」

声も出ない俺をよそに、コナンくん、そして服部くん、蘭ちゃんの大きな声が響いた。
勿論それ以外の皆も目を見開き俺に注目しているが。

「ど、どういうことやサクラ!?」
「た、確かにサクラ姉ちゃんは綾小路警部と桜屋で会う約束をしてた……よね」
「ええ!?それってあの日デートの待ち合わせだったってこと?」
「うっそー!綾小路警部っていくつなんだっけ?結構年上なんじゃ」
「奴は今二十八歳───つまりサクラさんとは十一も離れているんですよ!!」
「何ィ!?けしからんぞおじゃる警部!」

熱量がすごいな。
俺はその反応を聞き流しながら、最適な言葉を探す。
背後にいる元太くんの「いいなずけってなんの漬物だ?うめーのか?」と歩美ちゃんの「漬物じゃないよ元太くん、結婚を約束した仲ってことよ!」そして光彦くんの「お二人は恋人同士ってことですね!」のやり取りが妙に気になった。

「違うわよ、サクラさんの表情を見てみなさい。許嫁って言うからには、おおかた親同士が決めた関係なんじゃない?そして、それを断れない理由があるとか」

そこに哀ちゃんがさらっと声を挟んだ時、周囲がしんと静まり返った。
変に隠し事をするのも面倒くさいので、俺は彼女の言葉を肯定するように口を開いた。
「……確かにこれは、祖父同士の口約束です。彼は、おじいちゃまからのお言いつけ通りにしてるだけ」
両親が他界した為、祖父の友人だった綾小路に引き取られることになった経緯と、昔の約束を形ばかり守ろうとした絆を耳障りよく語った。
「血のつながらない歳の離れた他人ですから、許嫁ということにしておいた方が一緒に暮らしていても変ではないでしょ?」
「……な、なるほど、そういうことだったのか───サクラさんに関して少し気になることを聞いたんだけど、いいかな」
「はいどうぞ」
そこで白鳥さんは一度納得したように頷き、空気をかえるように切り出した。
捜査協力は勿論惜しまないので、俺は居住まいを正して彼に向き合う。
「竜円さんや西条さん、水尾さんから聞いた話では、サクラさんは京都泉心高校で剣道部に所属してるが公式戦には出ていないそうだね。───でも、練習試合やあちこちの剣道倶楽部に顔を出して見事な腕前を発揮しているとか」
「恐縮です」
「公式戦に出ていないのに理由が?」
「しいていうなら、物足りなくって」
俺は確かに剣道部員にしてはあまりに中途半端な立場なので、おかしいと言われれば否定は出来ない。
竜円さんたちは学校の剣道大会なども見物してるし、沖田に連れ回されている俺は剣道をしている人達によく目につくから、一部の人たちには公式試合に出ず昇級試験なども受けない俺を勿体ないと惜しむ声があるのは事実だ。
「それは、君がありとあらゆる武芸に秀でているから?」
「ど、どういうことだ白鳥」
「剣道仲間の皆さんが口をそろえて言うんですよ───『サクラくんが強いのは剣だけにあらず』とね」
周囲からのそんな噂に、俺は苦笑するしかなかった。
何故なら一部の疑り深い探偵たちの目が、鋭く光ったからだ。


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千賀鈴さんの手毬唄のところを主人公にしました。
これがほんとの初恋泥棒。
一応容疑者なのに性別バレしない。奇跡的回避がセオリーですね。
May. 2024

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