Sakura-zensen


春の襞 01


今日は稲荷崎高校の文化祭。───角名はサボりたい気持ちでいっぱいだった。
クラスの出し物からしてやる気のない『休憩所』であり、店番もあってないようなもの。当番でもないのに意味もなく屯すクラスメイトが数名いたので、角名は適当に言い訳をして教室を出た。
荷物置き場として空き教室が解放されていたので、食べたいものを買って持ち込む。
仲のいい友人がいないわけではないが、わざわざ探したり呼び出すほどでもない。
教室の窓はすべてのカーテンが閉まっていた。
裏庭に面している為、外でなにか見て楽しいものがやってるわけではない。ただ、電気をつけるより、奥へ進んでカーテンを開ければ適度に明るくなるだろうとカーテンを引いた。
「───っ!?」
途端に、窓の外で人が膝を抱えて座っている光景が飛び込んできた。
ここは三階で、その人が座っている場所はけして丈夫ではなさそうな木の枝である。
ほんのりと憂い帯びた表情で、膝に顎をのせて、縮こまっていた。
青い葉に頭をくすぐられ、長い髪の毛がさらさらと揺れている様は華やかな和服姿のせいもあってとても神秘的だった。
女性にも見えるが彼は角名の部活の先輩、春野である。
さすがの角名も慌てて窓を開けると、彼も気づいたようだった。
「倫太郎んとこだったんだ?ここ」
口を開いた途端、人間離れした美しさはなりを潜めて、気の抜けた笑顔になる。
「なにやってるんですか、登って降りられなくなったとか?」
「そうじゃないけど」
そもそも三階の高さにまで登って来られるものなのか、と思いつつも現実を目の当たりにしては納得するしかない。
これまでの運動能力の高さを目にしては、たびたび目を疑うことはあったが、いちいち自分の認識を改めてきた。
「人目につくのヤで……」
「え、だからってこの高さまでのぼる……?」
自分の中での常識に問う。しかし結局の常識は桁違いなので諦めた。
「そこ危ないんで、こっち来てください」
「ひと、いない?」
「いないです」
「じゃあ飛び込むから、窓から離れといて」
焦って手をのばしかけたが、の言葉に納得して距離をとる。
やはり、彼はいともたやすく教室の中に飛び込んできた。
「北さんとか、ほかの人、一緒にいないんですか」
「あ、信介は今当番で───アランは今回俺を追いかけてるだろうから協力は頼めない……」
は例年通りお稲荷さんに抜擢されたというわけではなく、今回は逃れられたにも関わらずクラスの出し物が演劇になり、かぐや姫の役を引き当てた結果この恰好をしているという経緯があった。
どうりで、過去見たポスターや人が撮ったらしい写真とは装いが違うと思った、と角名は納得する。
「え、良いんですか逃げてて」
「大丈夫、同じ役の奴いるし、劇中ほとんど御簾越しだから」
そのわりに、豪勢な衣装だと角名は思った。
「だのにこんなに着飾りやがって……」
同じことを思っていたらしいは顔をしかめた。
ぷうと子供みたいに変な息を吐いて、髪の毛を飛ばす。
「動きづらそう」
「ウン、動きづらいよ」
「木登りしてますけどね」
胸を張るに、角名は小さく笑う。
木登りなんて大した運動ではない、とよくわからないことを言っているをよそに角名は少し考える。
「この後どうするかな~」
この先輩をどうするべきか、と考えていたら本人も同じことを呟いた。
「……います?ここ」
今いる教室は角名のクラスの荷物置き場に振り分けられているため、三年生が覗きに来るとは思えない。
本来なら逃亡の片棒を担ぐ真似はしないのだが、角名は先輩の中でもには一等恩と親しみを感じていた。
周りに人が絶えないこの人と、一緒に居られる時間は少ない。ひと足先に引退してしまったから、尚更。
「いいの?じゃ、いる」
僅かな期待を乗せてした提案は、案外容易く受け入れられる。
自分で言ったくせに少し驚いてしまった角名は言葉を失い、途端に妙な居心地の悪さを感じた。

二人で改めて何を話したらいいのかわからない。
とはいえ気を使って話しかけずとも、は「倫太郎なにくってんの」とか「クラス何やってんの」とか聞いてくるので問題なかった。適度に自分の話を自分からするし、かといってうざったく絡んでこない───だから角名はにここにいれば、と口にしたのだと改めて実感した。
「そういやIHおつかれ」
「……はい」
他愛ない話をしていたが、結局はバレーの話に行きついた。
は引退してからもバレー部のことを気にかけてくれており、度々応援に来てくれていたが、全国大会は会場までは行けなかったためテレビで見たとのことだ。
さんがいないの、他校のやつらに聞かれましたよ」
「え?そうなん?」
角名はIHの会場で、何人かの選手にの不在を問われた。といっても直接的に聞かれていたのはほとんど三年生だ。

唯一角名たち二年生が話をしたのは同じく二年の、井闥山学院の二人だけだったと思い出してその話をする。




「なあなあ、春野くん何でいないの?」

そう、軽やかに聞いて来たのは古森元也だった。後ろには目つきの悪い男、佐久早聖臣もいる。二人は一年の時、の引退試合となった全国大会にも出場する程の実力者だ。特に、は聖臣の回転スパイクに振り回された。
「春野さんなら───」
「見てわかるやろ、今日なんべんも聞かれとって耳にタコができそうや」
銀島が古森に答えようとしたその時、虫の居所の悪かった侑が悪態をついた。
不在の選手を問う必要性の無さに苛立ったというよりは、機嫌が悪かっただけである。あとはおそらく、一緒に試合したかったという気持ちを思いだして不貞腐れていた。
「悪い、いっぱい聞かれてるよなあ。聖臣が春野くんのファンでずっと気にしてるんだよ」
「ファンじゃねえ」
古森の後ろでずっと顔を顰めていた佐久早は地を這うような声を出した。
「素直じゃねえな~。試合後のインタビューで春野くん聖臣のこと滅茶苦茶褒めてくれて喜んで───」
「黙れ」
照れ隠しの攻撃を放つ佐久早に、古森は口を噤まざるを得なかった。
この二人は単に興味本位での不在を聞いてきてるわけではないことくらい、誰もが分かっていた。特に佐久早は春野と最後に戦った相手だ。
「……あのインタビューOAされたの短かったよね」
「?」
角名が思わず苦笑しながら会話に入ったのは、が試合後に受けたインタビューはテレビではほんのわずかな時間しか使われなかったことを知っているからだ。それも古森の言う通り、聖臣のプレーを聞かれて褒めたところを重点的に使われた。
そのあとに、が次の目標を聞かれるシーンはカットされてしまっている。なぜなら、次の目標はないと、部活を引退すると話したからだ。
「春野さんはあの試合を最後に引退したわ」
「!!」
「えっ、マジで!?」
「インタビューでも今日でバレーはしまいって話してたんやけどな、使われへんかった」
治はストレートに言葉を放ち、補足するように銀島が話す。
インタビューの全容は、テレビ局の職員が気を利かせて学校に映像を送ってくれた為、ほとんどの部員は知っている。
に言ったら恥ずかしがられるので言わないが、バレーに対して、バレーをやっていた仲間に対して残してくれたメッセージを、皆大事に胸に抱きしめたのだ。



佐久早も、古森もその『引退』という言葉に衝撃を受けたようだった。
怪我や不調、スタメン落ちでも心配はするが、おそらくもう再戦出来ないという事実が彼らの胸には重たくのしかかるだろう。
まだ、バレーボールの人生は続くと信じていたなら尚更。

「まあ普通わからんよな、あの時点で引退するなんて」
「そうですね」

経緯を聞いたはあっけからんとしていて、角名の買ったやきそばを食べていた。腹を鳴らしている様子があまりにも憐れだったし、目の前で平らげるのも気が引けたので。
もこもこと頬を動かし、着物の袖や長い髪を避けてる様は妙にアンバランスで、角名は面白くて眺めている。
「でもあんま珍しいことじゃないだろ、スタメン落ちとか」
「そうですね」
はその口ぶりからして、さほど気にしていないようである。
そういうこともある、と言われてしまえば確かにそういうこともあるのだ。次も同じ相手と試合が出来るかはわからない。

バレーでしか繋がりのない人が、バレーを辞めた時、縁が切れる可能性もある。

「……さん」
「ん?たべう?」
「や。青のりすごいなって」
「あとで拭く~」
おもむろに呼び掛けると、は頬を膨らませたままパックを掲げた。
口の周りに青のりがいくつかついてるので、その緊張感のなさにさっきまでの情感は途端に立ち消えた。

角名はに、バレーを通して出逢った。肉体的にも精神的にも、に大いに鍛えられた。だから慕っているし、尊敬もしている。
けれど、バレーを辞めたがこうして何の緊張感もなく、角名の焼きそばを横取りしている光景もなんだか悪くないと思えた。



next.

再戦望んだ最後の試合の相手は臣くんでした。
角名くんと主人公はしれっと下の名前呼び。
体幹バリ強仲間としてトレーニングをしてた仲だといいなって。

Oct 2023

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