春の襞 02
体調を崩したとか、風邪を引いたとか。そういう自覚はあったものの、侑は自己判断で部活に参加した。
親や教師に報告して判断を仰ぐほど子供ではなかった。一方で、好きなことをやるために身体をないがしろにするという子供でもあった。
それを見破られて信介には『帰れ』と冷たく言い放たれた。
自己管理が出来ていない、そして自分の不調によって起こる危険を理解できていない、その考えの至らなさを厳しく詰られた気分だった。
体温を測らされてその数字を突き付けられると、途端に、眩暈がしてくるのは何故だろう。
微熱と言われる範囲であったものの、侑の身体が信号を発している証拠だった。
片割れである治の呆れた視線は腹立つものの、もっと目先の事───信介の言い方とか、自分の体調とか───に苛立ちを感じて、侑は荒々しく帰り支度をした。
(~~~なんやねんっ)
更衣室で帰る準備をするのはどこかみじめで、寂しい。
熱のせいで思考力も低下しているが、若さと怒りゆえにそこには気づかない。
「お、よかった。まだいた~」
「!?は、……るのさん……!?」
部室から出ようとした途端に反対側から開いたドアの向こうには、引退したはずのが制服姿でそこにいた。
そして侑を見て笑う顔からして、用があって来たらしいことが分かる。
「信介から、侑に熱あるから早退させるって聞いてさ」
「……」
と信介は親戚だというし、親しいのは見ていてわかっていた。なので気安く連絡を取っているのは理解できるが、納得は出来ない。侑の体調不良を信介がわざわざに伝えた理由が。
「ほらこれ。信介に言われて買ってきた差し入れ」
「え」
侑の怪訝そうな目つきに気づいたのかは定かではなかったが、は袋を掲げてみせた。
その中には梅干しと、ホットレモンとのど飴が入っている。
「伝言!───侑へ、飯をちゃんと食って寝ろ」
「泣いてまうやろ!!!うめぼして!!」
「あはははは」
チョイスが渋いが的確である。そして信介がに頼んでまでこれを差し入れたことにも一入だった。
「ほら、温かくして家に帰ろう。───送ってくわ」
極めつけはそのの優しさ。
侑は本気で泣きそうになったが、大半は熱のせいである。
自転車で来ていたらしいは、侑に後ろに乗れと言った。
身長もあれば体重もある侑を乗せて自転車を漕げるのか───と一瞬考えたが脳裏にはのこれまでの行いが駆け巡る。
初めてみた美しい跳躍や、どんなに走っても息を乱さない体力の他にも、体育祭の借り物競争でアランをいともたやすく担ぎ上げてぶっちぎりで一位をとった姿など、様々。
「……しぁす!」
こくん、と頷いたあと礼をして、侑は荷台に跨る。
案の定自転車は、安定して走り出した。
後姿をぼんやり眺めながら、この身体のどこにあのパワーが隠されているのか、不思議に思う。
それでもこの小さい身体が、コート上では最後の砦となり、自分たちを守ってくれていたのだと分かって、侑は風を避けるふりして、その背中に額をすり寄せて俯いた。
家に帰ると母親がパートから帰ってきたところだったので、は捕まった。
男子高校生の微熱など、オカンからしたら唾つけとけば治るものだというのに、部活の先輩が心配して気を回してくれたのは申し訳ないという事だ。
「すぐ帰すなんて忍びないわ、お茶でも一杯飲んで行ってや」
「それなら、お言葉に甘えて」
「頂き物の羊羹あるんよ~甘いもの好き?侑は手ぇ洗ってうがいして着替えて寝え」
「甘いの好きです」
が愛想よく接するので、母親は余計に嬉しそうに家に引き入れていた。
「オカン、マジで、……マジでやめろや……!」
侑はその光景を見て、なんか熱が上がって頭がくらくらしてきている。
それでもとりあえず、家の中に入って言う通りにして一度部屋に戻った。だが聞こえてくる微かな話声がとてもいたたまれなくて、すぐにリビングに顔を出す。
「春野くんはもう受験勉強始めとるんやね」
「はい。行きたい学部に入るために早めに」
「うちの息子共にも見習ってほしいわ~。勉強なんていつしてるのやら」
「部活に出られてるんだから、ちゃんと勉強してる証拠ですよ、おかあさん」
「ああっ、おかあさんなんて呼ばれたのいつぶりやろ」
お茶と羊羹を出してもてなすのは百歩譲って良い……だが。
「くだらん話して春野さん引き留めんなや!すんません、春野さん忙しいのに」
「そもそも侑が体調崩すんが悪い。春野くんかてちゃんと息抜きも必要やってゆうてくれてます」
「侑、俺のことは気にしないで良いから休みな?それに宮家一回見てみたかったしな」
「はーーーっ」
デカイため息を吐くと、どっと体力を持っていかれた。
「お茶と羊羹ごちそうさまでした。帰る前に、侑の部屋、見ても良い?」
「え、あ、は……?えええ?」
「春野くんまたいつでも遊びにおいでねえ」
侑が休めないと思ったらしいは、残っていた羊羹を食べた後すぐにお茶を飲み干して両手を合わせた。母親もしつこく引き留める気はなかったようで、侑を回収しつつ帰るつもりのを気楽に見送る。
一方で何が何だかわからなくなってきた侑は、トボトボと自分の部屋に戻っていく。
しかし、いざ自分の、そして治の部屋の前に辿り着いた時に焦りがわいた。
部屋はお世辞にも綺麗とはいいがたい。
(……なに緊張してんのやろ、女子か)
その思考はすぐに振り切った。相手が例えば信介であれば何となく後ろめたくて部屋を綺麗にしていたかもしれないが。
「う、ここ、すけど。サムもおんなじなんで、あいつが主に散かしとります」
「おお~」
結局緊張は収まらないが、部屋が汚いことをしれっと治のせいにしながら、侑は自室の扉を開けた。
は大きなリアクションはないが部屋を見まわして笑う。どうやら兄弟の二人部屋というのが珍しいらしい。
「二人部屋なんて別に良いもんじゃないっすけど」
「そう?二段ベッドええやん。どっち侑?」
「え、……こっちですけど」
「ふ~ん、よしっ、ほら」
侑がおずおずと自分のベッドを指さすと、は掛け布団を剥いだ。そして、侑にベッドに入れと促す。
「え、寝ろってことですか」
「さっき薬飲んでたし、夕飯までは時間あるんだからすることないじゃん」
「それはそうですけど」
「侑が寝たら俺も安心して帰れる」
「いや、大人しくしてるんで全然好きな時に帰ってください」
普段は治と侑が二人で囲って翻弄しているが、今日は弱った侑一人なのでの方が強かった。
仕方なくベッドに入ると、優しく掛け布団をかけられ、肩をぽんぽんと叩かれる。
(なんやこの寝かしつけ……赤ちゃんになってまう……っ)
突っ込みたい気持ちはあったが、騒ぐのも疲れた。
そもそも、はこの行動も善意でしている。けして突っ込み待ちではないのだ。
その証拠にとても静かで、侑は次第に目蓋がとろりと重たくなっていく。
暗闇の中に落ちていくような、光の中に溶けていくような不思議な心地で意識を手放した。
急に、目蓋越しに光が差し込まれる不快感をおぼえた。
顔を布団で覆い身じろぎながら、無遠慮に電気を付けたであろう双子の兄弟へと悪態を吐く。
「~~~っ、ク……ッソサムが」
「あ、悪い寝とったんか」
あっけからんとした声が返ってきた。
この口ぶりでは、侑が体調を崩していたことすら忘れていたに違いない。
まるで悪びれてない謝り方に不満を抱きながら起き上がると、治は侑を見下ろした後、自身のベッドに目をやって動きを止めた。
つられて侑もその視線の先を見て、ベッドから這い出た。
「???ツムはここにおるやろ……?じゃあここで寝てんの誰なん?」
「……!もしかして───春野さ」
侑が言いかけた時、治は自分のベッドを覗き込み恐る恐る布団を剥がした。
そして、静かに閉じた。
「ん~……」
呻くような声がする。それは、治でも侑でもないものだった。
治は無言で侑の方を振り返り、ぱくぱくと口を開閉させる。
「ぁあ、……やば、つい」
治の向こうから、が起き上がるのが侑にも見えた。髪の毛に癖がついていたり、惚けた顔になっていたり、制服が乱れていたりするわけだが、そんなことよりが人のベッドでぐっすり眠っていたこと自体に二人は驚いている。
はふりとあくびを噛み殺して起き上がるは、次第にいつものしっかりした様子に戻りつつある。
そして自分の行いがだらしないと言いたげに、恥ずかしそうにしていた。
「治、ベッドごめんな……シーツとかあれだったら、あの、剥がして」
「へ!?えあっ、いいです!アザッス!!!!」
言葉の綾かもしれないが、治の礼に侑はイラッと来た。
ちょっと喜んでる、というのは双子だからわかるのだ。
(なんで俺の布団で寝てくれへんのや……!)
侑はそう叫ぼうとして、だけどたぶん冷たい目で見られるだろうと分かったので言わなかった。
next.
宮家のおかん、前もちらっと書いてるけど関西タイプのオカンに対するド偏見まみれの仕上がりです。へへ。
侑と治の部屋二段ベッドっぽいのみたんだけど、実は寮だったり……する?
Oct 2023