Sakura-zensen


春の襞 03


十二月某日、東京駅。影山は顧問から渡されたメモを手に、人の行き交う構内で足を止めた。
『JR宇都宮線(小金井行き)※後方の車両に乗りましょう。』を見てまず思ったのは宇都宮線が読めなかったことだ。
とはいえ読めなくたって同じ漢字を探して線路を見つけることは出来る。視界から得る情報が多くて混乱はするが、深く息を吐いて腹をくくった。
そして歩き出そうとしたその時、急に動いた飛雄を避けようとした人と、わずかに腕がぶつかった。
互いに謝り合いながらすれ違おうとすると、影山の手からメモが落ちそうになる。反射的に目と手で追いかけたそれを、先に誰かに掴まれた。だが、影山は急には止まれず、上からその手もろともメモを掴んだ。
「スンマセン!」
「こちらこそ、握りつぶしちゃって」
「いや、いいっす」
影山は瞬時にメモを拾ってくれた人の手を放した。
相手は同じくらいの歳の少年だった。人のよさそうな笑みを携えて、影山のメモをわざわざ掌で押して伸ばしてくれる。
そしてふと、そのメモの内容に目を落として驚いたように見えた。
「ユースだ」
「!」
彼は、言い当てた、みたいな顔をする。
影山の持っているメモは、『味の素ナショナルトレーニングセンター』への行き方が書いてあったので、彼はそこで今日から全日本ユースの強化合宿が行われる、と知っているということだ。
「ごめんびっくりしたよね。俺の後輩も今日呼ばれてるんだ、会うんじゃないかな」
メモを手渡されながら、影山は相手を観察する。
どこかで見たような顔だと思った。しかし、思い出せないし、気のせいかもしれない。
「───ま、待ってください」
「?」
頑張って、と手短に話を切り上げて離れていこうとする彼を影山は引き留める。
彼が誰かなどは正直もうどうでもよかった。それ以上に知りたいことがあった。

「これ、なんて読むんすか……っ」

そう、それはJR宇都宮線の読み方である。
少年は影山を見上げて一瞬だけぽかん、とした後、影山のメモを見て、また影山の顔をみた。
その顔が笑みに変わっていくのはゆっくりで、けれど影山が予想していたほど笑われることはなかった。
「うつのみや、だよ」
「うつのみや……アザッス」
「ちなみに、こがねい行きね」
影山はついでの親切を受けながら、復唱していく。だが小金井に気をとられて宇都宮を忘れた。
「うとみや……こがねい……」
「ちゃう~!」
「??こかねい?」
教わったことは、もう全て忘れた。
彼は頭を抱え、首を傾げた影山の腕を「ついてく」と取った。
「いや、悪いんで。いいっす」
「───きみ、一年?」
「ウ、ウス」
断った影山は、数秒じっと見つめられて思わず怯む。それどころか、問われたら素直に応じてしまった。
相手が三年生で、引退したがバレー部だというので、肌で『先輩』を感じた所為かもしれない。
時折圧倒される部活の主将の貫禄とか、そういったものに似ていた。
そのまま流されるようにして彼に先導され、問われるままに答え、時折見える景色から東京を軽く紹介され、気づけば目的地の前に降り立っていた。
駅を出てバスに乗り継ぎやってきたその地で、影山はこんなはずじゃなかったのに、と思い出す。
「───は、す、すんません、ここまで連れて来てもらって……!」
「いいって、久々に先輩やれて楽しかった」
下げた頭を軽く撫でられて、影山は硬直した。
久しく頭など撫でられていない。
「あ、悪い」
「いえ」
謝る様子からして、きっと『自分の後輩』と間違えたような感じだと分かる。影山をここに連れてきたのだって、きっかけは後輩だった。
そういえば、その後輩も、彼の学校も、そもそも本人の名前すらここまで来て知らないのだと影山は思い出す。
「あのっ!」
「じゃあ、春高観に行くから、風邪と怪我には気を付けてな」
バレー以外のコミュニケーションが苦手な影山がようやく、彼本人のことを尋ねようとしたときにはもう、彼は少し遠ざかるところだった。
慌てて頭を下げるくらいしかできず、手を振るその後ろ姿を追いかけることはできなかった。



「あ、思い出した」

合宿の最中に、影山が思い出したのは唐突だった。
それこそ、周囲にいた選抜メンバーが思わず首を傾げるほどに。
「?」
「唐突」
「なに急に」
「どうした影山」
「───春野さん、って宮さんの先輩スよね」
星海の姿を『雑誌で見たことがない』と考えたり、高校No1セッター宮が『稲荷崎高校』から来ていることもあって、記憶の扉が開いたのだ。
東京駅で会った親切な『先輩』は、いつだったか雑誌で取り上げられていた『稲荷崎高校"最後の砦"春野』その人であると。
「へえ、飛雄くんの代であの人のこと知っとる人、初めて会うたわ」
「雑誌に載ってるのと、去年の全国の映像は観ました」
「で?春野さんがなんて?ゆうとくけど春高には」
「引退したんですよね、春野さんから聞きました」
はたり、と宮は動きを止めた。
「え、会うたことあるん?」
「来るとき、東京駅で偶然あって、ここに連れてきてもらいました」
影山は宮だけではなく、周囲の注目を浴びてることにも気づかないままに言葉を続けた。
更に、宮には改めて感謝を言っておこうと口を開く。
「はあ!?ちょ、なんで!?」
「はあぁあ?」
「なんだよそれ」
「マジか」
ところが周囲に詰め掛けてきた人たちの圧によってその言葉は遮られた。
宮はわかるが、星海、佐久早、古森などの顔ぶれに、影山は首を傾げる。佐久早と古森は確かに昨年試合をしているのに比べて、星海との接点は見えない。影山が春野を知っているのと同じ理由なのかもしれないが。
「偶然会って春野くんがここまで一緒に来るって何?知り合いかよ」
「?初対面です。乗り換えのメモ拾ってもらって」
「春野さんなんで東京来てたんか聞いた?」
「さあ、知らないっす」
「ニアミスだなあ、会いたかったわ~」
「そうですか」
星海のみ何も言わないが、何か言いたげにこちらを睨んで震えている。
しかし影山に、この人数をさばくコミュニケーション能力はない。だがそのコミュニケーション能力の低さが功を奏して、早々に追及から逃れた。
そもそも、練習中だったという事もあるけれど。





春高、初日───。
第一試合を終えて空き時間が出来た影山はTシャツを買うために物販エリアにやって来た。
日向はエースの心得Tシャツを買うと言っていたし、山口も練習用に何か選ぶらしく一足先に飛び出して行ったが、別に連れだって歩く必要はないため一人で来た。
選手や観客がひしめく広いフロアを見渡していると、思わぬ人の姿を見つける。
「春野さん、チワッス」
「え?」
近づいて声をかけると、春野は顔を上げた。そして影山を見て、ああと声を漏らす。
「この前はありがとうございました」
「いいえ~」
影山は春野にもう一度丁寧に礼を言った。
合宿を終えて宮城に帰ってから、先輩たちに合宿地までの道のりを無事に行けたのかと問われた時、偶然出会った人に連れていってもらったと話すと大層驚かれた。そして滅茶苦茶お礼を言え、何だったら交通費も渡すのがベスト、しまいには先輩の元へ連れて来いとまで言われた。それは春野が春高を観に来るとまで伝えたからだ。
影山も、先輩たちの言うことがわかっていないわけではない。
電車やバスを乗り継いでまで送り届けてくれたことで、いかに労力を使ったか。───だが、あの時は時間がなかったし、彼は素早くその場を去ってしまったので仕方がなかった。
「交通費なんすけど、よかったら返させてほしくて」
「いらんいらん、勝手に連いてっただけだから」
「でも先輩も挨拶したいって」
「なんでだよ。さては末っ子だな?」
「?姉が一人いるっス」
「へえ~お姉さん!ぽいな~」
春野は部員の関係性に対していったつもりだったが、影山はまっすぐに受け止めた。
急な話の転換を不思議がりつつも、素直に答える影山に対して、春野は気にした風もなく合わせてくる。これ幸いと話題を逸らされたことなど、影山にはわからない。
「飛雄くんは明日ウチと試合やな」
「はい。そういえば、稲荷崎はシード校なんで明日からですよね」
「俺はこっちに知り合いがいて、泊まらせてもらってたんだ。せっかくだから今日から観てみようかと」
がやがやした喧噪に囲まれる中、二人は歩きながら会話を続ける。
Tシャツを買いにきたという目的が合致していた為だ。
「飛雄くんは俺の名前知ってたんやねえ」
「後で思い出しました。雑誌でみたことあったし、去年の春高の映像も観たんで」
「ああ、それで侑に聞いたんだよね。俺も君のこと侑にきいたわ」
───ピク、と影山は目線を動かす。
この時、宮に『おりこうさん』と言われたことを思いだした。
だが春野に対して口を開こうとする直前、彼はどこかを指さす。
「飛雄くん、セッターやろ?あのTシャツとかいいんじゃない」
「!!……いい!」
「俺は根笑Tシャツに目を付けてたんだ~、買っといで」
「シャス……!」
影山は視線も意識もTシャツに奪われて、春野に言われるがままTシャツを買う列へ向かって行った。

(…………コンワラってなんだ……?)

後になって、春野とのやり取りで疑問に感じたのはこれだけである。



next.

>>>唐突な影山<<<
とびおはバレー以外ポンコツっぽいので、おいでおいでと連れていかれて、気づいたら放流されててほしい。悪い人じゃなくてよかったね、とびお……。
話を逸らされたり、微妙にかみ合ってないのに気づけていないとびお。いとしいね。
主人公は合宿から帰った侑に、東京行くなら声かけてくれたらいいのに、と絡まれるし合宿での話を聞いて『飛雄くん』という呼び方になっています。
Oct 2023

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