春と走る 18
「おとなりですねえ」部屋を出るなりこぼすと、マジかよと桐島さんが呟いた。といっても、もはや俺の鼻を疑う人ではない。
「じゃあばーちゃんが?さすがにあれが倒れこんで来たら自分も怪我しててもおかしくねーぞ」
「ううーん。運が良かったのか、倒れ方が良かったのかですね」
「───それより、見たか」
「はい」
「「───どっちもじーちゃんに見えた」」
桐島さんと声を揃えて、小松原さんが言ってたことを復唱して、クスクス笑った。
「ワンコ、桐島さん……───何イチャついてんの?」
「あ、なんでもな〜い」
ドアのところで待っていたのか、オニコは外できゃっきゃしてた俺たちを見つけて呆れた顔をした。
古川夫婦の部屋が現場であったとして、被害者を遺棄するのに車椅子の夫はまず使えない、妻一人では到底無理だ。夫婦のアリバイを証言している小沼は当然協力してるが、かといって女性二人で運ぶのはやはり無理だということで、フロアの住人全員で協力した可能性もあるとみてもう一度聞き込みをすることになった。
柳さんがまずは701号室の倉西と702号室の永田二人をまとめて落としにかかる。
ずっとふたりでいた、と言い張る二人だったが、犯行現場が古川夫婦の部屋であることはわかっていると和田さんが凄み、早いうちに正直に話してくれないと大変なことになると柳さんがおどしたらあっさり落ちた。
夕方16時前、永田が倉西の部屋を訪れたところを古川庄助の叫び声を聞いた。うわあ、という類のもので驚いたり怯えたような印象を受けたそうだ。
二人は慌てて古川夫婦の部屋をかけつけ、戸部がキッチンの床で倒れ、小沼と古川夫婦が揃っているところを目撃した。
戸部が古川にしてきたことを知っていた永田と倉西は、経緯を深く聞かずに死体を遺棄することを決めた。
「こんなやつのために警察につかまることないですよ、とっとと自分の部屋に帰ってもらいましょう」
永田が言い出し、女性三人は同意した。
かといって、女4人でも150kgの男の死体を運ぶのは骨が折れる作業だった。
一度部屋の外へ出たところで、16時過ぎに帰宅してきたオニコを発見。当初は手伝ってもらおうと提案したそうだが、小沼はオニコが警察官であることを知っていたため戸部の遺体はもう一度古川夫婦の部屋へ戻された。
そしてオニコがコンビニにダッシュした19時半以降、運び出す機会をうかがっていた5人はもう一度腰を上げた。
戸部をなんとか部屋に置いて慌てて逃げ出してきた時に、ようやく戸部の部屋ではなくオニコの部屋へ置いてきたことに気がついたが時間は20時過ぎ、ちょうど俺たちがエレベーターを上がってくるのがわかったため逃げてしまった。
そして発見に至る。
重村さんと小松原さんは同時刻小沼亜季の元へ再度話を聞きに行っていた。
古川夫婦の部屋が犯行現場であることは確定したと嘯き、一緒にいたとアリバイを証言していたのだから、もう一度来た重村さんたちに観念した。
彼女は夜勤明けで部屋で眠り、夕方15時半頃物音で目を覚ました。何かが倒れるような音だったため、隣の古川夫婦に何かあったのではないかと心配になり訪ねた。
インターホンを押したところ返事はなく、ドアに手をかけてみるとカギはかかっていなかった。
そして小沼は部屋に入り様子をみようとしたところ、キッチンで倒れている戸部を見つけた。
救命処置が必要かどうかを調べたが、すでに手遅れであったことが看護師の彼女にはわかった。そして急に、古川夫婦がいないことが心配になる。
自殺してしまう可能性も考え、警察に電話をしようとしている時に古川夫婦が帰宅した。それを見て、古川庄助が驚きの声をあげ、倉西と永田が部屋へやってきた。以降、証言にブレはない。
ふた組の証言を照らし合わせ、古川夫婦のところへ行くと、事態は一変。
小沼は古川夫婦がやったと考えて庇ったが、夫婦は小沼がやったと考え泣きながら正当防衛を主張した。
きっと戸部が何かをして、何かの拍子にそうなってしまったのだと。
ここまでくると戸部の悪名もすごいなと思う。
住人に殺意というものは確かに見えなかったので、まあそうなんだろうなあ。───果たして殺害した人は誰なのか。
ほとんど即決で、管理人の中村だろうと導き出される。
事件当時、古川夫婦の部屋はカギがかかっていた。そこに戸部が侵入していたというならばそれは空き巣の犯人である可能性が高い。また、それを疑っていた中村はその時間帯に全フロアを見回っていた。戸部の死亡推定時刻とも一致する。
この日も中村は何度か防犯カメラに映っているが、一度ジャージを着替えている。おそらくそのジャージに返り血がついているだろう。
家宅捜索の令状が出るにはおそらく小一時間ほどかかる。
ジャージの着替えに要した時間は20分前後、家の中にまだあるか、外に捨てたとしてもまだそう遠くへ行っていないはずだ。幸いゴミの収集日ではないので望みはあった。
俺と桐島さんのせっかちコンビはマンション周辺を見回るべく二人で駆け出した。
「ぐへえ〜……」
マンションの裏にある公園に足を踏み入れると、妙な匂いに涙が出て来た。
思わず桐島さんの背中に顔を突っ込む。いつもかいでる安心する匂いだ。
「なんだよ」
「この公園、猫のフンくさいです」
「あーなんか俺でもわかる、ちょいちょいくせえ。ノラ猫の溜まり場になってんだな……」
うろうろしてるとブツがあるようで桐島さんもうんざりした声を上げる。
「───人がいますね」
「あ?」
「おそらく公園の民、眠っています」
「つまりホームレスか。って眠ってることもわかんのか?」
「はい寝息とか気配とか」
「お前耳までいいのかよ、何も聞こえねー」
鼻ほど特化したわけじゃないが、気配を読むのと同じように雑音の聞き分けと察知はできる。
「大方ホームレスが猫に餌やってフンしまくってんだな」
「ですねえ……ちょっと待ってください」
しっと指を立てて桐島さんにはその場で待機してもらうようにお願いする。
俺は眠る人影に足音を立てずに近づき、周囲を観察し、匂いをかいだ。
強い体臭の中に猫や土、食べ物、サビやカビ、猫の糞、そして血の匂いがある。
老いた男にまたがり、ジャンパーを開く。そうっと光を当てて胴体をみると、中に着ているジャージには血の染みが見えた。
「お、おい!お前何やってんだよ」
桐島さんが光を当て、声をあげたので男は目を覚ました。あ、やべ。
「のわああ!?!?ちょ、何をするんだお嬢ちゃん」
俺はライトが当てられているので、寝起きでも姿が見えたようだ。
おっちゃんもう女はコリゴリなの!と言ってるんだけど別にそういうわけじゃ……あ、この体勢はダメか。すごく押し倒してた。
ホームレス男性が着ていたのは犯行時着られていたと思われる血の付着したジャージだ。
防犯カメラに映っていた中村が着ていたものとデザインが一致する。
また、ホームレス男性は、中村がこのジャージを捨てに来たところを目撃していたため証言がとれた。
令状を持ってきた班長と、おっちゃんをおんぶした桐島さんと俺と、中村と対峙していた柳さんたちは一堂に会する。
中村は頭を抱えて犯行を認めた。
───見回りの際、留守だと知っている古川夫婦の部屋に戸部が入って行くところを見た中村はすぐに声をかけた。空き巣の犯人はやはり戸部だったのだと確信し、警察を呼ぶと言ったところ凄まれ、思わずとった包丁を差し向けた。
ところがとびかかろうとしてきた戸部は、包丁を持った中村の上に倒れこみ腹へその刃物が深く突き刺さったことにより死亡。
怖くなった中村は階段を使って逃げたという。
中村が自分で通報しなかったこと、古川夫婦たち住民が勘違いを起こして庇いあったこと、遺棄して全く関係ないオニコの部屋にあったこと、いろんなことでひっちゃかめっちゃかになり、今回の事件はここまでこじれた。
幸いオニコのポジションはそこまで重要ではなく、おそらくマスコミにも嗅ぎつけられることなく終わるだろう。万が一嗅ぎつけられたとしておかしくしようもない事件だし。まあ同じ階の住人がこぞって死体を隠蔽しようとしたっていうのは「面白い」だろうけど、住人のプライバシーを守るためにも今回の事件は細心の注意を払って処理された。立派な死体遺棄の罪だけど、情状酌量の余地はある。
事件の後処理のため俺たちはまた本庁にもどり徹夜した。
朝日を浴びながら目をしぱしぱする。
「しかしさすがに疲れたな」
「まったくとんでもねえ一晩だった」
「今日はもう何も起きないといいですねー」
仮眠とったとはいえ疲れは取れてないのでうゆーと机に頭をおく。
柳さんと桐島さんには申し訳なさもある。オニコは大丈夫だろうか。
そう思っていた矢先にオニコから着信があったので電話をとる。はつらつとした声からして、オニコはとても元気そうだ。
『ワンコ、今夜誠士郎さまと桐島さまつれて来てよ!』
「え〜今夜?」
『ゆうべのお礼に手料理ごちそうするの!!ミッション2しきり直しじゃァ!』
俺今日はゆっくり寝たい。
昨日の今日で仕切り直しするって早すぎないか。
「ていうかなんで桐島さん?」
昨日のことは偶然とはいえ不吉なので、来てくれなさそうな気がする。
『昨日見てた感じ、二人ってそうなんじゃないの?』
「ない」
どうやらダブルデートを企画して、じゃあ俺たちも付き合っちゃう?みたいな展開を妄想しているらしい。まず俺と桐島さんはそうじゃないし、その展開も無理がある。
「とにかくない、仕事しろ」
今日は心を鬼にして拒否だ。だって疲れたし。
え〜とか弱い声を出してるオニコをよそに電話を切る。
「あ、大丈夫ですよ、ちゃんと断りましたから」
二人は俺の電話相手に引け腰になりながらこちらを伺っていた。
「なんで俺の名前まで出てたんだよ」
「はあ、なんかダブルデートしたいみたいで」
「……デート……」
正確には違うんだけど、簡単に言うとこうだ。それも今夜なのでちゃんと断りましたよともう一度安心させるために言う。
柳さんは安堵すらみせずに涼しい顔をして、でもどこかほっとしたような声色で席をはずすと言って出ていった。
「いいのか、お膳立てしてやんなくて。今日はさすがに無理だけど」
「昨日あんだけ一緒にいたんですし、自分で声かけに言った方が良いんじゃないですかね。俺がいると柳さんも断りづらいでしょ」
「は?なんでだよ」
「え、なんでって……あー桐島さんは、そういうタイプじゃないか」
「どういうタイプだよ」
「俺が女の子の連絡先を持って来て連絡してやってって頼んだらどうします」
「捨てる」
「普通の人はわりと無下にできないもんです」
俺が普通じゃねーってことか、と顔面を掴もうとした手が途中で落ちた。
そして手持ち無沙汰に背もたれに肘をかける。
「一対一で誘われれば断ったりかわしたりできるでしょう〜」
「……俺は別にしてもいいけど」
何が?デートが?
「え、オニコとデートしてくれんの?」
「なんでだよお前とだって言ってんだろ」
今度こそ顔面掴まれた。先輩のジョークを読めなくてすみませんでした。
「えへへ、じゃあ行きますか、山城さんのところへ」
「おう───あ?山城?」
いつもしてるもんね、デートという名の捜査。
事件がなければ外出することもないが、良く考えたら未解決の事件は山ほどあり、抱えている案件は一つじゃない。
山城さんとは捜査戦上に上がった参考人の一人の名前で、桐島さんはすぐに思い至った。
「どうしたらそういう思考回路になんの?」
深くため息を吐かれた理由がよくわかんなかったが、意気揚々と出て行こうとする俺を放っておくことなく上着を持って立ち上がって付いて来た。
桐島さんとはデートっていうか、あれだな、───お散歩。
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キリさんをふりまわしたい。
Nov. 2018