Sakura-zensen


春は龍の玉 01


開さんと本家に泊まった日の朝、横で起きだした気配を感じて俺も意識を浮上させる。
布ずれや、ぼやくような声がしたと思えば、俺の頬を指先が軽く弾いた。
「玉霰……お酒臭い」
「んへえ」
呆れ、そして咎めを含む口ぶりに、言葉にならない謝罪の声を上げる。
ゆっくり目を開けて身体を起こすと、開さんがのそりと起きだして部屋の襖を開けて出て行くところだった。
おそらく顔を洗いに行ったのだろう。戸が閉められていないのは、換気のつもりか俺も出て行くと思ったからか。

酒臭いと言われたので、部屋の換気をするために窓に手をかけると、袂に重みを感じる。
なんだろうと手を差し入れて取り出せば、鮮やかな青色をした盃があった。
手に取って掲げながら───なぜ、こんなものを持っているのか、と思いを馳せる。

たしか昨日、本家の妖魔たちと酒盛りをしたときに青嵐がこれに……。

トタトタ、ドタドタ、ダンッ……
「玉霰!!!」

足音が次第に激しく近づいてきたと思えば、開さんが部屋に飛び込むようにして戻って来た。
俺は思わず、持っていた盃を強く掴んだ。

「───結婚したって本当か!?青嵐とっ!!!」

……あ。

「した……な?」
昨夜のやり取りが走馬灯のように駆け巡り、開さんの問いに肯定した。
そうだ~俺、昨日青嵐と結婚したわ~。
忘れていたことを思いだし、ぺちっと額を叩く。
「何をのんきな……どういうことだかわかってるのか!?」
「頭に響くから騒がないで」
「二日酔いのふりするんじゃない!」
開さんが珍しく俺に声を荒らげる。まあそうなる気持ちはわからないでもない。
俺だって早くも後悔しているが、そもそも酒の勢いで入籍したとかそいうノリではなくて、ほぼ騙し討ちのようにして契約が結ばれたんだい。
「責任の一端は開さんにある。───また、気に障ることをしたんだろ」
「!?まさか、いやいや、そんな嘘だろ」
ビッと指をさして問い詰めると、開さんはぎょっとした。
開さんには前科があるからな。前に青嵐をしつこく勧誘したせいで、俺たちは離れ離れに異界に飛ばされた。
その時みたいに、開さんに対しての嫌がらせと反撃が今回の結婚ってことだと俺は思っている。

うわーっと頭を抱えた開さんは、青嵐と俺の結婚がいかに面倒であるかをよくわかっていた。
人間同士のそれとは違い、妖魔は口約束だろうがなんだろうが、契約にして縁を結ぶ力を持っている。なにより青嵐は俺より格上なので、向こうが破棄か飽きるかしないと俺からはどうすることもできない。
「これが自然の摂理だ……」
「何言ってるの」
俺は弱い……と悟りを開いたところを、開さんには呆れられてしまった。

その後、俺と青嵐の結婚を知った律は果敢にも青嵐を叱り飛ばしたが、もちろんどうにもならず。
尾白と尾黒は、そもそも昨晩その場にいて俺たちの結婚を祝った側なので論外。なんなら今日は、祝言の準備に取り掛かるといって不在にしている。……それは、どうやって逃げようかなってところだ。
青嵐も一夜明けて気が変わったなんてことはなく、開さんと律のテンパってるところを見て意味深に笑っている。
これはすぐには無理だな、と諦めの境地に至った。

「───花嫁をお迎えにあがりました」
「ゲッ」

夜、尾白が仰々しく迎えに来た。
あの後開さんと仕事に行って、環さんと住むマンションに帰って来てたのに。
着ていた着物をはぎ取られて着替えさせられて、髪を結われて化粧をされて、挙句の果てに開さんまで引っ張って連れてこられて、もののけ道みたいなところを歩く羽目になる。
「まさかこんなに早く玉霰とヴァージンロードを歩くことになるとは」
「余裕だね、開さん」
「いや~……」
冗談を言う開さんをじとりと睨む。すると開さんは笑って肩をすくめたあと、そっと耳打ちするように小さな声で囁いた。
「うまくやれよ、玉霰」
「……わかってるよ」
前を向き直すと、暗闇の中ぽつんと光っている場所があり、そこには青嵐と律と尾黒がいた。
律は無理やり連れてこられたのかほぼ意識がなく、身体は横になっている。
「来たな、妻よ」
「……」
ぶうたれた顔で青嵐の笑みを躱す。
だがここで逃げるわけにもいかず、俺は案内されるがままに青嵐と隣り合って座った。
酒を飲み、食事をとり、鳥たちの舞や芸を見たり、他にも妖魔が挨拶に来たり、よくわからないが"それっぽい"祝言を終えると、開さんと律はいつしか暗闇の中に消えて、俺と青嵐は二人きりになっていた。
……開さんと律が心配だが、尾白と尾黒が二人に悪いことはしないだろう。
「どうしてこんなことまでするの」
「面白いものが見れると思ってな」
楽しそうでなによりだが、それに巻き込まれる俺も、そうまでして嫌がらせをされる開さんも可哀想である。

俺はいまだに妖魔の生態がわからない。きっとずっと、わかることはないだろうが。
山から下りてきて、開さんの式になって、それでも自由にフラフラ動いていた俺だけど、ここはいっちょ腹を括るしかないようだ。
「とりあえず───別居婚でいいかな??」
妖魔相手に下手を打てば、一瞬にしてその命が掻き消えるため、俺は上手く生きることを目標に動くことにした。なので、結婚後も仕事は続けたいという第一の希望を伝え、開さんの式神であり続けること、そして開さんのそばから離れるつもりはないことを宣言した。
すると青嵐は腹を抱えてひとしきり笑って、その後俺の希望を許可した。まあ、元々俺を娶ったからと言って傍に置くのは鬱陶しいとか言いそうだったしな。
「ありがと。じゃあ、えーと、不束者ですが」
「いい、いい、行け」
なんだったんだこの時間。そう思いながら俺はしっしと追い払われたので、その場を辞す。
するともうすっかり開さんの部屋に戻ってきたので、祝言はあっさりと終った。

ちなみに律は次に会った時に「え、あれ夢じゃなかったの!?」と驚いていた。





そんなこんなで、青嵐と夫婦になってから時が経った。
束縛の激しいオットではないので、開さんが本家に顔を出した時、律もろとも挨拶に行くくらいで、夫婦らしいことをしたことはない。
なんなら祝言以来、あっちが俺を嫁扱いしたこともない。
もしかしてもう忘れてるんじゃ?と期待をしたある日、開さんが俺を律に預けた際に挨拶にいかなかったら、青嵐に首ねっこ掴まれて攫われた。
律の部屋で横になってお菓子を食べていたところを、すぱんっと襖を開けて……もう一瞬のことであった。
あの時既に青嵐の姿だったので、孝弘おじさんの身体は部屋で横たわっているのだろう。ちょっと心配だけど、律がきっとどうにかしているはず……。

俺は龍の姿をした青嵐の、大きな前足の鉤爪に雑に掴まれて空を飛んでいる。
何なんだ急に。この飛び方、怖いし。暴れたら落とされそうだし。
そう思ってじっと動かないまま耐える。
とうとうベチャッと地面に落とされたのは、どこだかわからない小高い丘の上だ。青々とした草がなり、強めの風に揺れていた。
「痛いっ、なんなの!?」
「ほんの挨拶じゃ。いつもはお前がわしのところにきていたからな」
なんたる言い草……。
「それに、たまに夫婦の時間も作らねば、夫を忘れてしまうらしい」
「忘れてないし!ていうか、俺が挨拶に行かなかったからこんなことしたの?」
背を向けて横になってる青嵐の肩をぐいぐいと引っ張って、顔をみる。正面から見ることはできないが、切れ目の中にある瞳がちろり、と俺の方に寄った。
「……てっきり青嵐の方が俺を忘れてると思ってた」
「お前ほどのんきじゃないわい」
青嵐が首をねじって顔だけこっちを向く。
それはつまり、俺が結婚したことを忘れているとでもいいたげな口ぶりだ。
普通、結婚したこと忘れるわけないだろう。考えないようにして、関わらないで済むなら良いなと思っていただけで。
ただ向こうは普通じゃないから、青嵐が俺を娶って以降、夫婦という認識でいたのが意外だった。
あと、俺が挨拶しに言ってたのをちゃんと記憶していたことも。
「みんな俺をのんきっていうけど、別に何も考えてないわけじゃない」
ふーと息を吐いて、青嵐の横たわる腕の上で頬杖をつく。
ぴくりと動いたのと、視線を感じるが、俺の目線ははるか遠くの橙色の空。
びゅうっと風が吹いて、着物がはためき、草がすり合う音がした。
「俺たちには長い時間があるだろ」
「……」
問いかけるようで、そうではない。だから青嵐は俺に沈黙を返した。
いつかまた気まぐれに、青嵐が俺との縁を切る時がくるかもしれない……というのは、今本人に言うことじゃないから口にはしないが、もう一つこれから続く長い時間の中に、見出した可能性がある。
「開さんや、今の飯嶋の人たちは百年もすればみんないなくなる。子孫や友人を見守るのもいいけど───そしたら俺は誰のそばにいたら良いかな、青嵐」
人里に下りてきて、人の近くで生活している俺はいずれ、自分の齟齬を痛感する時がくる。
そんな時に不変であるのはきっと、人間ではないものたちだ。とりわけ、鳥たちや青嵐が俺の最も近くにいるだろう。
「ふてぶてしい嫁め、わしを最後にするとは」
不満そうに息を吐く青嵐に笑った。最後という言葉を、妥協と捉えるか、特別と捉えるかは、個人差があるものだ。
かくいう俺も、それをまだ決めかねている。
「おまえはちっとも面白くない」
ごろんっと身体を傾けた青嵐の頭が、俺の膝に乗った。重たいと声を上げたが無視されて諦めた。
面白ければ下に見られ、遊ばれ、騙され、嬲られるのが妖魔の世界での常であるので、それは褒め言葉として受け取っておこう。
「せいぜいその据わった肝を、わしに喰われないように隠しておくがいいさ」
「はあい、肝に銘じておきまあす」
にっこり笑って、意外と柔らかい青嵐の髪の毛を撫でた。
俺が結婚を嫌だと泣き喚き、翻弄される、青嵐が楽しいだけの姿なんて俺は見せてやらないのだ。



next.



龍の玉っていうのは龍のひげとか玉竜と呼ばれる葉っぱがつける、鮮やかな青の実です。
青嵐は夏の葉っぱを揺らす風で、玉霰は冬の凍える桜なので、季節感真逆な二人ですけれどもそこがまたいいのじゃ……。
タイトルの春いらんかった気はしてるけど、主人公は基本マインドが春なのでよし。(こじつけ)
Nov 2023

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