Sakura-zensen


春は龍の玉 02


「うまくやれとは言ったけどね……」

ある日俺は、開さんに苦言を呈された。……うまくやりすぎじゃないかと。
青嵐との結婚は既に逃げ場のない状況に追い込まれて、開さんも俺も抵抗する隙は与えられなかった。だからひとまず結婚はして、妖魔と縁を切るのは大変だが、なんかうまい事やんなさい、という意味で開さんは言ったはずだ。
だけど俺は青嵐と夫婦の縁が切れずに一年が経った。
「お前がそんなんだから、向こうがつけあがるんだぞ、
「え~?」
珍しく名を呼ばれたので、ちょっとしっかりめに叱りに来ているなと思う。
こちらとしては、一年って早いなあって気持ちなんだが。……開さん、若いな。
「神様と結婚してた俺だからこそいうんだ」
「ははは、説得力あるな。でもそれこそ開さんならわかるよね?簡単な事じゃない」
「俺はなんとか逃げてきた」
「でも完全には離縁できてないんだろ」
「……」
俺たちって似た者同士なのかしら。なんて。
だが開さんは自分のことを棚にあげて、青嵐との結婚契約を破棄する方法を調べたと言う。
「そんなことしたの?青嵐に知られたら、開さんが丸のみされかねないよ」
「親父の命令であれは人を食えないさ。それに、俺の命を脅かせばだって黙ってはいないだろう」
「だからってねえ」
「青い盃を持っていたな、お前」
「!」
俺は今も懐に入れてある盃を指摘されて驚く。
祝言の時にも使ったので、開さんは目にしていたのだったな、と納得した。
「あれが契約の要だ」
「うん……」
夫婦盃みたいなのとはちがい、ひとつしかないものだが、俺たちを夫婦とする証がこれだ。
ここに酒を注ぎ、俺と青嵐は一緒にのんだ。
当初、単なる回し飲みかと思っていたらどうやら違って、その酒には青嵐の血と言霊が混じっていた。
唆されて返事をした俺はまんまと青嵐に絡めとられ、向こうが有利な契約を結んだってわけだ。
「でもこれを割ったら、俺の身が危ういよ」
「わかってるさ」
開さんを信じて、盃をとりだして手渡す。
まじまじと眺めている青色はとても鮮やかで、部屋に入ってくる光を浴びると表面が艶々しているのがよくわかった。
「瑠璃色の盃がひとつ───意味があるのかないのか」
「どういう意味?」
「瑠璃という漢字はそれぞれ、互いと合わせて意味を成す。逆に言えば単体でも、瑠璃という意味以外を持たない」
それを聞くと、あまりにも俺の人権がないというか。
だって瑠璃は青で、青嵐の色が強い。まるで俺を全て染め上げ、呑み込むような意志すらも感じる。
俺は開さんの式神だけど、それがなければ、青嵐のしもべになっていたのかもしれない。
「妖魔こわ……」
「まったくだ。できればこれを、どさくさに紛れて奴に割らせて、逃げろ」
改めておののく俺に、開さんは簡単なことのように言って盃を返した。
それは何年かかるかわからない企みだし、調べてきたって言ったわりに手段が力技すぎなんだけど……。


「おまえ、わしの盃を開に触らせたな?」
「ぴゃ……」

だが、その企みは早々に露見した気がする。
夜中の人が寝静まった時間に青嵐が訪ねて来たので、開さんを起こさないように外へ出て、会うなり指摘されたのだ。
分かりやすく懐をぎゅっと抱いてしまうのを、青嵐はじっとりした目つきで見下ろす。
「なんでわかるの?」
「お前とわし以外が触れたら曇るんじゃ」
手垢?と思いながら盃を取り出して眺める。すると青嵐に奪い取られた。
青嵐がほうっと息を吐きかけると、その盃にほのかに指の痕みたいなのが浮かび上がる。
「ほれみろ」
開さんのではなくて俺が手にした痕の可能性もあるが、漠然とそうじゃないんだろうなと感じた。
言いながら返されたので、どうしたものかと考えた末に着物の袖で磨くように拭う。
ていうかなんでわかる、の答えが明確じゃないのが怖い。
「次他人に触らせたら仕置きじゃ。割ってしまっても同じこと」
はいはい、と聞き流しながら月灯りを当てる角度を変えて、曇りがないかを確認する。
「わしにも割らせるなよ。その時は一瞬でお前は腹の中だ」
言いながら顔を隠さず大あくびをした青嵐に、ぎょっとして顔を上げる。
「え、どういうこと!?」
「もう一度儀式をするのは面倒だからな」
「どうしてそこで、じゃ食べちゃお、ってなる……?」
俺は脳内で開さんに呼び掛けた。
妖魔の情緒は想像以上にやばいです。



そんなこんなで、俺は盃が命と同等に大事なものになってしまった。
青嵐は時々俺を夜に連れ出して、その盃で酒を飲もうとする。割るんじゃないかと拒否した俺だったが、自分から割って俺を食おうとまでは思ってないと言われてちょっと安心した。
それからまた、あっという間に一年の時が過ぎるともはや開さんは何も言わない。結局は、関心や執着が薄れるのを待つのが一番穏便だと理解したらしい。それに俺への関心の一端は大体開さんのせいもあるので、青嵐にあまり関わらないようにすべきはあっちの方だし。

───だけど俺はひとつ、ドジを踏んだ。

びゅっと風を切るような音がして、俺の頬を掠って何かが過る。
青嵐が気まぐれに俺を連れて入り込んだ家で、妖魔に憑かれた人間の攻撃を受けて傷をつけられた。
大した怪我でもなかったし、次いで突進された俺はその人間をぽいっと投げ飛ばした。
その時、胸元で硬い何かがパキンッと音を立てたのを聞いた。

……え。

憑依された人間はひとまず無事だったので他の人に任せることにして、俺は急いで胸元に手を入れる。そして目当ての物を探り当ててゆっくりと取り出すと、盃に大きな亀裂が入っていた。
形を保ってはいるが、少しの振動で割れてしまいそうな危うさ。
仕舞おうにも仕舞えなくなり、俺は手に乗せたまま、ぷるぷると震えた。
幸いなことに青嵐は違う部屋にいる。だけど知られるのも時間の問題だ。
以前仕置きだとか、喰うだとか言っていたのは、きっと嘘ではない。
このまま逃げたってきっと青嵐が追いかけてくるに決まっている。
こうなったらみじめに命乞いをして、……いや、それは嬉々として喰われる気がするんだよな。

開さん、先立つ不幸をお許しください。あなたの玉霰は最後まで毅然と……と、脳内で遺書を綴りながら、青嵐のいる部屋の襖をあける。
孝弘おじさんの丸まった背中がぴくりと動き、俺の方を見た。
そして、瞬時に飛び出してきた龍が俺の身体を大きな前足で掴んだ。
「青、」
「誰がやった」
今しがた青嵐がトドメを刺したせいで盃は手の中で割れたが、この状況で揚げ足はとれない。
「こ、これは、俺がドジで……」
ぎゅうっと握られて、爪が肩に食い込む。そんな仕草は別にいつものことで、痛くなんかない。
だけど、こんなに怒った顔を見たことがなくて、きっと約束を破ったから喰われるんだと身が竦んだ。
「誰がお前に傷をつけたのかと、聞いておる」
続く言葉に俺は驚き、言葉に詰まった。
そんな俺をよそに、青嵐はひとりでに納得している。
「奴め───八つ裂きにしてくれるわ」
「な、なに言ってんの」
「ここへ来てすぐに食っておけばよかったわい」
ぐるぐると喉を鳴らすのも、荒い鼻息も、滅茶苦茶怒っている証拠なんだが、それに反して俺を掴んでいた前足は緩んでいた。
それもそのはずで、青嵐の怒りの矛先は俺ではなく、俺を傷つけた諸悪の根源に向かっているからだ。
今にも飛び出して行きそうだが、この状態の青嵐が飛び出して行ったら人の目に映らなくとも被害が出そうで焦る。
家や妖魔の棲みかになっている祠が壊れてもおかしくはない。
「待って待って!なんでそんなことで怒る!?」
「お前は私の妻だ」
「っ……」
「妻を傷つけられて、黙っている夫がどこにいる?」
さっきから予想外のことばかりで頭が追い付かない。
きゅうっと胸が締め付けられて、恐怖でも、焦りでもない震えが俺を支配して突き動かす。

割れた盃を膝の上にぽろりとおとし、開いた両手で龍の顔をそっと包んだ。
そして、唇がどこかもわからないから歯の近くに口付けた。
……ちょっと冷たくて、濡れている。

意表を突いたおかげか、青嵐はぴたりと動きを止め、しゅるりと姿を変えて人の形になった。
そして、俺の膝の上にある、割れた盃に気が付いて視線を落とす。
「……割れたのか」
鋭い爪のついた指先が半分に割れた盃をひとつ手に取った。
「うん、ちょっと暴れたときにぶつけちゃって……どうしよう……」
俺の手から視線を上げた、青嵐の細い目の奥を見た。
「……壊れた物は元通りにはならん」
「そう」
言いながら青嵐は俺の顎を掬ってひねり、横を向かせた。
傷が気になるのかとされるがままになっていたら、頬をべろりと舐められた。
「えっ………………治療?」
「こんなもんで治るか」
「じゃあ味見───んぐっ」
「飲め」
今度は青嵐が自分の指を齧り、血を流して俺の口に指を差し入れてきた。
言われるがままに舐めとった血は、自分の唾液に溶かして飲み込んだ。
前は俺が一方的に青嵐の血を飲まされたけど、今度は互いに血を飲みあっている。

……ああ、───俺たち、瑠璃になるのか。

いつのまにか、それも案外悪くないなと思えようになっていた。



end.(おまけ


瑠璃という漢字の解釈はどこかで聞いた気が……それをなんかエモいなと思った覚えがあって。
青嵐は「わし」「私」どっちも言ってたと思うのですが、本性に近い強い言葉を吐くときは私がいいかなって、妻宣言の時は癖のない口調にしました。
Nov 2023

PAGE TOP