Sakura-zensen


春を待つ 03

道案内のお礼に持って行ったおむすびを頬張る姿は、まるでただの子供のようだった。容姿はまさに子供で間違いはないのだが、この子は紛れもなく人ではない。
彼は自分のことを人の子……正確にはもともと生きていた人の子供で桜に棲む幽霊だと思っている。
見守り桜と称される山で一番背の高い木は、根元で息絶えた凍える子供の魂を守っているのかもしれないが、人々の信仰対象は桜の木ではなくこの子供にあった。
長い間、この子供は山に入る人間を見守っている。
人の言い伝えのせいか、元来の性質か。
その行いは桜の力と信仰を授かり子供の魂を人のもの以上に貴くした。

「あ、飯嶋さん来てくれたんだね」
桜祭りの初日、約束通り神社に訪れると彼は出迎えてくれた。
いつも着ている質素な着物がとても豪華になっている。
おそらく早朝神事を行う者たちが桜を祀りに行ったことで、見た目が変わっているのだろうが本人は特に気にしていないようだった。花見用の晴れ着かな……くらいにしか思っていないだろう。
「見事な桜だなあ」
「でしょーお」
花の咲きっぷりは神社にある桜の方が見事なのだが、ずば抜けて高い神格の気配が遠くからひしひしと感じられる。見守り桜はこのあたりではいっとう古い桜で、この桜祭りは本来見守り桜を奉祝するものだ。
つまりはこの子供が主役と言っても良い。
「今年もあるんだよ、『たまあられ』!」
きちんと神饌が用意されているのだが、参拝客にふるまわれる氷菓子が好きらしい。
小さな桜色の紙コップに入った氷の玉は霰のように小さい。
透明なスプーンですくって食べると舌の上をころころと転がり、やがて溶ける。彼の言う通り甘酸っぱい味がした。
「おいしい」
「よかったー。でも今日は少し冷えるでしょ、大丈夫?」
「このくらい平気さ。……花冷えかな」
「はなびえ?」
花冷えとは春の桜が咲く季節にある、急に冷え込む日のことだ。
教えると、ふうんと頷きゆるく笑った。
「俺のせいかなあ」
「え」
子供は紙コップをゆっくり腹の方まで下ろして、春特有の曇天を見上げた。
冷たい風が吹き、幼げな横顔は心なし、憂えた表情を浮かべる。
「霰が降ってきた」
なにもない、雲の犇めく空のはずだ。しかし彼の言葉を皮切りに、周囲の客が声をあげはじめる。屋根や地面にパラパラと霰が降る音が鳴った。
薄手のジャンパーのフードに積もる霰を叩く人から、丸い粒が弾け飛ぶ。
彼はその様子を指差して、面白いと笑っていた。
「降らせたの?」
「まさかあ、そんなことできないよ。ここらへんではよく降るんだ、霰」
両手をそっとあげると、山のような玉霰が降り積もって紙コップを消してしまっていた。手から溢れてこぼれていく粒は地面にあたりまたパラパラと音を立てた。

花冷えも花曇りも気候的にありえないことではない。
一部の地域ではこのころ雪まで降ることもある。
しかしこの地域では桜の季節に霰が降るのは神の仕業と言い伝えられており、桜祭り初日の出来事は奇跡といわれた。



今年の桜祭りは最期の奉祝だった。……おそらく来年からは違う桜を定めて祀るのだろう。
専門家に見てもらい、見守り桜の伐採が決まった。
子供はやはり、人の子だった。桜は、木だった。
人は祟らない。木は抗わない。

だよ」
白い着物を着た彼に、名を尋ねた。
彼は人として答えた。
夏の終わりの夜風が、木々や髪の毛を揺らす。
。……家族はどんな人たちだった?」
「ばあちゃん……あと、ちっちゃい弟がいた」
「ご両親は?」
「いろんなとこに物売りに行ってて、うちにはあんまりいなかった」
「へえ」
木が無くなると知っても変わらないに、人であった時のことを話してもらうようにした。
ゆっくりと、たどたどしく語るのは遠い記憶だからかもしれない。
それでも人としての心を失っておらず、たくさん語って聞かせようとした。いつも話す山のことや神社の祭りのこと、たまに見かける妖怪のことよりも、楽しそうで、悲しそうだった。
空き家に住み着いていた猫の親子、兄と慕う隣家の少年、小さな弟のおねしょ、いたずらをして祖母に怒られたこと。それは全てもう存在しない、けれど確かに存在した人の記憶。
「開さんありがとう」
「ん?」
「開さんが来てくれなかったらずっと、人に戻れなかった」
初めてあった時からまるで普通の人みたいだったのに、は小さく笑う。
幼い子供のまま死んで、そのままの風貌でいるにもかかわらず、長い時を見て来た子供の瞳は深みを持っていた。
本当の人と接することで、自分が人であることを感じられるというはまるで寂しかったと言っているみたいだった。
「まあ、人じゃないものと意思疎通できるのも、なかなか楽しいんですけどねー」
……呑気な子だな。

葉が全て落ちたころ、木の伐採が行われることになっていた。
それまで何度かの元へ通ったが、特に様子がかわることもない。
桜の木がなくなったら、棲家を失い、おそらく信仰も薄れる。そうなったらただの浮遊霊となり山の中を彷徨うことになるだろう。否、なら神社に棲むこともできるかもしれない。

冬の灰色をした空には痩せた桜の枝が伸びている。
桜の木の上にはがいた。
高く、遠いところに座ってどこかを見つめていた。
「−−−そうか」
作業員たちは準備をしていて、呟いた声は誰にも届かず白いけむりとなってたち消える。
そうか、、おまえは。
「そろそろ始めるんで」
「いや、すこし、待ってください」
責任者に離れるよう促されたが、一歩近付く。うんと上を向き、の姿を視界に入れながら口を開いた。
「子犬がいるので」
「……子犬?」
痩せた細い桜の木を隠すものは何もなく、子犬の姿など誰にも見つけられない。倣って上を見上げた気配はしかし、あっと声をあげる。
「あられだ……」
作業員の一人が呟いた。
春の曇天よりも薄い、けれど暗く濁った空からあの日のように冷たい雫がこぼれ落ちて来た。頬に当たるとわずかに刺激があり、地面や木に落ちると転がる音がした。
この桜の逸話は聞き及んでいるのだろう。責任者も困った様子でこちらを見た。

これは祟りでも妨害でも奇跡でもない。空から降る、氷の粒だ。
桜が降らせた冬の花ではない。
なぜならも桜の木も、このまま斬られるつもりでいたのだから。



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たまあられはでぃっぴんどっつのアイスをイメージしています。
Feb 2018

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