Sakura-zensen


春を待つ 07

夜の深い森の中、妖魔を取り逃がした。
事に当たる前、に少し離れたところで待つように告げると、一緒に連れて来ていた孝弘義兄さんも足を止める。
ただついてくると同じ立場でいてもらっては困るが、いざという時に手伝ってくれるかもしれないとの望みをかけて、何も言わずに背を向けた。
たまに、気まぐれて言うことを聞いてくれることもあるのだ。
しかしその期待は裏切られ、妖魔から逃げて来ると、別れた場所の木の上で二人そろって月見をしているところだった。ひどいな、と笑いかけると冷たくあしらわれる。
「大丈夫だったー」
「ああ、まあね。いや疲れた」
はゆっくり木の上から降りてくるが、奴はそのまま一人で帰っていった。
「……開さん、あれがほしいの?」
「当然だろう?」
律の護法神だった青嵐という龍の姿をした妖魔は、親父の契約により生涯律の命を護るように言いつけられていた。しかし律の心臓が一度止まった時にその契約は解かれ、自由の身となった。
「力も強いし、むしろ放っておくほうが危ない」
「そうかな」
はよくわからなそうに返事をして、今日はもう帰ろうと道を指差した。

───次はどんな風に言って連れ出そうか。
算段をたてながら、本家に向かう際はよくを連れて行く。普段使う式は重たいし、最近は少し調子が悪い。その点は軽くて聞き分けが良いので手がかからない。
「こんにちはあ」
「お邪魔してますよ」
「おまえ、また来たのか」
昼間、部屋を訪れると孝弘義兄さんの身体は畳に寝そべり、退屈そうに腕枕をついていた。邪険な口ぶりだが、がぱたぱた入り込んでも叱ったところを見たことがないので、案外これには甘いのかもしれない。
「本読んでる」
「暇でな。……そういえばお前にくれてやるものがあったんだ」
「え。なになに?」
が覗き込みに行くと、思い出したことのように話し始める。
「行くぞ」
そう言うやいなや、孝弘義兄さんはがくりと力を失い、龍がを掴んで縁側から外に出ていった。の珍妙な叫び声が遠くなり、あっと言うまに姿が見えなくなる。
「……おいていかれた」
仕方なく残された人の身体を整えた。
全く嫌なことばかりしてくれる。普段から妖魔が出入りしている所為か丈夫だが、人の遺体なのだ。長時間放っておけば腐敗し、二度と入れなくもなる。
おそらくがせっついて戻ってくるだろうが、あまり期待せず、けれどこれ幸いと書物を探ることにした。

二人が帰って来たのは夕食になる前だったが、部屋で食事をするあれとは別に母と妹と食卓を囲んだ。
はその間も部屋で一緒にいるのだろう。
食後迎えにいくと、二人は何やら妖怪の話で盛り上がっていた。なんで仲がいいのかはわからないが、よかったようなつまらないような、微妙な気分だ。
しれっと混ざってしばらくは会話が続いたが、今日は誘いには乗ってくれないだろうと諦めて帰る挨拶をしに今度は居間へ戻った。
大学から帰って来た律がいる。八代の出演するテレビが流れていて、その話題が聞こえて来たので思わず文句をこぼした。


「開さん」
律に詮索される前に帰ろうと思ったが、帰り道にわざわざ追いかけてきて引き止められた。
「あのー大丈夫なんですか?最近式神あんまり連れてないけど」
「最近使いづらいんだ。替え時かな……おまえじゃないよ」
えっと声をあげたを一瞥してから、律に向き合いメンテナンスがうまく行っていないと答えた。式というのは維持するのにも手が掛かるのだ。半ば自分の意思でついてきたや、恩を感じて従っている尾黒や尾白たちとは違う。
「だからってうちの父をリクルートしないでくださいよ」
「なんで?いいんじゃないか?もうお前の護法神じゃないんだろ?」
律は正論を言われて黙った。
甥への仁義が、というが元は親父のものだったのが律を守っていただけであって、律に対して遠慮する必要はあるのだろうか。
律を守る契約はもう無効であるのだし、もう一度契約を持ちかけている様子もないのだから、筋は通っていると思う。
「仁義がないって思うか?」
「律の言うことを聞く必要はないだろうけど」
律と別れたあとにこぼすと、は暗闇の中でもわかる薄ぼんやりと明るい顔色で苦笑した。
「青嵐の言うことは聞いておくべきだろうね」
「いつのまにか仲良くなってるなあ」
人を守ることに抵抗のない奴だったので、律を庇うことはあっても、妖魔に肩入れするとは思っていなかった。
「仲良く?……それは開さんのおかげというか所為というか」
「俺の?家に預けたくらいだろう。お前が懐っこいからじゃないか?」
口を尖らせてもごもごといい淀む
「今日だって何かもらってきたんだろう?」
「まあもらったけど……あれは俺をダシに開さんから逃げたのさ」
「え……」
さすがにその答えには驚き、足を止めた。
は見た目に似合わない雑な所作で頭をがりがりと掻く。
「俺が遊んでもらってるうちは、まだいいけど」
───青嵐の言うことは聞いておくべきだろうね。
もう一度、の声が脳裏をよぎった。



next.

青嵐と仲良くしててなんとなくもやっとする開さん。
しかし単純に仲良しじゃないとわかってちょっと驚く開さん。
開さん視点では普通に名前を呼んでいこうかと思います。
ところで絹さんは開さんの妹なのに、孝弘さんはなぜ義兄なのか。
Feb 2018

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