春を待つ 08
薄い色をした肌に赤みはほとんどなく、どちらかというと青い影がさしていた。俺の手首を掴んだ、大人くらいのおおきさをした手はぬるく、時間が経つとなんだかひんやりしてきた。長く尖った形をした爪や、芯に熱のないからだ。うん、妖怪。
糸のような目とはいうが、よく見たら切れ目だ。中からあやかしの瞳が俺をのぞいている。
その切れ目がふいに、開くときがある。その時うわ妖怪って思う。まあそれは置いといて。
今俺の手を引いているのは間違い無く、妖怪だ。もともと人だった俺とか、桜の木みたいな自然のものではなく、冥界のいきものというもので俺たちとは根本的に違う存在ということだ。
「ねえどこいくの?」
成人男性に見えなくもない姿で足を動かしているが、さっきまでは龍の姿をしていて、今よりも鋭くごつい手……いや足?で俺をひっつかんで飛んでここまでやって来た。
髪の毛がなびく後ろ姿を見上げて問いかけると、白い顔がこっちを見て怪しく笑う。ああ妖怪。
「良いところだ」
まったく信用できない。妖怪の、良いものがあるぞ、良いことをしてやろう、みたいなお誘いは大抵良いもんじゃないだろう。
「ちゃんと家に帰れるー?」
「もちろんさ」
今度はころころ笑った。
青嵐は律の護法神だったが契約が切れたため、ちょっとだけ危険度が増した。
本来の契約主『蝸牛』……律のおじいちゃんとの約束で、人を食らうことはないようだけど、俺も一応それに含まれるのかな。わからない。
どこともしれない山の中をさくさく歩く青嵐に手を引かれ、俺はついていくしかない。
もともと青嵐は格上で、俺がどうこうできる相手じゃない。逃げることはできるのかもしれないが、襲われない限りそれはしない。
開さんと一緒に本家に遊びにやってきた俺を見て、青嵐はちょっと不満そうな顔をした。そのくせすぐにあっと思いついたような顔をして、笑みを浮かべながら俺を連れ出した。まるで可愛がる子犬に餌を与えてやるような調子で。……つまり、犬の散歩と称して開さんから逃げたのである。
くれてやるものがあった、と餌をちらつかせたのは嘘じゃないようで、連れ出された先にいた青嵐の顔見知りの妖怪が小さな飾り物を持っていてもういらないそうなのでもらった。帯のはしっこにくくりつけると、丸い玉から出た色とりどりの紐がしゃらしゃらと揺れている。
細長い指がすいっとそれをつついて、俺を見た。
「なくすなよ」
「うん大事にする」
わあきれい、と思ったのは本当だ。
だから俺は理由はともあれ、くれたことに感謝して大事にしようと思った。
それから、どのくらい経っただろう。お空を飛びたーいとおねだりをした俺に、快く付き合ってくれた青嵐のたてがみにころんと寝転がってやわく梳く。
「そろそろ帰ろうよ」
「ん?」
後ろを眺めると、長いしっぽ……というか胴体がゆるゆると空を泳いでいる。
日は昏み、オレンジの色が遠い。俺たちは濃紺が多く占める方へと向かっていた。
「開さんは俺が帰らないと、帰らないしね」
少し残念そうな、そして苦虫をかみつぶしたような相槌がある。
「もう時間は潰したし、そろそろご飯だ」
「……開のために動く気がないとはな」
青嵐はぐるりと体を捻ったと思えば、方向を変えて家の方へ飛ぶ。
「何も命じられてない。そもそも、何を知りたいんだかわからないんだよな」
「とんだ式神だ」
「あの人が普段つれてるのとは違うんだよ俺は。かといって、尾黒や尾白みたいなんでもない」
「わしの名前さ」
「え?」
「開のやつが知りたいことだ」
さわさわ揺れる、たてがみが俺の頬をくすぐった。
風に混じって聞こえる声は遠いけど、それでもきちんと聞こえる。
青嵐のことかと聞いたら違うと笑われた。そうか、青嵐は主人がつけた名前か。俺の玉霰のように。
「───お前は主人と違ってかわいいやつだからな、特別にひとつ答えてやろう」
「へ?」
「なんでも聞いていい。ひとつだぞ」
この話の流れからして、俺にチャンスを与えているように聞こえた。
───でも相手は妖怪だ。
「じゃあ、家につくの何時になる?」
「しるか」
むぎゅっとたてがみを掴んでよじ登り、頭に近いところに顎を乗せた。
ふすんっと息をついた青嵐は、そっけない返事をしながらも美しく旋回してみせた。
あそこで名前なんて聞いたら、その後丸呑みされる未来しか見えねえ。
開さんは青嵐を、強いだのなんだの言って褒めて、危険視だってしてるくせに、なぜこんな事態になるのか。
「みじゅくものめ……」
異界にほっぽりだされた俺は、一人呟いた。
どちん、と床みたいなところを叩いたが何の感触だかわからない。ここはまっくらだ。
少なくとも俺は丸呑みを免れたはずで、だからここは青嵐の胃袋ではないことは確かだ。多分あれに喰われたら消滅しているはずなので、意識もないだろう。
おそらく開さんを懲らしめる時に、俺が助けないよう、手を出さないよう、念のためどこかへ飛ばしたんだと思う。
やめとけって言ったのに手を出した開さんと、俺をほん投げ、主人に何かしたであろう青嵐の、どちらに恨みを申せばいいのだろう。
いやまずどうやって帰ればいいんだ。
異界では誰の匂いも感じない。
目を瞑って神経を研ぎ澄まし、異界を漂う妖怪を避けながら、知っているものを探すしかなかった。
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主人公は妖怪っていったり妖魔っていったりばらばらです。主人公的ニュアンスでは、妖怪っていってるときは『おばけ』って感じなんですけど、妖魔っていってるときは『やべえやつ』。妖怪は総称、妖魔はちょっと範囲が狭いイメージです……ただしフィーリングなのであまり気にしないでいただけたらと思います。
Feb 2018