Sakura-zensen


春を待つ 10

異界にほっぽり出された俺が一番に見つけやすいのは開さんであるはずなのに、どこにもいないみたいだ。
なんとか匂いをたどってついたのは、禍々しい気配のする場所だった。
そういえば開さんと一度来たところではないかと思い出す。相変わらずここは異界なので場所というわけではなく、ここにいる妖魔が、ということになるけど。
……なんだっけ、安原家だったかな。
青嵐を一度連れて来たのに、手伝ってくれなかったところだ。開さんが逃げて来たので、大丈夫かなあやめたほうがいいんじゃないかなあ、と思ったのを覚えている。

異界はどうも場所の繋がりが現世とはちがうので、この妖魔をどかせば俺の知ってる場所に出られるのではないかと思う。
ただしこの異界からの出方がわからないので、これが外に出るときに便乗して出ることにしよう。
その時まで俺は、忍び、耐え、息をひそめた。

律や晶ちゃんの気配が近づいて来た。
開さんを探してやってきたか、もしくは縁だろう。
俺がここにいると気づいてくれれば良いのだけど。いやでも、ここにいる存在が主張激しすぎて律や晶ちゃんには俺の声が届かないかもしれない。
どうしたもんかな。
これの退治にきたのだろうか。ちょっと刺激して出してくれれば俺も一緒に出て、俺が退治してあげるから……って通じないか。
みんな、俺が戦えることを知らない。

多分青嵐は俺を永遠に閉じ込めておく気はないだろう。
いや……妖魔なのでもしかしたら五十年くらい平気で閉じ込めるかもしれない。
それは、どうしよう、自信なくなって来た。
俺はここいつと心中?いや死なないから心中じゃない。とにかくずっとこのままなんてやだ。
せっかく律や晶ちゃんの気配が近くにあるのに。闇の底でのの字を書きながら機会を待った。
───ああ、名前を呼んでくれたらなあ。
それからどのくらい時が経っただろう、強い気配が近づいて来た。
多分律が青嵐を伴ってやってきたんだ。
慎重に、そばにいた妖魔に近づいて気配を薄くする。青嵐の気配に反応した妖魔は、すぐにあぶり出されて異界から出て行く。

外へ出た瞬間、とりあえず鬱憤を晴ら……いや、身の安全を確保だ。
視界がイマイチ定まらないので適当にぶちのめしたけど、だいじょーぶ、多分青嵐じゃない。どさくさに紛れて一発くらいやっていいかなっていう気がしなくもないんだけどな。いや、後が怖いからやめとこ。
「玉霰!」
開さんにつけられた名前を呼ばれて止まる。
ひとしきりぶん投げて何発か入れた後だったので、ふうふうと息を吐いて落ち着ける。
律とともに青嵐がちょっと引き気味に俺を見ていた。
俺が駆け寄っていくと、後ろの気配がぴくりと動く。俺は食って始末というのができないので、青嵐に食べてもらおう。そのくらいはやってくれるよね。
入れ違いに、青嵐が吹き抜けて行った。

「どこにいたんだ」
「えーと、異界?はいっちゃって、迷子になってた」
「開さんは」
「はぐれた。……やっぱり、帰って来てないか?」
青嵐がびゅんびゅん飛んで、妖怪に食らいついている様子を眺めながら答えた。
律も俺も、平然と見るようになってしまったなあ。
「離れよう」
来てくれたことは嬉しいが、一応青嵐が逃がしてしまったり、食い残された部分が意識を持って襲って来たら困るので律の手を引く。
「この場所で異界に入ったのか?」
「いや違う」
さくさく、と草をふむ音がした。
「なんとか知っている気配をたどってきた」
「知っている気配……やっぱりここには来たことがあったんだ」
「依頼でね。あの人一度、あれの退治に失敗してるんだ」
「……その時はどうしてた?」
繋いだ手をたどって律の顔を見る。
「木の上にいた。危ないからここで待ってるようにって言われてたし」
「そうだよなあ……」
がっかりしたような、納得したような顔をされた。
俺は戦力に数えられてないからな、えっへん。それで素直に待っていたわけだ。
いや俺だって一応、開さんに命の危機が迫ったら飛んで行くし、いざとなれば俺のことだって呼ぶだろうよ。……呼んでくれるよな?多分。
「───だから、俺を呼んでくれれば……」
「え?」
「青嵐じゃなくて、俺を使えばよかったんだ」
「あーうまかったわい、もっと早く来るんだった」
青嵐はおじさんの体で、うまかったと言いながら山道をひょいひょいおりてきた。
「……青嵐、開さんから聞いてたんだろう?」
律は車に戻ろうとするおじさんに問いかける。
「どうしてもっと早く来なかった?」
「生意気だからさ。あいつめ、わしと蝸牛のなれそめなんぞ調べようとしおって」
本当の名を教えろ、というのはわりと失礼にあたるらしい。
魔のつくものはそうなのかもしれない。いや、時には人でも、名前を知られると厄介なこともあるのだけど。
「……"青嵐"?知らなかったっけ」
「いや、もっと古い名前さ…」
切れ目から瞳がのぞいた。うわ妖怪。
「そうだ律、それはなかなか利口だから飼い主の居ぬ間に貰ってしまえ」
「え」
俺はぱかりと口を開けて絶句する。律も、は?と顔をしかめている。
「玉霰は開さんの式だろう」
「新しい名を付けたが、まことの主従契約なぞしとらん」
指摘されて初めて実感するけど、俺ってやっぱりゆるゆる式神だったんだなあ。
いや、いいんだ。開さんが俺を信用してないとかじゃなく、それだけ人の子だと思ってくれていることをわかってる。
「おまえにも、昔の名があるだろう?」
「あるよ」
唆すように笑った青嵐は先に車に乗り込んだ。
律は今まで思い至らなかったのか、人間だったころの名前を聞いてきたことがなかった。
「俺は人だったし、古い名がどうとかいまいちピンとこないんだけど」
「まあそうだよね」
「そもそも、名がなくても俺は開さんのもとにいるよ」
わかってくれるよね、人ってそういうものだもん。
名を呼ぶというのは大事だけど、それがどの名前だって俺は構わないのだ。呼称にこだわりはない。人であった頃の名であろうと、新しく付けた名であろうと、親しみを、願いを、気持ちを込めて呼んでくれるのなら。名なんて、そう大変なものではない。でも、古い名前を知っていること、新しい名を与えられたこと、その縁が妖怪や式神にとって鎖であり絆であるのなら。
「律には名を言わないでおく。それが主人への礼だ」
「いいと思う」
律は優しく微笑んだ。



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デフォルト名がまたしてもシャレ。
Feb 2018

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