春を待つ 11
おばあちゃんが倒れた時、椿の絵が描かれた箱を探しているみたいだったから私の部屋で見かけたものをもって本家へ行った。律に車で送ってもらおうと思ったから。けれど車はないって言うし、律は家の裏の雑木林で行方不明だった叔父の開さんを見つけてそれどころではない。
私にはその人が開さんには見えなくて、別の誰かだと思った。それなのに律はひどく衰弱した様子の男の体を支えようとしている。怖くて、触らない方がいいと言ったのに、私の言葉は聞いてもらえなかった。
開さんじゃないと思っていた私は、叔父だと思われてる男性が病院へ運ばれて行くのとは別でおばあちゃんのところへいった。
おばあちゃんの探し物を持って行くと、親戚がこぞってそれを手にしておばあちゃんに声をかける。持って来た箱を薄目で見たおばあちゃんは安堵したみたいに笑った。
開さんとは全く別人なのに親戚の誰も信じてくれない。やつれて面変わりしたとか、そういうのじゃないのに。
記憶が混乱しているみたいだし、口もきけないみたいだから会話して確かめることもできない。
律まで開さん本人だというし、私のことが怖いと言った。
「司ちゃん、司ちゃん?」
頼りのおじさんはよくわからないけど謹慎中っていわれて動けない。どうしたらいいのだろうと帰り道を歩いていると、いつのまにか私のコートを軽く掴んでいる子供がいた。
「……玉ちゃん」
もうだれも頼りにならない、と思っていた私は一筋の光を見つけた気がして、子供の小さな手を握って泣きそうになった。
玉ちゃんは開さんの式神で、正式な名前は玉霰という。
初めて会ったのはずいぶん前だけど、会うよりも前から本当は何度か顔を合わせていたらしい。飯嶋家の血縁は人には見えないものを見るけれど、その見える範囲が違う。律や開さんがよく見える方で、その次は多分晶ちゃん。私はむしろ見えない方なんだと思う。
玉ちゃんが見えたのは夜に鳥たちと酒盛りしていた席のことで、挨拶がしたいらしいからと紹介された。
「見えるかな、司ちゃん。玉霰がずっと挨拶したがってたんだけど」
「うん、かわいー……」
かわいらしい子供が鳥と律の間にお行儀よく座っている。
盃をおいてずいっと近寄って顔を眺めると、玉ちゃんはにこにこ笑った。
たくさん喋って、仲良くなって、次の日の朝にはもう見えなくなっていたのは残念だったけど、律に聞いたらここらへんにいるよと指をさされた。
それから見える時と見えないときがあって、次第に玉ちゃんはわざわざ姿を現したりするようになった。
時々ついていけない話をする鳥たちをよそに、玉ちゃんは比較的話が通じるタイプだった。晶ちゃんも会ったようで、玉ちゃんに洋服を着せたり、髪をゆったり、人形遊びみたいなことを年甲斐もなくしたのは楽しかった。そんな記憶が思い出される。
「うちまで送るよ」
私が手を握ってぎゅうっと力を込めると、反対の手でさすられた。
心配そうなまなざしは、子供の顔なのに老成したいろを映し出す。
「ありがと」
そのまま手を握って歩き出した玉ちゃんはいつのまにか身長が同じくらいの男の子の姿になっていた。
「え?」
「こっちのが良いでしょ」
「なんでよ」
思わずふふっと笑ってしまった。
鳥たちに習ったのか、玉ちゃんも人に化けられる様になったらしい。詰襟の制服姿はごくごく普通の男の子みたいで、確かに一緒に歩いていても人として違和感はないかも。
妖魔だけじゃなくて、不審者への牽制にはなると思うけど。
「手なんか繋いでたら、どう見られるのかな」
「ああそっか、ごめん。彼氏いるんだっけ」
あっけなく手ははなれていく。
小さい子供の姿の時は気にせず繋いでいたから、微妙な気分。姿が違うと繋げないっていうのも妙なものかも。
「いい、繋ごう」
「いいの?」
「うん」
今は、繋いでいたい気分だった。
「玉ちゃんは開さんに付き添ってなくていいの?」
「うん」
二つの影が足元に伸びている。そういえばいつもは影がないから、今は本当に誰からどう見ても人間なんだろうな。
玉ちゃんの人に化けた横顔を見ると、まだあどけなさを残した柔らかい輪郭をしていた。
「どうして?」
聞くと、色素の薄い瞳だけがこちらを向いて、眉はこまったように垂れる。
玉ちゃんは律やおじさんと一緒にいることが多いけど、本来は開さんの式神だ。
彼が行方不明になった時に一度同じくしてそうなったけれど、別のところに迷い込んでいただけらしく、自力で帰ってきた。
だから開さんの行方はわかっていなくて、ずっと心配しているんだろうと思ってた。今ようやく見つかったと言われているのに、主人のところへ行かないのはなぜなんだろう。
「あれは主人じゃない」
「……やっぱり。律に、!」
本家への道を引き返そうとした私を、繋いでいた手が引き止めた。
「言わないで良いよお」
「なんで、だってあの家にくるかもしれないんだよ?律やおばさんになにかあったら」
「なにもさせない」
手を繋がれたまま家までの道を歩き出されて、私もついていく。
「みんなが不安になるだろ」
「え……あ……」
私は思わず口を噤む。
玉ちゃんはふっと笑って、私の手を解いて背中をたたいた。
いつのまにか家の前についている。
「大丈夫だよ」
優しい声とともに、男の子はふわりと消えた。
帰ってしまったのか、姿を見えなくしたのか、どちらなのか私には判断ができなかったけれど、小さい声でお礼を言って一人で家に入った。
叔父と偽っている男は律に付き添ってもらいながらある家に電話をかけていた。通話履歴から番号を拝借して、家の電話でかけてみることにする。
電話に出たのは女性で佐々木千波さんというらしい。事情を話すと丁寧に質問に答えてくれた。
もとは何十年も住んでいなかった家らしく、電話がかかってきたこと自体に驚いたらしい。
佐々木さんの家を訪ねると、家にまつわる事情を話してくれた。
二ヶ月前に母を亡くし、遺品整理をしていたところにある新聞の切り抜きをみつけたそうだ。それは借金を苦にした男が妻子三人を殺して逃亡した事件。末娘だけが祖父母の家に泊まりにいっていたため助かった。それが佐々木さんの母だった。
佐々木さんは近々結婚することになり、その前に事件があったとこの家を更地にして売却しようと考えていて、家の整理にやってきた。ところが家に電話がかかってきて、男の声でもう直ぐ帰ると言われたので恐ろしくなったそうだ。
その男はもしかして、叔父のふりをしているあれではないのかと私は思う。
なぜなら、新聞の切り抜きの中、山野櫂という男の写真は今叔父を名乗っている人にそっくりなのだ。
生きていればもう八十近いそうだけれど、きっと何かがあるのだと思う。
彼女はおそらく、身内の過去を清算しにきたのだろう。勇気あるなあ、と思いながら立ち会うことにした。
家には妙な板張りがあるそうで、それをはがしてみる。ちょっと硬いところもあったけれど、随分古びていたのでなんとか下をみることができた。板の下は壁で、その壁には血の跡が広がっていた。
「血しぶきの染み……死体が埋まってるかと思ったけど」
佐々木さんの驚くような、ほっとしたような、けれど奇妙なものに困惑する声を後ろに聞いていると、玄関のドアが開く音がした。
「帰ったぞ!」
それから、男の声がした。
「えっ」
「あ」
その声を聞いた途端、血の染みから何かモヤのようなものが溢れた。
呆然としているうちに色濃くなったモヤはまた染み跡に戻っていく。
なんだったのだろうと、佐々木さんと二人で濃くなった染みを見てから玄関へ行くと環おばさんと開さんがなぜかこの家の玄関に来ていた。
そこにいたのはもう、山野櫂の顔をした男ではなく、間違いなく開さんだった。
next.
しれっと人間にも化けさせたかったマン。
だいたい中学生くらい、しょたの晩年。
April 2018