春を待つ 12
異界に迷い込んだ僕は、妖魔達の麻雀に加わった。こういうのは大抵永遠に抜け出さないことになるんだけど、妖魔達が蝸牛───おじいちゃんの名を出したので、戻ってくるのかもしれないと思い、参加してしまった。隣の席にはやつれた男がいて、もしかしてと思いながら様子を見ると開さんだった。
やっぱり、まだ異界にいたんだ。
どうしてだか司ちゃんには、開さんの中にいる何かの顔が見えているようだけど、僕にはあの時開さんの表面の顔しか見えていなかった。
司ちゃんのように、別人の顔をしているとまでは思えない。だからといって司ちゃんの言っていることを信じていないわけじゃなかった。
先ほど妖魔と交換して手に入れたメガネに気づいて手を伸ばす開さんは、視界が明瞭になった途端に我に返る。
「あっおまえ、律じゃないか!」
「開さん……」
僕はほっとして嬉しくなるが、名を呼ばれたことでおじいちゃんではないとバレてしまった。
「開さん思い出したなら一緒に帰ろう!今なら僕は道がわかるから」
「いや……でもこの勝負が終わるまでは」
「僕ももう少しいたいけど……」
なにせおじいちゃんが戻ってくるかもしれないのだ。
それでも今この混乱に乗じて逃げなければ、次にいつ機会が巡ってくるかはわからない。
「わしが代わろう、そこをどけ」
とん、と卓に手をついたのはお父さんの手だった。
青嵐は異界の出入りが自由だから、おそらく僕がここにいるとわかってきたのだろう。
「麻雀できるの?……ってゆーかおまえ……」
「うるさいわいさっさと行かんか!」
ああもう、と思いながら開さんの手を引く。
おじいちゃんとの勝負は譲ってやるしかないか、悔しいけれど。
「二人抜けたら一人足りなくなるではないか」
「これで足りるだろ?ほら切れ」
妖魔の残念そうな声に、凛とした声が差し込まれた。えっと思いもう一度振り向けば、長い髪を垂らした着物の幼い子供の後ろ姿がある。
「……玉霰?」
開さんもすぐにはっとして、戻ろうとする。
僕は反射的にダメだと引き止めた。
「律、玉霰が」
「……大丈夫、青嵐もいる」
めちゃくちゃ信用できないけど!!!と青くなりながらも開さんを言いくるめて走った。
本当は置いていきたくなかった。青嵐はもともとあちら側のいきものだけど、玉霰はちがう。それに一度異界に放り出されて迷子になっていたこともある。
今回は青嵐にしがみついてでも戻ってきてくれることを祈るしかなかった。
開さんも僕も無事に戻ってこられて、次の日おばあちゃんの病室へ行くとお礼参りを頼まれた。夢でおじいちゃんに言われたそうなのだ。
それならば絶対行かないとだめだろうと思い、お使いに出ると司ちゃんと出会った。
おばあちゃんがわざわざ別で司ちゃんに頼むだろうかと思ったけれど、司ちゃんも同じように思っていたらしく落ち込んでいた。
開さんを見て別人だと言っていたのは彼女一人だったから、それがおばあちゃんの耳に入って嫌われたのかも、ということだ。
環おばさんがきつい言い方をするからそれを気にしているのだろう。
「みんなそれぞれ自分が一番力弱い存在で、一番恐怖を抱えていると思ってる」
司ちゃんを諭すつもりはないし、僕もものの見え方については詳しくはわからない。でもだからこそ、それは個性なのだと思うとおじいちゃんがいいそうなことを答えた。
───司ちゃん、知ってる?玉霰の髪は桜のような色をしているんだよ。
晶ちゃんと司ちゃんは、しなやかな長髪を楽しそうに結っていたけれど、色について何も言っていなかった。だからおそらく黒い髪の毛に見えるのだろう。
淡雪のような肌も、翡翠のような瞳も、きっと気づいていない。
時々怖いくらいにうつくしい、魂を奪われてしまいそうな妖の姿を見ているのは僕だけだ。
開さんにはどう見えているのか確かめていないけれど、僕は誰にもそのことを言わないでおく。
玉霰の本当の色はどれなのかは知りたくない。僕が見ているものは、僕だけのもので、綺麗だと感じているそれをこぼすのは勿体無く思えた。それになんだか、いつも見惚れているみたいになってしまうから。
だから僕は自分の目にするものを正しくないのかもしれないと思いながらも、ただひとつの信じられるものとして、口には出さない。
うたた寝をする司ちゃんに背を向けて、僕も少しだけ休むふりをした。
おばあちゃんのお礼参りで奉納したのは庭で一番高い松の木だ。
身代わりになってくれてありがとう、と心の中で礼を言い壊れた柵が直れされているのも目にした。ただ柵の破れからちょっと溢れたのがいる。うちにも見ないのが何匹かいて、こちらの様子を伺っていた。
「ふん。大した奴じゃないさ」
僕がぼやくと、青嵐が雑木林から現れた。異界で別れたきりだったので、久しぶりに顔を見た。
「あれじゃ夜食程度にもなりそうにないな」
「あ、おかえり。……えーと麻雀は楽しかった?」
「あんなもんわしにはさっぱり訳がわからんわ」
かったるそうに家に向かって歩いて行く青嵐に、じゃあまたよろしくと声をかけると龍の姿をとって家にいた妖魔を数匹捕まえた。
玉霰の姿はないけれど、開さんのところへ帰ったのだろう。
数日後おばあちゃんは退院し、開さんも環おばさんの家に戻ったと聞く。
おばあちゃんが教室にも顔を出すようになってしばらくして、環おばさんと開さん、斐おばさん、覚おじさんがおばあちゃんに会いにやってきた。
二十数年行方不明だった後、不動産でアルバイトをしていた叔父はまたしても行方不明になったことで、当然職を失った。環おばさんはもう真っ当に働くのは無理なのだから、結婚しなさいと言い出す始末だ。
そういう会話が広げられている部屋を、お父さんは少し離れたところから様子見して聞き耳を立てている。そっと後ろに歩み寄り、開さんに挨拶してくればと声をかけると何か言い訳をしながら逃げようとした。
「おまえが犯人だってわかってるよ。今に開さんの記憶戻ったらどうなるかな」
青嵐にそうまでさせたのは開さんだと思いながらも、ちくりと刺す。
だって、そうでなければ、玉霰もさすがに黙っていない。
異界に閉じ込められた後の憂さ晴らしはすごかったけど、それゆえに、標的が青嵐に向けられなかったことが何よりの証拠だ。
……そんな、玉霰をまたしても異界に置いてくるような奴だとは思わなかったけど。
「律」
廊下にいた僕を見つけた開さんが一人で歩いてくる。どの式も彼の周囲にはない。
開さんが今日顔を出した瞬間から、誰もいないのだと気づいていた。
お父さんに礼を言いたいという開さんに、寝てしまったと答えると残念そうにされる。長く異界にいたので記憶が混濁していて、青嵐に深入りしすぎてやられたことは忘れているのだろう。それでも会わないでいられるなら会わないでいてほしい。
「そうだ律、玉霰こっちに帰ってない?」
「ううん」
「俺がいない時こっちにいたんだろう?」
「いたけど……今はいないよ」
僕は肩をすくめて開さんを見た。
心配だけど、前のこともあるし、また開さんのところへ戻って来られる確率は高い。
「そのうち、帰ってくるんじゃないかな」
「ああ……」
「だからそれまで、うちには来ない方がいいよ。今護法神一匹もいないよね」
最後は声を潜めて告げた。
そんな状態でうちにいては何があるかわかったものではない。
でもまさか、それをおばあちゃんに聞かれて叱られることになるとは思ってなかった。
next.
そういえば開さんの目に主人公がどう映ってるのかは決めてません。
あの青岩神社に司ちゃんと行くところは、白昼夢だっけそうじゃないんだっけって迷いました。現実……ですよね?
April 2018