春を告げる 02
その日は朝から変なものが見えて、気分が悪かった。目を擦っても視界の様子は変わらない。町中で、虫みたいなのが人や物に群がっている。くそ、と思いながら足をすすめている最中、視界に鮮やかな色が映り込んで、視線を奪われた。
ピンクの髪の毛をした目立つ風貌の男で、あっちも俺を見てた。
虫が、あいつの周りには群がっていない。どうしてだろうと思って見つめ合っていると昨日鳩を殺してた奴らが話しかけて来て、俺は思わずそっちに視線を向けた。あの男とは真反対に、すげえ数の虫に群がられてて、なんで気づいていないのか分からないくらいだ。
っつうか、あいつから虫が出てるようにすら見える。
押さえつけられて、髪の毛を切られるところだった。咄嗟に怒鳴りながら威嚇すると、視界が青く染まる。なんだこれ、と思っていたら俺の身体から青い炎が出ていた。
茫然としている俺に、絡んで来た鳩殺しは急に態度を変える。意味がわかんねえ。
向こうから足音と一緒にジジイの声が聞こえて来る。多分お祈りってやつなんだろうけど、意味が分からず聞き流していた。そんな時、俺の後ろから風を切るような音が聞こえた。あっと声を上げる暇もなく、誰かが勢い良く鳩殺しの頭を踏ん付ける。
ジジイもその誰かも、「あ」と間抜けな声を出しているし、俺も言いたい所だったけど声は出ない。
「おま……、何やってんだあ?」
「ごめんごめん、どうぞ、続けて?」
ジジイの知り合いなんだろう、さっき見かけたピンクの髪をした男は、遠慮なく人の頭を踏ん付け続けていた。
急に悪魔を見るようになって、自分の出生を聞かされ、家を出て行けと言われ、俺は戸惑ってたし怒りも沸いて来た。普段から人間じゃねえとか言われてても、どこかでそんな訳ねえだろって高をくくってた。でもやっぱり俺は人間じゃなかったし、ジジイには見放されると思った。
父親面すんなって、本心じゃなかったのに、言いたくて仕方なかった。強がる言葉がこれしか出て来なかったんだ。
自分が情けなくて、思えばこの言葉がきっかけだった。
俺の所為で身体がぼろぼろになったジジイを見下ろす。涙で視界が滲んで行くのすら、みっともないと思った。
俺は自分のしたことを見つめていないといけない。
ジジイを殺す振りをして助けたっぽい、ピンクの男は汗水たらしながら、人間業じゃないみたいな早さで治療をしていた。散々喧嘩して雪男に治療されてるからわかる。この治りの早さはおかしい。
「大丈夫」
優しい声が聞こえた。
ふとその声の主を捜すと、治療に専念し続けてこっちを見なかった奴で、翠の瞳で俺を見ていた。多分、俺があんまりにも情けない顔をしていたからだろう。手も、口も声も息すんのも震えていた。
「絶対助ける」
長い前髪をどけて見えた額にはなんか変なしるしがあったのに、絶対助けるって言った瞬間にすっと消えて行く。
よくわかんないまま、俺は頷いた。
父さんって呟いた声を聞かれていたのは恥ずかしかったけど、多分こうやっていわれなかったら目を覚ました時にもう一度呼ぶ勇気はなかっただろうし、ジジイがなにをしようとしてたのかも、知る事はできなかった。
「燐、ほら、呼吸戻ったろ」
「……」
涙をぐしぐしと拭って、胸が上下しているジジイの姿を見た。
ほっとしすぎて、なに言ったらいいのかわからない。
「り、……」
うっすらと目を開けたジジイが、燐と呼ぼうとする。さっきまで穴と言う穴から血が出ていて、身体も変形していたくらいなのに、大分ましになってるのが信じられない。
「わりいな……」
「いや、こっちこそごめん、獅郎さん。咄嗟だったから、多分一週間くらい動けないと思う」
「ああ、いい」
掠れた声で男の名前も呼んでるみたいだけど、聞こえなかった。
「もう乗っ取られないでくれよ?次はハッタリきかないだろうし」
「おう」
「一命は取り留めたけどまだ全然だからな、救急車にする?騎士團のほうがいい?」
「お前の判断に任せる……あーわるい、燐のこと……」
「わかったわかった」
ジジイと男は言葉少なく会話をしていた。
保護してくれるって言ってたのは、コイツだったのか?
「おれ、は」
「まあとりあえず、俺と一緒に居なさい」
恐る恐る投げかけると、男は俺の頭をぽんぽん叩いた。
「とりあえず、救急車呼んで任せちゃお」
携帯を操作して素早く救急車を呼ぶのをぼさっとしながら眺め、サイレンの音が聞こえるまで俺はジジイと男の傍に居た。しっぽはしまっとけよ、と言い残して出ていった男は救急隊を家の中に先導して、てきとうに作った原因とジジイの容態を告げて一緒に部屋を出て行く。俺の腕をしっかり掴んで放さないので、ジジイが救急車の中に入って行くのを一緒に見ている。
「ええと、付き添いは」
「子供が動揺しているので、後でうかがいます」
「はい……ではご連絡先を……」
「ええ」
隊員と男のやりとりを聞き流した。子供扱いされても、抵抗する気もおきない。
救急車が見えなくなると、男はそういえばと口を開く。
「俺は」
「……?」
「うん、覚えてないかなあ、燐と雪男がちっこいころは、ちょこちょこ顔出してたんだけど」
「はこんなピンクの頭してなかった」
「あの頃は染めてたんですう」
「はあ!?今が染めてるんじゃねえのかよ」
「残念ながら地毛」
はずっと昔、俺が子供だったころに修道院にちょくちょく泊まりに来てた奴だ。おっさんばっかりの修道院では一番歳が近くて、近所の子供よりは大人で、俺も雪男も時々くるに遊んでもらってたのを覚えてる。
いつも皆が揃うリビングに、まるでちょっと買い物に行って来るみたいに書き置きしたは、渡された俺のバッグだけを持って修道院を出た。
それから何分歩いたか忘れたけど、さっきまであった事が嘘みたいにてきとうな会話をして、気がついたらの家に入れてもらってた。
「つかれたろ、寝る?」
「たしかに疲れたけど、眠くはねえよ…………腹減った」
寝室に案内されたのでとりあえずベッドに座っていたが、は小さく笑ってから急に頭を抑えた。二日酔いのときのジジイみたいだ。
「あー、家になんかあったっけ」
「何か……買ってくるか?」
「冷蔵庫に一応食材があるような無いような」
「なんかあんなら、作るけど」
「あ、じゃあ、好きにしていいよ。最悪カップ麺あるから、それ食って」
「は?」
「寝る」
「───」
俺を横切り、はどさりとベッドに倒れ込んだ。
元々色白だとは思ってたけど、青白い顔をしてるような気がするし、あんまり覚えてないけど今が昼過ぎってことはがジジイを治していた時間は長かった筈だ。
「おい、ちゃんとベッド入れよ」
「ん」
眉を顰めたまま、辛そうに寝息を立て始めるを揺さぶる。更に苦しそうにするばっかりで、なんか悪い気がして来た。でも上半身しかベッドに乗ってないから、俺はなんとか足を持ち上げてベッドに投げた。
さっき俺に寝る事をすすめたくせにここで寝るってことは、俺が寝てたら一緒に寝る事になってたのかもしれない。
腹へっててよかった、と思いながら勝手に寝室を出てリビングに向かった。
飯を食った後、リビングにはでっかいクッションがあったから、そこに身体を預けてうとうとしていた。
日が暮れて、そろそろジジイのことが気になったしあいつも起きただろうから、寝室まで行ってみる。ドアの前で足をとめて、一応ノックした方がいいんだよなと考えてる所で急にドアが開いた。
「おはよう燐」
「はよ」
「獅郎さんの搬送先聞いたから行く?」
「行ってもいいのか?」
「うん、まあ、どうせずっと家に隠してられる訳じゃないし。結局獅郎さんの傍に居るのが一番だしな」
は後頭部をぽんぽん叩いて俺に歩けとせっついた。
病院まではタクシーで向かう。行き先を告げるなり、はまたうとうとしだして、五分もしないうちに眠り始めた。
「おい、?」
「んー」
俺の肩に預けられた頭をみおろす。意識はあるようだけど返事をするわりには、言葉になってない。
ついたら起きるだろうからいいか。
「お兄さんお疲れなんですねえ」
「お、おう」
タクシーの運転士がミラー越しにこっちをみて、くしゃりと目を細めた。
は病院につくなりすっと俺の肩から頭をどけて起き上がる。寝てなかったんじゃねえのってくらいタイミングもよくて、俺は起こそうとした手を持ち上げたまま固まる。
「ん?」
「ちげえよ」
繋ぐのか?と言いたげな顔で手を差し出されたけど、俺はその手を軽く叩いた。
は小さく笑ってから金を払って領収書までもらっている。「正十字騎士團って書いてください」とか言ってるから気づいたけど、そういえばコイツもエクソシストってやつなのか。
「あ、雪男……」
ジジイの居る病室の前で、雪男に鉢合わせた。
「さん……ご無沙汰してます」
「久しぶり」
「え、お前これがだってわかんのかよ」
俺をちらっと見てからすぐ、に軽く頭をさげた雪男に驚く。
「まあね。……さんが神父さんの治療をしてくださったと伺いました」
「大した事してないよ」
「いえ、───本当にありがとうございます」
雪男は頭を深く下げたから、首の後ろまで見えた。
next.
この後メフィストが獅郎の病室に来て、燐が祓魔師になるって言い張って、俺の親父はジジイだけだ……!って獅郎さんの前で言ってほしいです。墓の前でなんて言わせません……。獅郎さんじーんとしてるし、主人公もほっこりしてる。
June 2016 S