春を告げる 07
彼は祓魔屋によく買い物にくるお客さんの一人だった。ピンク色をした髪の毛に最初は驚いたけれど、おばあちゃんのお庭の手入れを手伝ってくれていた時、緑の中に居るその人は柔らかく光って見えて、とても綺麗だった。「おばあちゃん、くんの髪の毛綺麗ね」
「そうだねえ」
私たちが木陰で休憩している間も、くんは太陽の下で土いじりをしていた。
その様子を見ながらおばあちゃんにこっそり言うと、目尻に皺を寄せて笑う。
「どうしたの?」
「あのね、くんの髪の毛がとても綺麗だって思ったの」
くんや一緒に居る人は彼の髪をピンクと言うけれど、桜色だよねと二人だけで話し合っていると彼がひょっこりとこちらに顔をだした。
翡翠の瞳が見開かれ、きょとんとしてからその目を細めて笑う。
うっとりするほど綺麗な色が私は大好きだった。
大学に通いながら祓魔師のお仕事をしていると聞いていたけれど、数年後には実習や試験があるからと来られなくなった。お医者さんになりたいと言っていたのは聞いていたけれど、実際にお医者さんになるためにどれほど大変なのかは知らなかった。
久々に顔を出した時には、もうお医者さんになっていたから余計に。
うんと大人になった気がして、私は彼を春野先生と呼ぶようになった。本人は別に良いのにと困った顔をしていたけれど、お母さんもおばあちゃんも春野先生と呼んでいたからそう呼ぶのを変えなかった。
私はよくわからなかったけど、彼は段々と簡単に会える人ではなくなっていた。
足が動かなくなってからはお医者さんに診てもらったけれど、それが春野先生じゃないのが寂しかった。
「春野先生は?」
「おや、主治医の先生がいるのかい?」
お母さんとはあまり口を聞きたくなかったけれど、どうして春野先生を呼んでくれないのかと、お医者さんの後ろに居るお母さんをみやる。けれど困ったような、怒ったような顔をして「やすやすと呼べる人じゃないんだよ」と叱られた。春野先生に甘えてしまうだろう私に、意地悪をしているのだと思った。
お医者さんはとくに外傷もないし、神経や筋肉がおかしなところはないと言って帰って行った。
程なくして、私の足が動かないのは悪魔が原因だとわかった。雪ちゃんと燐が治してくれて、お母さんとも仲直りが出来た。おばあちゃんとの約束を守るためにも、私はもう少し外の世界に出て頑張ろうと思ったから祓魔塾に通ってみようと、雪ちゃんにお願いをした。
けれどやる気になったからといってすぐに変われるわけでもなくて、まだ燐と雪ちゃん以外とは上手くしゃべれていない。
「春野サクラです」
女の子のお友達が欲しい、できれば神木さんと朴さんとって思っていた矢先に新しい塾生が入って来た。
先生と同じ苗字だ、とこっそり心の中で思う。
私と反対側、燐の隣にあっさり着席したことには驚いたけれど、まずは自己紹介しなくちゃっていう気持ちが大きくて、震える声でなんとか名前を絞り出した。春野先生と同じように、しえみちゃんと呼んでくれたのが嬉しくて、私は勇気を振り絞ってサクラちゃんと呼んでみる。案の定サクラちゃんはにこっと笑って頷いてくれた。
そういえば、翡翠の瞳もそっくりなんだなあと黒い艶やかな髪の毛の隙間に見えるつぶらなそれをこっそりと見た。
次の授業からは「やっぱり狭い」という理由で他の所に移ってしまったけれど、私が一人で居た時にはたまに近寄ってきてくれるから、サクラちゃんの瞳の色にも気づく機会はあった。
けれど、薮から棒に春野先生のことを知っているかと問うことはできなかった。
桜色の髪の毛はないけれど、その名前。
春野という苗字。
翡翠の瞳。
笑顔や呼び方、接し方。
色々なことから春野先生とサクラちゃんを重ねてしまう。サクラちゃんともお友達になりたいのに、サクラちゃんはなんだかお友達というよりもお姉さんみたいな……ううん、お兄さんみたいな感じがしていた。悪い意味じゃないのだけど、お友達じゃない。
まず神木さんや朴さんにお友達になってと言うことから始めようと、サクラちゃんからは目をそらした。
それにサクラちゃんにお友達になってもらえたら、それだけで満足して甘えてしまう気がした。
結局サクラちゃんは、候補生認定試験の為に潜んでいた春野先生の変装で、私はお友達を作るのにも失敗してしまった。
医務室に運ばれている最中、いつもこっそり眺めていた翡翠の瞳を見つめる。
「どうした?」
あまりにも目をやってしまっていたから、春野先生は気づいたようで私を見つめ返す。
「ずっと、サクラちゃんにお友達になってって言いたくて、言えなかったの」
「俺に似てたから?」
いたずらっぽい目線がふりそそぐ。
私は小さく頷いた。
「いいじゃん、言ってみれば良かったのに」
「言ったら、お友達になってくれてた?」
「もちろん」
ゆっくりとベッドにおろされる間、瞳を伏せられたので翡翠を待ち望み瞼を眺めた。
ちらりとこっちを見た瞳に安心する。
「でも、この試験が終わったらおしまいだったんでしょう?」
「そりゃ……試験が終わったらサクラちゃんは居なくなるけど、俺達もともとお友達じゃん」
「え……?」
私は治療をされながらぽかんとしてしまった。
「新しく出来た友達の人数は減っちゃうけど、絶交じゃないし。いや、まあ隠しててゴメンネ」
「わ、私たち、お、お友達!?」
「こんなに年上のお友達はイヤ?」
「ううん!嬉しい……!」
「そーかそーか」
よしよし、と頭を撫でられて、目を瞑る。
春野先生はお友達じゃないって思ってたけど、実際にお友達だって言われるととても嬉しかった。
「さ、ちょっと眠ろうか」
「うん……」
とろりと瞼がとけてくる感覚がして、私は春野先生に支えられながら横になって眠る。
人の気配が少しだけ増えて、みんなの声が聞こえるなって思いながら目を覚ますと春野先生はいなかったけど、塾の皆の姿がそこにあった。
「せや、杜山さんって春野さんのこと、春野先生って呼んではったけど、お知り合いなんですか?」
「うん。祓魔屋にお客さんとして来ていたし、お医者さんの免許を取ったころからは何かあると春野先生に診てもらってたから」
「あの人、ホンマに医者なんやなあ」
三輪くんに続いて、志摩くんがへえと納得した顔をする。
「ピンクの髪とかコイツと同じでチャラチャラしとるようにしか見えへんけどな」
「は、春野先生の髪の毛は地毛っていってたよ!それに、先生はとっても綺麗な桜色で……」
「スマン、わかっとる……治療してもろたしな。これは志摩の所為や」
「えっ坊ちょっとヒドすぎません!?杜山さんもしれっと俺の髪の毛下げてへん?」
春野先生の仕事は終わってしまったので、結局サクラちゃんとは会えなくなってしまった。次の日は、いつも笑顔で挨拶をしてくれるサクラちゃんが塾に居ないのが寂しいなって思ったけどやっぱりサクラちゃんの存在に頼ってちゃだめだから、頬を叩いて気合いを入れた。
全員候補生にランクアップして、もんじゃをごちそうになることになったけど、やっぱりサクラちゃんも春野先生も来ていなかった。
候補生の為の打ち上げなので、仕方ないかもしれないけど。
「明日の塾のことですが」
それから数日後、雪ちゃんが授業の終わりにぐるりと教室を見渡して口を開いた。
「一部授業内容を変更して、競技場で演武が行われますので見学をしていただきます」
「演武?」
神木さんが訝しげに訪ねると、雪ちゃんは持っていた教科書類をとんとんと整えながら小さく頷く。
「実際のところ、ただの組手です。腕のある祓魔師同士が戦うので、それを見て今後の参考にしてください」
「悪魔と戦う演習じゃないんですか?」
「はい。悪魔と戦うのを見るのも大事ですが、二人の身のこなしを見るのも、君たちには実りあるものだ思います」
勝呂くんの純粋な問いに、雪ちゃんは答える。
「───それと、二人ともその辺の悪魔より強いです」
そういって、雪ちゃんは教室を出て行ってしまった。
明日戦う二人って誰だろう、と話題にしていたけれど次の日競技場に行く前に、雪ちゃんは聖騎士と春野先生が戦うと説明してくれた。聖騎士の藤本さんも何度かうちのお店に来た事があったし、雪ちゃんと燐の育ての親というのは聞いている。
「パ、聖騎士がどうして急に候補生に戦い方見せてくれるんですか?」
「聖騎士は少し前に大怪我を負いまして、その為しばらく療養していたので復帰する前に勘を取り戻したいそうです」
「相手は春野先生でええんですか?」
聖騎士がどれほど強いのか、実際に目の当たりにはしたことがないけれど、階級の凄さは知っている。春野先生は医工騎士だと聞いたし、細身の体格だから私も驚いた。
「春野先生は医工騎士の称号を持ってますが、もちろん他にも持っています」
雪ちゃんが眼鏡の位置を正しながら口を開く。
「ああ見えて人間離れした怪力と身のこなしで、白兵戦のスペシャリストでもあります。とても綺麗に戦いますので、皆さんも是非、聖騎士の戦い方だけでなく相手をする春野さんにも注目してください」
───そう、雪ちゃんが言ったとおり、春野先生の身のこなしはすごかった。
私は今までまともに人が戦ってる所を見た事はなかったけど、自分の想像を超えた二人の動きは凄い事だというのは理解してた。
「なんで、あの人武器持たんの?」
「さんは基本素手で戦うので」
「は?」
「もちろん暗器や飛び道具など所持していますけど、滅多に出しません。拳です」
「え……えーと、でも悪魔討伐の時はなに使てんです?銃か剣?」
「いえ、拳です」
「は?」
二人の戦いから目をそらさないでいたいのに、皆は何度か雪ちゃんの言葉に反応してそっちを見てしまった。
next.
しえみちゃんと顔見知りってほのめかしたので。
Oct 2016