春の伝承 01
「死んだらあの世に帰れんのかなあ」「───その口ぶり、まるで黄泉から来たかのようだな」
真夜中の、小さな月が遠くで光るだけの明かりしかない、閑静な町中。真っ黒にたゆたう川の水面を眺めて呟いた俺は、柳についてた自分の手のそばへ少し大きめの手が置かれたことに、声をかけられるまで気づかなかった。
神やら仏やら、歴戦の猛者ならいざ知らず、若い風態の人間の気配を感じられないはずがない。
わずかに笑いの混じる声を出して話しかけてきたそれは、絶対に人間じゃない確信があった。
そんなことされたら、背筋がゾッとする。
「鬼?」
口からついて出た言葉に、間近にあった人ならざる瞳はにんまりと細められた。
縦に切れたような瞳孔はまるで猫だけど、獣が混じった人間とは言い難い雰囲気。
至近距離で、まるで俺を口説くように側に立つ柳に手をついた男はさっきの動作を肯定の代わりにしたらしい。
言っといてなんだけど、俺の知ってる鬼と、なんかちょっと違う。
でも俺の知ってる鬼から、少し話を聞いていた。
現世で、鬼になった人間が色々とやらかしているらしい、と。
「お前は何者だ?───人間、ではないな」
笑みをひそめた男は俺に問う。
あまりの近さにたじろいだけど、逃がしてくれるはずもなく、むしろ両腕を掴まれて柳に押し付けられた。
「手を千切ろうにも、力が入らぬ」
は、はわーっ、そんな物騒な事態に陥ってたとはな。
しかしこの人、言葉通り俺の手を掴む強さは弱々しい。なんというか、戯れのようなレベル。
人の男としても弱いくらいで、俺はちょっと色っぽく誘われてるのかと思ったくらいだ。だから逆に様子を見ようと逃げずにいたんだけど。
「ええと、じゃあ放してもらいますね」
ちょっとの力で、たやすく手はひっこぬけた。
「待て、問いに答えろ……!」
「いやあ、あの世から少し様子を見に来たら、迷っちゃって」
めちゃくちゃ追いかけられているし、触れれば力が弱まるといっても触れてなければ速度は尋常じゃなく、攻防戦が始まった。まあ、ギリギリ見切れるのと勘で避けるのと、あとは当たるが威力が大したことないってのでまったく無傷だ。
「あんまり現世で騒いだらいけないと思うんですよーぼく」
「ならば大人しく私に捕えられろ」
ええーい、どうせどっちも人外だって察してるんだからいいや!とある程度答えてみたけどもしかして興味深いだけか?追撃がやまない。
普通の道端を走るのは目撃者も出そうで気が引けたので屋根の上に飛び乗って走ってみる。
平屋の家屋の多い時代で助かった。
この世に発生する鬼と、それを倒さんとする鬼殺隊なるものを探るために現代へ来て、帰れなくなって途方に来れてたところ、元凶にあっさり目をつけられるとは思わなかった。
あの雰囲気からすると親玉っぽい。もしかしたら噂に聞いていた『鬼舞辻無惨』かもしれない。
人目につかないように、とは言っても十分騒いでいたので人は起き出してきそうだ。
一刻も早く俺はこの場から離れ、奴をひとところに留めてはいけない。
「どこへ逃げようと無駄だぞ」
「そうかな?でもどうやって俺を捕まえるんだ?その貧弱な体で」
しばらく走り回って移動したところで、お互い息も切らしてなかった。不毛な鬼ごっこである。
人の少ない方を選ぼうにも広い町中で出会ってしまったので、人の気配は一向に薄まらない。
「私が、貧弱だと……?」
鬼舞辻は俺の安い挑発に、ぴくりと形の良い眉を歪める。
平安時代頃、体の弱い人間であった鬼舞辻は、彼を看ていた医者の善意によって調合された薬で今の体質に変わったとされている。
短命であることと病床生活にしびれを切らした鬼舞辻は、医者を殺した。
その後、自身の体質に気づくことになる。
強靭な肉体は願っても見なかったことだし、人を食いたくなる欲望には罪悪感を抱いていなかった。けれど、日の光を浴びたら死ぬであろうことは、唯一解せないことだったろう。
怒りポイントと俺を追いかけてくるなんとなくの理由で、鬼舞辻の性格をちょっと把握した気がする。非常に短気、うぬぼれやさん、多分、いや絶対しつこい。
「大人しくついて来れば手厚く扱ってやろうと思っていたが───私を蔑めたことを後悔させてやる」
やだ怒らせちゃった、失敗失敗。
正直会った瞬間から自分の発言には後悔してるんだけどな。
激昂した鬼舞辻とやりあうのに、人のいない河原を選んだけど、そこに向かってくる人の気配も存在する。
そうっと耳をすませると焦るような声や武器を持つ特有の音が聞こえた。すごい速さでこちらに向かってくるところからして、鬼殺隊だろう。
「───鬼だ!」
「誰か戦ってるぞ!」
「速い……っ、おい、応援を呼べ!!」
駆けつけて来たのは五人くらいだろうけれど、俺たちの戦いぶりを見てすぐさま幾人かが応援要請をしている。
そして幾人かが俺たちの間に入って来てくれたが、一瞬にして地に落ちた。
「危ないから止めるな!!」
かろうじて息のある方へ声をかけて、庇うようにして鬼舞辻の攻撃を叩き返した。
「あんた、鬼殺隊……か?」
「いやちがう」
怪我の様子を見るために軽く起こすと、若い男は頭から流れた血で片目をつむりながらも、必死で俺を視界にとらえようとした。
ひたいから目にかけての血を拭い髪をかき分けてやると、男ははっとしたように両目を開いた。
「あれは、鬼なんだ、逃げろ……」
「鬼」
「鬼を斬れる刀───日輪刀もないのだろう?……鬼は、あれでないと」
俺は基本的に素手で応戦していたし、一応刀は持たされていたけどそれはごくごく普通の刀なので、おそらく鬼は斬れない。
「うーんでも、あれは俺を狙ってるんだよな」
「あんたを……?」
他の隊士たちが鬼舞辻に立ち向かっているのを横目に軽い手当を施す。
体を強く地面に打ち付けているため内臓が色々と心配だ。ここでは大した処置もできない。
怪我の具合、応援に来た人数の減らされよう、鬼舞辻の戦いぶりを確認した。
「このままだと全滅だな……」
次々やられる他の隊士たちがかわいそうで、しかも半分くらい俺の責任なところもあるので、参戦することにした。本当は手っ取り早く逃げてしまった方が良いと思うんだけど。
「あんた何者なんだ……」
「俺は桃太郎」
いや名前じゃなくて……と背後でツッコミが入ったけど放置して地を蹴った。
そうかそうか、鬼退治といったら桃太郎で通じるかなって思ったけど。
ここはまだ桃太郎の伝承が存在してない時代だったんだ。
あちゃー単なる名前を名乗った人みたいだな。いや伝承になっていたとして、桃太郎と名乗られたってツッコミたくなるか。
「桃太郎か、ようやく名前が知れたな」
やだ熱烈。鬼舞辻が嬉々として俺に向かってきた。
借りた刀を振るいながら応戦するけど、鬼はこの刀で首を落とさないとダメなのできりがない。
あちらもそれをわかっているので首は死守してるし、俺の目論見は首を落とすことではなくてこの場を切り抜けることだ。
「どうやら、私を殺せないようだな、桃太郎」
何時間も打ち合っていれば俺が首を落としに来ないことに気がついたらしい。
あの世の人間だから現世にあまり関与しちゃいけない。ここで乱闘を繰り広げてるのだって本当はダメだけども。
「今日は引く気ない?」
「まさか。次いつ相見えるかわからぬ相手だ。必ずお前を捕える」
その通り、俺はこの世にいつでもいるわけじゃないしこの戦いが終わり次第あの世に帰る気満々である。
「───でも、いいのか?朝が来るよ」
最大の弱点である夜明けの気配に、鬼舞辻の表情は変わる。
もうどんだけ打ち合ったと思ってんのよもう。子供みたいに全力で遊びまわってくれちゃって、老体……いや死んでるので肉体関係ないんだが、つまりなんだ、気力が足りないよ俺。
「クソ、……桃太郎!!!」
さすがに逃げると思ったのに、まさか最後にぐわっと向かって来るとは思ってなくて、驚きのあまり咄嗟に首を狙って刀をふっちゃった。
幸か不幸か、あちらも俺の最後の一太刀に驚きバランスを崩したため、首は守ったらしい。ああよかった、過干渉にならずに済んだ。
「過干渉に決まってるでしょう」
あの後シロと柿助とルリオが迎えに来てくれて、地獄に帰った。
そして待ち受けていた鬼灯さんに頭をチョップされて軽く地面に沈んだ。