春の伝承 05
しばらくしてお景さんの家族も駆けつけてきて、その日は親父さんの家や近所でみんなまとまって眠ることにした。ちゃっかりうどん屋さんに置いといてる藤の香を取り出して焚いたので、周囲に鬼が来ることはないだろう。
香の量は一晩ゆうに持つので皆が寝静まった後、俺はこっそり家を出た。
助太刀してくれた剣士と鬼のその後が気になったのでその場所に戻ってみれば、なんの形跡もなくなっていた。無事、塵になったかなあ。
あの剣士はともかく、鬼の気配は全くないので大丈夫だろう。
「───、」
鬼じゃなくて人の気配がこちらへやって来るのに気がついて、腰を屈めて地面を見ていた俺は背筋を伸ばした。足の運びや呼吸の仕方からして強い、人間で、───おそらくさっきの天狗面だ。
夜風に髪や着物がはためき、視界をゆらゆらと狭める。
暗闇の向こうから、案の定天狗面がぼんやりと浮き上がった。
「鬼は?」
「捕らえた。鬼を知っているのか」
のびた髪を一つに束ねた青年は、天狗面をそっと下ろした。
鋭い目つきが俺を射抜き、見定めるように睨めつける。
伝承が一部では伝えられているとはいえ、鬼について知っていることの方が珍しいのだろう。こくりと頷くと、なおさらまじまじと見られた。
「鬼と知っていて立ち向かって行ったのか?お前、丸腰だったろう……今だって」
普段はうどん屋の従業員なので刀下げてたら邪魔だもんさ。
刀の間合にいた俺はさぞ滑稽で無害そうなちんちくりんだろう。
しかし彼はその近さゆえに、俺の白毫の印を見て目をかっ開いた。
「───そのひたいの痣」
「え」
思わずぱしっとおでこを抑える。普段風に吹かれても気にしてないし、見られたって変なホクロだねとしか言われないんだけど、鬼殺の剣士には印象が悪かったかもしれない。
鬼を彷彿とさせる痣……といえば、痣だ。まあ鬼なら大抵人間のふりをして痣や目を隠すこともできるらしいけど。
「───桃太郎か?」
とっさに隠したのでまずいと思ってるのがバレバレだけど、今更前髪を直しただけみたいに頭を撫で付けてみた。
そこへ青年が神妙な顔つきで問いかけて来るもんだから、一瞬何を言われてるんだかわからなかった。
「桃太郎っていうのは……御伽話の?」
「そうだ」
「実在すると?」
平安時代から何百年も生き延びてる鬼がいて、そいつらと戦っている時点で桃太郎の生存説も否定はできないけれども。
「桃太郎はここに痣があるんだっけ?」
「噂にすぎないがな───なにせ、500年も前から存在すると言われている剣士だ」
今まで何度も姿を現しては、桃太郎と名乗ったり、鬼に叫ばれたりしていたので、人相描きがいつかできていそうな気はしていた。まさか俺の凡庸な容姿の最たる特徴のでこっぱちが、こんなところで指摘されることになるとは思ってもみなかった。青天の霹靂。
「同じところに墨が入ってるだけとは思わないか?」
「それだけではない、……その桃と薬の混じるような香りだ」
え、俺ってにおうの?うどん屋で働いてる時は何も言われないんですけど。
羽織を両手で掴んで鼻に持って来る。すーはー、と深く呼吸して見たけどよくわかんないです。
桃と薬といえば多分桃源郷にいた時に着く香りだろうけれど、こっちに来て長いし、なるべく匂いがしないように心がけてる……のに。ショックだなあ。
「ある隊士の最後を看取らなかったか」
それはたくさん看取ったけれど。小首を傾げて、青年の問いかけに興味を示す。
もうここまで話に付き合っていたら桃太郎だということを否定できないし、今更してもしょうがない気がする。
「遺体に羽織をかけただろう」
───謡路だ。思い当たるのは一人だけ。
「その羽織が?まさか現存するとか……言わないよな、かなり前だ」
「する。最初は一緒に焼いてやるべきか迷ったが、墓にかけていたそうだ。それは時折風に乗り……桃の香りをさせるのだそうだ」
そして誰かがそれは、桃太郎の羽織だと言い出した。
羽織っているのを見たことがあると言ったのか、それとも香りから単純に連想したのか。
「半信半疑にも保管しておいたが、月日が経っても色あせず、汚れもしなかった。その羽織は今も、あんたと同じ匂いをさせている」
……燃やせよ。そう思ったけど言うに言えず、苦い顔をした。
「桃太郎、あんたの目的はなんだ?日輪刀も持たずに呼吸も使わずに戦うのは鬼だからなのか?」
いやそもそも、鬼殺隊に入って鬼を滅殺するのが俺の使命じゃないんだけど。
「俺は鬼に関わりたくて関わってるんじゃない、あいつが俺を狙ってるんだ」
「あいつ……?」
「俺が初めてこの世に現れた時、運悪く鬼舞辻無惨に捕まった」
話せば長くなる。座ろうぜ。
よいしょっと冷たい地面に座って横を叩くと、案外素直に座った。まあ鬼舞辻無惨の名前が出たからだろう。
鬼舞辻無惨と夜通し戦い続けているのは、俺があれを殺す術を持たないからと、俺に触れると力が弱まってしまうからだ。そのことが余計に腹立たしいみたいで初めて会った時から血眼になって探されてます。
青年は訝しげな顔をしつつも驚愕を隠しきれないようだった。
「不思議なんだけど……鬼は俺と戦うと、桃太郎だってわかるらしい。君らの言う香りとかひたいの印とかを見た可能性もあるけど、とある鬼が言っていたのは『細胞』だ」
鬼灯さんたちとも話しているが、おそらく鬼には鬼舞辻無惨の細胞が埋め込まれている。
「おそらく全ての鬼が鬼舞辻無惨と繋がっているんじゃないかなと、俺は思う」
例外は、今のところ相見えたことがないので『おそらく』である。
正確に言うと俺たちの見解だ。
亡者となった鬼殺隊の過去の経験と、鬼灯さんや白澤様の意見からするとそう。
鬼舞辻は元々人間で鬼になったというから、つまり全ての鬼は鬼舞辻によって人間から鬼と化す。
細胞、もとい血肉を与えられた鬼たちは鬼舞辻の一部といっても過言ではないだろう。
「鬼舞辻に近いものと遠いものがいて、近いものほど、情報共有がされているというわけか」
「たぶんそう。そして鬼はあいつを呼べるんだ……」
生きてなくても奴との徹夜はしんどい。
「なら、あんたがこの世に来る理由は?」
「うーん」
夜明けが近く、俺たちは少し歩きながら冷えて硬くなった尻をひっそりさすった。
すっかり天狗面を付け直したので顔色はわからないが、俺を非難しているわけではないと思う。
俺が生きた人間ではないのがわかっているので殺生を避けていることを察しているだろうし、無理を言うほど厚かましくはない。
「繋ぎたかったからかな」
青年は足を止めた。聞き返すような、追求するようなそぶりで。
「亡き隊士たちをたくさん見た。彼らはその時を一生懸命に生きて、次の世代に命を懸けたよね。それを俺が少し繋げるのは決して悪いことじゃないと思ってる」
まわりまわって、この過去の現世と通じるあの世に、逝けなかった隊士を繋げるためにも。
「それにしても五百年か……よく継いだよ。当主も、君らも」
俺よりも少しだけ低い位置にある黒髪をぽすんぽすんした。
ちょっと嫌そうに肩を強張らせて俺の手を取った。
「先は長いかもしれない───美しく世が廻るようになるまで。また会おう左近次」
まるで握手みたいにして、硬く握り合ってやがて解けた。