春の伝承 06
(産屋敷輝哉視点)小川のほとりで涼をとっていた。
足元の水面から視線を外すと、彼方から白く丸み帯びた実のようなものが浮いて流れてくるのが見えた。
山の上から繋がるものゆえに、葉や花が浮いているのも珍しいことではないのだが。
「これは……桃?」
冷たい水に指先をつけて、揺らぎながらも流れ着く白い実を取る。うっすらと赤みがかる色合い、うぶ毛の生えた皮や果肉の感触は紛れもなく果実であった。
雫のついたそれをまじまじと見つめ、何度も指先で押したり回したりと試してみる。
拾った矢先からいくつもの桃が私のところまで流れて来て、そしてまたどこかへ行こうとする。全てすくい上げることもできず、けれどせめて、もうひとつと手を伸ばしたところで川底から気泡がのぼり、水面で弾けた。
「、……な」
この小川は浅く、透明度の高い水だ。何かが潜める場所ではない。
それなのにまるで急にそこに湧き出たかのように、彼の人は、現れた。
水を纏いしぶきを上げながらたちあがる。
一息つく音や、煩わしげに水を払うような仕草。
周囲には水の染みがいくつかできて、私の着物や顔にもかかった。
「あ……れ?」
彼は、桃を取りこぼし尻餅をついて見上げている私に気づき、目を見張った。
年齢は二十代半ばくらい、袴姿の青年はとりたてて目立ったところはないが濡れた髪をかき上げたところにある額の中心にはひし形の紋様じみた痣があった。
それは古くから言い伝えられている人物の特徴である。
「ここ……もしかして産屋敷邸?」
私はこくりと頷きながら、彼が岸に上がるのを見守る。
「水をかけてしまって申し訳ない」
「平気です」
袴や長着、羽織に至るまでもちろん濡れているため、手で絞って水気を取っていた。
「───桃太郎様。着替えがありますので、うちへお寄りください。それから、こちらお返しします」
「ありがとう」
地面に水たまりができるほどに絞ったところで、いくらか皺のよった着物を直しながら私の方を見て笑う。
「これはよかったら差し上げます。栄養がたっぷりあって、体に良いんですよ」
尻餅をついて転がしてしまった桃を渡そうとすると、桃太郎は桃を押して私の手に握らせた。
数日ほど前に父から、お客様がくるかもしれないと聞いていた。
我が血筋の当主は代々先見の力を有していて、父もそうだった。私もいずれその能力が目覚めると思う。
父の言っていたお客様というのはきっと、桃太郎のことだろう。
鬼殺隊の剣士たちは子というし、他の関係者も大まかな名前や役職を呼ぶ。
そしてなにより、出かける前には羽織りを指定した。
「……さむい?」
「あ、いいえ」
考えながら羽織を握りしめると、桃太郎は私の様子を目に留めて首を傾げた。寒いのはあちらのはずだが。
私が羽織っている羽織はかつて、桃太郎がある剣士の亡骸に掛けてやったものだと言われている。
最初はその剣士の私物だと思い、墓にかけていたそうだ。けれど雨風に吹かれようとも傷一つつかないそれに違和感を抱いた。そして剣士の中の誰かが、かつて桃太郎を目撃した時に彼の人が羽織っていたものだと思い出した。
以来500年、産屋敷で保管している。
桃や草木の香りを時々させるそれは、羽織ると不思議な心地になる。
病弱だったのが嘘のように、身体が軽く、呼吸が楽になる。
桃太郎は私が否定したにもかかわらず、足を止め、膝をつき私の体に腕を回した。
抱き上げられた浮遊感と、匂い立つ桃と、草の香り。とっさにしがみついてしまって慌てて胸を離す。
「もう濡れてないから」
いつのまにか、川底から現れたことなどなかったかのように、さらりと乾いた着物や肌をみせつける。
そのことを気にしたわけじゃなかったのだけれど。
「いつか産屋敷の方には会いたいと思っていたんだよ」
「光栄です」
「お名前は?」
「私は……輝哉と申します」
この人の体温はちゃんとあたたかいのだな、と考えながら名乗る。
男であり後継になるであろうこともわかるが気にしてはいなかった。もとより、この羽織を所持していた時点で判断がつくからだ。
「その羽織、大事にしてくれてありがと」
「いいえ。こちらこそ、我が剣士達を大事にしていただきありがとうございます」
「うん、立派だ」
柔らかく細められた瞳と、穏やかな声が私の胸を疼かせた。
やがてじわりと熱を持ち、それは身体中に行き渡る。不調になるような発熱ではなく、たとえば幸福感、満腹感、そして眠気を伴うような熱が身体を支配した。
そのまま、私は間抜けにも、彼の腕に抱かれて肩に頭を埋めたきり、眠りにおちてしまった。
迷うことなく道を進めた桃太郎は、私を羽織にくるんだまま我が父にして鬼殺隊当主のところへ挨拶に来たそうだ。
父は座るように促し、母は私を受け取ろうとしたが桃太郎は当たり前のように私を膝の上に乗せた。そして時には優しく背をたたき、そうっと顔をのぞいて微笑んでは髪を梳いたりしていた。
まるで孫を慈しむかの様だったらしく、両親は私の無作法を咎めるどころか嬉しそうに笑いながら、見た光景を話してくれた。
曰く、桃太郎は、この羽織をとりに来ようと思っていた。
保管し続けていたことに礼を言っていたため、不快に思ってのことではなく単に無用のものだろうと思ってのことだった。あの時一緒に燃やしてよかったのに、と。
しかし此度は私が眠ったまま握りしめて離さなかった為、持って帰ることはなかった。
「じゃあ、これは輝哉にあげようね……」
私はその声を、聞いていたような気がする。
要らなくなったら燃やすように───つまり、私が死んだら一緒に焼くようにと言付けて、羽織ごと私を母へ渡した。
私は目が覚めた時、母が用意してくれた布団の中にいた。羽織を掴む手は解けていたために掛け布団の上にあったそれを見てひどく安堵し、そして桃太郎の不在に大きな喪失感を抱いた。
夕方の薄暗い部屋、障子の向こうからうっすら光が差し込む広い畳の部屋でひとり。
───涙が出た。
熱を出した時よりも、頭痛に苛まれる朝よりも、咳の止まらぬ夜よりも辛くて、かなしい。
なにせ彼の腕の中、優しい声が時折降りそそぐ慈雨のもと、極楽浄土の香りに包まれて眠ったのだ。郷愁にかられて感情が震えるのも無理はなかった。
羽織は我が鬼殺隊、否、産屋敷家の家宝でもあり支柱ともいえるもの。
それを私と共に在らせ、私と共に葬るように示唆するということは、次の世にそれは不要だという兆しではないだろうか。
まだ先見の力の備わっていない身の程では考えを口にすることはできないけれど、そう希望を抱いても良いだろうか。
きっと父も、希望を抱いていたに違いない。最期はわらって、私に託して眠った。
next.
ちっちゃなお館様がかきたかったんです。
自分の羽織をちっちゃい子がはおってたので、桃太郎はここ産屋敷さんちだなって気づいたんです。
主人公的には気高さもクソもない普通の、ちょっと老成してて穏やかかな〜くらいの気分でいるつもりなんですけど、現世の人たちはももたろうのでんせつ()によりフィルターかかってて尊みを感じている。
June. 2019
ちっちゃなお館様がかきたかったんです。
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