sakura-zensen

春の蕾

01話

両親を亡くし、京都の綾小路の家に引き取られてすぐのことだった。
俺は叔母に手を引かれながら、兵庫の親戚の家を目指している。
「なんでこの格好ぅ?」
ちょっと口を尖らせて不満を零したのは、女児用のカワユイ着物を着せられていたからだ。
最初はおじいちゃまへのご機嫌取りのつもりだったが、それが功を奏したのと、叔母が可愛い着物の魅力に取りつかれたことで、時折こういった格好をすることはあった。

養ってもらっている身の上で金の使い方にあれこれ口を出すつもりはないし、京都の地元でならいくらでも着てよかったけれど、何故兵庫まで来てこんな格好をせにゃならん。
……という不満が未だ飲み下せず、俺は不貞腐れていた。

「やって、一番かいらし姿見せたいんやもの」
「……」

普段の俺だって可愛いもん、と言ったところで流されるであろう。もちろん俺を可愛くないと思っているわけではなく、単純に見栄えの話だ。
叔母は機嫌良さそうに俺の頭を撫でる。

「おばさまも楽しみやって、ゆうてはったのよ」

叔母の叔母……俺にとっては大叔母にあたる人が、これから会いに行く親戚である。おじいちゃんの妹、だったかな。兵庫の家に嫁いでからも、叔母と俺の亡くなった母親との交流があったらしい。
そんな母が亡くなって息子の俺を叔母が引き取ることになったので、一度会いにいこうという話になった。

実際に会った大叔母(まどろっこしいので、もうおばあちゃんと呼ぶことにしよう)は、俺を見るなりぱっと顔を明るくした。想像してた通りの反応で、叔母も満足げだ。
叔母は俺を、綾小路のサクラちゃん、といったあだ名がつきご近所さんの間でも評判のカワイコチャンと相成ったことまで話している。
サクラちゃんというのはあくまで女の子の時の名前であるが、春野サクラちゃんだった俺はもう開き直ってその名を甘受していた。チヤホヤされるのは悪くないし。

しかしおばあちゃんはそれ以降、俺をサクラちゃんと呼び出してしまった。
「サクラちゃんゆうの、お名前までかいらしなあ」
いやくんだから……。




家の中にお邪魔してみると、おばあちゃん以外は誰も家人が居ないようだった。息子家族と同居していると聞いてたので、首を傾げる。
すると俺の疑問に答えるように、息子夫婦は共働きの為不在で、孫はお使いに行っていると話した。
「信ちゃんには会えるんやね、よかった」
「うん、今日会うん楽しみにしとったんやで、走って帰って来るわあ」
「最後に会ったの、三歳くらいやったかしら」
二人が話す、そのシンチャンというのが俺と同い年のはとこのはずだ。俺も少し、会うのを楽しみにしていたのでお使いから帰ってくるのを待つ。出されたお茶をちびちびと飲みながら。
いやしかし、初対面で会うのに女装でいいんだろか。俺の第一印象よ……。

「ただいまー」

悶々ドキドキソワソワしていたところ、玄関の方から子供の声が聞こえた。
叔母はその声を聞くなり腰を上げる。つられて俺も、席を立つ。おばあちゃんも「出迎えに行こうかねえ」と卓に手をついて立ったので、三人立て続けに廊下へと出て行った。

すぐに玄関が見えてきて、その端っこに背中がちょこんと丸まっている。どうやら脱いだ靴を揃えているらしい。
俺達の足音や布ずれの音からして、その子はすぐに振り返った。
ばあちゃん、と言いかけた顔のまま、叔母と俺が目に入ったらしく固まる。そして、やや緊張した面持ちで、口を閉ざす。
まさか客人が一番に自分を出迎えるとは予想していなかったのだろう。

「おかえりなさい、信介くん。お邪魔しとるね」
「こんにちは、お邪魔しています」
「い、いらっしゃい。こんにちは」

叔母は"信ちゃん"の緊張を感じ取ったのか、解きほぐすよう柔らかに声をかける。俺も続いて挨拶をしたら、信ちゃんははっとして挨拶を返した。

「信ちゃんおつかいご苦労さん」
「うん、言われてたの、買うてきたよ……」

俺と叔母の後ろからおばあちゃんが顔を出すと、信ちゃんはてててっと早足に近づいて行き、紙袋を渡した。どうやらそれは俺達へのおもてなしだったようで、おばあちゃんはさっそく出そうとニコニコ笑った。
信ちゃんは手を洗ってくると言って洗面所の方へ行き、俺と叔母は再び居間に戻る。
そして先ほどまでいたところに座って、おばあちゃんが水ようかんを切って持ってきてくれるのを待った。

程なくして、おずおずとやって来た信ちゃんは、おばあちゃんの隣に座った。卓には四つ分の水ようかんが準備されて、三人が既に座っていたのでわかりやすかっただろう。だけど、もじ……と身じろぎをしたきり、目の前のおやつには手をつけない。
「信ちゃん、おばさんのこと覚えてはる?」
叔母に話しかけられた信ちゃんは、遠慮がちに首を横に振った。
「無理もないわ、会うたのは昔のことやし。うちの子も歳近うないもの」
「近うない?」
信ちゃんはようやくひとこと。
「のぶちゃんとこは、大きいお兄ちゃんがおんねんで」
叔母の名はのぶ子なので、おばあちゃんはそう呼んで説明した。
信ちゃんにその話が通じているのかは定かではないが、ふうん、という相槌がぎこちなくうたれた。
「文麿ちゃんは試験中なんやろう?たいへんやね」
「そうなんよ、せやからこの子にもあんまり構ってやれへんの」
「そら寂しいわなあ、サクラちゃん」
「へいき、お兄ちゃんが警察官になるの応援してるから」
「偉いなあ」
いわゆる親戚トークが繰り広げられる中、俺は適度に混じり、適度に聞き流した。
その間やはり信ちゃんは居心地が悪そうに、微かに揺れながらその場に座っているだけだ。もしかしたら、大人たちの会話を真面目に聞きすぎて、おやつに手をつけるタイミングを逸しているのかもしれない。
「───信ちゃん、これきれいだね。信ちゃんが選んだ?」
俺は水ようかんをスプーンですくって見せた。
「う、うん」
笑いかけると、つられたように信ちゃんもスプーンをつかんだ。
俺と信ちゃんが初めて会話をしたのを、おばあちゃんも叔母も気づいた。微笑ましげに俺たち子供を交互に見る。
それだけのことで、すっかり二人が仲良くなったと解釈した大人たちは、おやつを食べたら外で遊んで来たらと提案をした。
遊びに行くのはやぶさかではないけど、この格好で?と若干不満は生じたが、かといって二人の会話を聞いているだけというのも退屈だ。主に信ちゃんが。
結局俺が何を言おうとも、もう大人たちの間でそれは決定事項となっていたので、俺たち二人は「鐘なったら戻って来ぃ」「気ぃつけてな」と外に出された。
ついでに信ちゃんはまたしてもお遣い(家の裏にある神社にお供えするんだって)を頼まれていた。

「───信ちゃん、ごめん」

いざ外に出ようとした時、俺は草履を一人で履けなくて謝る。
信ちゃんが俺の足元にしゃがんで、手で草履の爪先を押さえてくれている。そこに俺は力加減をして足を押し込む。
親指と人差し指の間に鼻緒が挟まった後、今度は爪先で地面をトントンと蹴る。その時は、立った信ちゃんが俺の手を自分の肩においてくれたので、ありがたく掴まることにした。
履く前に鼻緒を広げたりすればいいのだが、そもそも着物の所為でしゃがんで草履を取れなかった。信ちゃんにそれを依頼するのも気が引けて、でも結局大層世話をかけたので、意味のない気遣いだった。
俺は自分が着物で動くことに不慣れであることを実感した。

「履くの大変なんや、草履って」
「鼻緒が固いんだよね、特に下ろしたては。着物も慣れてないしさ」

その話をしたからか、信ちゃんはその後も段差があるたびに手を差し出してくれて、最終的にはずっと手を引いてくれた。
小股でしか歩けない俺が途中で何度か置いてかれそうになって待って〜と声をあげたせいもあるだろう。手を繋いでれば歩く速度も合わせやすい。

しかし、ひとつの問題が浮上する。
お遣いを言い渡された目的の神社にはぐるっと近所を回ればすぐについた。だが、長い石段が聳えている。はるか上の方に赤い鳥居が見えて、二人で見上げた後、俺たちは自然と顔を見合わせた。
この格好、このポーズ(おてて繋いで)では上まで行くのは一苦労であると、言葉にせずとも理解していた。
信ちゃんもここへ来るまでこのことを忘れていたし、おばあちゃんも忘れてて頼んだんだろう。もしくは信ちゃんがパッと行ってパッと戻ってくると思っていたとか。

「ここで待っとく?」
「……ううん、一緒に行く」
「でも」

俺は少し考えたが、すぐに活路を見出した。

「裏技がある」

ふひ、と笑って見せると信ちゃんは首を傾げた。
しかしこの裏技、叔母たちには外でやったとバレるわけにはいかないので、秘密にしてもらわなければ。
今ここにいるわけではないのだが、なんとなくコソコソ話にして、顔を近づける。
手を筒にするように丸めると、信ちゃんも心得たように身体を傾けた。

「今からやること、誰にも内緒にしといてな」

言われてることの意味がわからず、ぽやっとした顔の信ちゃんの前で、俺は裾の合わせを割り、足を出した。
トイレに行く時の用法で、本来ならこのまま裾を帯の上にかぶせて固定するのだが、そこまでする必要はないので、着物の裾を自分で持つ程度だ。
人気がないとはいえ、あまり人様の前でやっていい格好でもない。俺は事を急き、信ちゃんに短く声をかけて合図する。

「───おさき!」

勢いよく階段を駆け上がった。ぽかん、としていた信ちゃんの顔を残像に。



階段を上がり切って振り返ると、まだ上りはじめてもいない信ちゃんが下にいた。それを手を振りながら呼ぶと、遅れてやってくる。
そして上につくなり信ちゃんには「今のは良くないで」といわれたけど、わかってらあ。
まさか八歳の男の子に、はしたないと説教されるとは思わなかったが、俺は素知らぬ顔して流した。もうやらないもん。

その後俺たちは、神社にお供えして、意外と広い境内の中を散歩して回った。俺の動きが遅いからか、あっというまに夕方の鐘がなる。当然だが京都で聞くのとは違う音色だった。
自然と家に帰らなければという気になって、どちらともなく手を繋ぎ直して、さっき上がってきた階段のところへ行く。
鳥居は夕焼けに染まる空を切り出し、落ち往く太陽の光芒は俺たちに伸びていた。

「久々にこんなに遊んだわ、楽しかったー」

記憶の中の俺の幼少期、それなりに遊んではいたようだが、京都に来てからはお上品に暮らしていたのでこれは俺の素直な感想だった。
学校にはまだ通っていなかったし、俺自身が初めて遊んだのって信ちゃんなのかも。

「ただ歩き回っただけやろ」
「ええ、でも楽しかったよ?信ちゃんはつまんなかったかもしれないけど」
「楽しかった……」
「そう?よかった」

サッカーやったり、鬼ごっこしたりではなく、言ってしまえばただ散歩をしただけ。それを、子供の言う遊ぶの概念とはまた少し違うかも、と思ったが、信ちゃんは最終的には俺に同意してくれた。
そこでふと、信ちゃんの交友関係や、他の親戚のことが気になって聞いてみた。同級生と遊ぶことは勿論、親戚付き合いもまあまあするし、同年代の従兄弟たちもいるとのこと。
それに比べると、綾小路は遠い親戚だ。
今回の交流も、俺が両親を亡くして急遽京都に来たこと、近くに同年代の子がいなかったために起こったイレギュラーなこと。───本来、信ちゃんとはほとんど関わることのなかった縁だったのだろう。
そんなことを考えていたせいか、俺は口数が減り静かになる。

「サクラちゃん……もう来ぉへんの?」

俺を見て何かを感じ取ったのか、信ちゃんにそう問われる。
おばあちゃんにつられて俺の呼び名がサクラちゃんになってるのはおいといて、俺は急なその問いかけに、なんと言ったらいいのか困った。そしてペロッと、本当のことを話してしまう。
「これから学校始まるし、北と綾小路は縁遠いから、盆暮れ正月に顔を合わす関係でもないかもね」
多分俺が帰るのを惜しんでいるであろう子に言うことではなかった気がした。
「でも、信ちゃんと遊ぶのが、一番楽しかった」
取り繕うようにそう言ったけど本音だった。
「一番?」
首を傾げた信ちゃんに、深く頷く。
普通の子供とは言い難い俺にとって、信ちゃんの周りを取り巻く時間の流れ、心の動きは、とても心地よいと今日一緒に過ごして分かった。
もちろん、普通の子供と遊ぶのだって、嫌いなわけじゃないけど。

「俺もサクラちゃんとおるのが一番やった」
「へへ、やったー」

信ちゃんの返答に俺は、精神年齢甲斐もなくニヤけた。
懐かれる、または好かれるというのは、いくつになっても、いくつが相手でも嬉しいものなので。

「サクラちゃんが毎日うちにおったらええのに」

続く言葉と、柔らかな笑顔を浮かべた信ちゃんに、俺はなんだかむず痒くなってもう一度笑った。
不思議なことに、特別何かをしたわけでもないのに今日一日がキラキラ輝いた思い出みたいに俺の中に根付いたのを感じた。


北信介くん第一印象から決めてました好きです。
稲荷崎編読んで沼に落ちました。
×コナンにした理由を忘れたのですが、設定考えるのが楽って思っていたような気がします。別に楽でも何でもなかったですね。
京都と兵庫近いじゃんというビュン概念だったのかもしれません。
キャラクターブックを読む前に書いたので、北家は捏造したままで、姉と弟の存在はありません。両親はもしかしたら農業従事者かもしれませんが、描写はありません。
(改稿時に直さないという怠慢)
July 2019-2021
Mar 2025 改稿