sakura-zensen

春の蕾

20話
帰り道が一緒だったアランと別れた後、俺と信介は、家の近くにある神社へ寄った。
おばあちゃんがよくお供えをしているし、信介の無病息災だとかを祈っているはずなので、レギュラーに選ばれたことを報告しないと、───というのはまあ口実でもある。
家や、学校の帰り道では出来ない話が出来る気がして。

ここは、初めて信介に会って、一緒に遊んだ神社だった。
拝殿の脇を通って裏手に行くと池があって、その真ん中には橋がある。渡る途中の丁度真ん中についたところで、俺と信介はなにげなく立ち止まった。

「1番もらって、嬉しいって思えた?」

帰り道で、結果と過程について滔々と語っていた信介は、アランに『嬉しいは嬉しいでいい』と激しくツッコミを入れられていた。
レギュラージャージをもらえた時に感極まって涙を流すくらいには、嬉しかったはずだ。
だけど、あのユニフォームがこれまで頑張ってきた結果だとするならば、信介にとって『結果も大事』ということになる。そうなると『過程』の価値が下がるとでも思ったのか、喜びを上手く甘受できないでいたように思えた。

信介は俺の問いかけに対し、一瞬きょとんとしてから、小さく笑って頷いた。
それから両手を少し広げる。「あとでって言うた」と言う声を聞きながら信介に抱き着く。
もう泣いてないけど、俺が抱き着いたのは信介が泣いたからだけではない。いや、もちろん決定的にしたのは信介の涙のせいだけど。

「信介の涙、誰にも見せたくなかったなー……」
「ふは、なんでよ」

俺の首筋に、信介の笑い声がかかる。
あやされるように、背中をぽんぽんと叩かれていた。まるで拗ねて、慰めてもらっているみたいだ。いや、拗ねて慰めてもらってるんだな、まさしく。
俺はぐりぐりと信介の頭に顔をこすりつける。頭をボサボサにした後、髪の毛を梳かしながら直した。

「俺をひとりじめしたいん?」
「えっ、うーん、そういうわけではないような」
「なんやちゃうんか」

くすくす、と笑ながら信介が離れていく。
信介をひとりじめしたいなんて、そんな。俺は信介がのびのびと、自然に生きている姿をみるのがとても好きだと思う。
真面目で、丁寧で、こっちが時々驚かされるくらい思慮深くて、ちょっとヘンと言ってもいいいところ。

「信介って、見てて面白いな」

そう言った俺に対して、信介は首を傾げる。そう言われる理由がわからないようだ。
面白いというのは、本来ある意味の他にも、美しい景色を見て視界が明るくなることを言う。
信介の生きている姿はまさに俺にとって見惚れる景色そのものだ。それを言うのは憚られて無言のまま手を差し出すと、当然のように握られる。

兵庫に来ることになった時にしたやり取りを思い起こす。
信介も同じことを考えていたのか、口を開いた。

「……俺が振りほどかん限りはずっと、て言うてくれたの覚えとる?」
「覚えとるよ」

信介の手に微かな力が込められた。親指が、俺の手の甲を少しだけ撫でる。
あの時俺が言ったのは、慰めやその場しのぎの約束ではない。かといって、確実に繋がりを持つものにはしなかった。
いつだって、変わる可能性のあるものとして。

が手放そうとは思わんかった?」
「思わんよ」

首をゆっくり横に振ると、信介は黙った。

「……結果より過程が大事だと、俺も思うんだよね」

ぽつりと呟く。
過程とは例えば、ささやかな手紙のやりとり。夏休みに遊ぶこと。電話で話すこと。一緒に走ること。同じ学校に通ったり、バレーしたり、手を繋いでみたり。そんな毎日を積み重ねたこと。そして今この瞬間もそうだ。
頻度や回数や時間といったものだけに価値を見出すわけではない。でも心を通わせるには必要で、大事なことなのも確かだ。

「人間関係に結果はない───相手か自分が死んだときしか。一緒にいても、離れていても、好きになっても、嫌いになっても。生きている限りそれは過程だと思う。気持ちや環境が変わる可能性はいくらでもあるしな」
「うん」
「あの時より数年経っても、やっぱり未来のことは今だってわからない。でも俺は今、こうしていることが幸せで、そんな思いのままこれから生きていきたいと思うよ」

握ったままの手を持ちあげてその手の甲に歯を突き立てた。
いたずらっぽく齧って、信介の表情を窺いながら今度は口付ける。浮き上がる筋を唇で確かめるようになぞった。
そんな俺の行動を信介は身じろぎ一つせず、受け入れる。

「これも、振りほどかない?」
「うん、振りほどいたりせえへんよ」

答えは、すごく近くで聞こえた。
信介が握った俺の手の甲の上で、温かい吐息と共に受けた。

信介の方は歯を立てるなんてことはしなかったけど、唇のようなものが、俺の手に触れる。辺りがすっかり暗くなっていたのでよく見えなかったけど、俄かに雲が動いたことで差し込む月明りが、目の前の瞳に反射して光る。

手の甲越しだけど、初めて俺たちはキスをした。





エピローグ


朝からざんざか雨が降っていた。
いつもランニング行く時間に目を覚ましたけど、もちろんこの雨の中走りに行くつもりはない。
ストレッチでもして勉強でもしようかなと、雨の状態を見るために開けていた窓を閉める。
すると、隣の信介の部屋に繋がる戸が控えめに叩かれた。向こうもこのくらいには朝練で起きだすうから、不思議な事ではない。
返事をすると、戸が開けられて信介の顔がのぞく。

「そっちいってもええ?」
「どーぞ?」

なんだろう、と思いながらも断る理由がないので応じた。
聞けば今日は朝に体育館が使えない日で、外錬の予定だったがこの雨で中止になったらしい。

「トレーニングルームは開いとるけど、あんま広ないしな」
「あー」
「せやから今日はと朝一緒にしよ思て。ランニングはいかへんやろ?勉強するんか?」

いつもなら、勉強、またはヨガやストレッチ、とか建設的な提案が出来ただろう。でもなんとなく、外から聞こえてくる雨音が俺の気分を変えた。

「二度寝しよ」
「……二度寝」
「雨の日限定。まいにち頑張ってる信ちゃんに、くんの添い寝つき。いかがですか?」

言いながら、掛け布団を開いて寝転がった。
まだ二人とも、寝間着から着替えてなかった。布団もそのままだった。雨が強かった。朝練は行っても行かなくても良い。───そんな偶然の重なりによって生まれた機会。休みの日とか、それこそ夜にだってこういうことは出来るけど、たまにはこんな朝があっても良いはずだ。

信介は少し黙り込んでいたけど、やがて俺の布団の上に、膝と手をついた。

「たまにはええな」
「な」

生真面目な信介を、自分の時間に引きずり込むこの背徳感が最高である。
もぞもぞ、と同じ布団に入り込みながら足に触れ合った。

、足つめたない?」
「まじ?ごめん……信介あったか~。寝起きだから?」
「普通やろ。も起きたばっかちゃうの」

足だけではなく身体も心なし温かい気がして、背中に腕を回した。
すると信介は俺の頸の下に通していた腕を曲げて、後頭部を撫でる。腕枕のターンをとられてしまったが、今日のところは譲ったろ。


そのままとろとろ二度寝───と見せかけて実際に眠りはせず、まったりと時間を過ごす。
バレー部の話をしたり、クラスの勉強の進み具合、テスト前の部活休み期間は何をするか。そんなことを雨音の中に消え入りそうな小声で話した。

やがて雨足が弱くなり、外が少しだけ明るくなった頃、階下でおばあちゃんが起きだす音が聞こえ始める。
俺たちはまた小声で「起きようか」「せやな」とぽそぽそ話しながら、布団から抜け出した。

二人で台所に顔を出すと、おばあちゃんは特に驚いた様子はない。
天気が天気なので、聞くまでもないだろう。
席についてゆっくり朝食をとっていると、少し遅れて起きだした他の家族が、慌ただしく過ぎ去っていき───俺たちは二人で家を出た。

しとしと降る雨も、やや遅れがちで人の多いバスも、むわっとした湿気も、ただ甘受しながら学校へと向かっていく。
学校では仲の良い同級生たちと会って、テスト前の部活休み期間中に遊びに行こうと話して、一部の面々から信じられないと言う顔をされる。

「え、テスト前て勉強期間ちゃうの?」
「二人は別に、改まって勉強する必要がないんやろ」
「ゆうたことない、そんなセリフ」
「俺は行けるで、遊びに」
「「う、裏切りものっ!」」

窓の外はいつの間にか雨が止んでいた。そのことに気づいた俺は、喧騒を身体の左側に、晴れ間を右側で感じる。
少し前は、バレーのない毎日を寂しく思うこともあったけど、こんな毎日を寂しいとは思わなかった。


ひとまず一度完結としますが、後日談が別であります。
Mar 2025