sakura-zensen
春の蕾
後日談 01話
角名倫太郎にとって二回目の稲高祭は、はっきり言って『退屈』のひとことだった。
クラスの出し物は全体的にやる気のない休憩所で、店番もあってないようなもの。当番でもないのに意味もなく屯すクラスメイトが数名いたので、適当に言い訳をして教室を出た。
仲のいい友人がいないわけではないが、わざわざ探したり呼び出すほどでもない。そもそも、当番以外の時間に約束をしていた。
その為、荷物置き場として解放されていた教室に、適当に食べたいものを買って持ち込んだ。
教室内はすべてのカーテンが閉まっていて、昼間だと言うのに仄暗い。
教室の奥へ進んだのは、カーテンを開ける為だった。
電気をつけるよりは、カーテンを開けた方が"適度に"明るくなる。それに、廊下から教室の電気がついてるのを見て、誰かが入ってくるかもしれないと思うと、億劫になったのだ。
カーテンを掴んで横に押し開けると、レールが軽く音を立てた。
透明の窓ガラスが露わになった途端、目の前には人が膝を抱え込んで座っていた。
「!?」
視界に飛び込んできた光景に、倫太郎は息をのんだ。
叫び声は出なかったが、身体が仰け反るほどに驚いた。なぜならここは三階だ。
人が座っている場所は、けして丈夫ではなさそうな、細い木の枝である。
「倫太郎だー」
「さん……?」
窓を開けると、木の上にいたその人───はからりと笑っていた。
春野との出会いは、特になんの変哲もない。倫太郎が入学した稲荷崎高校のバレー部に入部した日に遡る。
彼は同学年の北と共に一年生の指導係のような役職をまかされていた。
他の上級生よりは比較的早く、多くの交流を持ったけれど、本入部が決まるとその役目はなくなった。部員数が多い為に離れていくかに思われたが、は倫太郎と同じトレーニンググループにいた為、繋がりが薄れることはなかった。
そのまま、次第に「倫太郎」と下の名前を呼ばれるに至る。
彼が下の名前で人を呼ぶのは、"はとこ"らしい北、それから中学から顔見知りで高校では同じクラスの尾白、同じ苗字で紛らわしい宮兄弟以外では、倫太郎だけだ。角名と倫太郎であれば抜群に角名の方が呼びやすいだろうに、何故かと一度問いかけたことがある。
けれど彼の答えは純粋に「そう呼びたいから」だったので閉口した。
馬鹿なことを聞いた、と倫太郎は思った。呼びやすさでいうなら侑はツム、治はサムだろう。まあ、あれらは呼ぶのに抵抗を抱くあだ名だけれど。
は誰にでも懐っこい人だと思った。
そんな中で見せた、かすかな特別が、当時倫太郎の心に喜びの種を蒔いた。
「や~、ここ倫太郎のクラスだったか」
教室のカーテンを開けた途端のあの一瞬。木々に同化してしまいそうなほど静けさを伴った雰囲気は、倫太郎に気づいた時点でなりを潜め、ふにゃんとした笑顔になった。
の格好は制服ではない。腰ほどまで長い髪をした鬘を被り、古めかしく華やかな和装に、やや化粧を施された顔。つまり、仮装をしている。
「なにやってるんですか、登って降りられなくなったとか?」
「そうじゃないけど」
そもそも三階の高さにまで登って来られるものなのか、と思いつつも現実を目の当たりにしては納得するしかない。
これまで彼の運動能力の高さを目にしては、たびたび目を疑うことはあったが、いちいち自分の認識を改めてきた。
「人目につくのがヤでえ……」
「……そこ危ないんで、こっち来てください」
「でもクラス、ひといない?」
「いないです。ここ荷物置場なんで」
色々と思うところはあったが、倫太郎はをそのままにしておくのも気が引けたので、中へと誘った。
ここは今、人目に付きたくないと言う彼にうってつけの、無人教室である。
「じゃあ飛び込むから、窓から離れといて」
思わずに手をのばしかけた倫太郎だったが、彼の言う通りに距離をとる。はすぐ、身軽に教室の中に飛び込んできた。
長い髪や着物の袖が、その動きに宙を踊るのさえ様になる。
かつて彼は、二年連続で文化祭の顔ともいえる、『お稲荷様』だった。
昨年は稲荷道中と、その後宮兄弟に担がれてるところまでをこの目で見た。そして一昨年は、上級生のSNSを探して見た。その為、がこういった格好をしているのも初見ではない。しかし、今年はさすがにお稲荷様ではなかったはずだ。
「てか、その格好なんですか?」
「今年はかぐや姫、クラスの出し物」
「え。それって逃げちゃ駄目なやつなんじゃ」
聞けばのクラスは演劇で、彼はかぐや姫役に抜擢されたのだという。当初は秘匿されていたらしいお稲荷様の正体も、宮兄弟が担ぎ上げたりしたせいで徐々に生徒に知られていくようになった今、かぐや姫をやらされるのも頷けた。
しかし主役が脱走するのは、倫太郎のように当番をサボるのとはわけが違う。そのことを指摘すれば他にも演じる役者はいるし、ほとんど御簾越しに喋るのだと言った。
そのわりに、豪勢な衣装だと倫太郎は思う。も同じことを思ったらしく、「だのにこんなに着飾りやがって……」と呟いている。
ぷうと唇を突き出しながら息を吐いて、前髪を飛ばした。
「動きづらそう」
「ウン、動きづらいよ」
「そう言いつつ、木登りしてるじゃないですか」
「木登りは大した動きじゃないからなあ」
胸を張るをよそに、倫太郎は宇宙の神秘に思いをはせた。思考放棄ともいう。
「───さて、この後どうしようかな」
「見つかりたくないのって誰なんですか」
「クラスメイト。信介はさー、当番中だから助けを求めらんないのよ」
「北さんって、さんのサボりには寛容なんですか?」
「あ。さすがにあかんかも」
いいながらは、教室の床に遠慮なく座った。
親戚同士で今は一緒に住んでいるらしいと北は、傍から見ていてかなり気の合う関係である。
圧のある隙なし男の北に、駄々をこねたりできるのはくらいのもの。
かといって、クラスの役目を放棄したとなればさすがの北は苦言を呈し、は言い返す余地がないだろう。それは倫太郎もも同感だった。
「不安なってきた。クラスメイトが信介に言いつけたりしないかな」
「……宮兄弟の喧嘩じゃあるまいし、いちいち北さんに言わないでしょ」
「アッハ」
は宮兄弟ほど暴走して周りに迷惑をかけるわけではない。そんなの素行を、ただのクラスメイトがいちいち北に言いつけて、叱ってもらうわけがなかった。
そう思考が辿り着いたと同時に、宮兄弟がいかに破天荒であるかを浮き彫りにし、を失笑させた。
「ちなみに倫太郎は今なに中?」
「俺もサボりです」
「ほぉん?共犯か。居座っても良い?」
良いかと問いかける形をとっているが、ほとんど宣言にも近いだろう。倫太郎は一応頷いたけれどはほとんどその様子を気にかけていなかった。
とはいえ、倫太郎が了承したのは嫌々ではない。本来ならわざわざ他人のサボりの片棒を担ぐ真似はしないが、のことは下の名前で呼ぶくらいには慕っているのだ。
二人になるの久しぶりだった。部活の先輩でいた期間はたった一年で、彼が早期退部をしてからもう半年が経つ。
しかしはそのブランクをものともせず「倫太郎なにくってんの」とか「クラス何やってんの」とか聞いてきて、極端に気まずい時間が流れることはなかった。
そうして他愛ない話は結局、バレーの話に辿り着く。
「そういや、インターハイおつかれ」
は引退してからもバレー部のことを気にかけており、度々応援に来ているのもみかけた。
全国大会は会場までは行けなかったためテレビで観たらしいけれど。
「───さんがいないの、他校のやつらに聞かれましたよ」
「え? そうなん?」
インターハイの会場で、何人かの選手が部員にの不在を問うのを見かけた。
直接的に聞かれていたのはほとんど、と同学年である三年生だ。
しかし唯一、倫太郎たち二年生にのことを聞いてきた人物がいた。井闥山学院の二人だ。彼らは二年生だったので、同じ二年が相手の方が聞きやすかったのだろう。
───「なあなあ、春野くん何でいないの?」そう、軽やかに聞いて来たのは古森元也だった。後ろには目つきの悪い男、佐久早聖臣もいる。二人は一年の時、の引退試合となった春高にも出場する程の実力者だ。特に、は聖臣と接戦を繰り広げていた。
「春野さんなら、」
「おらんもんはおらんねん。今日なんべんも聞かれとって耳にタコができそうや」
銀島が古森に答えようとしたその時、虫の居所の悪かった侑が悪態をつく。
不在の選手を問う必要性の無さに苛立ったというよりは、機嫌が悪かっただけである。あとはおそらく、と一緒に試合したかったという気持ちを思いだして、不貞腐れていたのだろう。
「悪い、いっぱい聞かれてるよな! でも聖臣が春野くんのファンでさ~、どうしていないのかって、ずっと気にしてるんだよ」
「ファンじゃねえ」
古森の後ろでずっと顔を顰めていた佐久早は地を這うような声を出した。
「素直じゃねえな~。試合後のインタビューで春野くんが聖臣のこと褒めてくれたの喜んで───」
「黙れ」
この二人が、単に興味本位での不在を聞いてきてるわけではないことくらい、誰もが分かっていた。特に佐久早はと最後に戦った相手だ。
自身も彼に期待を寄せて、成長を楽しみにしていると語っていた。それは、にとっては観戦という意味であり、対戦を意図してはいなかったのだろうが。
「……あのインタビューOAされたの短かったよね」
倫太郎が思わず苦笑しながら会話に入ったのは、が試合後に受けたインタビューはテレビではほんのわずかな時間しか使われなかったことを知っているからだ。それも古森の言う通り、聖臣について話したところしか使われていない。
稲荷崎高校の敗退におけるコメントは、監督と当時の主将の映像が流れていた。
本来のインタビューで、は聖臣のことを話した後、次の目標を聞かれた。けれど目標の答えはなく、引退宣言をした。
そんな引退宣言も、バレーをやっていての感想も、にとっては聞かれたから答えただけで、特に誰かに聞かせたいわけでも、ましてやテレビで放映してほしいとも思っていなかっただろう。だけど、一部の部員はその映像を監督から見せてもらっていたので内容を知っている。倫太郎もそのうちの一人で、佐久早や古森がテレビでその引退宣言を聞いていたら"面白かったのに"───と、残念に思った。
「春野さんはあの試合を最後に引退したわ」
「!!」
「えっ、マジで!?」
「インタビューでもあの日でバレーはしまいって話してたんやけどな、さすがにそこは使われへんかったわ」
治はストレートに言葉を放ち、補足するように銀島が話す。
佐久早も古森も、の思いがけない引退、あっけない別れに目を大きく見開いていた。通常でも怪我や不調、スタメン落ちなどの状況も考えられるが、おそらくもう再戦出来ないという事実が彼らの胸には重たくのしかかったのだろう。
まだ、バレーボールという人生が続くと信じていたなら、尚更。
「あ~、佐久早くんに適当な返事したからな、悪いことをしたわ」
経緯を聞いたは悪いことをしたと言ったわりに、あっけからんとしていた。
今は倫太郎の買ってきたやきそばを食べながら、口の周りに青のりをつけている。
けして強奪されたのではない。腹を鳴らしている様子があまりにも憐れだったし、なんか食べ物を与えたくなる顔をしていたので。
もこもこと頬を動かし、着物の袖や長い髪を避けてる様は妙にちぐはぐで、倫太郎は面白くて眺めた。写真撮りたい、と思いながら。
───ふと、赤木が持っていた写真が脳裏をよぎる。
お稲荷様に扮したが、おにぎりをほおばっている姿だった。
それをまだお稲荷様の正体が知らない時に治が後ろから見てしまって、ひと悶着あったのは余談である。
「でもあんま珍しいことじゃなくない?」
「そうですね」
は全くと言って良いほど、自分の引退と引退後にショックを受けた人間のことは気にしていなかった。
次も同じ相手と試合が出来るとは限らない。バレーでしか繋がりのない人が、バレーを辞めた時、縁が切れる可能性もある。
そんなのは、よくあることだから。
倫太郎は改めて、今バレーと全く関係のないところにいるを見た。
同じ学校の一年だけ部活が一緒だった先輩。会えば挨拶はするし、連絡先も知っていて、共通の知人はたくさんいる。
バレーを辞めても、卒業しても、その過去や今の関係は変わらない。
だけど例えば別の学校に進んでいたら、遠目からを見て、ろくに関りもしない人生が待っていた。
映像の中で言った彼の『楽しい毎日』にはきっと、含まれない。
───それを想像して、嫌だなと思った。
クラスの出し物は全体的にやる気のない休憩所で、店番もあってないようなもの。当番でもないのに意味もなく屯すクラスメイトが数名いたので、適当に言い訳をして教室を出た。
仲のいい友人がいないわけではないが、わざわざ探したり呼び出すほどでもない。そもそも、当番以外の時間に約束をしていた。
その為、荷物置き場として解放されていた教室に、適当に食べたいものを買って持ち込んだ。
教室内はすべてのカーテンが閉まっていて、昼間だと言うのに仄暗い。
教室の奥へ進んだのは、カーテンを開ける為だった。
電気をつけるよりは、カーテンを開けた方が"適度に"明るくなる。それに、廊下から教室の電気がついてるのを見て、誰かが入ってくるかもしれないと思うと、億劫になったのだ。
カーテンを掴んで横に押し開けると、レールが軽く音を立てた。
透明の窓ガラスが露わになった途端、目の前には人が膝を抱え込んで座っていた。
「!?」
視界に飛び込んできた光景に、倫太郎は息をのんだ。
叫び声は出なかったが、身体が仰け反るほどに驚いた。なぜならここは三階だ。
人が座っている場所は、けして丈夫ではなさそうな、細い木の枝である。
「倫太郎だー」
「さん……?」
窓を開けると、木の上にいたその人───はからりと笑っていた。
春野との出会いは、特になんの変哲もない。倫太郎が入学した稲荷崎高校のバレー部に入部した日に遡る。
彼は同学年の北と共に一年生の指導係のような役職をまかされていた。
他の上級生よりは比較的早く、多くの交流を持ったけれど、本入部が決まるとその役目はなくなった。部員数が多い為に離れていくかに思われたが、は倫太郎と同じトレーニンググループにいた為、繋がりが薄れることはなかった。
そのまま、次第に「倫太郎」と下の名前を呼ばれるに至る。
彼が下の名前で人を呼ぶのは、"はとこ"らしい北、それから中学から顔見知りで高校では同じクラスの尾白、同じ苗字で紛らわしい宮兄弟以外では、倫太郎だけだ。角名と倫太郎であれば抜群に角名の方が呼びやすいだろうに、何故かと一度問いかけたことがある。
けれど彼の答えは純粋に「そう呼びたいから」だったので閉口した。
馬鹿なことを聞いた、と倫太郎は思った。呼びやすさでいうなら侑はツム、治はサムだろう。まあ、あれらは呼ぶのに抵抗を抱くあだ名だけれど。
は誰にでも懐っこい人だと思った。
そんな中で見せた、かすかな特別が、当時倫太郎の心に喜びの種を蒔いた。
「や~、ここ倫太郎のクラスだったか」
教室のカーテンを開けた途端のあの一瞬。木々に同化してしまいそうなほど静けさを伴った雰囲気は、倫太郎に気づいた時点でなりを潜め、ふにゃんとした笑顔になった。
の格好は制服ではない。腰ほどまで長い髪をした鬘を被り、古めかしく華やかな和装に、やや化粧を施された顔。つまり、仮装をしている。
「なにやってるんですか、登って降りられなくなったとか?」
「そうじゃないけど」
そもそも三階の高さにまで登って来られるものなのか、と思いつつも現実を目の当たりにしては納得するしかない。
これまで彼の運動能力の高さを目にしては、たびたび目を疑うことはあったが、いちいち自分の認識を改めてきた。
「人目につくのがヤでえ……」
「……そこ危ないんで、こっち来てください」
「でもクラス、ひといない?」
「いないです。ここ荷物置場なんで」
色々と思うところはあったが、倫太郎はをそのままにしておくのも気が引けたので、中へと誘った。
ここは今、人目に付きたくないと言う彼にうってつけの、無人教室である。
「じゃあ飛び込むから、窓から離れといて」
思わずに手をのばしかけた倫太郎だったが、彼の言う通りに距離をとる。はすぐ、身軽に教室の中に飛び込んできた。
長い髪や着物の袖が、その動きに宙を踊るのさえ様になる。
かつて彼は、二年連続で文化祭の顔ともいえる、『お稲荷様』だった。
昨年は稲荷道中と、その後宮兄弟に担がれてるところまでをこの目で見た。そして一昨年は、上級生のSNSを探して見た。その為、がこういった格好をしているのも初見ではない。しかし、今年はさすがにお稲荷様ではなかったはずだ。
「てか、その格好なんですか?」
「今年はかぐや姫、クラスの出し物」
「え。それって逃げちゃ駄目なやつなんじゃ」
聞けばのクラスは演劇で、彼はかぐや姫役に抜擢されたのだという。当初は秘匿されていたらしいお稲荷様の正体も、宮兄弟が担ぎ上げたりしたせいで徐々に生徒に知られていくようになった今、かぐや姫をやらされるのも頷けた。
しかし主役が脱走するのは、倫太郎のように当番をサボるのとはわけが違う。そのことを指摘すれば他にも演じる役者はいるし、ほとんど御簾越しに喋るのだと言った。
そのわりに、豪勢な衣装だと倫太郎は思う。も同じことを思ったらしく、「だのにこんなに着飾りやがって……」と呟いている。
ぷうと唇を突き出しながら息を吐いて、前髪を飛ばした。
「動きづらそう」
「ウン、動きづらいよ」
「そう言いつつ、木登りしてるじゃないですか」
「木登りは大した動きじゃないからなあ」
胸を張るをよそに、倫太郎は宇宙の神秘に思いをはせた。思考放棄ともいう。
「───さて、この後どうしようかな」
「見つかりたくないのって誰なんですか」
「クラスメイト。信介はさー、当番中だから助けを求めらんないのよ」
「北さんって、さんのサボりには寛容なんですか?」
「あ。さすがにあかんかも」
いいながらは、教室の床に遠慮なく座った。
親戚同士で今は一緒に住んでいるらしいと北は、傍から見ていてかなり気の合う関係である。
圧のある隙なし男の北に、駄々をこねたりできるのはくらいのもの。
かといって、クラスの役目を放棄したとなればさすがの北は苦言を呈し、は言い返す余地がないだろう。それは倫太郎もも同感だった。
「不安なってきた。クラスメイトが信介に言いつけたりしないかな」
「……宮兄弟の喧嘩じゃあるまいし、いちいち北さんに言わないでしょ」
「アッハ」
は宮兄弟ほど暴走して周りに迷惑をかけるわけではない。そんなの素行を、ただのクラスメイトがいちいち北に言いつけて、叱ってもらうわけがなかった。
そう思考が辿り着いたと同時に、宮兄弟がいかに破天荒であるかを浮き彫りにし、を失笑させた。
「ちなみに倫太郎は今なに中?」
「俺もサボりです」
「ほぉん?共犯か。居座っても良い?」
良いかと問いかける形をとっているが、ほとんど宣言にも近いだろう。倫太郎は一応頷いたけれどはほとんどその様子を気にかけていなかった。
とはいえ、倫太郎が了承したのは嫌々ではない。本来ならわざわざ他人のサボりの片棒を担ぐ真似はしないが、のことは下の名前で呼ぶくらいには慕っているのだ。
二人になるの久しぶりだった。部活の先輩でいた期間はたった一年で、彼が早期退部をしてからもう半年が経つ。
しかしはそのブランクをものともせず「倫太郎なにくってんの」とか「クラス何やってんの」とか聞いてきて、極端に気まずい時間が流れることはなかった。
そうして他愛ない話は結局、バレーの話に辿り着く。
「そういや、インターハイおつかれ」
は引退してからもバレー部のことを気にかけており、度々応援に来ているのもみかけた。
全国大会は会場までは行けなかったためテレビで観たらしいけれど。
「───さんがいないの、他校のやつらに聞かれましたよ」
「え? そうなん?」
インターハイの会場で、何人かの選手が部員にの不在を問うのを見かけた。
直接的に聞かれていたのはほとんど、と同学年である三年生だ。
しかし唯一、倫太郎たち二年生にのことを聞いてきた人物がいた。井闥山学院の二人だ。彼らは二年生だったので、同じ二年が相手の方が聞きやすかったのだろう。
───「なあなあ、春野くん何でいないの?」そう、軽やかに聞いて来たのは古森元也だった。後ろには目つきの悪い男、佐久早聖臣もいる。二人は一年の時、の引退試合となった春高にも出場する程の実力者だ。特に、は聖臣と接戦を繰り広げていた。
「春野さんなら、」
「おらんもんはおらんねん。今日なんべんも聞かれとって耳にタコができそうや」
銀島が古森に答えようとしたその時、虫の居所の悪かった侑が悪態をつく。
不在の選手を問う必要性の無さに苛立ったというよりは、機嫌が悪かっただけである。あとはおそらく、と一緒に試合したかったという気持ちを思いだして、不貞腐れていたのだろう。
「悪い、いっぱい聞かれてるよな! でも聖臣が春野くんのファンでさ~、どうしていないのかって、ずっと気にしてるんだよ」
「ファンじゃねえ」
古森の後ろでずっと顔を顰めていた佐久早は地を這うような声を出した。
「素直じゃねえな~。試合後のインタビューで春野くんが聖臣のこと褒めてくれたの喜んで───」
「黙れ」
この二人が、単に興味本位での不在を聞いてきてるわけではないことくらい、誰もが分かっていた。特に佐久早はと最後に戦った相手だ。
自身も彼に期待を寄せて、成長を楽しみにしていると語っていた。それは、にとっては観戦という意味であり、対戦を意図してはいなかったのだろうが。
「……あのインタビューOAされたの短かったよね」
倫太郎が思わず苦笑しながら会話に入ったのは、が試合後に受けたインタビューはテレビではほんのわずかな時間しか使われなかったことを知っているからだ。それも古森の言う通り、聖臣について話したところしか使われていない。
稲荷崎高校の敗退におけるコメントは、監督と当時の主将の映像が流れていた。
本来のインタビューで、は聖臣のことを話した後、次の目標を聞かれた。けれど目標の答えはなく、引退宣言をした。
そんな引退宣言も、バレーをやっていての感想も、にとっては聞かれたから答えただけで、特に誰かに聞かせたいわけでも、ましてやテレビで放映してほしいとも思っていなかっただろう。だけど、一部の部員はその映像を監督から見せてもらっていたので内容を知っている。倫太郎もそのうちの一人で、佐久早や古森がテレビでその引退宣言を聞いていたら"面白かったのに"───と、残念に思った。
「春野さんはあの試合を最後に引退したわ」
「!!」
「えっ、マジで!?」
「インタビューでもあの日でバレーはしまいって話してたんやけどな、さすがにそこは使われへんかったわ」
治はストレートに言葉を放ち、補足するように銀島が話す。
佐久早も古森も、の思いがけない引退、あっけない別れに目を大きく見開いていた。通常でも怪我や不調、スタメン落ちなどの状況も考えられるが、おそらくもう再戦出来ないという事実が彼らの胸には重たくのしかかったのだろう。
まだ、バレーボールという人生が続くと信じていたなら、尚更。
「あ~、佐久早くんに適当な返事したからな、悪いことをしたわ」
経緯を聞いたは悪いことをしたと言ったわりに、あっけからんとしていた。
今は倫太郎の買ってきたやきそばを食べながら、口の周りに青のりをつけている。
けして強奪されたのではない。腹を鳴らしている様子があまりにも憐れだったし、なんか食べ物を与えたくなる顔をしていたので。
もこもこと頬を動かし、着物の袖や長い髪を避けてる様は妙にちぐはぐで、倫太郎は面白くて眺めた。写真撮りたい、と思いながら。
───ふと、赤木が持っていた写真が脳裏をよぎる。
お稲荷様に扮したが、おにぎりをほおばっている姿だった。
それをまだお稲荷様の正体が知らない時に治が後ろから見てしまって、ひと悶着あったのは余談である。
「でもあんま珍しいことじゃなくない?」
「そうですね」
は全くと言って良いほど、自分の引退と引退後にショックを受けた人間のことは気にしていなかった。
次も同じ相手と試合が出来るとは限らない。バレーでしか繋がりのない人が、バレーを辞めた時、縁が切れる可能性もある。
そんなのは、よくあることだから。
倫太郎は改めて、今バレーと全く関係のないところにいるを見た。
同じ学校の一年だけ部活が一緒だった先輩。会えば挨拶はするし、連絡先も知っていて、共通の知人はたくさんいる。
バレーを辞めても、卒業しても、その過去や今の関係は変わらない。
だけど例えば別の学校に進んでいたら、遠目からを見て、ろくに関りもしない人生が待っていた。
映像の中で言った彼の『楽しい毎日』にはきっと、含まれない。
───それを想像して、嫌だなと思った。
角名倫太郎とも関りがあったんやで、という話。
体幹トレーニング一緒にしててくれぇ。
Oct 2023
Mar 2025 改稿