sakura-zensen
春の雪
12話
芹沢鴨、平山五郎の二名は奸賊によって斬殺。他二名の隊士は事態を察して逃亡。
壬生浪士組結成時に水戸藩出身だったものたちはこれで隊内にいなくなった。
とはいえ、芹沢先生の影響を受け、慕っていた者たちは残る。
彼らは芹沢先生を悼む会と称して、芹沢先生ほどではないが日ごろより宴会を執り行うわ、金を借りるわで、あまり素行が良いとはいえなかった。
そんな中、土方副長が隊の規律を改めた。局中法度書だ。
一、士道に背くまじき事
一、局を脱するを許さず
一、勝手に金策致すべからず
一、勝手に訴訟取扱うべからず
一、私の闘争を許さず
これを背く場合は切腹。
士道に背くまじき事を更に詳しくいうと、敵と対峙して後ろ傷を受けた場合は必ず相手を討ち取るべし、ということだ。そうしなければ敵前逃亡と見なされる。また傷を負うことをおそれ、戦わない場合も敵前逃亡。
庭に集められて言い渡された隊士たちの多くはどよめいた。金目当てだったり、武士に憧れただけで入った者も少なくない。そういった者たちにとって、死はやはりどこか遠いものだった。特に今にも斬り斬られると言う状況ではない時、組織に所属すること、普段の身の振り方というのがわかっていなかった。
切腹を言い渡される隊士は、すぐに出た。
土方副長のお使いで町に出た時、背後から名乗りもせず襲ってきた不届きものがいた。俺は防いだが共にいた田上さんはそうではなかった。背に傷をつけられ蹲り、相手は天誅といって逃げて行き、討ち取ることが叶わず。
田上さんは土方副長に、腕が上がるようになってからの切腹を言い渡された。それまでは逃げ出さないように、見張りをつけられることになる。
「沖田先生、今夜は田上さんの張番にわたしがついてもよろしいですか」
「───いいですよ」
夕飯の席で沖田先生に願い出れば、許可は得られた。何かを考えるようなそぶりだったが、何も言われないのをいいことに俺も意図を口にしなかった。
だから交代で謹慎部屋へ行こうとした背後から、俺を呼び止めたのは沖田先生ではなくて土方副長だった。
どこへ行くと聞かれたので、単なる偶然だったのだろう。俺は巡察のない夜はなるべく早く眠るようにしているので、不思議だったのかもしれない。
「田上さんのところへ、張番です」
返答を聞いた土方副長は眉を顰め、行けと解き放った。
田上さんのところへ行くと、布団に横になったままぼんやりと虚空を見つめていた。夕食の膳にはほとんど手もつけていない。
奇襲に遭う前とは大違いの人相だ。まあ、あたりまえか。
借りた金は出世払いすると笑っていて、威勢がいいのに剣術は弱っちくて、人の忠言に耳を貸さないところが無邪気で、普通の友達っぽいところがあった。そんなところが惜しくもあって、───果たして、俺は逃がそうとでも思ったのだろうか。
「は、春野!」
「はい?」
静寂か死の恐怖に耐えかねた田上さんは、突如飛び起きた。そして俺に逃がしてくれと頭を下げた。実際にそう頼まれると、どういう訳かさっきまで俺の中にあった迷いは消える。
「できません」
首を横に振ると田上さんは蒼褪め、泣きつき、情に訴えた。徐々に狼狽えたり支離滅裂になっていくのを、俺は静観した。死への恐怖に錯乱するのはよくあることだ。
「そ、そうだ、いっそ、今死ぬ───、介錯してくれ春野」
「えッ!? ま、待ってください、田上さんはまだ腕が」
傍にあった刀を掴みとった田上さんには流石に驚いた。止めようとしたとき、ふとその視線の向きが怪しいことに気が付いた。田上さんは自分の腹ではなくて俺に刃を向けようとしている。だが背を傷つけられていたことでいつも以上に動きは鈍かった。
「……腕があがらないくせに、俺を殺そうとは……ね」
「っ」
俺は田上さんの不意打ちを、畳に転がりながら避けて立ち、刀を抜いた。
そして上から、その首を叩き斬った。
布団に赤い血が飛び散り、一瞬で広範囲を汚す。むわりと血の匂いが部屋に充満した。あ、これ叱られる……?
「ね? だから言ったでしょ、土方さん。春野さんは脱走の手助けなんてしませんよ」
おどおどしている俺の耳に、沖田先生の声が入ってきた。
どうやら襖の向こうには先生と土方副長がいたらしい。気づかなかったのは俺が田上さんについて考え事をしていたからだろう。ちょっと反省だ。
「なんでお二人が?」
声をかけると、沖田先生は廊下にしゃがんだ姿勢でするりと襖を開けて笑う。それより離れたところにいる土方副長も露わになったが、必死でそっぽを見ている。今更誤魔化したところで何にもなっていないがな。
「土方さん、春野さんのことが心配だったみたいです」
この場合の心配は、俺が局中法度を破らないか心配という意味では?
純粋な心配をされていたわけではなくて、疑ったという方が正しいだろう。
少しでも田上さんの懇願に甘い態度でいたら、俺も士道不覚悟で切腹を言い渡されたのかもしれない。
「───鬼ですねェ」
ぽろ、と本音が零れた。他者がそんな風に称したのも頷ける。いっそ、感動すらした。
しかし俺が暴言を吐いているにもかかわらず、土方副長と沖田先生は一瞬目を瞠った後、沖田先生だけが噴き出して笑う。怖いもの知らず、ってところかしら。
それからも、局中法度の違背者は続いた。
切腹をおそれての脱走、それが見つかり切腹またはその場で隊士に誅伐されるという悪循環だ。
「いちいちそれを見せられる隊士たちもうんざりですよねえ。見せしめとしての効果は確かにあると思いますけど。ほんとに土方さんの考える事ったら───、一本気で可愛いったらありゃしない♡」
沖田先生は四人目の違背者の介錯人を務めた後、そんなことを言っていた。もうこの人の場合土方さんのやることなすこと、全部可愛いって思うんだろう。惚れた弱味だ。
「わたしは沖田先生が処断の後こっそり花を手向けるの、可愛いと思いますよ♡」
「……ふざけてないで行ってきなさい」
俺はお金を渡された手で額をぺちんっと叩かれ、あしらわれた。遠くで土方副長が沖田先生を呼んでいる声がして、先生も走り去って行った。
屯所を出ていつものように花を買い、戻ろうと歩いていると俄かに塀の向こうから物音がした。ふと上を見上げたところで、顔を出した男が塀を飛び越えてこちら側に着地。俺の目の前だったので風圧が来る。
「ひょ~、こりゃまた可愛いらしい壬生浪さんやなあ」
商人風の若い男が、俺を見るなり目を丸めた。
ほとんど揶揄いのような匂いも感じるが、ニコと愛想笑いを返して塀の向こうに耳を欹てる。男も一緒になって壁に手をつき向こうの様子を窺った。
どうやら彼は薬売りで、向こうには女房と旦那がいるようだ。女房に手を出していたのを旦那に見つかりそうになって逃げてきたというわけらしい。
「いやー、参った参った、こんな真昼間にいきなり帰って来るよんねんから、あの旦那。おちおち薬も売られへんわ」
「下帯が緩んでますよ、おマ抜け男さん」
「お、こりゃ一本取られましたわ、壬生浪の旦那♡」
今は新撰組と名を変えたが、この人は知らないのだろうか。訂正する気も起きずに身軽で調子の良い男と別れようとする。
だが口数が多い人のようで、俺が花を持って隊務に当たることをちょっとだけ揶揄われた。
なんかわざと煽ってるのかな、と思いつつそんなことでキレはせんと煽り返す。
「麗しくていいだろう?」
男はきょとん、と目を瞠ったあと、次第に破顔した。
そして調子よく「また会いまひょ」といって去っていく。逃げ足はかなり早そうだった。別に追いかけないけども。
「また……会う……?」
しかし俺は、最後の何気ない一言に、少しだけ引っかかった。
あくる日、俺は沖田先生に尋ねた。桂小五郎の顔を見たことがあるか、と。
いったいなぜこんなことをと聞かれたので、俺は昨日であった不思議な男の事を話す。
「───それで近頃、政変で追いやられた長州派が起死回生を狙って京に戻ってきているそうじゃないですか。桂もその中に居るかもしれませんよね」
「ええ」
まじまじ、と顔を見つめられた。どこからそんな情報を、と聞きたいのかもしれないが、それは単純に町に繰り出し人の話に耳を傾けるだけだ。町人たちだって尊王佐幕に無関心ではないし、派閥に入っていないからこそ噂話の口が軽い。
「男が出入りしていた家にいた女、先斗町にある御茶屋のひとみたいなんです……あの辺りは長州藩邸にも近いし、なんだかきな臭いなと思って」
「そうですね」
「薬屋は間男で、中には旦那らしき男もいたので、状況としては少し弱いでしょうか」
それでも気になるのは桂小五郎という男が、身軽で逃げ足が速く、なかなか男前だと言う噂だからだ。それでもし、沖田先生が見たことがあるなら人相や体格などを聞けたらいいなと思ったのだが───、ぷっと沖田先生は笑い出した。
「うふ、ふふふ、春野さんにそこまで知られながらも、正体がわからないのではその薬屋の人も中々やり手ということですね」
何で笑われたのーと思っていると、沖田先生は薬屋のことを褒め出した。
「私から言えることはまだ少ないですが───近々、大捕り物があるかもしれません」
「わかりました」
沖田先生は何かを知っていて、それは俺が調べている以上のことだ。
そして新撰組としても秘密裏に動いているみたいなので、あまり深入りして邪魔をするわけにはいかなかった。何せ俺は平隊士である。
なので俺は、非番の日に女装して町へ繰り出した。
薬屋の男が桂小五郎ではなさそうな口ぶりだったが、桂小五郎がこの町に来ているのであれば顔を拝んでおきたいと言うのが俺の本音だ。
しかし顔も知らない男、それも身を隠している奴を見つけるのはそう容易な事ではなく、俺が先に見つけてしまったのは先日あった薬屋の男だ。この日は若旦那風の格好をしていて、先斗町のお茶屋へと入っていく。
このまま俺も潜入するには向いていないなあ、と身を潜めて窺った。
出入りだけを確認していると若旦那の後は店の者が出て、その入れ違いに二名程武士らしき男が入っていった。
しばらくして、今度はその店に、新撰組が御用改めに入っていき騒がしくなる。沖田先生の姿もあったので、近々あると予告されていた大捕り物がこれだったのかと納得した。
店は混乱に包まれていた。───その中、一人の男が逃げていく。後から入ってきた二名の内の一人だ。余裕のある歩幅と佇まいをしていて、もう一人いる男には何やら敬われている様子だったから気になっていたが、状況からしてあれが指導者である可能性は高い。
俺は物陰から出て、男を追いかけることにした。
女装チャンスは自分で作る。ふんす。
Aug 2025