Stay. 01
最近、ナルに大きな仕事を任された。やりがいのある仕事、スキルアップが望める、先輩たちは優しく仕事を教えてくれて───なんてことはなく。
内容はただのファイル整理だ。大量に貯蔵されていた資料を分類、タイトル、あれば著者など全てまとめて目録を作りながら新しいファイルに綴じてラベリングする。
元々几帳面に整理はされていたけど、かといって最適な保存形態だったかというとそうでもない状態だった。俺にやらせるのは、初めて見た人でも、どこに何が仕舞われているのかわかるようにすること。
その途方もない作業もいよいよ大詰めで、最近はリンさんの手を借りて資料室に通っていた。というのも、目録やラベルは手書きではない方が見やすいので、リンさんに作ってもらうのだ。
「俺がいるうちに面倒な雑務をやらせとこう、って魂胆かな?」
俺の何気ない問いかけに、隣でちみちみラベルシールを貼るのに付き合ってくれてたリンさんの手が止まった。
ゆっくりと顔を上げてこちらを見る。
「辞める日が決まったんですか」
「いや決まってないけど。でも安原さんは四年になったらかなりシフト減らしたから、俺もそうだと思ってるんじゃない?」
順当に行けば、俺はあと一年で大学を卒業する。二つ年上の安原さんは卒論と就職活動に集中するため、四月ごろからシフトをセーブし、調査だけ優先するのみになった。それでも内定が出てからは結構バイトに来てたけど。ナルはおそらくそれと同じに考えて、来年以降は俺をこき使いにくいと思ってこんな雑用をやらせているのかもしれない。と、思ったわけだ。
しかし進路の話なんてナルと全然してない。そもそも俺が何年生なのかも覚えていない気がしてきた。そして俺はよほどのことがない限り卒業まではここに通う気満々だ。なにせここほど割の良いバイトはない。
……でも一年経つのは、きっと早いだろうなあ。
「俺がここ辞めたら大分静かに───って、あれ?」
リンさんを見やったその時、隣の椅子にリンさんがいない。それだけでも驚きなのに、なぜだかそこにはちょこんっと黒い毛並みの犬のぬいぐるみが……いや、本物だコレ。
「……ポメラニアン……?」
はひはひと息をしている生き物にたじろぐ。
「お、おいでー……?」
とりあえず捕まえるかと思って、怯えさせないよう手を開き、膝を近づける。ふんふんと匂いを確かめるように寄ってきた犬に、そっと触れる。
まずは毛並みのふわふわが掌に当たった。そのまま手を埋め込み、中にある胴体の感じを確かめながら自分の膝の上に乗せた。
すると興奮からか、切ない鳴き声をだす。
「きゃぅう……きゅぅ~~っ」
「うお、よしよし」
あんまり大きい声を出されると、近所迷惑……ってか、ナルに見つかる。
反射的に抱きしめて背中をぽんぽんした。赤ちゃんじゃないのでこんなことをしても落ち着かないとは思うが、つい。
「てかリンさんどこ行った?」
俺は犬を抱っこしたまま立ち上がり、辺りを見渡す。
絶対いないだろうけど机の下も見た。いなかった。
「きゃん!」
「リンさぁん?」
「ぁん!」
「いや君じゃなくて───……え? リンさん?」
さっきからリンさんを呼ぶためにお返事をする犬に、俺はとうとうトンチキな尋ね事をする。お前はリンさんなのかと。
「ぅあん!」
「───リン!」
「……」
俺がリンさんと呼んだら返事をしたが、その後血相変えて飛び込んできたナルの呼びかけには応じなかった。どっちなんだよ。
ちなみにナルは、俺に抱っこされたポメラニアンを見ると、頭を抱えてため息を吐いた。
この世界には、前世の世界にはなかった『ポメガ』という体質がある。
ざっくりいうと、身体的、精神的な疲労が過度になると、その身体が犬化する。ポメラニアンに似た犬種になるから、ポメガと呼ばれてるとかなんとか。
人に戻るには休息、そして精神的な癒しが必要になるらしい。
「本当にポメラニアンなんだな……」
「ああ、普通の犬と見分けがつかない」
俺とナルはソファに座りながら、尻尾をフリフリしているポメラニアンをまじまじ観察する。
ポメガの存在は知っていても、希少な存在と言われていて、当事者は周りにいない。まあ、いたとしてもその事実は隠されるし、犬化した姿を見せる事はほとんどないらしい。
それもそのはず、犬にそっくりなので見分けがつかないし、それを理由に色々と問題が起きそうだからだ。この社会問題について、今は語る暇はないけれど。
俺はリンさんの姿にはかなり驚いていた。まず人が犬になるっていうのもそうだけど、中身がリンさんであることは思えないくらいの愛嬌よ……。
ナルが触ろうとしないせいか、リンさんは俺の膝にすりすりしている。なんか撫でを要求されている気がした。
ここまで犬と遜色ないのなら、撫でてしまうのが犬好きのサガってやつ。
ふわふわだーっ。
「ナルはリンさんからこの体質を聞いてたんだね?」
「情報としてはな。よほどのことがない限り犬化しないし、安定剤を服用していると聞いてる」
「それを切らしたってことかな」
「……もしくは、効かないほどに疲れていたか」
ナルはひたすらポメラニアンを見るだけだ。
もぞもぞ俺の腰のあたりに鼻先を埋めている犬をひょいっと抱き上げ、くるりと向きを変える。
「撫でてあげたら。たしか、愛情表現されると嬉しいんじゃなかった?」
「結構だ」
ぷい、とナルが顔を背けるのと同時に犬も顔を背けた。
「結構って……人に戻してやらないと」
「それはが適任みたいだけど」
「は? なんでだよ」
「見るからに懐かれてる」
「う」
身体をジタバタさせたあと、再び俺にぐりぐり頭を擦り付ける犬を見て何も言えなかった。
そっと、声を潜めるように前かがみになる。まあ声を潜めたところで犬の聴覚には聞こえるんだろうが。
「これって、人だったときの記憶がないってこと?」
「さあ。犬の本能が強まるとは聞いてる。ただ、人に戻った時に犬だった際の記憶はちゃんとあるそうだ」
「……っ」
その瞬間俺はホールドアップした。セクハラで訴えられたら、ナルは俺を擁護してくれるだろうか。
ていうか今の話を聞いて尚更、俺がリンさんの面倒を見るのは無理になったぞ。
「たしか、ケアをしてくれる専門家がいなかったっけ。むしろ見知らぬ人の方が良いんじゃ」
「僕はよく知らない」
「俺も知らない……」
今の俺達に出来ることは少ない。なにせ突然の出来事だ。俺に至っては実在するポメガを初めて見た。
噂話でしか聞いたことのない専門家についても、スマホで呼べるものか調べてみたけど、なんか全部うさんくさく見えてくる……。こんなところにリンさんを預けるのは怖すぎる。
「そもそもリンの性格からして、見知らぬ人間にケアされて満たされるとは思えない」
「マッサージとかエステだと思えば、知人にされるよりプロの他人の方がよくない?」
「リンはお前から離れたくなさそうだが?」
「……」
きゅーんきゅーんと切ない声が訴えてる。撫でてって。
俺はソファの背もたれを握ってた手を離し、おずおずと犬の毛に手を埋める。ふわふわだーっ。
俺はナルと一緒にマンションに帰ってきた。普段はナルとリンさんが滞在している家具付き賃貸物件だ。ナルが日本での滞在を延長すると決めた少し後に入居したらしい。
二人は仲良く隣室……というわけでもなく、同じフロアにいるらしい。まあ、その時の入居状況のせいだな。
ともあれ俺はナルに教えられた通りリンさんの部屋の前に立ち、リンさんの荷物から抜き取った鍵を使ってドアを開ける。……この背徳感。
最初は俺が自分のアパートに連れて帰るのも考えたが、まず俺のアパートはペット禁止だ。もし見つかった場合は即時退去とクリーニング費用割り増しという名の罰金が科せられる。たった一晩の預かりだとしても、見つかってしまえば飼っていたと見なされるのだ。そんな危険を冒すわけにはいかず、ナルがリンさんの部屋に入る許可をくれた。
あとで嫌な思いをするのでは、と思ったがナル曰く「自業自得だ」とのこと。それはそう。
「おじゃましますー……」
まさか俺がリンさんの部屋に入ることになるとは。
緊張と戸惑いに溢れながら、抱っこしてたポメラニアンを床に下ろす。かちゃかちゃと音を立てて歩き回っているのが分かった。
手探りに玄関の電気をつけると、両サイドには洗面所や寝室に向かうドア、つき当たりにはリビングのドアがあった。リビングのドアだけ透明なガラスがはめ込まれていて、先にある部屋が少しだけ見えた。
俺は泊まり込みを覚悟してスウェットやら下着やら歯ブラシやらを買ってきていたので、それを遠慮がちにリンさんの私生活の中に忍ばせていく。
リンさんはその間も、俺の後をテテテテとついてくる。まあ、自分の家の中を他人に歩き回られるのは落ち着かないよな。もしくは、ただ本能的に俺を追いかけてるのかも。
「シャワー借りたいんだけど、いい?」
「キャンッ」
「いいということにしまーす」
俺はリンさんを洗面所の外においやって、シャワーを浴びることにした。ちょっと一匹で待っててください……。
シャワーを借りた後の俺は、廊下で待ってたリンさんの健気さに負けて、抱っこしてリビングにいった。買っておいた弁当を食べるためだ。
一応食事中なので撫でることはできないが、リンさんはじっと俺が食事してる姿を見ている。
「お腹すいてる?」
食べられないこともないと聞くが、その後のことを思うと気が重かった。なぜなら、食べたらその分が循環される。つまり消化も排泄も必要になる。その世話まで俺にされたら、リンさんは二度と俺の前に姿を現さなくなりそう。
一晩で戻ると見越して、出来るだけ食事はとらないで方が良いというのが俺の案だ。でもお腹が減ってるならあげる気でいた。
問いかけた俺に、リンさんはこてっと首を傾げた。多分お腹は減ってないんだろう。
というわけで、念のため水だけはいつでも飲めるように浅い皿に準備しておくことにした。俺が見てない隙に水分補給してくれ。
「明日の朝には戻ってるといいね」
そういうと、リンさんは俺の膝にちょこんと頭を乗せた。
next.
リンさんへのしゅきが高まりすぎてキレ気味になると、私が本気になれば、リンさんなんてポメラニアンにしてやんだかんなって考えてました。
実現しました。笑
あたたかい目で見守ってください。
Jan. 2026