I am.


Stay. 04

俺は情けない顔してナルの部屋を訪ねていた。
ポメラニアンはさっきまで俺が着てたスウェットに包んでいる。着替える時、目隠しのためにリンさんの上にかぶせたのを気に入ったのか、噛んで離さなかったのでそのまま持ってきた。
ナルは俺とポメラニアンを呆れた顔で見ながら、ドアに肩で寄りかってため息を吐く。

「朝になっても戻らなかったのか」
「……一回戻って、少し話してたらまたなった」

俺は今朝リンさんが人だったことから犬になるまでの経緯を話した。とはいえ、話の内容までは言えなかった。特にリンさんが俺の犬になりたい宣言をしたくだりなど。
ただし、薬が効かないということだけは伝えた。
この時、ナルも俺もうっすらと一つの可能性について思い当たっていた。
がリンの犬化に関わっている?」
「……───」
腕の中の犬がぴくんと反応した顔を上げた。
基本的に犬化の原因と考えられるのは、"負荷"だ。つまり俺がリンさんに何らかの"悪い"影響を及ぼしているということになる。
ところがその諸悪の根源たる俺に対し、犬は好意全開と言っても良いそぶり。
今も、俺の顎にごつごつ頭突きをしてくるポメラニアンに対してナルは不思議そうにしている。
「俺が原因なら、丁度良い機会だし、今日はナルが預かってよ」
「……、」
「大学休めとは言わないよね?」
ナルは嫌そうな顔を隠しもしない。リンさんも俺の言葉を理解しているのかきゅーんきゅーんと鼻から甘い声を出し、媚びるようにつぶらな目を向けてきた。
こうしてみていると、本当にただの犬なんだよなあ。
普段のリンさんとは全く違うのに───。

───「どうしたら、私を……」

ふと、さっきまでのリンさんの様子が思い起こされた。
俺に縋るような顔して、犬になるとまで言ったのは、紛れもなく人のリンさんだ。犬であるときの記憶もある。
もし俺が精神的負担なのだとしたら、リンさんは犬になっても俺の世話になるなんてことを選ばないだろう。
ますますわからなくなってきたぞ。

「あのさ、リンさんの家族に連絡とれたりしない? かかりつけ医とかいないのかな」
「……わかった、してみる」
とりあえず俺とナルだけではらちが明かないことは確かだ。
俺の提案にナルも素直に頷いた。
ポメガは一応遺伝性らしいが、実際の発症の確率は10%以下と医学的には言われている。とはいえ家族も理解はしているだろう。
薬を飲んでるくらいだから、専門医だっているはず。
リンさんが犬になっていて口がきけない今、もうこの場にいない人たちの助言を求めるしかなかった。

「───そういえば、この布はなんだ」

ナルはリンさんを包むグレーのスウェットを見て首を傾げた。
俺の寝間着だったことと掴んで離さないこと、オモチャにでもすればいいことを伝えるとため息を吐いた。
「汚されていいのか?」
「おお、臨時で買ったやつだし。そろそろ俺行かないとだ。……帰りはここくればいい? それともオフィス?」
「リンがこの状態ではオフィスも開けられないな。講義が終わるころ、うちに来てくれ」
「わかった! 行ってきまーす」
俺とナルは慌ただしく別れた。ちなみにリンさんは俺が離れて行こうとするとキューンキューンと鼻を鳴らしていた。ナルの部屋のドアが締められるまでその音は止まなかったし、その後でも遠くでワンワンと吠える鳴き声もしていた。
しかしそれも、俺がエレベーターに乗ってしまえば聞こえなくなった。



講義開始時刻には滑り込みセーフだった。同じ講義をとってる友達には寝坊と笑われる。
そのまま二コマとっている間、ナルからは何度か着信とメッセージがあったが着信は出られず、メッセージは返信しなかった。
内容はすぐ帰ってきて欲しいこと、リンさんがナルの家では落ち着かない様子なこと。
罪悪感はあるけれど、俺が講義を放り出す理由にはならない。

午前中に予定していた講義を終えた後、俺は売店で惣菜パンを買って外へ出た。天気がいいのでどこか開いてるベンチはないかと散策していると、周囲を行き交う学生たちが意味ありげにどこかを見ていることに気が付いた。
視線を辿っていくと、人の姿が目に止まる。顔まではよく見えないが全身黒ずくめの成人男性ぽい。
注目の浴びようからしておそらく、イケメン。───ナルでは?

「なにやってんの? 大学まできて……」

ここまでされたら放っておけず、近づくとナルが俺に気づいた。相変わらず俺のスウェットに包まれたままのリンさんを抱えている。
「仕方ないだろう。リンがずっと鳴いてるんだ」
きゅんきゅんと鼻を鳴らしているリンさんは、俺を見るなり身体を動かしてナルの手を逃れようとした。
ナルはあっさり俺の方にリンさんを預ける。俺もうっかり受け取る。
がいいんだと」
「………………はあ」
俺の腕の中に戻ったリンさんは、頭をぐりぐりと押し付けてきた。
「リンが安定するまでのバイト代くらいは出す」
「ありがとーう……」
リンさんの世話をすることとバイトは何の関係もないが、その上でバイト代を出してくれるというナルの優しさには感謝しないとだ。
ナルだってリンさんの犬化に関して、責任を負う必要はないわけだし。
「そういえば、リンさんのこと詳しくわかる人に連絡とれた?」
「とるにはとったんだが、僕には話せないと言われた。───でも駄目だと」
「え? なんでよ。てか俺は別にいいよ」
「さあ。ただ、リンが自分で対処できるらしい。は犬化のトリガーかもしれない上に、犬になったリンが執着してる相手だ。何か理由があると思わないか」
俺はここで再び、リンさんが俺の犬になるといった発言を思い出して押し黙る。
とはいえナルの言う、リンさんが自分で対処できるという言葉にひっかかりを思えた。
「自分で対処……出来てないよねえ」
「出来てないな」
俺とナルは顔を見合わせた。
おそらくリンさん本人は理解している理由がある。体質のことを一番わかっているのは、やはり当事者だ。とはいえリンさんは今、説明が出来ないポメラニアン。
ナルは部下がいつまでも犬でいられるの困る、と気を揉んでいた。俺としても、リンさんがこのまま働けなくなるのは気が引ける。

いよいよ、自分の感情を優先できる場合ではなくなってきたことを痛感した。
こうなる前に、話を聞いておくべきだった。



ナルが去っていった後、俺は手ごろなベンチに落ち着いて、リンさんを傍においたままひとまず腹ごしらえをすることにした。
大学敷地内なので当たり前だが、友人が通りかかって俺に気が付く。同時に俺の膝にぺっとりくっついてるポメラニアンの姿も目に付いたようだ。
「犬飼ってんだっけ。てかなんで連れて来てんの」
「いや、さっき急に知人から預けられちゃって」
リンさんは人に警戒したようだが、俺の傍から離れるそぶりはない。
とはいえ、怯えて走り出したりしないよう、胴体に手を回して抱いておく。
「もしかして今話題になってる、すごい美形が犬抱っこして歩いてるってやつ?」
「え、すごい美形きてるの? みたい」
「噂の美形は俺のことです」
適当に追及をかわしていると、友達の一人がジャーキー持ってるとかいいだした。なんでそんなものを持ち歩いてるのかと思えば、そいつは酒カスだった。リンさんに近づくな。
「うちのスネちゃまは最高級品しか食べないザマス!」
俺が追い払うのと同時に、リンさんも不機嫌そうに唸り始めていたので、友達は空気を読んで去っていった。
姿が見えなくなれば、リンさんは落ち着き俺の膝の上にぽてっと寝そべる。
俺はそんなリンさんの態度を見て、自分の食べかけのパンをちぎって顔の前に出した。
無防備に鼻をつっこんできて、ぺろんと舐めとる。この程度じゃ全然足りないのか、リンさんはそのまま俺の手を舐め続けた。くすぐったい。
「はは……」
でも笑ったのは、くすぐったかったからではない。
リンさん、本当に俺しか駄目みたいだ。

「───この後、ちょっと遊ぼうか」

午後の講義は落とすことに決めて、俺はリンさんに話しかける。
三角の耳がぴくん、とこちらの声に反応して動いた。




やって来たのは、河川敷。遠くにはサッカーコートがあって、俺たちがいる場所からだとゴールの枠がうっすらと見えるくらいだ。
「あっちまでいくと人がいるかもしれないから、この辺で」
俺はリンさんに一応の注意を伝えてから、百均で買ってきたゴムボールを投げた。犬の本能に従い、リンさんはそのボールに向かって一目散に走り出す。
草叢の中に時折、黒い毛並みがチョロチョロ見えるのを見守ってると、今度は勢いよく俺のところに走って戻ってきた。口元にはゴムボールが咥えられてて、俺の前にくるとボールをぽてっと落とした。
「すごい!」
素直に感動して口に出す。
噂ではボールをとってこない犬や、返さない犬もいると聞くので、リンさんはとても賢い。まあ、中身人間だからな。自我がどれほどあるのか知らないけど。
「天才か!? えらい!」
滅茶苦茶馬鹿みたいな褒め方をしたけど、リンさんの尻尾はブンブン振られていた。
それを何度か繰り返したあと、リンさんは泥まみれになって戻って来る。ぶはっと笑ったが、ボールを多分水たまりか何かの方に落としてしまった俺が悪い。
「くっ、ふふ、ごめん……俺が悪いんだけど、ふふ、呼んでよっ」
たぶん、リンさんなら無理だと判断して吠えるくらいできたんじゃないか。
それでも俺の期待に応えてくれたので、小さな頭を指先でくりくり撫でた。

さて。せっかく楽しく遊んでいたけれど、汚れてしまったので部屋に戻ることにした。泥まみれなのは、自分のスウェットを犠牲にしてふき取ってあげる。
途中で犬用シャンプーを買ってきたので、洗面所でリンさんを洗ってあげた。
水に濡らした犬も、こんもり泡に包まれた犬も、見ていて面白かった。

シャンプーの後は、びしょ濡れのリンさんが水を弾き飛ばすようにブルブルしたため、俺の顔と上半身は濡れた。
リンさんを乾かした後は俺もシャワーを浴び、二回目の購入になる下着とスウェットに着替えてリビングのヒーターの前に座った。
ドライヤーでリンさんの毛並みを乾かしたつもりだが、若干しっとりしているような気がしたからだ。

温風でそよく黒い毛をぼんやりと見つめる。 今日は外をリンさんと歩き、とってこいをして、シャンプーもした。最後の水をぶち当てられるとこまで完璧、俺が犬を飼ったらやってみたかったこと尽くしだ。
それと同時に、リンさんも望み通り俺の犬だったんじゃないかと思う。
ポメガ、そして犬が喜ぶ行動をだいたい試したと言っても良い。

「リンさん、こういうことでいいの?」

俺はリンさんに問いかけていた。
答えが返ってくる状況ではないけど、待っていられなかった。



next.

ナルがポッメ抱えてる絵面とても良い……。
大学まで押しかけてきたのはトトロのシーンをオマージュしています。笑
今後大学で友人たちに「スネちゃま元気?」と聞かれる未来がある。
Jan. 2026

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