DADDY - Red Eyes 29
(滝川視点)吉見家の調査に来た初日の晩、ナルの奴が早々に倒れた。
電話をかけてくるといって席を立ったリンに代わって、誰もいないベースには俺が留まった。
なんの異変も映さないモニターを眺めつつ、俺も連絡を入れねばとスマホを出す。相手はジョンと真砂子だ。電話は数時間前、既にナルがしている。明日にはこちらに来てもらう予定だったから、現状の報告をメッセージで打ち込んだ。
───ついさっき、ナルが霊に憑依されて綾子を襲った。
リン曰く、ナルには色々理由があって憑依されている状態では本人と周囲の人間にとって危険らしい。そんなわけで、今はリンが術で金縛りをかけて、式を配置して守っている。
と───こんなかんじだ。
後の詳しいことは明日、来た時に説明すればいいだろう。
メッセージが送信されていくのを見ながらスマホをテーブルに置くと、背後の襖が開けられた。人の気配が近づいてきて、俺の傍に来る。
「どうだった」
「ナルを抑えられなくなったら、もう一度連絡をするようにと」
「……すっ飛んでくるかと思ってた」
リンが電話を入れたのは、やけにナルと距離の近い男、だ。フルネームはしらん。ついでに年齢、職業、国籍も不詳。
渋谷サイキックリサーチに属しているわけではないらしく、調査に同行してた当初は、ナルの付き人のようにただその場にいるだけだった。
ある時を境に同行しないと宣言したが、春に飛び入りでやってきた調査では化物級の相手を容易く対処してみせた。
憑依霊を落とすのはおそらく無理だとしても、奴が来てくれれば吉見家の安全の確保がしやすい───。そんな思惑があったのに。
「すぐ来いって言わなかったのか?」
「私にあの人を呼びつける資格はありません。ナルもここで、彼の助けを借りるのは本意ではないでしょう」
リンの口ぶりに俺は無言で、なら何で連絡したんだ、と考える。それじゃ単なる報告だ。いや、報告をする必要がある関係性ということか。にしたって、来ないも、呼ばないリンも、よくわからないが。
「なりふり構ってる場合かね……ナルは最悪死ぬんだろ? 俺たちもだっけ?」
「それは向うも承知しているはずです」
「……。そうかい……まあ、他人をアテすんのはやめとくか」
が来ないんならやっぱりナルから霊を落とすには、自力でやるしかない。
俺達がナルを見捨ててどうにもならなくなったら、リンはを呼ぶのかもしれない。だとしたら、なんか癪だ。ってなわけで、俺は持ちうるすべての伝手を使って頑張った。他人をアテにしないとは言いつつ、無関係な安原少年まで引っ張り込んだ。ナルに何を言われようと知ったこっちゃない。
そうしてやっとこさ目を覚ましたナルは大層不機嫌だったが、この憎まれ口も生きてなきゃ聞けないもんだと思うことにした。
吉見家の人は、俺たちの力が及ばず二人も死なせた。自分でもかなりの大怪我を負った。俺が呼んだ安原少年も、無力なくせについ一矢報いようなんて思わせて、怪我をさせた。
だからって別に、倒れたナルや、現場に来なかったに恨みもなんもない。他人にぶつくさ文句いわずに、自分でやれることをやった。───どんなもんだい、とお天道様に委ねるだけだ。
病院の独特な匂いのする廊下で、俺はキラリと走る光を見た。太陽が返事をしてくれたようにも思えるが、俺なんぞにそんな大いなる意図は感じられやしない。
「───お。よう」
その時丁度、廊下の角から歩いてくる人物が見えた。
太陽の光が溶け込んだみたいに輝かしい、金髪頭の青年だ。
俺を見つけたら、さすがに以前のように無視するのではなく、こちらに近づいてくる。
「珍しい格好だな、ネクタイ締めて」
「シンポジウムが終わった足できた」
指摘したのは、スーツを着ていたことだ。いつもはシンプルかつカジュアルな普段着って感じだ。
そして返ってきたシンポジウムってのはつまり、学会って意味なので、思わず次なる質問が口を突いて出る。
「大学生?」
「いや?」
「じゃ、院生」
「講師」
「マジ?」
「非常勤のね」
案外、ポンポン答えが返ってきて話が弾んだように感じた。
会った当初に口を閉ざしていたのが信じられない変化だが、そもそもあれはナルが禁じていたらしい。何でかっていうのは、さすがに知らない。
それにしても、いま驚きの事実が発覚した。どうやらこの若さにして、大学で教鞭をとってるというのだ。
この顔つきじゃあ、ジョンくらいの年齢。頑張っても俺と同年代だろう。つか、普通西洋人は老けて見えるんで、車の運転さえしてなきゃナルや麻衣と同じくらいでも驚かない自信があったのだが。
「サン、実際ンとこ、いくつなんだ?」
今まで聞くタイミングを逃してきたが、ここぞとばかりに尋ねる。
「こう見えて、君よりずっと年上」
「そうだろうとも」
肩を竦めた俺に、は明るく笑った。明確な年齢ははぐらかされたが、それでも収穫はあった。続けて俺は、本題にはいることにする。
「あー、それで、ナルちゃんの見舞、は?」
もう行ってきたのか、と言いかけてを見た俺は自然と声が出なくなる。
うっすらと微笑んでいるその顔に、目に、沈黙に、俺は心臓がわしづかみにされるような圧を感じた。
見ていただろう、とその目が言っている。
───「や、生きてたか」
自分の怪我を抜糸するんで病院に来ていた今日、帰る前にナルの顔でも見ていくかと病室の近くを通った俺は、廊下にそんな声が聞こえて来て足を止めた。ナルの病室からだと思い、そっと近づいたのは単なる興味本位だった。
「俺はてっきり、別れを告げられているのかと思ったよ」
「……僕だって忘れ物くらいする」
ナルの『忘れ物』という口ぶりに、俺はこちらに来てすぐにナルが同じ単語を口にしていたのを聞いたことを思い出す。重要な身の回りの品か、仕事に使う機材かと思い聞き返したが、ナルはついぞ何を忘れたかは言わなかった。ただ、落ち着かない顔をしていた気がして、珍しいものを見た気になった。
だからとナルの話す内容が気になった俺は、更に魔が差して、引き戸の隙間から窺った。会話が漏れ聞こえるってのは、つまり少しドアが開いてるってことだ。
微かにしか見えないが、ナルはの手から何かをひったくるような仕草をした。そして首に紐をかける。ペンダントかなにかだろう。普段首元のあいた服を着てないからしらないが。
そういえば、麻衣が以前からお守りと言って渡されたものが、赤い石のついたペンダントだったっけな。
その直後に結局襲われた、とかいって笑ってたので特にものすごい力を発揮するわけではないんだろう。本当にただの気休めってやつだ。
同じものをナルが持ってるのはちょっと想像できないが、奴らの妙に親し気な態度からして可能性がゼロとは言えない。
のぞき見するのは性に合わないが、俺はドアの隙間にかじりつくようにその場に立っていた。
病室ではが、ナルのいるベッドに腰掛け、顔を近づけるところだ。
「お前に涙を流すのはこれで二度目だよ」
涙、と聞かなければが泣いているのが俺にはわからなかった。
本当に泣いているか定かではない、静かな様子。だがきっと、それほどナルが心配だったということだ。
これ以上見ていてはいけないような気がすのに、俺はとうとうナルの顔がの顔に近づいて行く光景から目が離せなかった。
ナルが頬にキスをする。いや、あれはの頬を舐めあげるような仕草だ。涙が、そこを伝っていることを物語っている。
───それはまるで宗教画のような光景だった。
官能的ではなくて、どこか神聖な行いに見える。
その時、ふとの視線が動いた。まるでドアの向う側にいる俺を見透かすように。
「……っ」
ナルまでその視線に気づく前に、俺はすぐにその場から音もなく遠ざかった。秘仏を閉じ込めた厨子を開けたみたいな居心地の悪さが、俺の背筋をざわつかせ、一刻も早く病室から離れなければと歩幅を大きくしたのだった。
ここまでが、俺の見たことのすべて。にはとっくにバレていたし、無言の追及に根負けして、潔く詫びることにした。
「……悪かったよ、興味本位で覗いたりなんかして」
「べつに、見られて困ることでもない」
謝った俺に対し、はあっけからんと言った。
「魔が差したんだろう」
「……は? ああ……」
の声が頭の中で反響する。
歩いていた身体が勝手に止まって、視界がぐらぐらと揺らぐ。なのに足腰はしっかりしていて、倒れるような気配はない。
「ぼーさん、今日はひとりで来てるの」
「、おう……」
顔を覗き込まれ、緋い眼に見つめられる。
今まで何気なく接していたが、こいつの眼はこんなに鮮やかに光輝く緋色だったのか。
まるで高熱のマグマのようなエネルギーに満ち溢れていた。
奥底からぐつりと滾る熱が蠢くような、甘酸っぱい味がしそうな……美味そうな。
「じゃあ、気を付けて帰りなね」
「ああ…………気を付けて、帰るよ」
翌日、俺たちはリンからナルが退院すると聞いて、大急ぎで病院に向かった。吉見家との挨拶も悠長にしている暇がなかった程慌ただしい。
機材を全て運び込み終えていたのだけが不幸中の幸いだった。
やってきた病院のロビーに、目当ての二人は既にいた。ナルは病院着ではなくいつもの黒い服、は昨日のスーツとは違うが、今日もスーツだ。おそらく持ってきてる服がスーツしかないんだと思う。
見慣れない姿以上に周囲を驚かせたのは、ナルがの肩に頭を預けて眠っているところだ。
俺達が勢いあまって声をかけようと息巻いていたのも、さすがに出来なくなる。
「会計は」
「もうすぐ呼ばれると思う」
リンが静かにに問いかけると、自然と視線だけが窓口に行く。丁度その時、渋谷一也の名が呼ばれた。
ナルのことをどかしたいのか、身じろぎをしようとしたを制して、リンがその場を離れていく。支払いをしている姿を後目に今度こそ俺たちは口を開いた。
「退院って急すぎやしないかね」
「本人が病院嫌いなもので」
「渋谷さん、やっぱ体調悪いんとちゃいますか」
「ちょっと疲労がある。でも休んでいればそのうち回復するよ」
「退院してしまってよろしいんですの?」
「そうだよ、途中で体調が悪くなったりしたら……」
「俺が預かって見ておくから大丈夫」
「あんたが預かるって言ってもねえ」
結局周囲でガヤガヤしたせいか、ナルがうすぼんやりと目を開けた。
それでもの肩で寝返りを打つように、いっそ擦り寄るように、頭を転がした。煩わしいのは、あくまで俺たちの声だとでも言いたげだ。
はスーツのポケットからタブレットケースを出し、音を立てて振った。そして指先で赤いタブレットをつまむとナルの口元に持っていく。
「少し意識がハッキリするよ」
そう促されて、ナルは無防備に口を開いた。そしての指ごと食む。
普通なら嫌がりそうなことだが、寝ぼけているとはいえかなり気を許した態度。
俺たちは、白昼夢でも見ているのかと放心してしまって、リンが会計から戻ってくるとようやく我に返った。
next.
この話は、疲労困憊なナルが無意識に叔父さんにちゅきちゅきしてる雛ぴっぴな所を皆に目撃される回です。
Mar. 2026