初めて姿を目にした時、思わず見とれた。
絶世の美男子とか、艶やかな男だとか、そういう訳ではなく、雰囲気とか眸とかに引き寄せられた。
普通の少年の体で、色が白くてもやしみたいだというのにそれは弱そうには見えなくて、淡く光るものに見えた。黒い髪の毛には綺麗な艶が浮かんでいた。
眠たそうに気だるそうに僕を見おろしてから、ぼそりとそっけなさそうに見えて優しげに「ごちそうさま」と呟いた声は低くも高くもない透き通る甘い声。
香りとトレイだけが残された廊下でぼんやりとしてしまった時間は1年にも感じられるくらいに長かった。
あれ以来部屋では少しの物音くらい聞こえるようになった。もしかしてわざと動いているのだろうか。
壁に耳をつけずとも、普通に自分の部屋に居れば、
がクローゼットをあける音が聞こえるし、静かに目を瞑っていればシャワーがながれる音が拾えた。
今や音がするのは当たり前になりつつある。
しかし姿を見せたのはあの日だけで、僕は退屈していた。
ある日、朝食を取りに下へ赴き、大人しく自分の部屋で食べ、トレイを片付けに行った。
皿を洗う大人に無言でトレイを返し、ソファ身を沈め大人しく絵本を読んでいる子供の後頭部をちらりと見てからふと階段を降りてきた気配に目を向ける。
(
だ……)
階段をゆっくりと降りてくる細い体。
七分丈の黒いズボンから出た白い足は細くて、裸足のままぺたりぺたりと階段を踏む。
ドレスを着た美少女やタキシードを着こなした麗人が階段に居るよりも、なぜか質素な服を着た
が降りてくる方が絵になっていると思ってしまった。
心の底から
の登場に歓喜している自分に気がつき押しとどめようとしていると、
は辺りを一瞥すると驚愕して皿洗いの手をとめている大人に近寄り、僕の時と同じようにそっけなく優しげに「ごちそうさま」と呟いた。
ふいに、胸がちくりと痛んだ。
あの言葉は、僕だけに掛けられた言葉だったのに。
そして振り返ることなく階段をまた上がっていく
。
リビングルームは一瞬静寂に包まれて、けれどまた先ほどのように動き出した。
僕は居てもたってもいられなくて、階段を駆け上がった。
バタバタと階段を上がる。距離が酷く長く感じられた。
(
が部屋に入ってしまう……っ)
階段を上りきって、廊下を見渡すと、部屋の少しだけ開いた扉のドアノブに手をかけたまま
はこちらを見て佇んでいた。
(待っていてくれた……?)
僕が上がってくる音を聞いて、待っていてくれたのかもと思い、ゆっくりとそちらに歩く。
どうしよう。歩いている間に部屋の中に入って行ってしまったら。
ああでも、
はまだ僕を待っていてくれているみたいだ。
まだ、僕の方を見て、すぐそこにいるんだ。
「おはよう……
」
やっとのことで吐き出した彼への言葉はなんてことない、挨拶だった。
けれど心臓はばくばく言っていた。
いつ
がふいっと顔をそむけて部屋に入ってしまうか分からない。ほんの少しでも僕を見て、僕の言葉を聞いて、僕と言う人間が居ることを、覚え
て。
「おはよう」
おはよう、と確かに僕に返事をした。その瞬間、吹いてもいないのに風が下から舞い上がってきたかのような感覚に襲われた。全身の血が体中を走り回っている
ようだ。
「名前は?」
(僕に……興味を、持ってくれた……?)
もしかして、という憶測が絶えない。
挨拶を返され、
が僕の名前を知りたがってくれたことが嬉しかった。
「トム……トム・リドル」
平凡だし、忌々しい親の名が入っているから大嫌いだけど、
が呼び名を欲するなら僕はこんなものでも差し出せた。
どうか、僕を覚えて。トムという名前で関連付けて。
「俺は……
・
」
自己紹介をした
。互いを知ろうとしてくれた。
「知ってる」
僕は前から
を知っていたよ、ずっとずっと、ずっと前から。
それを伝えたかった。
こくん、と頷いた
の手が伸びてきて、僕の額に触れた。
流れるように頭にずれて、髪の毛をくしゃりくしゃりとかき混ぜた。
頭を、撫でられたのだ。
途端に動けなくなった。
は魔法でも使えるのだろうか。
「ばいばい」
ほんの数秒だけ頭を撫でた後、手が離れ、それはひらりと振られた。
形のよい唇はゆっくりとそれを紡ぎだし、少しだけ口角をきゅっとあげて見せた。
の微笑が見れた。
そして、ぽかんとしたままもう何も言えない僕を置いて、扉は閉まった。
2010-06-24