渋谷サイキック・リサーチの所長が一抜けをするという結果に、周りの人に嫌味を言われたり、怪訝そうな顔つきをされたけど くんだけは興味が無いような、全て分かっているような、そんな態度で表情を変えなかった。
そういえば、 くんと くんは二人で平気なのかなあ。
この中では くんを一番知っているであろう真砂子に、ぽつりとこぼせば大丈夫だと言われた。
「 さんは霊能者の中でもとても力の強い方なんですの」
「真砂子よりも?」
「あたくしなんて足元にも及びませんわ。あたくしや、他の霊能者の方々でも、どうにもならなかったら霊を浄化できる方ですもの」
くんは霊能者と名乗っては居ないのだそうだ。誰もどうにも出来なかった事態になって頼まれる除霊を、善意で行っている、いわば最後の砦。普通には依頼を受けないし、お金もとらないんだって聞いてあたしは思わず身を乗り出す。
「手紙でお願いするんですの。それで、いつのまにか解決してますのよ」
そもそも くんに手紙を送る事がまず難しくて、 くんの連絡先を知っている人は本当にごくわずかなんだって。それも、結構力のある人じゃないと知らないらしい。真砂子も一度頼んだ事があり、その時は会えなかったけれど問題は解決されていたとのことだ。やり方は誰も知らないから、その場から霊を散らしただけかもしれないけれど、霊能者にどうにも出来なかった霊を退かすことが出来るだけでも凄い。
今回手紙が くんに届いたのはおそらく依頼主が権力者だから。
「困ったときの神頼みみたいな感じだねー」
「そう、 さんはこの業界では神様のような方ですわ」
「うげ、まじ?」
冗談で言ったけど容易く肯定されてしまった。真砂子がちゃんと認めてる人って珍しい。あたしも一応力だけは認めてもらったけど。 くんって凄い人だったんだなあ。
安原さんにより、煙突が一本多いことが判明した。それから鉦幸氏がどんな人物だったかと調べ上げて来た。相変わらずどうやってそこまでの情報を仕入れられるのかいつも疑問に思う。頭の出来が違うっていうのが多分大前提だとは思ってるけど。
段々と浮き上がってくるのは鉦幸氏の残忍さ。もう少し知る為にと真砂子に降霊を頼むナルをつっぱねると、リンさんが降霊してくれる事になった。あんな怖い思いをするのは、あたしだけで、あの一回だけで、充分だ。真砂子は今までずっと、こんな辛いのを重ねて来たのかな。あたしだったら耐えられないし、真砂子にさせたくないよ。
リンさんが鈴木さんを呼んだ。という事は、鈴木さんが亡くなっているんだ。彼女は自分が死んだ事には気づいていないようだった。何かされなかったか尋ねると苦しそうにもがいた。きっと怖かっただろう。
ふわ、と彼女の姿が消えて、ナルが電気をつけた。
壁をじっと見ているナルに気がつき全員が同じ方を見てはっとする。ヴラドという血文字がし綴られていた。
ウラドではなく、ヴラドだ。
ヴラドがドラキュラを示していること、それからエルベジェットという女性の話に段々と真実が見え始めた。そのまま夜明けまでミーティングをして、朝から準備に掛かった。
そして、塞がれていて普通では入る事の出来ない壁の中に、死体を発見した。
次々と霊能者の人たちが帰って行った。五十嵐先生と聖さんはまだ仲間が見つかっていないからと、俯いて座っている。途中で南心霊協会の白石さんを、南さんが呼びに来た。
福田さんがまだ見つかっていないのに、帰る準備をしていたんだ。
リドル氏の力なら壁を壊せるかもしれないし、博士のサイコメトリなら失踪した人の居場所も分かるかもしれないのに。
五十嵐さんが、博士とリドルさんに縋る。
あたしたちも、彼らが手を貸してくれればと五十嵐先生を止めなかった。
「ち、違う、ワタシ、デイヴィス博士違います!」
「ボクもトム・リドルじゃないです!」
「!!!」
二人は五十嵐先生の必死さに、とうとう閉ざし続けた口を開いた。片言の日本語で、弁明するように吐露したのは自分たちが偽物だということ。南さんはとんだインチキだったらしい。
ぼーさんが隣で愕然としている。
その時、 くんと くんはがた、と立ち上がった。 くんは、偽物のトム・リドル氏に一歩近づく。なんだか、怖いなって小さな背中を見つめた。その時 くんが くんの肩に手を置いて彼を引き止めた。その様子にほっとしたのもつかの間、 くんが一歩前へ進んだ。
つつ、と偽物の米神を指で這い、うっすらと笑みを浮かべる。そして、何か英語を喋った。偽物は真っ青になっておびえた顔でこくこくと頷き、南さんたちは慌てて部屋を出て行った。誰も、追う事はしなかった。
「いま、何て言ってたの?」
「二度と……二度とその名を口にしないと誓え……と」
こっそりと隣のジョンに尋ねれば静かに、そして恐る恐る翻訳してくれた。その時、 くんとぱちんと目が合ってあたしは思わず苦笑いをするけど、彼は興味なさそうにすぐに くんの方を向いて手を繋いだ。
うにぃ、相変わらず生意気。あたし結局 くんの声をまともに聞いたためしが無い。
「俺たちも帰ろうかな」
くんがそう言った途端、皆が弾かれたように彼を見る。 くんだけは少し嬉しそうに優しげな顔をしていた。いつもそんな顔してれば完璧なのに。
「 さんならどうにかなりませんの?」
「どうにか?死んだ人は戻ってこない」
五十嵐先生は今度は くんに縋る。 くんの言い分は分かる。だって、皆を助けることはもうできないのだ。五十嵐先生は浄霊のことを言っているのかもしれないけど、 くんは霊よりもあたしたち人間を見ていた。
「生きているあなたたちなら助けられる。今すぐこの家を出て行きさえすれば、ね」
「そ、んな……」
五十嵐先生は今度こそ崩れ落ちそうになる。 くんは支えもせずに、背中を丸める五十嵐先生を見下ろした。
「 さんの言う通りです。おふた方もお帰りになった方が良いでしょう。僕らも引き上げます」
五十嵐先生と聖さんは、ナルの言葉に目を見開いた。あたしは思わず噛み付くけど、ナルも くんと同じく既に殺されているのだと冷たい眸で言い放った。
皆もいい気分ではないが浦戸をどうにかする事は出来ないと、苦々しく吐き出した。
あいつはこの家に捕われているから、この家から出られないのが唯一の弱点。そう聞いてぼーさんが閃いた名案はこの家を燃やすことだった。皆がなるほど、と納得する。もうここからはあたし達の仕事じゃないのだとナルは言った。
「逃げ帰るわけか、ナルちゃん」
「ちがう。僕は大橋さんの依頼を受けたわけじゃない。まどかの依頼を受けたんだ」
面倒くさそうに、ナルが顔を歪めた。そこからあらわになった真実は、オリヴァー・デイヴィス博士とトム・リドル氏を連れ歩いているという噂の真偽を確かめにきたということだった。あの偽物外国人二人が薄情したところで、ナルの仕事は終わっていた。
おのれ、たばかったな……。腹が立って、あたしは思わずナルが渋谷サイキック・リサーチの所長だとバラした。ナルには咎められたけど、知らないもーん。
くんはあはは、と笑っていた。さっきのなんだかちょっと冷たい雰囲気はどこかへ行ってしまったみたいに、年相応の笑顔だった。
こうして、あたし達の調査は幕を閉じたのだ、と思われた。
真砂子が、少しだけ一人で廊下に出る事を、あたしは許してしまった。はっと思ったときには既に遅く、真砂子は消えていた。
何故一人で行動させたと、ナルに怒られて、あたしは素直に謝った。後悔は死ぬほどしている。
その時、キィ……、とブースの扉が開いた。真砂子!?と反射で名前を呼びながら振り向くと、ちょっとだけ開いた隙間から子供が覗いていた。その人形みたいな顔に一瞬幽霊かと思ったけれど、違う。
「っ、 、くん……?」
「…… がいない」
彼が此処に居たことにも驚いたけれど、口を開いてもっと驚いた。そして、 くんが居ないことに、一同がはっとする。
「おいおい、まさか、少年まで連れて行かれたってのか?」
頭を掻くぼーさん。
綾子はこっち来なさいと くんを部屋へ呼び込む。
「 さんが居なくなったのはいつですか」
「原真砂子を追って行った」
ナルと くんが向かい合う。
少したどたどしく、ゆっくりと喋る くんは、なんだか怖い。
くんの言葉に、ナルが目を見張った。もちろん皆も、あたしもだ。 くんたちはさっき、真砂子に会ったらしい。そして彼は真砂子の様子がおかしい事に気がついて、 くんの手を離したのだ。
あたしたちの所に居ろと言われ、真砂子と一緒に闇に消えた。 くんは無表情のまま話したけれど、指先が小さく震えていた。
憂えている横顔は、見ているあたしが泣きそうなくらいに、悲しくて綺麗。
「いるとしたら空白のどこかだ」
はあ、と重々しいため息とともにナルが地図を指差す。 くんはナルの隣でじいっとそれを見ている。なんか兄弟みたい。
「壁を壊すか……」
ぼーさんが、肩をまわしながら呟いた。そうしてあたしたちは荷物を運び込む準備を始めた。
「この子、どうすんのよ」
「まどかに預ける」
綾子が くんを指差す。さすがに、十歳の少年を連れて行くのは不安だ。かといって残して行くのも危険なのだ。
森さんに迎えに来てもらうと言うナルに、 くんは嫌そうな表情だ。あれだけ くんに懐いていたんだもん、嫌だよね、不安だよね。
ナルとリンさんが真砂子の荷物を見てくるついでに、森さんを呼んで くんを預けてから来るというので、あたしたちは先に屋敷の中心部分へ向かった。
しばらくして、ナルとリンさんだけじゃなくて安原さんがきた。さらに驚いたのは、 くんもついて来ていたこと。よくナルが許したもんだ。
でも、どうやら許している訳ではないようで、どうにかしてついて来たみたい。ジョンやぼーさんと一緒に居た方が安全だけど、男手が必要ということで、絶対に綾子と離れないようにとナルは彼に念押しする。 くんはこくんと頷いて、綾子の隣に寄り添った。ぐぅ、かわいい……。
壁の薄い所を探している最中、 くんは退屈そうな顔をして見ていた。
「眠くない?」
顔を覗き込むと、ちろりと黒い眸があたしを見る。こくんと頷くところが可愛いけど、できれば声を聞きたいなあ。
「 くんとはいつから一緒に居るの?」
疲れちゃったので休もうと思って壁に寄りかかって座ると くんも隣に腰を下ろしてくれた。
「……ずっと」
ようやく、 くんが口を開く。暗闇に、彼の静かな声が、よく似合う。
「あんた学校行ってんの?」
こんな無口で大丈夫なのかと思ったのだろう。綾子が尋ねると、 くんはときどき、と答えた。やっぱりあんまり行ってないんだなあ。うん、クラスに居たらモテるだろうけど凄い浮いていそう。
「麻衣、あんたも疲れてるんなら少しウトウトしちゃえば?」
「ん、そーする」
あたしの疲労が入り交じったため息を聞いて、綾子は くんの向こうで小さく微笑んだ。時々お姉さんみたいで優しいんだから、綾子ってば。
夢を見た。優しいナルが、指をさしたのは錆び付いた扉。こわい、行きたくない、でも、その先にきっと真砂子が居ると思った。
ドアを開けてひょっこりと顔を出すと一度夢で見た事のある場所。そう、あたしはここを知っている。薄暗い洗面所のようなタイルが敷かれた部屋まで行くと、壁際に真砂子がうずくまっていた。隣には、 くんも居る。
「谷山さん?」
「ま、麻衣……?」
くんっていつでも動じないのかな、きょとんとした顔をしているだけだ。真砂子は暗い面持ちであたしを見上げる。
優しいナルが、居てくれたんですのよ。と真砂子が嬉しそうに、悲しそうに、微笑んだ。
「 は、谷山さんたちの所に行けたかな」
「うん、居るよ。大丈夫」
「迷惑かけてない?」
「いい子にしてる」 くんは基本的には素行が良い。愛想は無いけど、普通にしていれば気にならない。手のかからないという点ではとてもいい子なのだ。
くんは、あたしの話を聞いて満足げに笑った。早く二人を会わせてあげたい、早く真砂子を助けてあげたい。
真砂子の、か細く震える華奢な肩に、ぽんと手をのせてあたしの家の鍵を預けた。必ずくるからねと約束して、あたしは目を覚ます。
「いた……真砂子、生きてた。 くんも、一緒にいた」
「!」
隣の くんがぴくんと反応した。皆もあたしを見下ろす。
早く行ってあげなきゃと思うんだけど、リンさんが壁の薄い所を機械で探し始める。あたしは何もできなくて、ただただ焦りながら待っていた。
す、と くんが立ち上がった。
窓も無い部屋にふわりと風が吹いて、あたしの頬を生温くなでた。 くんを見上げてどうしたのと問おうとするけど、なんだか妙な雰囲気を感じて口を開けない。
くんの髪がゆれて、耳に嵌る黒いピアスに気がついた。なんだかちょっと色っぽく見えて、見惚れてしまう。十歳の子供になにやってんだろう。
「どいて」
くんの静かな声は、壁の近くに居たぼーさんやリンさんに向けられていた。近くに居た安原さんを手で押し退け、前へ進む。ナルは くんの様子を見ている。
「滝川さん、離れましょう」
「え?おいおい、なんだよ」
リンさんは くんの顔を見てはっとしたように動きを止め、壁から離れる。ぼーさんはうろたえながら数歩だけ後ずさり、 くんはそれをそっと一瞥して片腕を前に出した。
「Reducto」
まるで、呪文のように何かを喋ったと同時に、指をぱちんと鳴らした。
瞬間、壁にぴしりと亀裂が入ったと思ったら粉々になって崩れ落ちる。押し寄せてくる砂塵に思わず目をぎゅっとつぶった。
「きゃあ!」
砂や小石が肌をぷつぷつとさされ、腕で顔を覆って眉を顰めた。
ようやく目を開けて、状況を見ると、壁に大きな穴があいていた。 くんはくるりとあたしの方を振り向く。
その眸は暗闇の中で赤く光っていた。
2013-12-14