寂しいなって思った事は無い。僕の隣には必ず が居てくれるから。でも、 は時々寂しそうにする。それは世界が終わる時。また会えるか、もう二度と会えないか、ほとんど分からない状態で友人と別れる時、一度だけ振り向くんだ。見納めにするかの如く、友達の後ろ姿を眺める。
僕はそのときだけは が隣に居ない気分がして、あまり好きではない。僕には だけ居ればいいけど、 は沢山の人を好きだった。
手をくんと引けばすぐに僕を見おろして、ふっと笑ってくれる。そしたら僕は を手に入れられる。
の眸に映るのが、僕だけになればいいのに。
気まぐれに拾った人間がいた。
名前もわからないそいつに、呼びづらいから名前をつけてあげようと提案した 。僕のお腹に黒い物が渦巻いた。 が名付けるのは僕だけでいい。
ありきたり、凡庸、つまらない、そんな名前を僕がつけてあげようじゃないか。それで充分だ。
トムに匹敵する、"太郎"という名前を与えた。
それでも は、たろと優しく呼びかけた。もし がつけた名前で呼んでいたら僕は多分もっともっと気に食わなかっただろう。たろには、僕が名前を付けてあげた事に感謝してほしいものだ。
一度も目をさます事無くその世界とは別れたけれど、どうやらまた同じ世界に来たらしい。たろに良く似た人物が居たのだ。 は忘れていなかったみたいで、唐突にたろの事を気にかけ始めた。あいつが目の前に現れなければよかったと後悔してももう遅い。
は世界を跨ぐ度に、必ず親しい人をつくるのだ。僕はいつもそれを隣で見ていた。
同じ世界に来ても前に来たときから何年も経っていることが多いらしく、ナルと呼ばれた少年が太郎と同一人物かは分からないのでやたらと接触することは避けてくれた。
薄気味悪い洋館には得体の知れない化物の気配が潜んでいて、正直気分は最悪だ。なおかつ、トム・リドルの名前を頻繁に聞くこの環境に機嫌が降下するのは仕方が無かった。
偽物の僕が皆に露見したところで、もう二度と語れないように釘を刺しておこうと思ったら に止められる。かわりに が一歩踏み出してくれた。僕を守ってくれてるみたいで、嬉しい。
「もう二度と嘘はつかない。いいね?」
は諭すように言うけれど、相手は青ざめる。親しい僕だって、少し怖いくらいだ。 は怒っても声を荒らげないし表情を崩さない。だけど、なんとなく分かるのだ。
はるか昔、 が僕を庇ってくれたときのことを思い出して、懐かしくなった。
が見てみたいと言っていたオリヴァー・デイヴィスも偽物だったし、この洋館は胸くそ悪いやつがうごめいているからさっさと帰る準備をしていた。
『原さん?どうしたの?一人じゃ……』
帰る支度ができたから挨拶してこようと言われて と廊下を歩いていると、マサコがしずしずと歩いて来た。動く日本人形みたいで日本の怪談を思い出す。もう日は落ちているというのに一人でこの館を徘徊するなんて危険だと が引き止めるが、どうにも様子がおかしい。こちらを見向きもしないのだ。
連れて行かれる、と僕はすぐに分かった。 はそれよりも早く気づいて、僕の手を離した。するり、と離れて行く手を僕は捕まえる事が出来ない。
「谷山さんたちの所に行きなさい、 」
化物が居る気分の悪い洋館で、 と四六時中手を繋いでいられることが唯一の救いだった。それなのに、僕は置いて行かれてしまった。
闇に消えた を呼ぶようにぽつりと声を出すけれど、薄暗い廊下に沈み落ちた。
僕は仕方なくマイを探す。暗い廊下を一人で歩くのは本当は危険だけれど、むしろ連れ去られた方が に会いに行けるから本望だと思ったのでのんびりと歩いた。
部屋の前にたどり着くと、声がする。マイの声は高くてうるさいからよく聞こえて、渋谷サイキック・リサーチの奴らが居るのだと分かる。マサコと一緒に、 もこの部屋に帰って来ているだろうか。わずかな期待とともにドアを少し開けてその隙間からのぞく。
びくり、と皆がこちらを振り向いた。
『真砂子!?』
マイがマサコの名を呼んだけど僕だと気づいて少し落胆の表情を浮かべた。僕だって落ち込みたい気分だ。どうやらマサコも も帰って来ていないようだ。
ふう、とため息を吐きながら事情を説明した。日本語を喋るのは好きじゃないから英語で言おうかと思ったけれど、通訳させている時間が勿体ないので日本語で伝えた。
(本当、あの化物……良い度胸してる)
怒りで身体が震える。あの化物どうやって消してくれようかと少し考えたけどまずは を探すのが先だ。僕たちはこの館の中を歩き回って化物の存在は知っているけれど、隠れ場所なんかは調査していないのだ。
壁の中に居るのだろうと、推理するナルと呼ばれている少年。ナルミだと思っていたけれど、どうやらシブヤカズヤというようだ。皆がナルと呼んでいるのは彼の愛称なのかもしれない。
すると、ナルという愛称になるオリヴァーに行き当たる。日本人とも西洋人とも取れる顔立ちはしているけど、もし彼がオリヴァーだとしたら が興味を持つだろう。ただでさえ はたろのことを思い出して、これから僕達の間に誰かが入ってくるかもしれないのだから、出来るだけ隠しておこう。
一緒について行けば にも会えるだろうと思っていた所で、マドカに預けると宣言された。誰だかは知らないが、おそらく僕はこのままだと一緒に行けないのだろう。
ナルとリンが二人、僕と一緒に残った。
『あれ、他の皆さんはどうされたんですか?』
『安原さん。何故来たんです』
『撤収の手伝いに。それからいろいろと情報が入りまして』
最初にシブヤカズヤと名乗っていたはずの男が窓から入って来た。電話をかけようとしていたナルの手が止まる。
マドカとやらはまだ呼んでいない今しかないかと、呪文を口にした。
「Imperio」
小さな声で呟けば、三人は喋るのを辞めた。許されざる呪文だが、ここには僕を縛る物は何も無い。それに、 を助ける為ならこのくらい許されても良いはずだ。
元のメンバーと合流する部屋へ案内させて、服従の呪文を解いた。此処まで来てしまった以上部屋に戻す時間は勿体ないという結論に至ったナルは仕方なしにと僕がここに居る事を許した。
壁の薄い場所を探し、それを壊している作業を少し見ていたけどそれこそ時間の無駄に思った。
早く に会いたいのに。
杖の無い状態で三人に服従の呪文をかけて疲れたので、マイの隣に座って休めば色々と話しかけられた。
『 くんとはいつから一緒に居るの?』
『ずっと』
休憩程度には付き合ってやろうかと小さく返す。
とはもう何年も一緒に居る。僕の世界に居たときから、ずっとだ。
『あんた学校は行ってるの?』
いつも態度のでかいアヤコは僕を見下ろす。大方僕の愛想の無さを懸念しているのだろうけれど、僕は別に難のある人物ではないはずだ。ただ何よりも を優先しているだけ。
『ときどき』
学校には今は通っていないけれど、時々通う事がある。それは世界に決められていることだから僕も も逆らわない。最初のうちは面倒で学校をよくさぼっていたものだ。 の居ない小学校で頭の悪い子供たちと接する意味がわからなかった。ただ、気がついたのは の学校にはついて行けなくてその間僕は一人で家に居なければならないことだ。
本は好きに読めるけれど大抵読んでしまっていて家に居るだけというのも退屈だ。
暇を潰すためにやがて学校に通うようにはなった。
アヤコは聞いたわりに、大して興味がなさそうにふうんと頷く。マイは少しマシな態度かもしれない。うるさくて馬鹿だけど素直な所は他の奴らよりは鼻につかない。
マイは寝ると力を発揮できるらしく、途中でうとうとと眠りに落ちて行った。
さあ、早く、早く の居場所を教えて。
暫く休憩している間に少し体力も戻って来た。そろそろ壁でも壊してやろうと思った所で隣のマイは目を覚ました。 はやっぱりこの壁の向こうにいるらしい。無事だと告げられてほっとする。 に限って危険な目に遭うことはないのだけど。
す、っと立ち上がり壁に群がっている何人かにどけと告げると一人は察したのかすぐにどいた。もう一人の口うるさい男、たしかボーサンと言われてた奴は退くのが遅い。邪魔だ。
もう気にしてやるのも面倒くさいと思い、壁に向かって腕を出し、指を鳴らした。
粉砕呪文を壁に当てれば、壁にひびが入りやがて砂塵になり崩れ落ちた。
少し厚い壁だったことと、怒りに任せて魔力を使いすぎたから、どっと倦怠感が身体を襲う。
本当はあんまり力を使っている所を見られたくはないけれど、念力扱いされているここで、同業者の彼らにならまあ平気だろう。もし駄目だったら記憶を消そう。疲れるけど。
はあ、とため息を吐き、僕の行動に驚き固まる面々を見て駄目だこいつら使えないと判断して一人で進んだ。
慌てて一同が後ろから駆け寄って来て、ようやく捜索は再開された。どうやらマイはどの部屋なのかを少し夢で見ているらしく、この子が頼みの綱だ。
暖炉のある部屋に入ると、彼女は震える声でここだと呟いた。
『クローゼットの中に、また扉があるの……』
皆の視線がクローゼットへ行く。恐る恐る開けたカーテンがかかっていて、その奥には扉があった。
『ここだ!』
途中でマイが弾かれたように声を上げた。走り出すマイに僕もついて行く。この先に が居る。早く会いたい。
足の長さが違うから少し置いて行かれるけど、マイの後をなんとか追って薄暗い部屋に入って行く。
血の匂いと、化物の気配が濃くなった。
『真砂子!!』
血濡れの部屋に気づかないのか、マイは脇見も振らずにうずくまるマサコに駆け寄る。その隣には、 が居た。
「 ……」
たった少しの間会えなかったけれど、僕は寂しくて仕方なかった。
力を使いすぎた事と、走ったことで、この十歳の身体は酷く疲労していて、声はかすれていた。ぱちん、と目があって、 の目は細められた。早く僕の名前を呼んで。
ピチョン……
瞬間、血の滴る音が聞こえた。
奴が、目を覚ます。バスタブから現れたのは、ミイラのような化物だった。死を受け入れられない化物を、酷く哀れに思った。僕は今まで死というものが怖くて仕方なかった。けれど、永く と生きた今、死が怖いとは思わなかった。
僕にとって怖いのは、世界からが消えることだけ。
マイが九字をきると、ウラドはひるみ、姿を消した。
は慌てて二人の腕を掴んで僕の居る出入り口の方へ突き飛ばした。びちゃ、びちゃ、と血濡れた足音が背筋を這う。おぞましく、みにくく、いまいましい。
「 」
が囁くように呟いた。
僕は彼に駆け寄って、手を差し出した。
2013-12-19