渋谷サイキック・リサーチの人々に挨拶をしていきたかったけれど、まだ眠そうな を早く自宅で休ませてあげたいのでタクシーに乗り込んだ。
数日ぶりの家につき、 には暫く休んでいいよと頭を撫でればおやすみのキスをしてベッドに潜り込んだ。今朝目が覚めた時はもう眸は黒に戻っていたから今日一日ゆっくり過ごせば回復はするだろう。
眠っていると本当に子供な の前髪を優しく梳いた。
暫く留守にしていたから出来るだけ家の窓を開けて風通しを良くする。木々の間から家の中に入り込んでくる空気は清々しく、心地良い。しばらく薄気味悪い洋館で過ごしていたから、余計に自宅で過ごすのは気が楽だ。
ナルくんのことも気になるし、たろのことも気になる。結局デイヴィス博士は偽物だったからあれから何年経っているのかもよくわからない。たろが入院していた病院を訪ねてみれば少しは分かるだろうか。
次の日に病院へ訪れてみれば、たろはまだ意識不明のまま眠り続けていた。内臓の損傷や外傷はぼぼ完治しており、意識さえ戻ればといった所だった。栄養を伝える管と、異常があった場合に知らせる機械に繋がれたたろは、綺麗なままだ。俺が居なかった期間は一年だけで、彼が意識不明の期間は一年と約半年程だった。
俺の居ない間でも、人々の記憶には俺と が甲斐甲斐しくお見舞いに訪れていたことになっているようで、看護婦さんや患者さんにはよく声をかけられていた。
担当刑事さんも俺を両よく知っており、たろの身元が未だ判明していないことは聞いていた。
加害者が既に捕まっているためか、警察の間ではあまり大事になっていないらしい。患者の回復を待つということで捜査は中断されっぱなしで一年が過ぎていたのだ。
ベッドで眠る彼を見下ろせば、ますますナルくんそっくりだ。やせ細り髪は伸びているけれど、多分瓜二つ。年頃も同じくらいだから、おそらく血縁だろう。ナルくんに連絡を取りたいところだけど、実は渋谷サイキック・リサーチの電話番号がわからなかった。インターネットにも乗ってないし、タウンページなんかも手がかりはなし。
谷山さんとの会話の中の、渋谷にあるということしか知らない。すぐに連絡できるだろうと思って挨拶もしないでいたことが仇になった。
見つからないということは、そういうことかな。なんて流れに身を任せる術を、長年の旅で培ってきてしまった俺は、ついついすぐ諦める。時がくれば出会うだろう。
今はたろが目を覚ますまで見守るしかない。
涼しいと思っていた春がどんどん温かくなり、次第に夏が見え隠れし始めた。長袖を着ていたけれどとうとう三日程前から半袖で過ごすようになった、そんなある日、病院からたろが目を覚ましたと連絡が入った。
病院の受付で看護婦さんに、目が覚めて本当に良かったねと涙ぐまれる。彼はいつの間にか見元不明者ではなく、俺の身内のように思われていたようだ。
病室へ入ると、今までずっと横たわって動く事の無かった彼は弱々しくも動いていた。
「こんにちは、初めまして」
戸惑った表情を浮かべる太郎に、笑いかける。
「どう、も」
ナルくんそっくりなのに、そこから出る言動はまるで違う。別人なのはわかるけど、たろは原さんと二人で居たときに出会った、謎の彼に似ていた。
隣にいた刑事さんが自己紹介すると、たろはぺこりと頭をさげた。
基本的な生活習慣や言語などを忘れたわけではなく、自分や他人の事などの記憶がないのだそうだ。充分ネックだが、言葉を忘れていなくて本当によかった。
「自分の名前に心当たりとかはないのかい?」
「 太郎……ではないのですか?」
「ああ、それは彼がつけてくれた名前で、本当の名前ではないんだよ」
刑事さんの簡単な事情聴取を隣に座って聞いていた。たろは目覚めたときから俺達のつけた名前で呼ばれていた為それが本名だと思っていたようだ。たろは、俺をみて首を傾げた。
「俺は 、この子は 。君が事故に遭ったときに傍にいたんだ」
「 さん、 さん……」
言葉を咀嚼するように太郎は呟いた。俺はにこっと笑うけど は相変わらず無表情のままそっぽを向いている。
刑事さんは更に質問をいくつかしていくけど、たろの答えはすべて”わかりません”だった。
たろの怪我は特に後遺症もなく、一週間後には退院ができるそうだ。ただ、筋力は低下しているため日常生活を支障無く過ごすにはリハビリが必要とのことで、暫く通院するようにと言われている。しかし通院や退院といっても、たろには身元も家もない。治療費は加害者が払い続けてはいるものの、これから先もとなると大変だった。
万が一、慰謝料分で生活するにしても、彼一人ではどうも心もとない。
「うちで面倒みましょうか」
考える間もなく、俺は口を出した。
この事件は、正直事件調査に前向きになってくれないような事件だ。記憶喪失で身元不明なことはたしかだが、一年半わからないともなると、この先見つかる見込みも薄いと判断されているようだし。警察側としても、どこか施設を紹介するくらいしか打つ手はないらしい。
「しかし、 くんは二人暮らしだろう?」
「ええ、うち広いし、二人だと部屋があまってるから」
「ああ……」
刑事さんは俺達が普通の一軒家に二人暮らしだということを知っており、少し納得したように頷く。援助も充分受けているのでお金の事も心配しないで良いことを伝える。
それに、俺たちは時間に融通が利くから一緒に通院することだってできる。
「たろは、どうかな」
「え」
「施設とうち。どっちも知らない人の家だけど、うちは俺たち二人だけだからすぐに慣れられると思うよ」
刑事さんは施設でも俺の家でもどちらでも大丈夫だとは思っているだろう。問題はたろだ。何も知らない状態で施設に入れるのはなんだか可哀相だと思った。
全く知らない人が大勢いる施設より、二人しかいないうちのほうが良いと思う。ナルくんにもコンタクトをとるつもりだったし。
「ごめいわくじゃ、ないですか?」
「うん。記憶がない今、君は 太郎。うちの子だから」
「ありがとうございます」
ぽろ、とたろは涙をこぼした。刑事さんもなぜか同じタイミングで鼻を啜る。
刑事さんはその後すぐに病室を後にし、俺とたろと の三人だけが病室に残った。
「 さん、 さん、あの、本当にありがとうございます」
「 でいいよ。敬語も使わなくていい」
「うん……」
頭を撫でれば、照れくさそうにたろは微笑む。ナルくんより子供っぽい。ナルくんの笑顔は見た事がないから想像できないけど、この子は人懐っこそうな人格だろうか。記憶喪失だから確かとは言えないけど。
世界を巡るたび、人と関わって行くのはいつものことで、 もそれは分かっていた。でもやっぱり一緒に暮らすとなると話はちょっと変わって来て、 は少し不機嫌気味だ。
『 、もうそろそろ帰るよ、そう拗ねないで』
「帰るの?」
宥めるように囁けば、ベッドの上のたろが寂しげに聞き返した。あれ、俺いま英語で言わなかったっけ。
『僕たちの話が分かる?』
『?うん、分かる』
ここへ来て が初めて喋った。確かに英語で、たろに話しかけた。たろは流暢な英語で答えた。どうやら英語と日本語を喋れるようだ。
「まあ、また明日来るから。今日はもう休みな」
まだ目が覚めたばかりで本調子ではないだろう。これから一週間のうちに少しずつ元気になってもらって、調子を取り戻して行けたらいい。時間はまだたくさんあるのだから。
2013-12-28