EndlessSeventeen


おばけなんてこわくない 10(主人公視点)

たろが目を覚まして、一週間が経った。最初は一人で立つことも出来なかったけど、マッサージしたり、動かす手伝いをして、少しずつ筋肉が動くようにすればなんとか一人で立つことは出来るようになった。ただ、まだ歩くのは難しく、掴まりながら進むことはできるけど、少しの運動で足が震えるようだ。 これから少しずつ体力と筋力をつけていかなければならない。

今日はたろが退院する日だ。事故に遭ったときの服は使い物にならず捨てられているので俺の洋服を持ってきた。
着替えの手伝いを に任せて、退院手続きをしに病室を出た。
先生からは最初の毎週火曜日と金曜日にリハビリにくることと、金曜日は診察もすること、それから食事で気をつける事、あとは記憶を取り戻す為の話をしてくれた。
稀に事故による記憶喪失はあるようだ。次第に戻って行くはずだとは言われている。色々な物を見て何かをきっかけに思い出したりするかもしれないから、たくさん話をしていろんな事をさせてあげてくださいと言われた。
先生との話が終わり、退院手続きもしてロビーへ行くとたろの車いすをおした がやってきた。
「「 」」
「ああ、丁度今終わったよ」
俺が近づいて行くと二人とも柔らかく微笑みながら名前を呼んだ。
「帰ろうか」
身長的に俺が押した方が良いだろうと車いすを押す役目を交代し、病院を出た。事故に遭ってから外へ出るのはたろにとっては初めてなのだろう、わあ、と小さな声が聞こえる。
病み上がりのたろを車いすに乗せて交通機関を使うのは気が引けるので、タクシーを呼んでおいた。後部座席にたろを乗せてから車いすをたたんでトランクにしまってから助手席へ乗り込む。
「あれ、あれ?」
「ここ」
がたろの分のシートベルトを締めてあげている様子を見てほっこりする。かちゃん、と音がして二人の準備ができたことを確認してから運転手さんに行き先を告げる。キャンプ場の近くだねと言われてええと頷くと車は発進した。
山中の舗装が甘い道に揺さぶられ、数分程で家の近くにたどり着く。此処から先は少し車も入りづらいし、木陰が多くて涼しいから車いすでも大丈夫だろうと思って車から降りた。
料金を払っている間 がトランクから車いすを出してたろに手を貸してくれたようで、俺が車から降りたときにはすでにたろが車いすに座っていた。
ありがとうね』
『いいよ』
『たろ、ここから五分くらいだよ』
『わかった』
病院にいる間は基本的に日本語で喋っていたけど、俺と は家では英会話だからタクシーから降りると自然と英語になる。たろも英語がわかることが判明しているので、当たり前の様に英語で話しかけた。
『綺麗な所だね』
『うん。俺も初めてきた時にそう思った。まあ今も思ってるけど』
木がざわめきながら揺れる様子を仰ぎ見て、たろが呟く。おそらくたろはこの辺の人じゃないのだろう。ナルくんが東京にいることも然り、近隣の住人だったらとっくに身元も分かっているはずだ。多分旅行中だったのだと推測される。だが、たろが持っていた荷物はどうしてだか見当たらなくて、近隣のホテルからもそれらしき人物の荷物や手がかりは見つからなかったらしい。まるで世界がたろを隠しているように思える。ナルくんの事務所の電話番号が見当たらないのもその所為かもしれない。
『いつから居るの?』
『んー、忘れた』
がこん、と小さな石を車いすが轢いた。ごめんね、と謝ると大丈夫だと帰ってくる。

じわり、と汗が滲み始めた頃家に着いた。
外から見ると少し古い佇まいで、以前行った所とは比べ物にはならないけれど洋館風だ。雨に濡れた跡や少しのひび割れ、それから蔦なんかが絡まっているから一見何かが出そうな雰囲気である。
中身は新築かってくらい綺麗なんだけど、それは外から一切わからないので近隣の人たちの間では幽霊屋敷に思われていたりもするらしい。
『暑かったでしょ。冷たい飲み物を飲もう』
家の中にあげると、たろは外と中の様子の違いに驚いたのか少し目を丸めていた。
たろに肩を貸しながらリビングルームへ連れて来て座らせる。 が冷蔵庫から麦茶をだしてくれたので俺はガラスのコップを棚から三つらした。たろは遠慮がちに家の中を見渡した。
『たろ』
がコップを差し出すと、細く白い指先がおずおずと受け取り、こくんと一口飲んだ。喉が乾いていたのだろう、口を離すなり幸せそうな笑顔を浮かべる。ナルくんとのギャップがすごい。元々穏やかな性格なんだろう。性格って元々というのもたしかにあるけと、生きていく中で形成されていくから記憶を失ってもその人格であることがなんだか不思議だ。それとも記憶を取り戻したらナルくんみたくなるのだろうか。
は、どこの国出身なの?』
ふと思いついたのか、たろが に尋ねる。 が短くイギリスだと答えると、反芻するようにたろもイギリスと呟いた。覚えがあるのだろうか。
『何か思い出せそうなこととか、記憶に無いのにひっかかることとかないの』
がコップから唇をゆっくりと離してたろをじっと見つめた。たろは一瞬たじろいで、それから何かを思い出そうとするように上を見てから眉を顰めて目を瞑った。
『ゆめ、を、見るかな』
無理しないでもいいと止めようとしたところで、たろの形の良い薄い唇がぽそりと呟いた。夢、と俺が尋ねると内容は覚えていないのだと答えた。
『内容覚えてない夢?そんなのよくあるよ』
『夢の中の僕は記憶があるんだ……でも、』
がこてんと首を傾げたけどたろは恐る恐る噛み砕いて喋った。
夢で自分が何をしていたのか、誰と会っていたのか、何を喋ったのかは分からないらしい。でも、その夢の中では記憶喪失なんてことがなかったのように自分が居るのだという。
記憶喪失になったことがないからわからないけど、そういうものなのだろうか。

ふと、夢で会ったナルくんとたろにそっくりな彼を思い出した。その時は目を開けているたろを見た事がなかったからナルくんかと思っていたけれど、あれはたろだったように思う。ナルくんなのかと尋ねても答えられなかったのはその所為なのかもしれない。
もしかしたら幽体離脱という形をとっていたのかもしれないなと一人考えながら、その可能性をたろに話すのはやめた。
今色々言っても頭が混乱するだけだ。一番良いのは、たろとナルくんを会わせてあげることだろう。きっとなんらかの手がかりやきっかけになるはずだ。ナルくんに連絡の取れない今、たろは暫くうちで休養させるしかない。いずれ少し何かを思い出すだろうし、俺がいなくなるのはまだもう少し先の事だから大丈夫だ。
もう少したろの体調が良くなってきたら、東京に行ってみよう。



たろは日に日に元気を取り戻して行ったように思う。最初は落ち着いた笑顔だったけれど時々年相応の無邪気な微笑みを浮かべる。 曰く頭は悪くないとのことで、彼ともうまくやっているようだ。
長時間は無理だけど、家の中で歩いて移動できるようになったたろ。真夏なのでさすがに病院まではタクシーで行くけれど、涼しい時間帯には散歩もするようになった。
、今日一日たろのこと任せていいかな』
『どこかいくの?
朝食を食べながら に頼むと、首を傾げた。たろと の二人は残念そうな面持ちで、トーストにジャムを塗る俺を見つめた。
『ん、ちょっと調べ物をしに東京へ』
『東京?』
『お昼ご飯は作って行くけど夕食は二人でどこかで食べておいで』
『えー……』
家から渋谷まではだいたい往復五時間ほどで、調べ物にかかる時間は定かではなく、夕食までに帰ってこられるかは分からない。日帰りの予定ではあるのだと とたろに言い聞かせると納得してくれる。
は十歳の見た目をしているとはいえ中身は立派な大人だし、たろも手がかからない子なので大丈夫だろう。
二人とも連れて行くのはそう大変ではないけれど無駄足になることと、たろの体調の事も考えて俺一人で行く事にした。
東京に調べものをすると言った俺の意図を は分かっているようなので、渋ったものの、大きな反対はされなかった。

『じゃあ、行ってくるよ』
とたろが家の前で見送ってくれる中、俺は必要最低限の荷物だけを持って靴を履いた。滅多に置いて出かけることはないから久々になるけれど、 にいってきますのキスを落とす。
おやすみのキスとおはようのキスはいつもたろが見ていない時に が仕掛けてきたから、この光景をたろが見るのは初めてだったらしくきょとんとした顔をしている。
『たろ、具合悪くなったら に言うんだよ』
『あ、うん』
たろに向き合って頭をくしゃりと撫でながら言うと、くすぐったそうな照れた笑みを浮かべて、俺の顔をちらりと見た。
『じゃね』
もじ、と指先を絡めている動作がふと目に入ったので同じ挨拶をしてほしいのかと思い、たろの真っ白な米神をちゅっと啄んだ。
『あ……』
『!!!、 !』
咎めるように が俺の名前を呼ぶのをクスクスと笑って聞き流す。

『してほしいのかと思って』

からかうように二人言って、手を振り玄関を出た。




2013-12-28