あたしも人とはすぐ仲良くなってしまうところがあるけれど、 くんもそうだと思う。声をかけやすくって、優しいから何でも言えちゃう。お兄さんみたいな、感じかな。
くんが挨拶もなしに……って言うとなんだか くんがカンジワルイ人みたいだけど……、居なくなってしまった後は、なんだか彼が酷く遠くに感じた。 くんは本当に距離を感じられない程にどこか曖昧な存在だったのだ。まるで夢のような人。
気まぐれで、飄々としているけれどとっても優しくって、気がつけば心の中にいるのに、目の前にはいないの。
また会いたいのに、あたしたちは友達みたいに当たり前の様に会える間柄ではなかった。
真砂子は くんが如何にコンタクトを取りづらい人物かを知っているから、残念そうにしつつも納得していた。
「一度お会いできただけでも、奇跡……ですのよ」
自分に言い聞かせるように、あたしを慰めた。
そんな事があってから数ヶ月が経った。春だった暦はすっかり夏になり、新たな依頼が渋谷サイキック・リサーチに舞い込んだ。それは、とある料亭での不可思議な出来事だった。
依頼に来たのは、青年と小さな女の子。首の周りに包帯を巻いて、少しおびえたような表情の葉月ちゃんは病院ではないかとこの部屋を恐れた。
背中にミミズ腫れのように綴られた痛々しい戒名は、『喘月院落獄童女』。意味は”この馬鹿な子供は地獄に落ちるだろう”。ぼーさんの言葉にあたしはひく、と喉が締め付けられた。
それから、あたしたちは例のごとくワゴンに機材を積んで、東京から能登半島までとろとろと車で向かったのである。
普段のあたしでは絶対にこられないような会員制の立派な料亭は、今は閉めていてお客さんに被害が出る心配はなかった。けれど、初日にナルが倒れた。所長無しでがんばるしかないと、ぼーさんと綾子と奮闘したけれどそれはもう大変な事ばかり。
二日目にはジョンと真砂子が来て、お屋敷の中を見てもらった。
靖高さんの自殺未遂と子供たちの除霊など、ばたばたして一日が終わろうとしている中奈央さんが行方不明になった。そして、奈央さんは日付が変わり深夜になって、変わり果てた姿で発見された。
三日目には安原さんがきて、調べ物にまわってくれた。死人の出てしまった吉見家はどこか元気が無く、いつも穏やかな笑みを浮かべていた彰文さんでさえ疲れた表情をしていた。
お昼ご飯を食べ終えて部屋へ戻ると、ジリリリリリと火災報知器が鳴り響いた。母屋から煙が上がっていて、慌ててかけつけると、吉見家の皆が消火にあたっていた。
子供たちやおばあさんは外に出されていたらしく誰も取り残されてはいないようだった。消化器を貰ってばたばたと動くなか、リンさんがはっとして、ナル!と漏らした。今、ベースは手薄だということに、あたしも気がつき走って行くリンさんの後を追った。
「ナル!」
ベースへ行くと、ナルが眠る部屋の襖は傷だらけになっていた。そして、その襖を守るように佇む くんの姿があった。
くんは背筋をしゃんと伸ばし、じぃっと、喉から獣のような唸り声を上げる和泰さんを見据えた。なんだか、和泰さんが くんに怯えているように見えた。無表情のまま動かない くんはあたしからみても少しだけ怖くて、醸し出す雰囲気はいつもと違う。偽物のトム・リドルに凄んだ時みたいだった。
「谷山さん、九字を撃ってみますか?」
「でも、やっちゃダメって……!」
「わたしだと大怪我をさせてしまいます」
「今は さんが居てくれますから破られることはありませんが、和泰さんをどうにかしなければなりません」
リンさんに言われて、やむを得ない状況だと言い聞かせた。克己くんや和歌子ちゃんのように、傷を負わせてしまうけれど、ナルを起こされたらあたしたちは皆死ぬ。
ごめんね、和泰さん。そう心の中で謝り、九字を撃つ。一度弾き飛ばされた和泰さんは、まっすぐにあたしに向かってやってきた。どす、とお腹に体当たりされて一瞬息がとまる。
窓を突き破って逃げて行った和泰さんをリンさんが追う。あたしはリンさんに言われた通りぼーさんやジョンを呼びに行った。一瞬だけ くんを振り向くと、こちらをみて笑った。待っていてくれると言われたような気がして、ベースを くんに任せた。
綾子と真砂子にベースをお願いとだけ伝えて、ぼーさんと一緒に外へ向かった。和泰さんに憑いた霊の記憶なのか、柵に触れた途端、奈緒さんが崖から突き落とされるビジョンが見えた。和泰さんが、やったんだ。動物を殺したり、車に細工したり、奈央さんを突き落としたのは、全部和泰さんだった。
へたり、と座り込み全て吐露する。ジョンが心配そうにあたしに寄り添ってくれるけれど、悲しくて震えが止まらない。
死が望みだと言った、和泰さんに憑いた霊はそのまま崖から飛び降りて消えた。和泰さんは波に揺られ、ちいさくなっていた。あたしたち、何をしにここにきたんだろう。こんな事にならない為に、来たのに。
夜になって、調べ物から帰って来た安原さんと一緒に くんがブースへやって来た。
「折角だから情報共有しようと思いまして」
にこ、と笑った安原さんに、あたしたちはまず今日あった事を話した。 くんは目を閉じて静かに聞いていた。
安原さんは真面目な顔つきで、そうですかと頷いて、あたしたちを冷静に励ましてくれた。
「で、 少年はいつからきてたんだ?」
ぼーさんが、今までじっと黙っていた くんにくるりと顔を向けた。目をあけた くんは、ああと口を開く。
「今日の昼頃かな、火災の起こる前に到着していたんだ」
「ほお」
今回会ってから初めてまともに喋っている所を見て安心する。やっぱり くんは くんだよね。場を和ませるような優しい声色と、笑顔。
「ナル坊が起こされなくてよかったよ、あんがとな」
「いーえ。ナルくんどうしちゃったの?大変だね」
ぼーさんがお礼を言うと、 くんはあたしたちを見回してねぎらった。
そこで、あたしたちは此処に来てからの出来事を順番に くんに話して行った。彰文さんにあらかた聞いていたようだけど、あたしたちの話の方が詳しいので初めて聞く話もあったのだろう。ふむふむ、と頷いていた。
「ナルくんってなんだか に似てるな」
くんが、ぽつりと言った。
「お二人とも美形ですもんね」
うん、確かに。安原さんのにっこりと笑った顔とのんきな声にあたしは心の中で頷いた。 くんもクスッと笑いながらそれも然りと肯定する。
「霊が憑きにくいところと、憑かれたら厄介なこと」
くんが本当に何者なのか、わからないけど、 くんが言うのなら結構強い力を持っているのだろう。
(ちなみに くんがトム・リドルという疑惑も出ているけどまだそれは確かめられてはいない。)
でも、確かにそうだと思った。あの分厚い壁を一瞬で砕いた くんが憑依されたらと考えるとぞっとする。
「普段の態度もそっくりだな。ま、つっても、 には懐いてるようだが」
ぼーさんもそう思ったのか一瞬だけ神妙な顔つきをしてから、話を変えるように軽口をたたいた。
「そういえば さんはどうしはったんですか?」
「あ、今回はお留守番」
ジョンが口を開いたことで、まわりも皆気づく。そういえば くんが居ない。いつだって手を繋いでいたから、今回も来ているかと思っていた。
「え?平気なの? くんって くんと二人暮らしでしょ」
「今は三人だから大丈夫」
「ああ、じゃあ面倒見てくれる人いるんだね」
前に、二人だけの家族だって言っていたから、お留守番ということは くんが家で一人ということ。大丈夫なのかと尋ねれば、もう一人増えたみたい。前に言っていた先生かな、と思って安心した。
それからは安原さんが調べて来てくれた話の内容を聞いた。あたしは勉強があんまり得意じゃないから、ただ素直に聞くことくらいしか出来ない。
話し終えて、ぼーさんとジョンが除霊に行くことになった。リンさんの忠告に苦い顔をしたところで、家が揺れた。そして、お経の音が聞こえる。
ぼーさんとジョンと くんが母屋の方へ様子を見に走って行ってしまうと、電気がぱっと消えた。
「きゃあ!」
真砂子の悲鳴が聞こえ、指さす方をみれば窓ガラスにべたりと黒い影が貼り付いていた。かろうじて人の形をしているけれど、所々湾曲していたり皮膚が泥の様に溶けかけていて酷い成りをしている。
バンバンバン、と激しく窓ガラスを叩かれて、とうとうガラスが割れてしまった。押し寄せてくる死霊たちに、綾子が遠慮せず九字を撃ちなさいというので撃とうとしたら、奈央さんを見つけてしまった。生まれ変わりの儀を行っていたのに、なんでこんな所にいるかと驚く。
それにしてもこんな数、あたしたちだけじゃ太刀打ちできない。
「オンキリキリバサラ……」
背後から、ぼーさんの低い声が近づいてくる。カマイタチにぴし、と身体を切られるけれど怯む事無く窓の桟に独鈷杵をうちつけ、結界を張った。
「ジョンと くんは!?」
「今若旦那たちを先導してる」
ぼーさんは今度はジョンたちを助けに部屋を出た。あたしや綾子もそれに続いてくと、すぐ近くまで皆が来ていた。
白い鬼火のようなものたちが、ふよふよと漂っている。それに触らないでとジョンに言われたけれどそのときはもうすでに鬼火はあたしのすぐ前に来ていて、お腹を突き抜けた。
どす、と何かにさされた気がした。立っていられない程の痛み。血が出ていると思ったお腹は、なんともない。けれど確かに痛みがある。ぼーさんもそれを足にうけて、呻きながら足をおさえてうずくまった。
「ちくわ」「わ?わなげ!」「げた」「たんぼ!」「ぼ、ぼ、ぼうし」「しろ?」
こしょこしょ、と声が聞こえて顔を上げる。 くんと、子供たちの声。四人でしりとりをしていた。
なにやってんの、と言いかけたけれど、皆の言葉が紡がれるたびに、近づいて来た鬼火は弾かれる。どういうことかわからないまま、ベースに向かおうと先を急いだ。
ばたばたと走る最中も、 くんはのんびりとしりとりを繰り返し、部屋に入った時にしりとりを「りぼん」で終わらせた。
子供たちは気がまぎれたのか笑っていて、大人たちもほっとしている。
「 くん、さっきのなんだったの?」
「え?しりとりだよ」
克己くんを畳の上におろしてあげながらあたしに笑いかける。しりとりだっていうのは分かってるんだってば。
「ありゃあ、古い護法だ、麻衣」
「ごほー?」
「まあ、夜道とか怖いときにな、途切れないように複数人で言葉をつなげて、言葉で結界を張るんだ」
救急箱を取りに部屋を出て行った くんのかわりにぼーさんが教えてくれた。
「普通にやるとおまじない程度なんだがな。さすがは本物ってとこか」
救急箱をいくつか持って戻って来た くんは真砂子や安原さんに渡した。一つは自分で持って、リンさんの方へ行き、消毒していた。ぽそぽそ、と喋っているのが聞こえる。二人が話しているのを始めて見た。
くんがふと上を向けばそれに気づいたリンさんも顔を上げた。
「式が帰ってきましたので、結界は解いても大丈夫です」
リンさんがぼーさんに、そう報告した。
2014-01-31