彰文さんに救急箱は各部屋に備えてあると聞いたので一度部屋を出て行き戻ってくると、手当てを申し出てくれた安原さんたちに救急箱を渡す。ひと箱あまったので生傷の多いリンさんに近づいた。
「傷見せてね」
「すみません」
座るように促すと、当然のように正座をした。足が長くても全体的に大きいから座高も高い。純日本人の平均身長真っ盛りである俺では手当てがしづらくて、仕方なく膝をついて腰を上げた。
「今日はさんが居ないそうですね」
「え?ああ、うん」
たろの面倒見ていてほしいし、と呟きながら傷口から滲む血を拭く。消毒液をかけると、ほんの少しだけ震えた。痛みを噛み締めているようだ。
「、さんは何者ですか」
消毒液を拭う俺の頭にぽとんと落ちて来た疑問。
「うん?」
顔を上げて首を傾げるが、リンさんは真剣なまなざしで俺を見下ろした。
ふと、リンさんの周りに霊が近づいて来た。何者かに使役されている霊だからおそらく式だろう。じいっとそれを見ると、リンさんも気がついたようで、手にとるような仕草をして、滝川さんに式が戻って来た事を報告した。
丁度手当も終わったので離れようとすると、救急箱を持ってる腕をがしっと掴まれた。
「行かないでください」
「「「えっ」」」
懇願されるように見上げられた俺はもちろん、滝川さんや谷山さんが顕著に反応した。
「く、口説かれてる……?」
手で口元を隠しながら、わざと照れたように尋ねると、リンさんはがくんと首を曲げた。
「あんまり女に興味がなさそうだとは思っていたけど、まさかリン」
「違いますっ」
滝川さんが真面目な顔で茶化すと、リンさんが語尾を荒らげた。
「貴方には聞きたい事が沢山あるんです」
「あ、それには俺も同感だわ」
「確かにね、あんた謎過ぎ」
滝川さんや松崎さん、果てには渋谷サイキック・リサーチの全員がじいっと俺を見上げるので、大人しくその場に座る事にした。
「貴方の事もそうですが……さんの事もです」
「ああ、ね」
皆の前で力を使ったからなのだろう、気にかけられていたようだ。
「ナルと私と安原さんは、彼に一度操られました」
「え、本当?」
リンさんの言葉に、俺は目を丸めた。服従の呪文をよく使うなあ、あの子。
「あ、あ、操るって、催眠術みたいに!?」
谷山さんが驚いてリアクションをとる。安原さんは、僕もですかと首を傾げた。
なんでも、あの洋館で俺が連れ去られた時、は森さんという人に預ける予定だったのだそうだ。それが、いつの間にか安原さんと四人で現場へ向かっていたらしい。その間はおぼろげな記憶しかなく、心地良い感覚に全部の神経が浸っているような気分だったとか。その症状はまちがいなく服従の呪文だけれど、操られていたことに気づかれるとはにしては詰めが甘いな。まあ、その後壁を壊したりウラドを燃やしたり、谷山さんと原さんの記憶を消す事を考えたら力を温存しなければならない為、忘却魔法を使わなかったのだろう。
安原さんは、確かに何故かいい気分だった覚えはあるそうだけど、あまり気にしていなかったらしい。
ナルくんとリンさんはを連れてくる気がなかったからこそ違和感を大きく感じたのだ。
「PK-LTですやろか」
「部類的にはそうだが、それにしても高度すぎるだろ。それに壁を壊しているからPK-STも持ってるっつーことだ」
「二つを同時に持つ事なんてできるの?」
「出来なくはないわよ……異例中の異例だけどね」
「現に……三つ全て持ってらっしゃる方が居ますから」
俺の前で話は進んで行く。このPKを三つ全て持ってるっていうのは多分、トム・リドルのことだろう。そしてのことでもある。その真相が聞きたいのか、皆が思い当たる節を、次々と上げていった。
吉見家の人々はもう疲れて眠っているけど、皆は俺に聞くまで寝ないつもりなのかギラギラした目で俺を見つめた。
「の名前はね、……大嫌いな父親と同じ名前なんだ」
まあ隠し事ってほど隠し事でもないし、話しても良いかと思い口を開いた。
「父親……?」
谷山さんが繰り返すように呟く。
「そう。それと、ただ純粋に、ありきたりな名前だから。ほら、トムってどこにでもある名前じゃん?」
「「「!!」」」
俺がナチュラルに認めると皆の目がかっと開かれる。
「だから、その名前を出さないであげてね」
あはは、と苦笑いを浮かべると、皆は力が抜けたようにがっくりと肩を落とした。
「だから俺は足を踏まれたわけだな」
「うん。あの時はごめんなさい」
「いいえ」
滝川さんと俺は向かい合ってぺこり、ぺこりと頭を下げる。
「の力の事は、もう研究に協力していないから、皆が納得する答えは出せないかな」
「そういえば、なんで協力やめられはったんですか?」
ブラウンさんが不思議そうに首を傾げた。
「ああ、移動距離が長過ぎてだるいって」
「そんな理由でしたか」
リンさんが眉間に皺を刻んで嘆息する。月に一回くらい手紙来るし、その度に往復十二時間くらい飛行機に乗ってる俺たちの時差ぼけを考えてほしいものだ。
「良いんですか?解明されなくて」
「俺たちに分からないことなんてないよ、解明したいのは他人だけ」
安原さんが首を傾げた。類希なる力を持った十歳の子供に対してだったらそう思うだろうけど、俺たちにとってはは普通の魔法使いだ。
「研究者に任せてたら、百年経ってもは解放されない」
俺のその言葉に皆がぐっと黙った。
「トム・リドルは死んだ。そう言う事にしてくれないかな」
笑って皆に促すと、誰も異を唱えるものは居なかった。
「さんは、ナルに憑いた霊を落とせますか?」
「え」
リンさんが一呼吸おいてから、俺に尋ねた。無理矢理行うのは危険だという理由で封印をしていたのだから、俺が手を出しても危険なんじゃないだろうか。
「憑依霊かあ……」
「そもそもあんたってどうやって祓ってるのよ」
松崎さんの問いに皆も俺を見た。
「やり方はそうそう変わらないよ。ただ、俺は霊に嫌われる体質だから有利なだけだよ」
「嫌われる体質、ですか?」
ブラウンさんがきょとんと繰り返す。
「俺自身が結界というか、祓魔具というか。天然素材?」
「だから無傷なんだな」
滝川さんも一言納得したように呟く。俺もこくんと頷いて、自分の手をひらりと振った。
「ね!それで、ナルに入ってる霊は出て行くの?」
「少年が触っただけで出て行くんじゃねーか?」
「さすがに身体が触れた程度じゃ出て行かないよ。原さんもそうだったでしょう?……あ、キスでもしてみようか」
俺とナルくんのキスシーンを想像したのか、ぴしっと一同が石の様に固まる。
「舌入れて吸ってみれば霊を引っこ抜けるかもしれな「ストーップ!ストップストップ、健全な青少年の前で何をぬかすかオノレは!」」
滝川さんに口を塞がれて、それ以上喋れなくなる。まさにお父さんである。
ブラウンさんと谷山さんと原さんは真っ赤になっていて、松崎さんは顔とひくりと歪めていた。リンさんは顔を背けていて表情は見えない。安原さんはにこにこ笑ったまま、渋谷さんが目を覚ましたあとが怖いですと冷静に判断していた。
「ごめんね」
「ぼーさんは最近の若い子がコワイ」
「一緒にすんな!」
高校生の前でこれはなかっただろうか。謝れば滝川さんが肩を落とす。同い年だからと一緒にされた谷山さんが拳を握りぼーさんを軽くはたいた。
しかし、たしかにナルくんが起きた時に男のプライドへし折られたと聞いてどれほど怒られるか分からない。いや、霊が憑いたままなのとどちらがいいんだろう。
「ほ、ほんと・に、す、するの?」
「冗談だよ」
心配そうに尋ねてきた谷山さんに否定を返せば、ほっとしたように肩をなで下ろす。
「お前の身体は冗談で出来てるのか」
「そんなあ」
げんこつを食らって、暫くくだらないやり取りをすれば段々と皆がうとうととし始め、やがて眠りについた。
俺は逆に目が冴えてしまったので部屋を出て台所を拝借してご飯を炊き始めた。
炊きたてのご飯でおにぎりつくって、冷蔵庫にあるお新香や煮物の残り物等を持ってベースに向かった。
丁度朝日がほんのりと差し込んできて、浅い眠りについていた皆は目を覚ました。
「あ、おはようございます」
お盆で両手が塞がっていたので床に置いて座ったまま襖を開けると、一番に彰文さんと目が合ったのでにこっと笑う。
「あ、申し訳ありません、作ってくださったんですか」
「簡単なものばかりだけど。勝手に台所を使わせてもらいました。ごめんなさい」
「いえ、助かります……」
疲れた顔にほんの少し安堵の色が窺える。夕食をとってからそう時間は経っていないけれど、疲れた上にあまり眠れなかったから、食べれば少し元気になれるだろう。
「くん美味しいよ!!」
「お料理上手なんですのね」
谷山さんと原さんがおにぎりを食べながら褒めてくれる。俺が作ったのなんて塩おにぎりだけで、皆は空腹のスパイスでいっそう美味しく感じるだけだと思うけど、お礼を言っておいた。
一、二個食べ終わった所で、滝川さんとブラウンさんが除霊をしに行くと立ち上がった。
「リン、お前はここにいてくれ。気力をそぐんで結界を解いて行く」
「はい」
「ジョン、行くぞ」
「はいです」
疲れてるであろう二人を労り谷山さんが止めるが、もう一度夜が来てしまえば今度こそ大変だという滝川さんに、ぐっと押し黙った。
「あたしが行くわ。あんたたちは休んでなさい」
松崎さんが、きっぱりと言い放つ。いつも自信満々なイメージだけど今日は輝いて見える。
確かに巫女さんの彼女には、丁度良い神社がある事だし力も出しやすいんじゃないかと俺は思ったけれど、彼女は今まであまり力になれていなかったらしく、滝川さんや谷山さんの批難を浴びている。
「大丈夫だよ、ここの神社はきっと力を貸してくれるから」
「あら、分かってるじゃない」
よしよし、と頭を撫でられるので目を細めた。
結局、松崎さんの除霊を見守るという折衷案で、滝川さんもブラウンさんも一緒に行くことになった。谷山さんは純粋に心配だったようで松崎さんについて行くようで、俺も行こうかと提案したら滝川さんに此処に居ていざというときに皆を守ってくれと頼まれた。
まあ、そろそろ眠たいし良いかな……とその願いを受け入れお留守番に徹することにした。
2014-02-22