「あ……ナルの中の霊が」
「今抜けました……」
同時に、原さんとリンさんがはっと気がつく。 さんは何も言わないけれど肩をまわしているあたり、気がついていたようだ。
リンさんは襖を開けて結界を解きまた戻って来た。
「ナルは……」
「しばらくすれば目を覚ますでしょう」
原さんが心配そうに尋ねればリンさんは一瞬だけちらりと襖の方を見て答えた。
顔を覗き込んで目を覚ますのを待っていたら怒られそうなので僕たちは襖を開けない事にした。
「あとは、えびす、だけだね、うん」
さんは、子供みたいに舌ったらずにぼんやりとそう言うなり、目をつむりながら手探りで何かを探す。そして、リンさんの膝に触れるとそこに向かってねころがった。つまり、膝枕状態である。
「なっ、…… さんっ」
さすがにリンさんも驚き さんの肩を掴む。んん、と呻きながら さんはすりすりと膝の上で頭を擦るだけで、場所は動かない。
「まあ……」
原さんは着物の袖で上品に口元を隠しながらも驚きをあらわにしている。
「落っことしますか?リンさん」
「運んでくださいませんか安原さん」
「そんなことしたら起きちゃいますよ?」
「……、」
僕は少し面白くて、退かそうにも退かせないで狼狽えているリンさんに尋ねる。起こすということは本意ではないようで、押し黙るリンさん。以外と優しいのか、慣れていないのか。
「やっぱり、相当気を張ってくださってたみたいですわね、 さん」
原さんが心配そうに さんを見下ろす。
結界を強めたり、吉見家の人々の保護をしたり、一晩中起きて見張っていたり、気が休まることはひとときもも無かったのだと原さんは言う。きっと今眠っている時でさえ、本当に休めては居ないのだろう。
除霊が成功してようやく少し楽になったようだ。
しかし、言い残した言葉が気になる。あたかもまだ問題が残っているような言い方である。
「…………」
そのとき、すっと襖が静かに開いた。渋谷さんがいつもよりも更に不機嫌そうなオーラで部屋を出てくる。
「ナル」
「あ、おはようございます渋谷さん、お体の具合は……?」
「目が覚めたんですのね、良かった」
口々に声をかけるけれど、僕たちを一瞥したきり返事をくれない。わあ、機嫌最悪。リンさんが さんを膝枕している光景にも表情を変えない。
「あーえと、今まであったことなんですが」
これはあまり障らないほうが良いだろうと考え、調べて来た内容や、渋谷さんが眠ってからの事態を説明し始めた。
「あと、さきほど さんが気になる事を言い残しまして」
ぴく、片眉を上げて視線だけで僕に話せと促す。こわいなあ。
「あとはえびすだけ、と仰ってました」
それから、 さんとリンさんに視線を移す。
何か言うのだろうかとごくりと唾を飲む。変わった漬物石だなとか、それはなんだ、とか言うかと思っていたが、何も言わない。
「ただいまーっと、よう、久しぶりだな」
気まずい空気のなか、滝川さん御一行が戻って来た。
渋谷さんの復活に一同喜び和気藹々とし出すが、機嫌最悪な渋谷さんにぴしゃりと躱されてしまった。
除霊はできたけれど、これだけではないようだ、と言いにくそうに滝川さんが説明しようとすると、渋谷さんが口を開いた。
「おこぶさまだろう」
「何で分かるの!?」
「お前たちとは頭のデキが違う」
おこぶ様の資料を探し出して説明したあと、つらつらと、渋谷さんは流れるようにこれまでの流れを理論立てて説明した。
一通り説明し終えてた渋谷さんは、おこぶさまの除霊を行うと言った。さすがに神様を除霊するなんてこと、出来る人物は居ない。そもそも神様を除霊なんて概念はないだろう。素人の僕からみても無理だ。
松崎さんもブラウンさんもリンさんも、できないと首を振った。
「ずっと気になってたんだが……あーなんだ、リン、それはどうした」
最後は滝川さんの意見かと視線をやるが、滝川さんはずっと さんとリンさんの膝枕が気になっていたらしくへろへろと指をさした。谷山さんは気づいていなかったらしく、視線をやったとたん素っ頓狂な声を出した。
「聞かないでくださいますか」
「ナルちゃん、つっこまなかったのか?」
「僕は部下の趣味にまで口を挟まないので。それで、ぼーさんは?」
「ナル!趣味なわけがないでしょう!」
「え、あーやるだけはやってみるが……ナルちゃんよう、ここはリンの言う通りに」
「力量の無い者は必要ない」
リンさんをいじっておいて結局話が戻された。渋谷さんの辛辣な口ぶりに滝川さんと松崎さんは見事に煽られる。そしてやっぱり滝川さんとブラウンさんがメインで除霊を試みることになった。
しかし滝川さんの傷はまだ出血しているだろうし、ブラウンさんも深い傷がある。彼らに何かあった場合、リンさんと渋谷さんだけで救助できるとは思えない為、皆で行った方が良いだろう。
騒ぎの中で、もぞりと さんが身じろぎをして、ゆっくりと起き上がる。ぼんやりとリンさんの顔を見上げる さんをリンさんは困ったように見下ろした。
「おはようございます」
本当に起きているのか微妙だと思ったのだろう、リンさんは表情を変えずに言った。
「おはよう、ごめんね」
膝を借りていた自覚はあったのか、へらりと反省してはいないだろう笑みを浮かべてリンさんの膝を少しさすった。
「 さん」
「大丈夫、聞いてた。えびすは祀ってもらえないから不服だったわけだね」
渋谷さんが声をかけると、はあ、とうんざりしたような顔つきで、おこぶさまに苦言を零した。口ぶりからするに、最初からおこぶさまだと気づいていたようだった。
そしてやっぱりちゃんと休めては居なかったようで、渋谷さんの説明は聞いてた。
「おいおい、わかってたのかよ」
「うん、ただ何で祟ってるか知らなかったから、解決しようにもね」
滝川さんが分かってたなら教えてくれよと力を抜く。
「壊せば良い」
祀ってあげればよかったのか、とのんびり言う さんの言葉を遮って渋谷さんはどす黒い笑みを浮かべた。
「 そっくり」
くす、と さんが笑った。いとおしそうに見つめるその眸は渋谷さんを通り越して、 さんを見ているのだろう。
女性陣にもお願いして、一緒に洞窟に来てもらうことにした。もちろんそれは滝川さんやブラウンさんの怪我を心配してのことだ。
洞窟について滝川さんがマントラと唱え始めると、洞窟内は心臓のように鼓動した。そして、呼吸音がしたと思えば洞窟の出入り口が歪み、閉じて行った。
「大元を断てば自然に開く。あんなものにかまうな」
渋谷さんの冷静な声に、皆のざわめきも少し収まる。僕の隣にいる さんは表情も、体勢も変わる事無くただ立っていた。
思えば、この人の表情が歪むところを、僕らは見た事がないだろう。そりゃあ、渋谷サイキック・リサーチの皆と比べると付き合いが浅い人だとはいえ、こんな事態に直面しても表情を変えないのは渋谷さんと さんくらいだった。それも、無表情な渋谷さんよりも優しそうに穏やかな表情をしている さんの方がよっぽど変に思えた。この人は、怖いもの知らずなのだろう。
霊に嫌われる体質と聞いた。つまり、あの死霊たちが押し寄せて来ても、人魂が飛んできても、きっと彼には触れられない。霊はまるで さんを恐れるように避ける。
本当に、怖いものを知らないってことだ。ごくりと唾を飲み込み、 さんを見ると僕に気づいて首を傾げた。
「 さん、しりとりしません?」
「ん?いいよ?」
人魂が洞窟を通り抜けて出て来た。ブラウンさんが聖書を読み、滝川さんが祈祷を続け、リンさんは式を使い、各々護身するなか僕は何も出来ないので隣の さんに提案してみた。
彼の結界の強さは昨晩の一件で実証済みなのである。お陰で僕はなるべくしりとりを長引かせることだけに徹すれば無傷で居られた。
人魂たちは赤く染まり、ふわりと消えた。それは滝川さんの祈祷が効いた証だった。
「もう怖くない?」
「はい、ありがとうございます」
ほっと胸を撫で下ろしていると、 さんはこくんと頷いた。その時、独鈷杵をおこぶさまに突き立てた滝川さんが弾き飛ばされ、洞窟の壁に勢いよく叩き付けられた。
「ぼーさん!」
谷山さんや松崎さんが駆け寄る。あんな風に叩き付けられたらきっと背中の傷が相当傷むだろう、僕も滝川さんの様子を見に駆け寄った。
「ジョン……、すまんがあの独鈷杵でおこぶさまを叩き割ってくれ」
「はいです」
滝川さんの頼みで、突き刺さっている独鈷杵を引き抜き振りかぶったブラウンさんは、滝川さん同様に弾きとばされ、地面にうずくまる。
カラン、と落っこちた独鈷杵を拾って、僕は咄嗟に走るが、一瞬でものすごい力に飛ばされて背中を打ち付けた。眼鏡をどこかに落としてしまったようでぼんやりとする視界の中で谷山さんの心配そうな声がする。
「その程度か?」
渋谷さんの凛とした、そして失望の滲む声が上から降り注いだ。
2014-03-04