昼間の山と、道路が見える。脇を歩いていると、あらぶるエンジン音に振り向くと、車が迫って来る。ものすごい衝撃とスピードで身体が揺れた。地面に横たわった視界に写るのは、おそらく女性の足と乗用車だった。怯えたように自分を見下ろし、それから逃げるように車に乗り込む。そして、車を発進させた。
もう一度轢く気かと思った所で、視界が真っ暗になった。
対象が死んだ時はグリーンのハレーションになるが、それすらも見えない、真っ暗な世界。
ジーンが日本に行き、滞在予定の半分をすぎた頃の話だ。
それから、僕はリンを連れて日本にSPRの分室をつくった。ジーンを探しながら研究を続ける。
僕が見た景色は山と、湖と、道路。目印になるような建物もなく、湖も特徴的な形をしていなかったから探すのは困難を極めた。
オリヴァー・デイヴィスの偽物とトム・リドルが一緒に仕事をしているとの噂があり、まどかに依頼され調査に行ったとき、とという奇妙な二人組に出会った。の名前自体はとても有名な霊媒と噂されているが、力の程も姿も不明とされており、彼が本物なのかは分からない。
その場にいた霊能者に本物も偽物も両方居て、だいたいどちらかなのは見て分かったが、あの二人に関しては全く意味が分からなかった。やってることはちぐはぐで、大した調査にはなっていないことばかりなのに、言う事は誰よりも鋭く正しかった。優秀な霊媒の原さんでさえ正体の分かっていなかったヴラドを最初から化物と揶揄し、決して一人にならないようにと注意を促したのもさんだった。冷めた水底みたいに揺らぐ黒目の奥には、底知れぬ闇があって、じっと見つめると吸い込まれそうな人間。おおよそ十七歳の少年が持つ眸ではない。マイペースだが落ち着いた行動と、子供っぽい笑顔が、僕の中で彼の像を狂わせた。大人なのか子供なのか、全く分からない。
さんは誰に何を言われようと口を結び、笑みを携えていた。何者をも寄せ付けない、気高く純真無垢な、力の強い者に見えた。
そのさんは原さんを追いかけて消えた。ドアの隙間からひっそりと存在を主張したは、子供とは思えない程静かに怒っていた。触れたら電流が走るのではないかというくらい苛ついた雰囲気。誰もそのことに気づかず、同情の目を向けていた。
いくらさんの連れと言えど子供を連れて行く訳には行かない為まどかに任せようとしたが、その前にきた安原さんを認識した所で僕の意識はどこか遠くへ行ってしまった。幸福と優しいものだけが僕を包み、空よりももっと上のどこかへ連れて行ってくれるような感覚に全身の神経が浸っていた。もう二度と目を覚ましたくないくらいだ。
それでも意識はやがて戻り、いつの間にか僕とリンと安原さんは、を連れてぼーさんたちに合流していた。この子供が何かをしたのは明白だが、今は言及する時間も惜しい。松崎さんや麻衣と一緒に居る事を前提に、同伴を許した。
リンが壁の薄い場所を探していると、麻衣が原さんとさんを見つけた。その時、ぴりっと何か緊張が走ったのが分かる。おもむろな動作で立ち上がったに自然と視線は吸い寄せらた。どけと全身全霊で語る、嫌そうな表情。ゆらりと眸の奥がゆれ、黒い双眸は気がつけば赤く染まっている。何だ、この人間は。
分厚い壁を見事に壊して見せたの小さな背中に、驚愕を覚えた。相当強力な念力ではないとあの壁を壊すのは大変だった。ジーンの力を借りれば僕でも出来るが、の様に一人でやってのける事は不可能だと考える。ふと、頭をよぎるのはがトム・リドルだということだ。彼は様々な種類の強大な力を持っていた。研究には多少協力的だったのがいつしか協力をしなくなり、彼の素性は隠されたまま、名前だけが残った。
夏にはそれが真実となった。僕は眠らされていたので話は聞いていないが、さんが認めたらしい。SPRからの要請を断っていた理由が、移動時間が面倒だからと言われたときは眉を顰めたが、『知りたがっているのは他人だけ』という言葉には納得した。彼らは自分の力をよく理解していて、誰かに与えることをよしとしていない。研究し、詳細を綿密にする必要はないと言うことだ。もともと念力の研究は僕の範疇ではないので別に構わないし、能力のある人間が平穏を手にしたいと願うなら仕方が無い。
「さんの母親は、―――魔女なのだと」
「魔女?」
「ええ、宗教上言い方が違うかもしれないが、とは言っていましたが」
「そうか」
国を違えば幽霊や悪魔の認識が違うのと同様、宗教によっても血筋が分かれてくる。魔女が居たとされる歴史もあることだから、彼を否定するつもりはあまりなかった。
おそらく話を出しても、魔女の子供なのだから魔法が使えると答えられるのだろう、さんのあのマイペースな微笑みで。以外と厄介な人物だ。
「くんが電話番号教えてくれたの」
さんが帰って行った病室に、見送りをすませた麻衣が嬉しそうに戻って来た。ゴーストハントの調査で彼の力を借りたいとは思わないが、ジーンのことで彼なら何か読み取れるかもしれない。さんの連絡先を麻衣に見せろと言うと素直に見せた。
「くん、本当はナルに何か用があったんじゃないかな」
「僕に?」
そんなそぶりは見せなかったが、と思いながら聞き返す。
「ナルがどこ住んでるのか聞かれたってタカが言ってたし、……会ったときもナルのこと気にしてたし」
「依頼か?」
「私は何も」
リンに尋ねるが、首を振る。
麻衣でも高橋さんでもリンでも誰かに話せば依頼は僕に通る。なら、僕に何か聞きたいことや話があったのかもしれない。さんの霊媒は計り知れないほどに強いから、ジーンの片鱗が僕に引っかかっていたのだろうか。僕自身に関することだから、リンや麻衣たちには何も聞かなかったのだろう。
次の日、体調も大分良くなったため退院を申し出た。これ以上ここにとどまっていても仕方が無い。
医師やリンにそう言いつけて、退院の準備をする。
二台の車に乗り込み東京まで行く予定だったが、前を走るぼーさんたちの車が道を逸れた。リンがクラクションを鳴らすがなんの反応もない。近道を知って居るのかと着いて行けば、道を間違えていただけだった。松崎さんと麻衣が騒いでいた為にリンのクラクションが聞こえなかったということに僕は呆れた。それからはリンが前を走るという事にしたが、途中で見覚えのある景色に出て、車を止めさせた。ここは、ジーンの記憶の中で見た景色と酷似している。
道路に出て、ガードレールに捕まりダムを見つめる。碧々とした水に、きらきらと太陽光が反射した。
「やっと、みつけた……」
「ここですか!?」
ぽつりと呟けば、リンもはっとする。周りには麻衣やぼーさん達がいたが、すぐに車に戻ってキャンプ場へ向かった。
「どーいうことだよナルちゃん」
「僕はここに泊まる。麻衣たちは帰れ。邪魔だ」
ここからはジーンを探すのに専念したい。リンとぼくと、本当のSPRで探せば良い。ジーンは高確率で死んでいる。警察に届けを出したというのに一年以上の間見つからないということはその可能性が高いのだ。
湖の底か、森に埋められたか。
どちらにせよ、麻衣たちに知らせるような事は何も無い。
しかしぼーさんを筆頭に全員がキャンプ場のロッジを借りると言い出したが、僕は行動を共にする気はない為勝手にさせることにした。
水の中と土の中、どちらが隠しやすいかと考えたら断然水の中。
広さ、透明度の低さ、それなりの深さを考えれば、重りを付けて沈めればまず見つかる事は無い。
土に人を埋めるために掘るのは案外重労働で、一目にも着きやすい。
こっそりと隠れて準備をして夜中にかくれて水に捨てた方が楽だろう。
ダイバーを呼び湖を捜索させ始めると、麻衣に死体を探している噂が流れていることを聞かされた。兄を捜しているのだと素直に答えると、意気消沈してへこたれていた。まるで自分の事の様におちこみ、いちいち心を動かされる所は、本当にジーンに似ている。
麻衣に言えば当然の様にぼーさんたちにも話が流れ、リンを探しに来た所で皆に会いお悔やみを言われた。
「あ、あのう」
そのとき、老人が二人ぼくらのロッジへやって来た。渋谷サイキック・リサーチかと問われ答えれば依頼だった。どうせ水中を探しているだけですることが無いので受ける事にした。
依頼内容は廃校になった学校の調査。なんでも近隣から人が姿を消すらしい。それから子供の幽霊を見たという話や、確かではない噂話が多すぎる。泊まり込みが出来ない事や、途中で調査を中断する可能性も話し、資料を集めてもらうことにした。
「きゃあ!」
リンとロッジに戻る途中で、悲鳴が聞こえる。宿泊中の客だと思われる女性。
「どうかしましたか?」
周りには僕とリンしか居ないため、怯えた様子の彼女に声をかけた。まるで、僕たちを見て驚いているようで気になる。
「あ、あ、……なんだ、人……ですよね?」
安堵の息を吐き、肩をなで下ろす女性にぼくとリンは顔を見合わせる。あきらかに普通に歩いていたし、周りも薄暗い訳ではない。近くにロッジだってあるのに、何故人ではないと思ったのだろう。
「前にも、会いましたよね?その時すごく、なんか雰囲気が……あれで、幽霊かと思っちゃって」
照れるように眉を下げる女性。前?と尋ねると四日だと言う。ぼくがここに来たのは三日前だが、再度尋ねても、彼女は泊まりに来た初日だというから間違いはないらしい。
「小さい……えと、小学生くらいの子も一緒にいて……」
「こども?」
「はい、男の子の」
彼女には真実は伏せたまま、そうですかとだけ答えて別れた。
子供と、僕。
何も言わず、子供に手を引かれ歩いて行ったという彼はまぎれも無く僕ではない。けれど心当たりがひとつある。ジーンだ。
子供は、廃屋になった学校に出る幽霊と関係しているのかもしれない。暇つぶしだった調査にも少し意欲がわく。ジーンが浄霊しようとしているのかもしれない。それにしてもさっさと昇って行けばいいものを、何をやっているんだあいつは。
はあ、とため息を吐くと、隣のリンが神妙な顔つきでジーンでしょうかと尋ねた。確証はないが、おそらくジーンだと頷けば、リンも苦い顔をした。
翌朝から調査は始まった。麻衣たちもキャンプ場の受付の職員等にも話を聞いて来たが幽霊を見たという話は無かったそうだ。その類の話は営業にも関わってくるから口を噤むだろうからあまり信憑性はないが。
「あ、でもね、ひとつ多分関係はないと思うんだけど」
「なんだ?」
「幽霊屋敷の噂があるんだって。でもそれはわざわざ否定してたの」
「学校ではなくて?」
麻衣と安原さんが、売店の職員に聞いたそうだ。
「キャンプ場から少し森の奥に入ったところにちょっと大きい家があるんですが、一見古いお屋敷なので、外観だけで判断するお客さんがいるそうですよ」
「そうか」
「でも、おばさんはあそこにはちゃんと人が住んでるから心配しないでねって言ってた」
なんでも古びた家らしい。キャンプ場から道を外れた際に見た客は先入観だけで幽霊が出るのではと心配になる事があるようだ。
「んで、その住んでる人がくんっていうんだって!すごい偶然だよね。まさかあのくんかなあ」
「それはないでしょう〜」
のほほんと麻衣と安原さんが笑っているのを僕は無視した。
その麻衣と安原さんが笑っていた内容が、実現したのは昼になる前だった。
2014-03-13