「上田ー上田ー」
アナウンスとともに目を覚まし、慌てて荷物を掴んで新幹線から降りた。
あぶない、あぶない。ドキドキする胸に手をあてて、置いて来た荷物はないかと手に持っている物を確認する。ペットボトルのお茶を忘れて来たけれどまあそれはしょうがない。
走って行ってしまった新幹線の風に前髪が揺れて、シャツを風が突き抜けた。蒸し暑い空気だけれど、どこか心地よい。
「道がずいぶん変わっているだろうし……うろ覚えなんだけどなあ」
ただ、陣内家はそうとう大きな土地だから、駅で借りた地図を見たら大まかな場所とだいたいの行き方はわかり、とりあえず電車に乗った。そのあとはバスだ。バスの窓は映像みたいに綺麗な緑を流して行く。
ぼうっとみつめすぎると時々自分のぼさっとした顔が映る。そして窓ガラスに映る眸の奥にまた緑をみつけた。
ゆっくりと傾く日はオレンジ色の温かい光を俺の頬に柔らかく差す。田舎は綺麗だなあ。
03.ハヤテのごとく
映画で、確か坂道を上っていたことを思い出して、バスを降りた。長い長い坂道を行くと、犬の鳴き声が聞こえた。誘われるようにそちらをむくと、坂の上から犬がかけてくる。柴犬かな、と思いなが見上げていたら、どんどん近づく。気づけば犬は地面を強く蹴って俺の懐に突っ込んで来た。
「っ、う、わあああ!?!?」
坂道を上る為に前のめりになっていたけれど、自然と犬に驚き体重を後ろに掛けてしまった。そして突っ込んで来た犬を抱きとめた俺は足をひねりまんまと後ろにすっ転んでしまう。
尾てい骨と肘をしこたま打ち付た。
はあはあ、と荒い息で舌をだした犬は俺の頬をぺろぺろと舐める。
「うははは、くすぐった、いてててて」
派手に転んだので犬を撫でようとしたら擦りむいた肘が痛む。見てみると血が脇まで垂れようとしていた。
反射的にシャツで拭い、身体を起こす。犬は足の間におりこうさんにおすわりをして俺の様子を見ていた。
今さらおりこうさんにしても駄目だぞ。
「ハヤテー!!!!あんたはもう勝手に……!」
散歩用のリードを引きずって来たから、飼い犬だろうと思っていた矢先、坂道の上から女性が走って来た。
ハヤテと言うらしい犬は振り向いてわんわんと鳴いた。
俺はぽかんとしながら座り込んだまま、女性が慌てて近づいてくるのを待つ。
「やだ、ごめんなさい、うちの犬が!!!!」
俺の怪我を見るなり、青ざめて謝られた。ハヤテこの馬鹿!と叱られて犬はクゥンとしぼんだ。
「すいません、えーと、水道とか近くにありますかね」
「うちが近いから、手当していって!本当にごめんなさいね。他に怪我しているところとかある?」
多分足を捻挫しているけど、立てれば問題ないかなと思いよっこらせと立ち上がる。少しじくりと痛みを主張したけれど大丈夫だろう。
「お借りします。肘だけで大丈夫ですよ」
「噛まれたりしてない?予防接種はちゃんとしてるんだけど」
「はい、飛びついて来ただけでおりこうさんでした」
荷物を抱え直して、ハヤテの顎を両手でふわふわと撫でると嬉しそうにしっぽを振った。
歩いて来た坂道よりもさらに坂道があった。石を詰んだような立派な道だ。
暫く登っていると、やっぱちょっと足が痛む。ハヤテの所為だけど、ドジったのは俺だしなあとやるせなさに打ち拉がれる。
女性は陣内理香さんというらしく、市役所に勤めている地元の人だった。陣内という苗字と案内された大きな家に、ようやくこれは運命なのだと理解した。ハヤテは俺を此処へ連れて来てくれたんだなあ。あとで撫でてあげよう。
大きな大きな家にたどり着き、まず水道ねと玄関ではなく庭の方へ案内されるとたくさん並んだ、朝顔の鉢植えが目に入る。
この景色を見たかったんだ。
「立派な苗ですね」
「花が咲いていたらもっと立派に見えるのよ」
理香さんはうちのおばあちゃんが好きな花なのと笑った。
「お客さんかい」
そのとき、鉢植えをみていた俺の後頭部に、凛とした声がかけられた。理香さんはおばあちゃんと呟き、俺はゆっくりと振り返った。
アニメで見た顔に似ているというよりは、記憶の奥底に居た小さな少女の面影を残していると思った。髪は白くそまり、皺のある顔だけど俺の友人に間違いなさそうだ。
「こんにちは、お邪魔しています」
ざわ、と風が吹いて後ろの朝顔が揺れる音がした。
2013-08-06