編入してきてから二週間が経って、友人もできたしクラスに溶け込んだ。
だけど学校に行くという生活にはまだ慣れない。なんせニート生活が多々あったし、ふらふら出歩いてて昼まで寝てたりしたもんだから生活習慣がガッタガタ
だ。
今日も今日とて、治らない生活習慣の所為で、夜に急にDVD鑑賞会したくなってレンタルビデオに足を運んで四本借りてきて全部見終わったら日
がのぼりかけていて、今日休みだと思っていたのに携帯の平日アラームが鳴りだして絶望に打ちひしがれた。ベッドに顔を暫らく埋めてもう一度携帯を確認して
も、やっぱり今日は金曜日だった。
てっきり土曜日で休みだと思っていたのだから、制服のままだった。ブレザーは脱いでいたから無事だったがスラックスは長時間座っていたからちょっと変な皺
がついてしまった。仕方なくクローゼットを開けて学ラン用の黒いズボンを取り出して履き替え、学ランは目立ちそうだからベストをきるだけにした。
校則ゆるくて大助かりだ。
一睡もしてないけど頭はしゃっきりしていた。休みスイッチだったから、コレまでの経験上後3時間くらいで眠くなる。授業中ねると肩こるから保健室にサボり
に行けばいいかな、と踏んで牛乳飲んで家をでた。
休みスイッチは、朝まで起きててしばらくしたら眠くなって爆睡して、夕方目を覚ますという生活習慣がスタートする。平日もたいていそうだった生活習
慣はな
かなか治らないけど、最近は朝起きてがんばって学校行っていた。とりあえず明日いっぱい寝よう、と思いながら教室に入り、クラスメイトに徹夜してやば
い、ってくだらない徹夜自慢を繰り広げて二限まで踏ん張った。
(あ、目が……とろんとしてきた)
眠いと悟って、友達に保健室で寝てくると告げて廊下を出たとき、三限のチャイムが鳴った。
担当教員はまだ来ず、俺はすれ違ってどうしたと聞かれることもなく保健室までの道のりを、静かに歩いた。
保健室のドアに手を掛けると中でガシャンという音が聞こえた。
なにか落としたのだろうかと思ってあわててドアを開けると、もっとすごい音が響いてきた。
ゴン……
すごく鈍い音で、音の元凶が目に入った途端、一瞬だけ息をするのを忘れた。
細く長い体と金髪頭、壊れたベッド。息を切らしてあからさまにイライラしている平和島静雄がいた。
やっぱり暴力癖は原作どおり。喧嘩は嫌いでも癇癪は治らないもんだ。
ありゃりゃ、と思いながら保健室の中を歩いていくが、静雄はこちらを気にせず開いたベッドにどかりと座った。
(あ、俺の寝床っ……)
「ノミ蟲マジ殺す殺す殺す……っ」
ブツブツとノミ蟲を呟いている静雄。これは多分臨也のことだよな。でも俺は怒りを静めるとか窘めたりとかできないから。
それより今眠いから。
ごろん、と寝転がった静雄は、クソ……と呟いて静かになった。怒りを静めたわけでは無さそうだったけれどとりあえず落ち着いたようだ。これで目の前に臨也
が来たら多分ベッドは二つとも壊れちゃうんじゃないかな。
ギシ……
「!?」
俺は静雄が寝転がっているベッドに近づき、手を突いた。振動に驚き、びくりとこちらに目線をよこす静雄の顔はただ驚いたとだけ書かれている。
「ちょっと、つめてつめて」
「なにっ……」
「お前がベッド壊しちゃったから俺寝るところなくなっちゃった」
何か言いたげな静雄の言葉をさえぎって俺はボタンを緩めてベッドに乗り込んだ。ぼふ、と枕に頭を乗せて、静雄とは反対側を向き、あくびをひとつして目を
瞑った。
静雄は俺の後ろ側で固まったまま動かない。まだびっくりしているのだろうか。多分人に近寄られることがあまりないのだ。
新羅とか京平とか臨也は別にして、見ず知らずの、明らかに一般人の男にこうして普通に接されることがないみたいだ。
ごろん、と静雄のほうを向いて肩肘を突いてみると、静雄はやっぱり固まっている。うつぶせで肘を突いて上半身だけ起こして、どうしようかとうろたえている
表情は、大分前にあった膝に怪我をした子供時代の静雄のままだった。
「やんちゃだなあ、平和島は」
「っ……?」
子供の時から少しも変わっていない。暴力をふるって何かを壊した後は少しだけ自分の心も崩れてて、不安定な顔。手近にあったものを何でも使って、大体壊し
て、ふうふうと息を切らす姿も。弟がいたらこんな感じに窘めてやれただろうか、と思ってふわふわの頭をぐりぐりと撫でた。
人間らしく暖かくて、ワックスがついてたから少し硬くて、でも良い匂い。
「もうひとつのベッドは、壊さないでくな?俺時々寝にくるんだからさ」
言っても無駄かな、と思ったけど、少しは注意しておかないとなあと眠い頭で考えた。撫でるのをやめて、肘を突いて頭を支えるのもやめて、また俺は静雄から
体をそむけて、今度こそぐうと眠りについた。
***
昔、一度だけ会った年上のヤツ。男で、なんかすげえ優しかったのを覚えている。
小さな頃から力が強かった俺は、当時からもう回りに恐れられていた。あの日は夕方喧嘩を売ってきた奴らにキレて、手近にあったものを投げつけて、少し追い
かけた。途中で転んだりとかして、膝をすりむいたけど、怒りで忘れていた。家に帰ろうとしていた頃にはすっかり日は暮れていて、空にはもう星が見えた。
「なあ、家まで送ろうか?」
いきなり知らない男に声を掛けられ、びくりとした。なんだコイツ、と思って睨みあげたら、苦笑いを浮かべていた。子ども扱いすんな、と思って断ると今度
は、付き合ってといわれて足の手当てをされた。
そうだ、怪我をしていたんだった。
昔は力を使うたびに骨折やら脱臼やらしていたからあまり気にはしていなかったけど、意識し始めたとたんにじわりと痛みが湧いてきた。
座ってと促されて消毒液を膝に優しく掛けられて驚いた。
俺が怪我なんかしたって誰も手当てしようと近寄ってこない。俺以上の怪我を負いかねないから。
「しみた?」
顔を上げて俺に心配そうなまなざしを向ける。なんでコイツは俺の手当てなんかしているんだろう、とただそれだけを考えていて答えを出せないでいたら、まあ
我慢してくれ、と苦笑いを浮かべ、俺の傷口をそっとティッシュで撫でた。
ふっと息を吹きかけられ、消毒液が塗られた場所がひんやりとした。
「な!なにすん、だよ!」
驚いて反抗をすると、目の前のヤツは目を丸めた。
虫刺されの薬とかと勘違いしてんじゃねえのと呟くと、コイツは豪快に笑った。
ああ、こうやって笑われたのはどれくらいぶりだろう。ちっとも嫌じゃない笑顔だった。
「そういや、小学生名前は?」
買い物してきたらしい鞄から何かを探しながら問われ、俺は少し戸惑った。
名前を知ったら俺のことを怖がるかもしれない。この辺ではあまり近づかないほうがいい子供として知られている。姿を見てわからないにしろ、名前を聞けば
ぱっとわかるはずなんだ。
「……へいわじま、しずお」
え?と聞き返され、もう一度名前を言う。するとコイツは黙りこくった。
ああ、やっぱり俺のこと避けるのかな、と思ってじっと見つめていると、ぱっと顔を上げた。
「静雄でいっか!」
下の名前で呼び捨てにされた。仲の良い友達にするみたいに笑いかけて、それで絆創膏を貼ってくれた。俺は自分から話しかけられず、ちょこちょこモノを尋ね
てくることにそっけなく返した。
「えらいなあ」
優しく笑って、俺の頭を子供にするように撫でまわした。子ども扱いされて顔がぼっと熱くなる。
じゃあな、と手をぶんぶん振ってくるから、俺も振ってしまった。
アレ以来会うこともなくて、それで暗闇だから顔がぼんやりしか覚えてなくて、名前も聞きそびれてしまって随分時が経った。
今まで過ごしてきて優しい人にはたくさん会った。俺を怖がらずに傍にいるやつが何人かできた。
でも初めて会ったのはアイツで、一度きりしか会っていないのにすごく覚えていた。
肝心の顔も名前もわからないけど。でも兄貴がいたらこんな感じかな、と思ったんだ。
そしてまた、俺は頭を撫でられていた。
「やんちゃだなあ、平和島は」
ぐりぐりと、あの時みたいに撫でられた。
『静雄でいっか!』
ふいにあの時名前を呼ばれたことを思い出した。違う、アイツだったならきっと静雄と呼ぶ。
あの時から何年か経っているし、あの時に会ったあいつはどう見ても同年代じゃなかったんだ。この学校の生徒の、俺を恐れず隣に入ってきた男とはまったく違
うはずなんだ。
でもどうしても、優しさがかぶった。
「もうひとつのベッドは壊さないでくれな?」
と軽口を叩いて、俺のほうじゃない方向を向いて、本当に寝息を立て始めた男。
今回こそは、せめて名前をと思ったが寝入ったヤツを起こすのは気が引けて、俺は静かにベッドから這い出た。
走り書きのメモにはクラスと名前。具合悪いので寝ます、とメモ。
『
』
確かにみた、名前を覚えた。
先輩。1つ上。しっかり覚えて保健室を出た。
不思議とノミ蟲に対する苛立ちは消え去っていた。
2010-11-04