丁度昼休みを告げるチャイムが鳴った所だったから購買へ寄りパンを買い、いつも後輩たちが屯している屋上へ向かった。
「ういーす」
ドアを開けるなり後輩は固まって俺を見上げる。
「昼前にはいつも帰ってるんじゃ……」
「居眠りしてたから遅れた」
京平が動揺しながら尋ねる。
「修学旅行行かなかったんですね……
昼食の団欒に入れてもらい、パンの袋を開封していると臨也が薄ら笑いを浮かべて俺を見ていた。少し気まずそうに静雄も見ている。
「もしかして、俺たちの所為なんじゃ……」
「え?何言ってんの、そんな訳ないじゃん」
不安そうな顔でちらりと見上げる静雄の問いにパンにかぶりつきながら笑い飛ばす。
そりゃ確かに、静雄たちと昼食を共にし始めてからクラスメイトたちが目を合わせてくれなくなって、クラスに友達が居なくて、修学旅行楽しく無さそうだし あっちも怖がってるし面倒だから行くのよしておこうって思ったから、行かなかったわけだけど。
だからといって皆と仲良くなった所為だなんて思わない。仲良くならなければ良かったなんて、これっぽっちもそんな気はない。
「でも……っ」
「静雄」
静雄は何か言いかけたけど、京平に止められて口を閉ざした。どうして俺がクラスで孤立してるの知ってるのかなって思ったけどどうせ臨也の情報網とか、その 辺だろうと納得して、これ以上考えるのはやめた。
「仮に、お前らの考えてる通りの理由だとしても、……誰かの所為だなんて思ってないし」
「先輩……」
「仲良くなったことも、後悔してないよ、むしろ嬉しいって思ってる」
もぐ、とパンを噛みながら後輩たちを見回す。
「それに、同学年のやつらとつるむより、ここでこうして昼ごはん食べてたほうが楽しい」
ごくん、とパンを飲み込んだら少し咽が渇く。
「臨也くーん、ジュースひとくちちょうだい」
「いいですよ」
左隣にいた臨也に冗談半分に頼んでみると、心なし優しい笑顔でパックジュースを差し出される。
しょうがないなあ、って顔だから、もしかしてお金ないのか可哀想とでも思われてるんだろうか。
「じゃあ、来年俺らが来年修学旅行んときは先輩来てください」
「えー……俺授業あるから……」
本当は来年いないんだろうけど。と思いながら静雄の半分真面目な発言に苦笑いで返す。
「無茶言うなよ静雄……」
修学旅行に行かない代わりに自習課題をしている俺はいつもなら午前中で終わらせて家に帰るのだけど、今日は転寝をしてしまった結果昼までかかってしまった。
「土産買ってきますよ先輩」
京平は相変わらず良い子で、こんな時から来年きちんとお土産を用意するだなんて気を配る。
純粋に嬉しいんだけど、少し残念でならない。何回か同じ世界に来れるのだが、2年連続はありえないことだった。
「ん、ありがとうね」
「先輩はきっと食べ物が良いんでしょ」
笑いながら臨也も話に加わる。
臨也は、小さい頃に俺と会っていることを思い出したけど俺がこのままの姿なことに触れてこなかった。
だから一年間でこの世界を去る異世界人だなんて知らないはずだ。知っているのは、さっきからほとんど口を開かないで穏やかに会話を見守っている新羅だけ。
「新羅も一緒に考えろよ」
「あ、うん」
静雄に促されてようやく、俺の隣にいた新羅が肩を揺らした。ちらりとこちらに目配せをしてきたが、俺は困った笑みを浮かべてから小さく口を開いた。
内緒だよ。
声に出さずに新羅に言ったから多分何て言ったのか分かるのは新羅だけだっただろう。新羅は一瞬驚いた顔をして、そして悲しい顔を見せてから表情を持ち直し た。
***
先輩が修学旅行に行かなかったことは知らなかった。旅行当日の朝会わなかったしてっきり普通に修学旅行へ行ったもんだと 思っていたけど、その日の放課後門田に聞いた話に驚く。
なんでも、静雄と臨也を従えている 先輩は不良たちの間では割と有名で、恐れられているのだとか。自分がいないときに門田が絡まれるのも予想していてわざと修 学旅行へ行かなかったのではないか、と門田が零した。
静雄や臨也だって、本当は 先輩なしに強いけれど、先輩がいなかったらもっと絡まれていたはずだと門田は語る。
僕も正直そう思った。 先輩は一見強そうには見えないけど静雄や臨也をいなしてしまうところや、静かに穏やかに何事にも動じないおおらかな所とか は大物っぽい。それを皆は肌で感じている。
静雄や臨也たちにはおろかにも喧嘩を売ろうとしてくる奴は耐えないけど、 先輩には喧嘩を売ろうって気さえおきない。
「あと、 先輩はやっぱり、喧嘩慣れしてた」
付け足すように門田は呟く。その言葉に僕も静雄も、臨也でさえもえっと驚いた。
今まで 先輩が喧嘩をしているところなんて見たこともないからだ。
「二階から飛び降りて不良を倒したり、手刀を一発で決めたり……」
それに、俺を守って拳を受け止めた。と門田は説明してくれた。
拳を受け止めたあとはさすがに柔らかい肌が赤く腫れつつあったから冷やさせたと話す。
「腫れた……?」
先輩の手が腫れた。そう聞いてひゅっと息が詰まる。
先輩が平気そうにしていたとしても僕らにとってそれは大事だった。門田もこの話をしたということは少なからず動揺しているのか、相手に腸煮えくり返してい るのか。
僕のところに来てくれればきちんと的確に処置をしてあげたというのに、先輩は来なかった。多分心配をかけまいとしたのだろう。
「ふん?」
「殺す」
「死なない程度にね」
そう助言だけして僕は彼らが報復するのを良しとした。
数日後、そろそろ修学旅行も終わり通常授業になるから 先輩と昼食をとれるだろうと思い始めていたころ、屋上に 先輩がやってきた。いきなりの登場に皆驚く。
僕と臨也の間に座って暢気にパンを食べているが、臨也が軽く修学旅行の話題を出した。静雄も気になっていたらしく、俺たちの所為じゃないかと言う。こんな ことをいっても、 先輩は本当の理由なんていわないだろう。
それでも多分、静雄は謝りたかったのかもしれない。自分たちのことなんて気にさせてしまったから折角旅行に行けるのに台無しにしてしまった、と。
案の定、 先輩はいつもどおりの笑顔で否定した。静雄はなおも続けようとしたが門田に制されて言葉を詰まらせる。
そのとき、 先輩が困ったように嘆息した音をかすかに聞いた。
「仮に、お前らの考えてる通りの理由だとしても、……誰かの所為だなんて思ってないし。行かないって決めたのは俺だし」
「先輩……」
「仲良くなったことも、後悔してないよ、むしろ嬉しいって思ってる」
もぐ、とパンを噛みながら僕たちを見回す 先輩。
「それに、同学年のやつらとつるむより、ここでこうして昼ごはん食べてたほうが楽しい」
僕らは、その言葉を聞いて純粋に喜んだ。先輩は同学年の友達よりも、旅行よりも、こういった僕らとの昼のひとときをとってくれたのだと。
「臨也くーん、ジュースひとくちちょうだい」
「いいですよ」
臨也はいつの間にか、名前で呼ばれるようになっていて驚いた。 先輩曰く、昔会ったときは名前で呼んでいてその時のことを思い出したみたいだから、と言っていた。多分僕やセルティと会っ たあの年に、臨也にも会っていたのだろう。
臨也は名前で呼ばれていることを誇らしげに、そしてさっきの言葉に心躍らせて、パックジュースを渡した。
そのとき、来年の修学旅行の話をされて、僕は思わず心臓が凍った。来年は先輩はいない。
それなのに皆はお土産の話に花を咲かせていた。静雄と臨也がわりと穏やかな会話をしているのがとても珍しくて嬉しいことだというのに、僕は心の底からは喜 べなかった。
皆は知らないのだ、 先輩が来年いないということを。僕らの太陽が空から消えるということを。
臨也すら、先輩がいなくなることに気付いていないようだ。
僕は隣の笑顔をちらりと盗み見たが、笑顔が曇っている様子はなかった。この人にとって、一年でさようならというのはデフォルトなのだろう。当然のことで、 それを繰り返してきた人だから割り切っているのかもしれない。寂しさに慣れているのかもしれない。そうだとしたら、僕は寂しかった。
「新羅も一緒に考えろよ」
「あ、うん」
今まで会話に加わらなかったけれどお土産の話に無理矢理引っ張りこまれる。 先輩もこちらを見ていた。
僕は目で、何も言わないのかと尋ねたけれど、 先輩の目は何処までも深く闇を映していた。その時初めてこの人の心の内が僕の想像していたものよりも、きっともっと深くて 暗くて重いものだと実感した。
内緒だよ。
そう口が動いた気がした。そして僕はまた気付いた。
先輩は確かに別れに愁いていたのだろう。それを悟らせないようにするのに慣れていたのだ。
今年に入って初めて会った時、一年でどこかへ飛ばされるんだと語った先輩の眸は、確かに少し悲しみを宿していた。僕は今更になってそれに気付いた。
でも先輩が内緒だというなら、僕は内緒にせざるを得ない。来年になって先輩の不在を知った彼らの対処法はまだ考えていないけれど、先輩はまだ半年はこちら にいるのだと思えばそんな先のことは考えなくていいやと思った。
2011-08-02