sakura-zensen

天降る春

08話

土井先生を始めとし、山田先生や学園長先生が俺を忍術学園で保護をすると言い出した。
学園は周辺諸国のいずれにもまつろわず、中立の立場を貫いていることから『天女』だろうと『化生』だろうと、それこそどこかの『忍者』だろうと関係がないと。
それに忍術学園の教師として立場を戻した土井先生にはドクタケも易々と手を出せないが、俺のことは狙うかもしれない。
俺だってそれなりにドクタケの内部事情を知ってしまったからだ。

というわけで、俺は学園長先生の提案に甘えて、忍術学園に身を置くことにした。
見学といいながら、一年生から五年生までの授業に参加したりするのは忍者学校を思い出して楽しかったし、事務仕事や委員会活動の手伝い、食堂を利用するのは新鮮だった。

「サクラ、今日はどうだった?」

毎夜、俺の寝泊まりする部屋に来て土井先生が話を聞いて行くのは日課になっていた。
それが続くと、山田先生にいっそのことこっちで寝ればと言われて部屋を追い出されたらしく、土井先生は天鬼だったときのように俺の隣に布団をしいていた。
なので、二人で寝転がりながら言葉を交わす。
「今日は───、きり丸に休みの間はどうするのかって聞かれて」
「、」
「帰る場所がないなら、一緒に土井先生の家に帰ろうと」
俺がいつまで忍術学園にいるか、というのはこれまで一度も話したことはない。
確証がないからというのもあったが、多分皆いつまでもいるわけではないと分かっていると思った。……でも、それは大人だけ。
「なんて答えたんだ……?」
こうやって話すうちに、土井先生の過去だとか、きり丸との関係も聞いた。
二人の身の上と孤独には共通点があるが、俺とは決定的に違う。
ある日突然天から降って来た俺は、傍から見れば故郷を失った人に見えるだろう。でも自分に故郷がないとも、帰れないとも思っていなかった。
気を使ってくれたのか、それとも寄り添いたかったのか、きり丸が抱いた思いを大事にしたいからこそ、俺は嘘をつくのも、はぐらかすのもやめた。

「故郷があると伝えた」

それを土井先生に伝えたのは、二人ならば理解し合えると思ったからだ。
あとは俺の罪悪感を逃がすための自己満足かもしれない。

木の葉に居たときにも、俺の周囲にこうした子供は多くいた。組んでた同期の二人もそうだった。でも同じような傷を抱えていても、一人一人、形の違う傷。分かり合えるかそうでないかは、傷の有無や形なんて関係ないけれど───そもそも、俺はここで人と向き合う時間がなかった。

「次の休みまで居られるかどうかもわからない」
「……帰ってしまうのか?」

おずおずと問われた声に、小さく頷く。声もないが身じろぎだけで分かっただろう。
伸びてきた手が俺のこめかみ、耳に触れて、髪を梳く。天鬼だったときからよくしていた、俺を捕まえようとする仕草。
だけど指に髪を巻き付けることはなく、するりと落ちた。
「それは、いつ?」
「もしかしたら、ここに来た日と、同じ月の日」
「そんな───望月は、……明日じゃないか……っ」
がばりと起き上がった土井先生は、縋るように俺の手を掴んだ。
確証がないというのもあったが、言い辛くて口にしなかったのを詫びる。
起き上がると項垂れるように、額を俺の肩に乗せたので、ほとんど抱きしめる形で背中を撫でた。
すると土井先生は小さな声で話す。
「帰る場所があることくらいわかっていた───でも、私を帰る場所にしてほしいと」
「……それ、プロポーズ?」
「?」
不思議と横文字の飛び交う世界だったけど、プロポーズという言葉は土井先生には通じなかった。でも言い直すのも照れくさくて、言わないでおく。
「いや、天鬼のようなことをいうんだなって」
「ずっと記憶が戻らず、天鬼だったらこの地上に留められたか?」
「……どうだろ」
確かに記憶喪失のまま置いていけないとか思っていたかもしれないな、と言葉を濁した。
それは何の救いにもならないからだ。ただ言えるのは一つ。
「でも天鬼が無事、家に帰れたことが嬉しいよ」



次の日、俺と土井先生は誰にも帰ることを言わずに過ごした。
帰れないかもしれないし、帰ることになったとして今日何が出来るということもない。俺が子供たちと過ごしたのはたった半月で、彼らにとって今は濃厚に日々の記憶を占めるだろうが、その先は少しずつ色々なもので薄れていくだろう。
別れがあるのもまた人生である。
だから最後はとても普通に、一年生と過ごそうかなあなんて思っていたのだが。

「よう春野、なんでお前は六年生の授業見学はしない?」
「寂しいではないか、ずっと待っていたのに」
「え~」

朝から潮江くんと立花くんにとっ捕まり、引き摺られていった。
食堂で一緒に朝食を食べていた一年は組も「え~」と言っているが駄目だった。土井先生はかまぼこ自分でたべて。
「六年生の授業は実戦が多くて外に出ることが多いでしょー、俺は外に出られないの」
「なら問題ない。今日は私達、自習なんだ。ここで存分に身体を動かせるぞ!」
「もそ……」
「お前の腕前、前から気になっていたんだ」
「五年と鬼事をして逃げ切ったらしいじゃないか」
「なんでえ」
結局、演習場に待ち構えていた全員と、順番に組手をすることになった。
先生まで校内のことだしと黙認し、武器無し一人ずつならマアいいか……と応じていたらその日は一日潰れてた。

とても最終日とは思えない扱いだったが、黙っていようと決めたのは俺なので仕方がない。

「お疲れ様、サクラ」
「ありがと~土井先生ぇ」
日が暮れるまで繰り返しやらされて、最後は井戸のところで汗や泥を流してたところで、マネージャーよろしく手ぬぐいを持ってきた土井先生に応じる。
とはいえ六年生の方が俺より汚れているし疲れているので、そっちを労わってあげるべきだと思うが。
「いい経験になったな、みんな」
「はい!」
先生は俺の思いをよそに激励をし、六年生はやや嬉しそうである。よかったね。
ただし明日からギンギンに稽古するといいながら、俺に挑んできそうな気配は辞めて欲しい。

「───そういえば、今日は曇っていて月が出ないなあ」

ふと善法寺くんが周囲を見渡した。
俺は、あれ?と空を見る。

「いや待て。曇ってはいないぞ」
「星は見える」
「今日は望月だ」
「だがまるで、新月の晩だ」
「月はどこへ行った……?」

六人が口々に言う。俺は、ドクリと心臓が跳ねた。
「新月……」
ぽつりと呟いた土井先生の声をよそに、歓喜に震えてしまう。

「かえれる……」

え、と誰かが零した声がする。
春野とか、おい、とか肩を揺さぶられるのに、俺はよたよたと地上を歩いた。

「サクラ、待、」
「ありがとう、楽しかった」
「……ってくれ、───サクラ!」

ろくに人の顔も見もせずに、一度振り返り挨拶をする。「皆にも世話になったと」そう言い残して、俺は着の身着のまま───どうせここに来た時もそうだった───、駆け出した。
どこへ行けばいいのかも不思議とわかっている。
土井先生と初めて会ったのは、学園の裏に広がる山のうちのひとつ。ススキ野原だったと聞いていた。

風を切り、木々の間を蹴り、山の上を目指す。
月の明りはないが、星の明りを受けて、ススキはぼんやりと輝いていた。
俺は息が切れるほど必死に走った。はあ、はあ、と自分の期待に満ちた呼吸を聞きながらも、背後から誰かが追いかけて来る音も理解していた。
俺が帰ることを知っている、惜しんでくれている、土井先生が見送りに来てくれたのだろう。
「ごめん、」
急がせてしまったな、と追いついてきた土井先生を見ると、彼は少し離れたところでぴたりと足を止めた。
強く風が吹いて、揺れたススキがざあっと揺れる。
身体をべちべちと叩くし、俺の長い髪の毛が舞い上がった。

「───サクラ」

風にかき消えてしまいそうな声。
髪の隙間から見た土井先生は、自分の手を強く握っていて、何か堪えるような。
もしかしたら俺を引き留めようとしていたのかもしれない、最後まで。でもそれをしなかったのは俺の帰りたいという意思を尊重してくれたからかも。

俺は結局、誰一人として向き合ってやれなかった。きり丸も、土井先生も、学園の誰にも。春野サクラという名前しか名乗らなかったのはそれを見越してだけど、もっとちゃんと真っ直ぐに向き合うべきだったんじゃないか───。

だが気づいた時にはもう、俺の背中にはベランダの柵がぶつかっていて、見上げていたのはやはり月のない新月の夜空だった。

せめて、……室町の満月をもう一度見てから帰りたかったな。

end.


土井先生、置いていかれるの似合う(ひどい)
Jan.2025