sakura-zensen

天降る春、月夜のうら

06話

久々の休日を、町でのんびり過ごそうと出かけた私はふと隣に立った人の気配に目をやる。
笠を目深にかぶっていたので顔は見えなかったが、距離感からして私に何か用があるように思えた。
「利吉君、奇遇だね」
親し気に話しかけてくる声に、はて誰だろうと思いながら、その人が笠を少し持ち上げるのを待った。
そして徐々に露わになる顔には見覚えがあった。何よりその緑色の目は一度見たら忘れられないほど強烈な特徴。
かつて春野サクラと名乗り、ある日忽然と姿を消したその人が目の前に居た。

私が、実際に彼と会って話した回数は少ない。
最初は彼が父上と一緒に行動していた時。一見すると普通のお嬢さんのような見た目なのに、ドクタケ忍者が揃ってかけているサングラスをした珍妙な出で立ち、それに加えて私と他二名の忍者は彼が部屋に入ってくるまでその存在に気づけなかった為、強烈な印象を抱く初対面だった。
事情を聞けば土井先生が記憶を失ってドクタケに捕らわれた際、たまたま同じく事故で記憶を失った彼が傍にいて、女と勘違いされた挙句に妻という立場に収まったという話も驚きで。土井先生を一緒に助けると言う言葉を信用していいのかはわからなかったが、父上や学園長先生が彼の存在を容認しているため、私は口を挟むことはしなかった。
結局、彼は自力で土井先生の元に辿り着き、暗殺をもくろむ雑渡にサングラスを投げつけて注意を反らすというファインプレーまでしたので、その行いによって疑いは晴れたといえよう。
ついぞ素性は謎のままだったが、再び我々に合流した時に見た月下で輝く神々しい髪や瞳には息をのんだ。同時に、色々な疑問を飲み込んでしまった。

───「半助が言うには、月へ還ったと」
父上からはいつぞや、そんな風に聞いていた。
私もあの見た目をした人が、月から来たのだと言われても納得はしてしまう。
心のどこかでそんなことがあるだろうか、と思ってもあの土井先生が見逃したというならそれまで。私も父上も、そしておそらく忍術学園の皆も土井先生の言う言葉を信じて追及をやめたのだ。

「今日はお休み?仕事中?」
「ああ、仕事は休みですが」

今目の前に居るのはあの消えた春野さんなのだろうか、いや間違いない、彼のこの目を真似ることができる人間がいるとは思えない。そう考えていると、彼は唐突に私の手を握る。
「そっか、じゃあ───師匠、弟子にしてください」
「え?」
そこで飛び出してきた言葉を、一瞬理解できずに聞き返した。しかし次第に意味がついてくる。彼は私のようにフリーの忍者になりたいということだろう。
とはいえ、どうしてそんなことになったのか、そもそも何故ある日突然消え、そしてまた今日突然現れたのかを聞かなければならない。



かくかくしかじか───そんな言葉から読み取れたのは春野さんはやはりどこぞの城仕えの忍者だったこと。
見た目からわかる歳のわりにある落ち着きよう、経験豊富なところを見るに、幼いころから忍者として教育を受け、実戦を積んでいたのではないかと思っていたが、やはり。
しかし彼は、任務の途中で土井先生と共に記憶喪失となって城に帰れなかった期間───おそらく、裏切り者と断じられたに違いない。それで逃げてきて、今は元忍術学園の教師でいらっしゃる大木先生の元に身を寄せているのだろう。

忍者の世界はかなり過酷だ。
私に詳しく事情を言えない彼を、いつぞや突然我が家のピクニック中に落ちてきた『お兄ちゃん』と重ねる。
子供だったので、家族のだんらんを邪魔をされたと拗ねていた私は、日を追うごとに年上で教え方の上手い彼を兄と慕うようになった。
過去にどんな事をしてきたのか、どんな事情で逃げたのか、本当の名前も何も知らない。
それでも彼は私に色々なことを教えて、手助けをしてくれたのが事実。私がその時間と、その人を大切に思うのは変わらないので───立場は違えど今度は私も人に優しくする番が回って来たような気がした。
彼は兄の『恩人』でもあるし、それ以上に私は彼がどこまでできるのかが気になるところでもあったから。


色々な思惑がありつつも、私は春野さん改めさんのことを当面の弟子(本人がその言葉を気に入ってしまった……)にした。
最初の依頼はとある城から、とある城同士の戦場における兵力を調べてきてほしいというもの。さんと私は別行動をとって合戦場に身を潜めて手分けして情報を収集する。これは地味だが、隠密と観察、分析が必要な仕事だった。

途中、私の方に乱太郎くん、きり丸くん、しんべヱくんが父上の洗濯物を持ってやってくるとか、小松田君が仕事の見学をしたいとついてくるなど邪魔が入ったが、兵力調査自体は済ませた。
生徒たちは先に追い帰したが小松田君は戦場で矢に撃たれかけるわ泣くわ迷子になるわで、……父上に言わねばならないことが出来たので、戦場から離れたところに小松田君を連れ出し、忍術学園まで送ると向き合う。
「師匠~、大丈夫でしたか?」
そこにさんが合流してきたので、当然小松田君は私とさんが一緒にいることに疑問を持った。
「あれ?どうしてさんがここに?」
「利吉先生に弟子入りした!」
あ、と思った時にはさんは全て言ってしまっていた。
小松田君の前で、私を師匠と呼び弟子になったと、言って欲しくなかったのに。
「え~!?いいなぁ~、僕も」
「ずぇ~ったいに、い!や!だ!!!」
「そんなあ」
案の定さんのことをうらやむ小松田君だったが、勿論彼を弟子にするなど断固拒否だ。
私たちのことを遠巻きに見つつも冷静に仕事をこなしてきたさんと小松田くんとでは、雲泥の差がある。……そもそもさんは勝手に弟子を名乗っているが、仕事を教えなければならないほど手はかかっていないし。
さん、私は彼を忍術学園まで送り届けて来るので、報告をお願いしてもいいかな」
「オッケー」
「じゃあよろしく」
さんまた忍術学園に来てくださいねえ」
「うん、小松田くんまたねえ」
こんなお荷物を抱えて仕事など、とんでもない……そう途方に暮れながら私は小松田君を伴って忍術学園への道のりを急いだ。
父上には、洗濯物を引き取る代わりに小松田君のことをしっかり頼まねば。



後日、報告を万事済ませた事を私に伝えたさんは言った。
「小松田君といるときの師匠、調子狂わされまくってて面白いですね」と。
私は一目見てそれを察知されていたことにガックリと肩を落とす。まあ小松田君がいると自分が制御できなくなるのは自覚していた。なんなら乱太郎君たちにも言われるほどだった。だがさんにまでそう言われてしまうのは、なんだか気恥ずかしくなる。
なんだろう、師匠としての面目だろうか。師匠などとは思っていないが。

「……そんなことより、私に敬語を使うのは辞めてくれないかな、前は使ってなかったのに」
私は誤魔化すように、話を変えた。
「利吉君の方が上官ですから」
師匠というのは時々の呼び名で、相変わらず彼は私を利吉君と呼んでいるが、何故だか敬語になってしまったので落ち着かない。私は指示をする立場になる為楽な口調で話す様にと言われて、敬語を使っていないのだから余計に。
「上官なんてそんな大げさな。今は単に仕事を紹介しているだけで、歳もそう変わらないんじゃ」
「うーん、利吉君が落ち着かないならそうするよ」
「……そうしてくれ」
話しの流れで年齢を聞いてみようかと思ったが、結局聞けずじまいだった。
顔立ちは六年生と同じ年ごろに見えるが、その態度や余裕はどうも年上のように感じてしまう。それも以前私が敬語を使っていた理由だったのだが、今となってはもういいかと思えた。
これからは、仕事仲間として、対等に接していけたら。

「───それで、次の任務なんだが、これは断ってもらっても構わない」
「どうして?」
「ドクタケ城への潜入だ。それも、忍者隊にね」

私は気を取り直して、次の仕事内容の話を始める。
実はとある城の城主に秘密裏に依頼された内容が、ドクタケ忍者隊に奪われた巻物を取り返して欲しいと言うものだった。そこには中国から取り寄せた秘薬の作り方が書かれており、内容は言えないがとても重要なものであるらしい。
その秘薬の作り方が外部に漏れる、またドクタケ忍者に調合され使われるようになっては国が傾くどころの話ではない……とのこと。

さんはその話を聞いた後、やけにあっさりと「全然行きます」と頷いた。
そして懐から取り出した何かを得意げに見せる。
「俺にはドクタケ忍者隊の通行手形があるのだ~!」
それはサングラスだった。
「なっ、───」
私の脳裏には彼がかつてそのサングラスを雑渡に投げつけた光景が過る。
その後サングラスは雑渡が持ち去っており、さんはその目を晒して私たちの前に現れた。だから余計にサングラスを持っていることが驚きで、思わずさんの肩を掴んだ。
「会ったのか!?雑渡昆奈門に……!?」
「そうそう、返しに来てくれて」
他で手に入れた可能性もなくはなかったが、やはりさんが持っていたサングラスはかつて彼がドクタケ領内で『ことぶ鬼』をしていた際に使っていたサングラスのようだ。しかもいつの間にか雑渡昆奈門と会っていたなんて。

いったいいつのことなのかと聞けば、すでにふた月以上経つ、忍術学園を再び訪ねた直後のことだという。
「あの男、俺がどこから来たのかを突きとめていたよ。……こわいねえ」
さんはそう言いながらもどこか愉しげで、サングラスを付けては外し、また懐に戻す。
どこから来たかなど、誰も聞こうとは思わなかったし、さん自身は言う気はないようだ。だがその情報を知っていると言う時点で雑渡のすえ恐ろしさは理解できた。
「一歩間違えてたら殺されてたかも」
「!」
「でも俺が鬼ではなく"人"であるからと見逃してくれた」
話がついてるのか、と一瞬警戒した気持ちを落ち着かせる。
しかし彼のその言い分はどうも不穏で、私は「……鬼って」と言葉にして疑問を呈す。
なぜ彼を鬼と評したのだろうと。

「鬼も天女も紙一重、ということだ」

そう言った彼の言葉は不思議と重く、私の中に留まった。

言われてみればそうなのだ。我々はさんの善性を知っているしその見目を天女と見紛うたが、一歩間違えたら恐ろしいと忌避されないとも限らない。
ましてや、有している力が大きければ、それはいずれ脅威となるかもしれない。
そうなったとき、人は彼を天女と呼ぶだろうか───否、鬼と呼び、討とうとするだろう。


ドクタケのサングラスが毎回いい仕事をしてくれる気がする。()
Jan.2025