sakura-zensen

天降る春、月夜のうら

07話

「あれ?土井先生……さんならもう帰ってしまわれましたよ」
なら出稼ぎ中だ!いつ帰ってくるかは知らないぞ」
「「「昨日、さんと町でお会いして、お団子を一緒に食べたんです」」」
さん、利吉さんの弟子になったんだそうですよ。羨ましいなあ〜」

と。春野サクラと天女だった頃の名を呼ぶ人はもうどこにもいない。
私だってサクラをと呼びたい。その口から名を聞かせてもらいたいのに。

五年生はサクラと体術勝負をしたらしい……私だってあのしなやかな身体裁きを見たかった。
杭瀬村を訪ねれば、農業手伝いや村の医者としてだけではなく、外に出て仕事も始めたサクラが生き生きと暮らしている片鱗を知った。会えなくとも、それは嬉しかった。
町でサクラと会ってお団子……食べたかった。
そして利吉君がサクラと仕事をしていると小松田君から聞き───正直、嫉妬した。

何故私以外の人ばかりが、容易くサクラと会えるのだろう。
大木先生は家でサクラと寝起きし、利吉君は共に仕事をする───彼らは共有する時間がたくさんあって、私は一向にその姿を見かけることすら叶わぬという現状。

「半助……ここまでくると私もお前が不憫でならない」
「山田先生ぃ……」

小松田君から利吉君との関りを零されて頽れた私を、山田先生は憐憫の眼差しで見下ろす。
私はそんな山田先生の足元に縋った。
「どうして、どうして、サクラは私に会ってくれないで利吉君といるんでしょうか!?」
「落ち着け落ち着け……。何もはお前を避けてるわけじゃないだろうに。お前を訪ねてきたが毎回残念そうな顔をしているのを、お前は見てないから……」
「ええ見てませんとも!!ああぁ、私はもう忍術学園から出なければ良いのですか!?でも学園長先生の御遣いを断ることなど出来ましょうか……」
「ああいや、すまん。あと利吉のことは恨んでくれるなよ」
「そんなことはいたしません。例え山田先生のご実家でなぜか家族団らんで食事をされても」
「恨んでるじゃないか」
「どうして私を抜きにしてみんなでご飯……ずるい」
山田先生ご一家は私にとって大切な人たちで、滅多に家に帰らない山田先生、そして同じく売れっ子忍者で忙しい利吉君が揃ったのであれば私もご一緒したかったと言うのが本音だ。そこに居た人に嫉妬してしまうのも事実だが、それがサクラであるならばつまり、───幸せな構図すぎないか……?
「半助……お前どっちに嫉妬してるのだ?」
「……わかりませぇん」
ひとしきり不満を吐き出したら気分がすっきりしたので立ち上がる。
「会う約束も取りつけていないのか?文を置いていくとか、言付けていくとか、そういうの」
「大木先生の家に文を置いて行ったのですが……悉くヤギに食べられてしまい、が残した文は、小松田君が落とし紙と一緒にして紛失……訪ねる予定を言付けてもそう言う時に限って、突然土砂崩れが遭って道がふさがれてしまったり、橋が落ちていたり、補習があったりするのです」
がっくり、と肩を落とすと山田先生は労うように、そして落ち着けと窘めるように背を叩いた。
ここまで互いに会えないと言うのはもはや、事を急きすぎてから回ってしまっているのではないかと山田先生は仰る。
たしかに、私はサクラに会おうとあいた休日を見つけては杭瀬村を訪ね、その間サクラは仕事に出かけていたり、逆に忍術学園を訪ねてきていたりしてすれ違う。
「お前は今、焦りすぎていつもの行動ができていない。もし普段通り忍術学園で仕事をしていれば、は度々ここを訪れているのだから会えていたはずだ」
「……」
「それに気になっていたんだがその呼び名も、春野サクラを思うあまり、との縁を遠ざけているのではないか?本人の口からきけずとも、はその名で生きることを決めたのだ、応援してやりなさい」
「そ、それはもちろん、呼びたい……のですが、……」
山田先生のお言葉には耳が痛い。
しかしいざサクラではない『』と口にしようとすると、喉が貼りついたように緊張してしまう。それだけでなく、胸が痛み、声が窄まり、手が震えてきた。
そんな私を見て山田先生は目を見開き、やがて深くため息を吐く。
「どうしちゃったんだ『土井先生』!暫く会えんうちに、感情を育て過ぎてしまったのか!?」
「そ、そのようです……私は忍者失格……っ」
顔に熱が集まってくるのを感じて、恥じ入る。忍者として、そして愚かな男として。
山田先生はいち早く私の感情に気が付いて律するように土井先生と呼びつけたが、もはやそれは手遅れだった。

「天女という存在に心酔しすぎてるわけじゃあるまいな」

想いが募る一方、山田先生の問いに言葉が詰まった。
サクラを一目見て天女と呼んだのは確かに私が一番最初だった。その後も何かと、手の届かない者という先入観から、判断力が鈍っていたのはたしかだろう。
「そ、それはあり得ません!」
あの晩、目の前で消えてしまった時まではそうだったかもしれない。だが私は強く山田先生に否定をした。
「私はサクラを天女だと思ったことを今では少し、後悔しているのです」
「後悔?」
「住む世界が違うと諦めてしまいました。彼が帰る場所は私には遠すぎると。ですがそれは間違いだった」
山田先生は私の言葉に小さく頷く。

故郷を想うように月を見ていたその姿を、美しく儚く、愛しいと思えた。
そんな人に、帰ってくれるなと、身勝手に引き留めることなど出来なかった私は、自分の伸ばしたくなる手を必死でこらえて見送った。
しかし、帰してしまってからは心に穴が開いたかのような空虚が襲った。もちろんそれは私個人が耐え忍べば良いことなのだが、サクラが再びこの地に戻って来たと聞きいた時、私の心は決まった。

「彼が人でよかった。共に生きてゆく未来を思う……希望が持てました」



暫くして、相変わらず私とサクラは会えないまま夏を迎えた。
人から伝え聞く彼の目撃情報、来ていた時の話などは徐々に慣れ、今では元気にやっているようだと純粋に喜びを感じることも出来る。
もちろん会いたい気持ちは変わらないのだが、山田先生に窘められたように、私は冷静になり、自分を律するよう心掛けた。
そうでなければより一層会えないと感じたからだ。

果たしてその効果が現れるのはいつになるのか───と、日々を過ごしていたある日。
乱太郎、きり丸、しんべヱがドクタケ忍者隊に捕えられたという知らせが届く。
学園長からの指示で山田先生と私が女装をしてドクタケの出城に忍び込み、三人の無事をひとまず確認できたまではよかったのだが、そこにはなんと仕事で潜入していた利吉君もいた。
「利吉、此度の仕事は単独か」
「いいえ、父上。信頼できる仲間が一人潜入しておりますので、逃げる際の陽動はお任せください」
「そうか心強い」
彼らのやり取りにおける、"誰か"の存在は理解した。
そのうえで私たちは乱太郎、きり丸、しんべヱの救出を開始。煙幕を使って目くらましをして八方斎や忍者を倒し、牢を破って縄に繋がれた三人を先導して外に出る際、私は誰かにしがみつかれて転んだ。
「っうわ、」
思わず声をあげ子供たちから手を離してしまったので、三人の戸惑った気配がする。
「「「土井先生~!!」」」
「っ皆、走れ!先へ行くんだ!」
「お前たち止まるな!」
「土井先生は大丈夫だ!」
私は両足にしがみついている誰かを蹴飛ばして、三人を山田先生と利吉くんに任せる。
自分一人でここを切り抜ける方がむしろやりやすいからだ。

やがて視界を覆う靄は晴れてゆき、その場にいた人間はほとんど、私より逃げた者を追いかけて出て行ったのがわかった。残っていたのは気絶したり縛られたりで動けない者、そして私を相手にするために残ったであろう一人だけだ。
手で地面をにじり後ずさりながら、私は着物の中に隠し持つ暗器を取り出そうとしたが、いつの間にか敵の頭上からするりと降りてきた赤い忍び装束の人物が、仲間であろう忍者の身体に絡みつき、一瞬で意識を奪ってしまった。
その場にはもう彼一人しか立っておらず、私は間抜けにも動けなくなる。
「な、……っ、」
敵ではないことくらいわかっていた。利吉君と共に潜入していた信頼できる仲間なのだろう。そして、私が逢いたいと渇望していた人であるはずだ。

彼はゆっくりと私を見下ろし、「怪我は」と問う。
だが首を振るので精一杯になった。
「脱出は別の道で行くよ」
言いながら彼は身を屈め、軽々と私の身体を抱き上げてしまう。
その勢いに急かされるようにして、肩に触れてしがみついた。
「ん、掴まっていて、あと念のため顔を隠すこと」
言われるがままに、肩に顔を押し付けると彼は軽やかな足取りで走りだし、どこかへと向かった。

周囲の様子を気取ると、堂々出城内を歩き、人とすれ違いながら「女中さんが足を挫いてしまった、医者に見せに行かねば」と言っている。
私はその最中、身体に触れた所から響く声を確かめながら、身を任せた。
首や肩、胸の感触も、私の知っている身体だ。サクラだ、私の───。

「よぉーしぃ、ここまでくれば大丈夫だろ」

いつしか、あっさり出城を脱出していたようで、気の抜けた声が降り注ぐ。
周囲に人の気配はないようだったので隠してた顔を上げると、私を見下ろし口元に笑みを浮かべた顔がある。
「やっとあえた」
零れてきた声はどこか優しく、安堵が滲んでいる。それからきっと、歓喜。
私だって"やっと"だと思いながらも、彼にそう言われると、同じ気持ちなのだと思えて震える。

何かを言わなければと思うのだが、私は手を伸ばし、彼の顔に触れた。
そしてサングラスを外してその奥の瞳を見ようとした。彼はそれに応えるように、顔をそっと近づけてくれる。
───相変わらず、警戒心がなくて甘いのだな。これがどうか、私にだけでありますように。

「どいせん、ぅ?」

緑色の瞳がやっと見えるようになったが、それはすぐに見開かれる。
私が突然、唇に吸い付いたからだろう。
「ぇあ、なに……んむ」
漏れ出た戸惑いの声を舐めとって、更に強く吸った。
息を吐いたり声を漏らすたびに動く唇を追い求めて食む。
首にしがみつき、身を乗り出し、頭巾を外していくさなかでも、彼は私から逃れるどころか、私の身体を落とすまいと強く抱いた。
それどころか一瞬離れて見つめ合ったその時、彼の方からも私の口を吸ってくれて……、そうやって優しくするから、私は胸が躍ってしまって仕方がないんだ。


再会まで約3万文字かかった……。
会えない時間が二人の愛をはぐくむ的な。
Jan.2025