sakura-zensen
魔性の春
02話
*伏黒視点
入学前から一年生は三人だと五条さん───五条先生から聞かされていた。その少人数に驚きはなく、むしろ多い方だとも思った。
だが入寮日に紹介された同級生の姿に俺は驚いた。
明らかに十歳くらいの女児が、暢気に五条先生に両腕掴まれてぶら下げられている。
それが春野だった。本当は十七歳で年上という事実を告げられる。
どうせ知ることになるからと説明されたのは、十一歳の時から六年間、呪われて意識不明だったこと。その間、身体が成長を止めていたのだが、昨年、無事解呪されたということだ。
脳裏に、姉の───津美紀の姿が過った。
津美紀は何かしらの呪いに当てられて、眠り続けている。原因もわからなければ、回復方法もわからない。だから彼女(ではなく、彼だった)がいかにして呪いを解いたのかを五条先生に尋ねた。
「あ~……は異例中の異例だよ?本人がものすごーい根性で緻密に呪力をコントロールした。呪ったのも、相手が憂太。憂太は無意識に呪い、その上双方で呪いを解くという意思が噛み合った───もはや奇跡だ」
以前かいつまんで経緯の説明を受けていたが、その実かなり複雑な条件の下で春野の解呪が成功したと知り愕然とした。
乙骨先輩は無意識に春野を呪い、死ぬ直前だった春野の身体を媒体にし、なおかつ魂を縛ることによって莫大な呪力を生み出した。
一方で春野は、魂をほとんど呪霊に作り変えられた上、呪力の影響を受けながら自我を取り戻し、呪力をコントロールして扱えるようになったと言う。
女と見間違える要因にもなった長い髪も、どうやら呪力を溜めるための繋がりでもあり今ではタンク代わりのようで、今もその髪には呪力が詰まっているらしい。桜色をしているのもその影響だとか。
目が覚めてから三ヶ月で、呪力を額に溜め込む形でさらに凝縮し(だからなのか、菱形の痣がある)、普段は自分の呪力として使っているというのだから、五条先生の言うとおりとてつもない根性だと言って良いだろう。
十一歳で意識を失い、目覚めたばかりの子供が出来ることとは思えない。
もちろん、津美紀に同じ芸当が出来るとも思えなかった。津美紀の場合は呪ったものの正体も不明だが。
「……お前、いったい何なんだ……」
俺は春野に地面に伸されながらぼやいた。
精神は十七歳と聞いていたが、実質ほとんど十一歳から成長する機会がないはずなのに、春野はかなり大人びていた。
先輩たちのことさえ、微笑まし気に見るほどだ。
しかも、元呪霊として戦っていたとはいえ人間の身体でも体術が鬼のように強い。
体格差が随分あるにもかかわらず、俺は春野に易々と投げ飛ばされている。
今、まさに。
「なんだかんだと聞かれても」
「……?」
「続かねぇ~」
俺を見下ろしていた春野は、背筋を伸ばして髪を翻す。
つられて俺も起き上がるが、地面に腰は下ろしたままだ。
今は授業中ではなくて、手合わせを頼んだので周囲に先生はいない。暇を見つけては茶化しに来る(というか多分、春野を気にしている)先輩たちの姿もない。
特に乙骨先輩は、授業以外の時間はほとんど春野と一緒にいるし、いつしか任務も同行しているのに。───特級の乙骨先輩についていける術師なんて本来はいないはずだが、春野の場合は乙骨先輩の呪力を使えて、二人で戦えば実力以上に動けるという理由で上からも承認が下りているらしい。───今は本当に俺と春野の二人だけ。
だからつい、聞いてしまった。
「春野は乙骨先輩に呪われてるって気づいた時、どう思ったんだ」
「憂太に呪われてる……ね」
乙骨先輩の人格に関しては尊敬できるが、過去無意識にしたこととはいえ春野を呪ったのは事実だ。
二人は互いに憚りなく親友を自称していて、その稚い関係を今なお続けていられる心持が、俺にはよくわからない。
「───俺、愛されてるんだなあ……って思った」
「……は」
いつも機嫌がよさそうで、なんか犬みたいなヤツだと思っていた春野。そのつぶらな瞳が、どこか蠱惑的に熱を帯びたのを目の当たりにして、喉が窄まった。
遅れて、呼吸だけがはくりと零れる。
だがその凄みを見せたのは一瞬だけで、春野はまたころっと表情を変えた。
「一生愛の人生よ♡」
……意味がわかんねえ。
でも、呪われてもその力を上手くコントロールしてしまえる───その片鱗を、垣間見た。
入学して二カ月が経った、六月。
俺たち二人は特級呪物の回収任務の為、仙台駅へと降り立った。
春野は元々こちらが地元だったようで、住んでた家もそのままだそう。五条先生はちょっと寄るくらいなら良いと言っていたので、駅を出ながら問いかける。
「家、寄るか?」
「ん?終わってからでいいよ」
「呪物回収した後の方が寄り道したくねえだろ」
「それはそうだ」
本当は俺まで春野の家に付き合う必要はないが、どうせ呪物の回収は人気のない時間、つまり夜にやるためまだ時間があった。
春野もせっかくだからと俺を連れて家と思しき場所へ向かう。
しかしやってきたそこにあるのは、どう見ても、家というか……廃屋で、かなりの呪力を放っていた。
「ここが……お前の住んでた家……?」
「古くって恥ずかしいナ~」
壊れかけた門は錆びついて、今にも崩れ落ちそうなほどになっていた。
表札があっただろう場所は不自然に抉れ、かろうじて体裁を保っている。
家の玄関であろう場所は、やたらと暗くて、妙に湿った匂いが鼻につく。
「いや、古いとかそう言うレベルじゃなくて」
「ここはねえ、呪力を帯びた俺の身体が五年くらい放置されてたから……その間に呪いが発生しやすくなっちゃったらしく」
「五年!?その間ずっと置き去り……?家族や……乙骨先輩はその間どうしてたんだよ」
「唯一の家族、祖母は謎の失踪を遂げ、憂太は俺の魂の方がそばに居たから、それどころじゃなかったんだよね。俺は死んで荼毘に臥されたと思われていたし、家に用事もないだろう」
返す言葉はなかった。
平気な顔でドアを開けた春野に続き、俺も家の中に入る。
土足で上がっていくので、着いていくのにためらったが、春野が手招きをしながら頷くので追いかけた。
廊下を歩いてすぐに見えた階段を上がっていき、二階の一室に入るとおそらく子供の部屋……にしてはかなり殺風景な部屋がある。
押入れを開けた時にランドセルがあったので、かつて春野の部屋だったことはわかった。
「家に来たけど、実は特に用がないんだよな」
「持ち出したいものとかは?」
「うぅん……あ、親の写真───?」
記憶を探るように、家探しのような真似をする春野を暫く眺めていたが、春野は思い出したように下へと降りていく。
居間らしきところには仏壇があって、そこには三十代半ばくらいの男女の写真が飾られていた。おそらくそれが、春野の言う親なんだろう。
「これ、おとさん、おかさん」
「なんで片言なんだよ」
「あんまり記憶になくて……多分両親なんだろうけど、実感が」
ああ、と理解する。
両親のことをあまり記憶してないからこそ、写真を見に来たのだろう。
じい、と見つめているであろうその横顔には長い髪がかかって輪郭が透けるのみ。まろい頬にどんな感情が打ち寄せているのかまでは、わからなかった。
ただ、手が写真の二人を撫でるのは、優しげだ。
ふとその手が今度は、髪を耳にかける。小さくて、なんか……ピンク色の耳たぶが、薄暗い部屋の中でやけに鮮明に見えた。
伏せられた目蓋と睫毛、それが作る影、もそりと動いた唇の動きまで如実に観察していることに気づいた時、春野は丁度俺の顔を見返す。
咄嗟に目を逸らしたのは、まじまじと見ていた自分を後ろめたくなったからだ。
「ふしぐろ」
「!」
「そろそろ日が暮れるね───行こうか」
ただ一言名を呼ばれただけなのに、俺は腹の内側を撫でられるような焦燥を感じた。
春野は結局この家で何も持たず、俺にもそれ以上何を言うこともなく、立ち上がる。
長い髪がまた耳から零れ落ちてその表情を隠すのを、俺はもう覗き込もうとは思わなかった。
───その夜、杉沢第三高校に俺たちは向かった。
百葉箱の中に呪物を保管してあると言う事実を聞いて、「馬鹿すぎでしょ」と素直な感想を言うと、電話越しに五条先生はその方が回収が楽だと笑う。
『横にいる元呪物のだって空き家に放置されてたしねえ?』
「がはは」
俺が耳に当てるスマホの反対側に頭を付けて話を聞いてる春野は、山賊のように笑った。前から思ってたけど神経が図太すぎるだろこいつ。
しかしその百葉箱を一緒になって覗いて、特級呪物がなかった時は受話器の向こうでウケると言ってる五条先生ほどではなかったので少しだけ安堵した。
「回収するまで帰れマンデーか」
「ふざけてないで呪力感知しろ」
でもやっぱり暢気だったので、頭の上に拳を軽く乗せた。殴るほどではない。
こいつは呪力コントロールに長けている分、感知能力も高い。特級呪物程のものであれば、その鼻が利くだろうと頭を回して四方をかがせる。
「ぼく玉犬・サクラじゃないんですけど~……ウゥン、このあたり呪力が混じっててなんだかな」
髪色が桜色なことも相まってか、春野はそんなことを言いながらも周辺に気を配っている。
しかし特級呪物が保管されていただけあって、その物がないにも関わらず気配が大きすぎて俺にも、春野にもかぎ分けられない。
そしてここにあるものがない場合、それは十中八九誰かが持ち出したということになり、───遊び半分で、生徒が手にした可能性がある。その為一晩待って、登校してくる生徒の中に呪物を持っている生徒がいないか探す必要があった。
こっちでは全く同じ意味というわけではないけど、言葉を借りました。
Feb.2025